第433回 2024年4月4日 

現金に体を張れ1956

 スタンリー・キューブリック監督作品、原題はThe Killing。競馬場での賞金の強奪事件。時間の経過を、犯人のひとりずつの行動を追いながら、ドキュメンタリータッチで記録していく。時間がさかのぼるので、同じ場面が二度出てくるのが興味深い。時間がフィードバックして、異なった人物の目によって、角度を変えて見直されている。のちにタランティーノが「パルプフィクション」(1994)で成功させる映像効果である。

 首謀者(ジョニー・クレイ)のほかに、競馬場の職員(ジョージ)やバーテン(マイク)、金に困った警官(ランディ)も、一味に加わっている。それぞれに面識はなく、金を山分けにしてのちは、コンタクトを取ることもない。警備する警官をおびき寄せて、競馬場内の酒場で、バーテンと示し合わせて、ひと暴れする大男(コーラ)もいる。そのほかにも資金だけを提供した男、一番人気の馬を遠くから射殺して、混乱をさせる役も、首謀者が計画して加わっていた。

 実行犯は首謀者がひとりだけで、銃を突きつけて、現金を袋に詰めさせている。結局は失敗に終わるが、多くは命を落としてしまった。馬券売り場の窓口に働く職員と、その妻(シェリー)とのやりとりがスリリングで、事件の展開をおもしろいものにしている。職員は妻を愛しているが、妻は浮気をしていて、若い愛人(ヴァル)がいて、夫は裏切られていた。

 安月給で妻がうんざりとしていると、夫は大きな稼ぎの口があるのだと、つい口を滑らしてしまう。このことを愛人に伝えると、手に入れた金をそっくり横取りする計画を立てる。夫が仲間との打ち合わせにいったとき、妻があとをつけて聞き耳を立てているのを見つけられ、秘密がもれたことを恐れる。夫が浮気をしているのではないかと、疑っての尾行だったと言い逃れをしていた。

 愛人が仲間を連れて、アジトに押し入ったときには、まだ奪った金は到着していなかった。両者は撃ち合いになり殺しあう。夫だけが命からがら自宅に逃げると、妻は愛人だと思って名を呼んだ。夫だとわかり、開き直って別れを告げると、怒りにまかせて、妻を撃ち殺し、自分も命が尽きた。

 首謀者は遅れてアジトに着くが、異変を感じて、飛行機での逃亡をはかる。トランクを手に入れたが、札が入りきらず、鍵がうまくかからない。飛行場で持ち込みの手荷物だと言うが、大きすぎて受け付けられなかった。しかたなく預けると、貨物として運んでいる最中に、飛び出した小犬をひきかけ、台車から転げ落ち、鍵が開いて、中身の札がすべて風に舞ってしまった。札束が水面に広がるアラン・ドロンの映画「地下室のメロディ」(1963)を思い出したが、現実に一度は見てみたい光景だった。

 テンポよく事件の流れが、スリリングに語られている。カメラワークは淡々としているが、ハラハラさせる演出が際立っている。犯罪映画としてのストーリーの確かさに加えて、競馬場の雑踏と競走馬のレースもようが効果的に入って、熱気に満ちた一級の、娯楽映画の醍醐味を味わうことができた。

 ラストシーンは、愛人と飛行機に乗り込もうとしていた首謀者があきらめをつけて、警官がふたり、銃を構えて近づいてくるところで、The Endの文字が浮かび上がり、スタイリッシュな絵になる幕切れになっていた。この映画をフィルムノアールに分類するなら、飛行場での最後は「カサブランカ」(1942)のオマージュと見ることができるだろう。

第434回 2024年4月5 

突撃1957

 スタンリー・キューブリック監督作品、原題はPaths of Glory、カーク・ダグラス主演。敵の堅固な要塞に向かって、無謀な突撃を命令する将軍(ミロー)がいる。それを食い止めようとする大佐(ダックス)がいる。第二次世界大戦でのドイツとフランスの戦闘は、この突撃によって多くのフランス兵に犠牲が出た。蟻塚と呼ばれる、見晴らしのよい難攻不落の要所であり、攻めてくる敵は隠れるところもなく、すべてが標的にされる。撃たれるだけの愚かな突撃場面が映し出されている。

