装いの力―異性装の日本史

2022年9月3日(土)~10月30日(日)

渋谷区立松濤美術館


2022/10/29

 江戸時代の歌舞伎を中心にした浮世絵の異形と、現代のハロウィンの渋谷に展開する異形を対比的に並べてみると、日本文化の底流をなす伝統的秩序のうえに立った正統派を主張しているようにみえてくる。渋谷でのハロウィンの高まりの夕刻に訪れたが、入口付近には若者たちが列をなし、これらの異形に賛成票を投じる心派のように見えた。残念ながら彼らのなかには異形の当事者はいないようで内心はほっとした。帰り道の京王線渋谷駅前の混雑をハスに見ながら足早に通り過ぎるのが、高齢者の慎しみというものだろう。美術館内の展示ではいくらケバケバしくても芝居じみていて楽しい見世物となっている。森村泰昌の仮装は必ずといって登場する定番のアイテムで、ここでも先頭に立っている。

 さかのぼれば浮世絵と歌舞伎に落ち着いてしまうのかと思うと、それらが欧米人をいくら魅了したとしても、日本人の目は冷ややかに、冷静にそれらをとらえているようだ。庶民に根ざしてはいるが、あらかじめ枠をはみ出さないように制御された都市文化の治安の範囲内にある。標本として採取して、ガラスケースに封じ込めて、みうごきの取れないようにしているのは、西洋から伝来した博物学的思考のたまものなのだろう。

 あたりさわりのない化粧で隠された素顔よりもすっぴんのもつグロテスクを前面にだす現代の芸能界をもっと持ち出してきてもよかったかもしれない。オネエといわれる男性でも女性でもある性の現況を写し出した現代写真の実験が、いくつも思いつくが、それらのほうが江戸の浮世絵よりも生々しく現代にアピールするものとなったにちがいない。重厚な存在感という点では森山大道でもいいし、ケバケバしさという点では蜷川実花でもよかっただろう。もちろんもっと若い写真家の未知の仕事を、個人的には見てみたかった。ハロウィンの喧騒を定着させるためには、どうしても登場してほしい森村泰昌以降のアーティストがいるはずで、それらをクリアすることで、「異性装の日本史」は「異性装の現代」となって展開することができたにちがいない。

 それでもシモーヌ深雪を加え、ダムタイプを引き込むことで現代アートにつなげ、社会におさまるのではなく、はみでようとするエネルギーを伝えるタイムリーな企画であったことは確かで、多くの鑑賞者の共感を得るものとなったようだ。行列に並んだあげく、予約をしていなくて窓口で、門前払いをくわされている気の毒な女性にもでくわした。本展の趣旨からいうと、もう少しごねて狂騒を演じるのも手であったかもしれない。

 西洋ではアマゾネスやジャンヌダルクを持ちだすことになるのだろうが、日本での異性装の系譜をヤマトタケルから出雲阿国をへて浮世絵から現代へとたどる興味深いものとなった。共通項としてはベルばらのオスカルあたりに落ち着くのだろうが、華麗すぎて物足りなさを感じる。日本には沖田総司や佐々木小次郎をもてはやす目はあるが、やはりゴツゴツとした粗暴な無頼感に引かれるということも言える。


by Masaaki Kambara