粟津潔 デザインになにができるか

2019年05月18日~09月23日

金沢21世紀美術館


2019/7/18

 一本スジの通った優れたデザイナーだと思う。スポンサーに奉仕するCM畑のディレクターが幅をきかす中、商業ベースに乗ることのない社会へのメッセージに、底辺で共鳴できる部分は多い。同時代を生きたという感覚は、ベ平連のポスターや一連の平和運動プロパガンダに、時代の息吹きを感じる。ATGゴダールの映画会のポスターには、知的前衛をアジテートするオシャレな魔力が潜んでいる。映画そのものよりもこのポスターで、当時の文化の動向を記憶している。学生にとっては映画そのものは難解すぎたとしても、ポスターはイメージだけで当時の時代の気分を吸い込んでいる。

 書体によって文字とも絵ともつかないながら、かすかなスチール写真を反転させることで、それ以外の宣伝とはならない統一を図っている。大きなポスターで近づくとわからないが、離れて見ると「砂の女」と読める。個人的体験で言えば「心中天の網島」はしっかりと覚えている。監督は篠田正浩だが、美術は粟津潔だったのだ。リアルタイムで見たものだが、当時の予備校生にとって美術担当が誰かまで興味はなかった。前衛書道をあしらった斬新な舞台装置が、強いインパクトで迫っていたことを記憶している。同時に近松やシェイクスピアやギリシャ悲劇が扱う重厚な人間の不条理ドラマに興味を覚え、前衛精神が古典と結びつく仕組みも、同時に理解できたように思う。オイディプスを下敷きにした「薔薇の葬列」もその頃にATG系の映画館で見たし、その少し後だったか、パゾリーニの「アポロンの地獄」を通しても、ギリ悲の描く人間の真実を学ぶきっかけが、与えられたように思う。

 グラフィックデザイナーの立ち位置は、平和運動の加速化とともに、平面からより強い立体造形へと進化したようで、インパクトのあるキャラクターを生み出した。未知との遭遇で出会った異生物のような頭の大きな少年像である。純真無垢のように見えるが奇形児でもあって、重層的な意味が付加されている。ポスターではシルエットとして登場し、黒い影の存在感を増している。


by Masaaki KAMBARA