 どこまで続くのかというような、長い塹壕が掘られていて、将軍が兵士を鼓舞してまわるカメラワークが、映像効果を高めている。戦意のない兵士には厳しい処置が下された。敵の砲火を浴びて、塹壕にとどまったまま、突撃できなかったものに、敵前逃亡の汚名がかかり、軍法会議にかけられる。上官の命令には絶対服従する軍隊のおきてが不条理な世界を浮かび上がらせていく。

 突撃によって半数の死傷者が出ることがわかっていても、命令を出す将軍の狂気をとどめるものはいない。突撃を命じられた大佐は、先頭に立って兵士に掛け声をかけるが、塹壕にとどまったままで出てくるものはいない。全員を軍法会議にはかけられないので、各部隊から3名が選ばれた。

 最も戦意をなくしていた者というわけではない。くじで選ばれた者もいた。弁護士でもあった大佐は、弁明をするが聞きとげられなかった。先に大佐は部下をかばい、自分ひとりを処刑すればいいとも言っていた。判決は銃殺刑となり、3人はそれぞれあきらめをつけるもの、死をおびえるもの、負傷したものとさまざまだが、ともに並んで銃殺された。ひとりは頭に傷を負っていたが、応急処置をされて担架に乗せられての処刑となった。

 大佐の怒りは、将軍の告発へと向かう。突撃命令のもと敵地に向かっている兵士を知りながら、その鈍い進行に業を煮やして、将軍は敵地に向けての、砲弾による爆撃命令を下していた。味方にあたるのをためらう部下が出てくると、上官にさからうことでの、極刑をほのめかして脅迫している。複数の証言を集めて参謀本部に訴えると、聞き遂げられて返ってきた答えは、失脚する将軍に代わって指揮を取らないかという誘いだった。

 昇進をもくろんでの工作だと考えられたのを否定すると、やがて逆らったことへの報復だろう、前線への復帰命令が下される。ひとときの休息に、兵士たちが酒場で楽しんでいる姿があった。舞台に捕虜となっていたドイツ娘が上がり、その美貌が注目されている。酔っ払った男たちが好色な目で眺めている。娘がドイツ歌曲を歌いはじめると、男たちの表情は変わり、やがて涙ぐむ者まであらわれた。卑俗な酔っ払いの部下たちを見下していた大佐は、その光景を眺めながら見直して、またこの兵士たちと運命をともにしようと、確信と決意と責任を感じ取っていたようだった。

第435回 2024年4月6 

スパルタカス1960

 スタンリー・キューブリック監督作品、カーク・ダグラス主演、原題はSpartacus、アカデミー賞助演男優賞、美術監督・装置賞、撮影賞、衣裳デザイン賞受賞。奴隷の剣闘士が反乱を起こし、処刑されるまでの物語。古代ローマを舞台にして、グラックスやカエサルの登場する時代である。ギリシア生まれの奴隷スパルタカスは、訓練を受けて鍛えられ、剣闘士として成長していく。剣闘士となるためには、歯が決め手だったようで、反抗的で看守に噛み付いたことから、その資質が認められた。自由を求めて奴隷解放を叫び、反乱の首謀者として先頭に立つが、夢叶わず捕らえられ十字架磔に処せられる。

 屈強の身体は、4人の選手に選ばれるが、ローマからやってきた権力者(マルクス・クラッスス)の見せものとして、死闘をするためだった。スポーツ競技のはずだったが、権力者は真剣勝負を強要した。2組に分かれて争われ、先の組では片方は負けて刺殺された。待っている一組にうめき声が聞こえ、たがいに悲痛な表情を浮かべている。ともに訓練を受けた剣闘士仲間である。

