地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング

2022年06月29日~11月06日

森美術館


2022/10/31

 展覧会タイトル「地球がまわる音を聴く」は、オノヨーコから取られたようだ。詩というよりも提言に近いもので、本展でも要所要所にこのシリーズからのフレーズが散りばめられた。見ごたえのある展覧会になったのはこの見ごたえのないコンセプトのおかげだと思う。それにしても何ということを言い出すのだと驚く。ハッとするのは地球がまわるのに音などしているのかという、それまで考えてもいなかった問いにある。そろそろキシキシといっているのかもしれないが、このコンセプトに従って作品が集められた。実際はそれは命令形をした英文の指示書として書かれている。

 北極点に24時間立ち尽くすオランダ人がいる。それを8分ほどの早送りの映像作品にしている。太陽の動きで影が移動する。いわば人間日時計だ。獄寒のなかを立ち尽くすだけで拷問だが、この無謀を通して、ここが北極点だからこそ見えてくる不思議に、私たちは驚かされる。寒さにかき消されていて、この人には地球の音は聞こえていない。

 地球に直線を引くとすべては曲線だという指摘に驚いたのもオノヨーコの一節だった。美術は沈黙の音楽だというのが、この人の立場なのだと思う。地球は猛スピードで動いているはずなのに音はしない。それはそう思っているだけかもしれない。耳を傾けたこともないでしょうと問い掛けているのである。それを短いことばで語るのは詩人だが、その暗示を受けて創造へと向かう造形作家がいる。コンダクターの役割を果たすのが、ここでのオノヨーコの立場であり、キュレーターはその威を借りて、論理的に展覧会を組み立て、美術史にそった論証に向かう。

 膨大なエネルギーが無意味とも思える造形に結晶する。無意識な絶対的パワーに導かれて、神がかりな行為の跡形が、限られた会期中の短縮に結集されている。古めかしいダンスや家具が積み上げられ、神殿が築かれている。タンスには生々しいヒトガタが影となって刻み込まれている。壁面に日常生活の体臭が埋め尽くしている。

 ヴォルフガング・ライプの作品は一度見たいと思っていた。目に鮮やかな花粉の黄色が、周辺を彩っている。見どころはこの色合いだけではない。黄色が消え入る正方形の四隅で奏でる細やかな息づかいだろう。大声を出せば飛び散りそうな微妙な音色に耳を傾ける。これはわたしたちの美意識の中にある日本画の胡粉の感覚なのかもしれない。制作風景を写した写真がポスターになっているが、おそらくこのときライプの耳には地球がまわる音が聞こえていたにちがいない。


by Masaaki Kambara