 主人公の対戦相手は黒人の槍の使い手(ドラバ)だった。短剣を手に戦ったが、負けて喉もとに槍を突きつけられた。見物人は殺せとはやし立てている。黒人は殺そうとはせずに、槍をはずして見物の貴族に向かって投げつけた。座席にまでかけあがったが、警備兵の投げた槍が背中に命中し、権力者に喉をかき切られて絶命した。その後黒人の遺体は見せしめに、逆さにしてさらしものにされている。

 主人公はこのとき決意をしたようだった。死者の意志を継ぐのは、生かされた者の使命だったはずだ。奴隷の剣闘士仲間の数は多い。反乱を起こすと、同調してまたたくまにふくれあがっていった。イタリア南部に集結するが、ローマ軍と戦うつもりはなかった。自由を求めて、船で故国に逃れようとしたが、船の手配が阻止されると、ローマに向かって進むしかなくなった。

 ローマの大軍との戦闘が、平原に展開する。何万という歩兵が移動するスペクタクルは圧巻で、現代ならCGによるのだろうが、エキストラを使った撮影だと考えると、驚異的に見えてくる。大活劇の見せ場も多いが、女奴隷(バリニア)との恋愛を重ね合わせることで、人間ドラマとして抒情性を高めようとしている。

 彼女はローマの貴族からも求愛されるが、主人公との出会いと別れを経て、再会して結ばれ、子どもも生まれている。平和な日々を希求するが、戦いから逃れることはできなかった。権力者は主人公に嫉妬しながら、なぶり殺しを考えていた。反乱を制圧して女を見つけ出して奴隷にしている。首謀者の顔がわからない。剣闘士の試合を見たときに出会っているが、忘れていたようだ。立ち上がってひとりが、自分がスパルタカスだと言うと、次々と本人を自称する男たちが現れていた。全員が処刑されることになる。

 十字架に貼り付けられて、生きたまま放置される残酷さを、彼女は目にしながら足もとにまで近づいていった。わが子を目に焼き付かせて去っていく姿は、悲しいなかに強い意志の力を感じさせるものだった。母子を助け出したのは、かつて主人公とともに仕えた剣闘士訓練施設の主(バティアトゥス)だった。味のある役でこれを演じたピーター・ユスティノフがアカデミー賞助演男優賞を得た。

 最愛の友どうしを剣闘士として戦わせることで、権力者は残酷な余興を楽しんだ。主人公は友(アントニウス)を、痛みを伴わないように一気に殺し、みずからは過酷な磔刑を選んでいた。わが子に願いを託したのかもしれない。苦痛にあえぎながら、死に至る長さを耐え抜いていた。母子が逃れるアッピア街道ぞいには、磔にされた奴隷の十字架が、列をなして続いている。

第436回 2024年4月7 

博士の異常な愛情1964

 スタンリー・キューブリック監督作品、タイトルは長く「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」、原題はDr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb、英国アカデミー賞総合作品賞、英国作品賞受賞。

 核戦争の恐怖を描いたブラックコメディ。米ソの冷戦を背景にして、精神に異常をきたした将軍(リッパー)が、核弾頭を搭載した戦闘機に攻撃命令を出した。大統領にしか権限はなかったはずだが、緊急時の対応としては認められていたようだ。いったん出した命令は、簡単には取り消すことができなかった。

 上空では地上で大変なことが起こったのだと理解して、任務の完遂をめざした。「R作戦」としてマニュアル化されていたもので、緊急時の回路に変更され、地上との交信は取れなくなった。ペンタゴンでは大統領を中心に首脳が結集し、対策が検討されている。お楽しみの最中だった上層部も召集され、会議中も私用の電話をかけている。

 ソ連大使(サデツキー)が呼び出され、首相との連絡を取ろうとするが、敵対国の大使を招くことで、軍部では機密が漏れないかと心配している。隠し持っていた小型カメラを見つけては取り上げてもいた。大統領は首相との直接の電話にこぎつけて、核兵器を積んだ爆撃機が向かっていることを説明し、見つけて撃ち落すよう要請をしている。ソ連にはこれに対抗する手段として、地球を絶滅させる装置を開発し、北の海の孤島に配備しているようだった。

 30機余りの爆撃機が攻撃に向かっていて、これを中断するには暗号の入力を必要とした。命令を下した将軍だけが、それを知っていた。副官の大佐(マンドレイク)が、異常を認めて問いただすが、将軍は応じようとはしない。大統領の命を受けて部隊が出動して、銃撃戦になる。将軍の部下たちは投降し、将軍は自殺をしてしまう。副官は何とか暗号を見つけ出し、大統領に知らせることができた。

 30機に連絡が取れたが、4機は撃墜された。そのうちの1機は、墜落をまぬがれ、目標に向かって低空飛行をしていた。通信装置が壊れて連絡を受けないまま、当初の目標にまではたどり着けず、近くに変更することで、命令どおり核弾頭を投下してしまった。乗組員のひとり(コング少佐)が、核弾頭に馬乗りなったまま、落下していった。さらにその報復措置なのだろうか、大規模なキノコ雲が繰り返されて、地球の絶滅を思わせる幕切れになっていた。

 将軍だけではなく、人類存続のあり方を問う、「異常な愛情」という名をもった博士(ストレンジラヴ)の、エキセントリックな思いは、勝手に動く片腕を抑えにかかる奇怪な動作を繰り返し、興奮気味に語られていた。博士大統領大佐を、ピーター・セラーズが、一人三役をこなしている。狂気と温厚と良心の役柄を、うまく演じ分けていた。それはひとりの人格に備わった、三つの側面なのかもしれない。

第437回 2024年4月8 

2001年宇宙の旅1968

 スタンリー・キューブリック監督作品、原題は2001: A Space Odyssey、アカデミー賞特殊視覚効果賞受賞。人類のはじまりから、この先どこへ行くのかをたどる冒険物語。前半は比較的わかりやすいが、ラストの30分あたりから意味不明となる。映像美だけはクラシックの優雅な音楽とともに、象徴的世界を暗示している。セリフは極端に少ない。無重力でもあるので、動きも緩慢で、ワルツ曲によく合っている。

 胎児のイメージと、モノリスという長方形の立てられた黒い板が、ロココ風の彫像のある明るい部屋で、何ものかを語ろうとしている。モノリスは冒頭で原始時代に登場し、猿がなでまわしていたものだ。キングコングが昇った高層ビルのようにもみえる。埋められていたのが掘り起こされ、木星に向けて、信号を発しているのだと言っている。自然のなかには存在しないかたちであり、原始人にとっては、仰ぎ見る信仰の対象となったものだろう。

 地球の誕生から説き起こされて、猿が進化して凶暴になっていくようすが、威嚇してむき出しにした歯と、叫び声によってつづられている。集団同士の争いから、手に武器をもつほうの優勢が語られ、牛の骨を握りしめて、放りあげると宇宙船に変わっていた。地球からの旅行者(フロイド博士)が乗り込んでいて、幼い娘にテレビ電話をかけている。顔見知りの科学者グループにも呼び止められて、数少ない乗客たちのようすがわかる。水の色があざやかな地球が間近に見えている。その後現れる、何層かに分かれる黄土色をした木星と対比をなす神秘空間である。

 乗組員は若者がふたり、コンピュータにたよりながら、運行をすすめている。コンピュータ(HAL9000)は目をもっていて、ことばを使って対話をしながら、制御をしている。72時間後の故障を知らせたので、乗組員は修復に向かうが、故障は認められなかった。コンピュータの異常を疑うが、コンピュータはそれを認めない。

 不具合が続き、電源を切って運行を続けることになる。ひとりの作業員(プール)が船外に放り出されてしまい、コンピュータとの敵対関係があからさまになっていく。コンピュータが自分の意志で、勝手な動きをはじめたとしか見えない。ふたりの相談する唇を読み取っている。赤みを帯びた透明の目は、不気味に輝きを放っている。充血した生命体の目のようにさえみえる。ブースに入って長期の睡眠中だった乗員の電源を切って殺害してもいた。回路のスイッチをひとつずつ切っていくと、コンピュータは殺さないでくれと、悲痛な訴えをしている。

 手動に切り替えて、残された乗組員(ボーマン)は猛スピードで、木星に向けて移動をはじめた。具体的なイメージは消えて、抽象的な実験映像が目を引き込んで行く。たどり着いたのは、、まばゆいまでの明るい部屋で、彼は老人に変貌しており、大きなベッドには、胎児が透明の卵のようになって、横たわっていた。空間の移動だけではなくて、時間をさかのぼっていくことで、老人から胎児にまでタイムスリップする不思議な感覚が、宇宙の旅には伴うものなのだろう。神秘的な宇宙空間と飛行船の内部のハレーションを起こすような明るい映像効果がいつまでも鮮明に記憶に残る映画だった。

第438回 2024年4月9 

時計じかけのオレンジ1971

 スタンリー・キューブリック監督作品、マルコム・マクダウェル主演、原題はA Clockwork Orange、ヒューゴー賞映像部門、ニューヨーク映画批評家協会賞作品賞、監督賞、ヴェネツィア国際映画祭、パシネッティ賞受賞。暴力とセックスを前面に出した過激な前半と、それを排除して、治療と称して欲望を抑え込むことで、人間性をなくし、さらにそれを否定して、再び凶暴性を取り戻すまでの物語。

 舞台はロンドンである。主人公(アレックス)は4人の不良グループのリーダーで、夜道に寝転んでいた浮浪者の老人を袋だたきにするところからはじまる。次に不良グループとの抗争、さらに作家夫妻の家に押し入って、書斎の本棚を倒し、夫は暴行され妻は陵辱される。欲望を満たすと、酒場に戻ってドラッグ入りのミルクを飲んでいる。白づくめのユニホームとつけまつ毛の異様な風態が、狂気を増幅する。

 欲望を満たすだけで、たいした収入にもならないことから、仲間が不平を言って反発するが、リーダーの力が上回っていて、黙ってしまう。その報復はのちに現れる。仲間で連れ立って歩いていて、反抗的態度をとった相手を、急に杖で叩きのめして、川に突き落とした。助けを求めてきたときには、杖に仕込んであったナイフで手首を切り付けていた。

 まだ学生のようだが、夜中じゅう遊んでいるので、朝になっても学校には行けない。ごく普通の一般家庭であるが、両親はともに働きに出ているようだ。レコード店で見かけた二人組の娘を、誰もいない自宅に連れこみ、自室に招き入れて、セックスにふけっている。引き出しを開けて、手に入れた時計や札束を入れている。別の引き出しを開けると、ヘビをペットにして飼っている。どうしようもない不良だが、やがてグループの仲間が公然と裏切る。

 ひとり住まいの女性宅に押し入るが、手口は前と同じである。事故にあってけがをしているので、電話を貸してくれといって玄関から押し入っていた。今回は拒否されたので、開いていた2階の窓から入った。女は先の事件を新聞で読んでいて、念のために警察に通報していた。窓から入って、暴行を加えて殺人にまで至る。室内は美術品で飾られていた。ペニス型の現代彫刻に興奮し、おもしろがっての殺人だった。仲間が裏切って主人公だけが捕まった。

 殺人犯として懲役14年となる。刑務所では模範の受刑者であり、牧師にもかわいがられている。新しいシステムを構築し、医学療法を導入して、短期間に更生を可能にしようとする。その実験台として、主人公が選ばれる。2年間で出所することができた。暴力とセックスの場面を、映像で見せ続けることで、それに対する拒否反応を引き起こすというものだった。

 まばたきもできないように、目を見開いたまま固定し、目薬を流しながら残虐場面を見せ続けている。これによって、主人公は暴力を前にするとおびえ、嘔吐をもよおしてしまう。まるで去勢された馬のように生気をなくしていた。刑期が短縮され、自宅に帰ると、自分の居場所はなくなっていた。若いたくましい、初めて見る男がいて、母親の横に座っている。下宿人のようだが、息子の代わりになってしまっていた。

 自分は用のないものだと、家を出ると浮浪者に出くわし、施しを与えている。顔を見ると、かつて暴行を加えた老人だった。仲間が集まってきて、仕返しに打ちのめされているところに、警官がふたり通りかかって、助けてくれた。顔を見るとかつて裏切った不良仲間だった。学校を出て職についたのが、警察だったようだ。ふたりにひとけのないところに連れて行かれて、さらに暴行される。病院での洗脳によって抵抗する力は失せてしまっていた。水の中に顔を押し込められるが、死ぬのではないかというほど長時間におよぶものだった。

 瀕死の状態で助けを求め、たどり着いたのは、かつて暴行をはたらいた作家宅だった。ホームという表札を目にして、どこであるかもわからないまま倒れ込んで助けられる。玄関に出てきたのは、屈強な青年であったが、入ってみて車椅子の作家の顔を見て驚く。青年は用心棒に雇われて住み込んでいるようだ。妻の姿は見えない。

 ごく普通のみなりであったため、作家のほうは、かつて暴行をされた相手だとは気づいてはいなかった。落ち着かせて風呂に入れてやり、そこで口ずさんだ曲が「雨に唄えば」だった。暴行されたときに歌っていた曲で、作家はそこで正体を知った。男をつかまえて自分は車椅子生活、妻は暴行がもとで死んでしまったことを明かしている。

 憤りをあらわにしながらも、医療行為として人間性をなくす政策を批判して、政治的に利用できると考えて、活動をともにする仲間を呼んでいる。政府は人間に備わった本能を排除して、不自然ないわば「時計じかけのオレンジ」にしようとしていたということだ。主人公は高級ワインを大量に飲まされて意識を失ってしまう。その後ビルから飛び降りるが、一命を取りとめてもいた。

 主人公をめぐる権力と反権力の思惑が入り乱れていく。彼は両者の間をうまく渡りながら、自分を取り戻しはじめる。権力側は、新しい医療システムによって回復した姿を、政治家と並んで写真に撮って、報道で流そうとしている。反権力は医療ミスにより主人公がビルから飛び降り自殺をはかるにいたったことを強調する。

 主人公は意外にも、クラシック音楽ファンで、ことにベートーヴェンを愛していた。一時は暴力映像のバックグラウンドで使われていたことから、ベートーヴェンを聞くと、拒絶反応を示していた。やがて高揚感を取り戻すと、音楽の力を借りて、暴力もセックスも以前のように回復していくのを、かすかな笑みを浮かべながら感じていた。確かにベートーヴェンには暴力的なまでの高揚感はあるが、「雨に唄えば」を口ずさみながら、暴行をはたらく姿のほうが、それ以上に非情で恐ろしい。

第439回 2024年4月10 

バリー・リンドン1975

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 スタンリー・キューブリック監督作品、英米合作映画、原題はBarry Lyndon、アカデミー賞撮影賞、歌曲賞、美術賞、衣裳デザイン賞受賞、ライアン・オニール主演。野望に満ちた若者(レドモンド・バリー)の遍歴をたどる。純真なイギリス青年だったが、故国を追われて、一から這い上がって、したたかなまでにたくましく成長していく姿が描かれる。父親は決闘で命を落としていた。それ以来、母(ベル)とともに叔父の家からの援助を受けていた。母に求婚する男も多かったが、息子のために生きようと決意している。父の無謀な血は息子にも受け継がれたようだ。

 いとこの娘(ノラ)に誘惑され、のぼせあがってその気になってしまい、結婚相手の軍人(ジョン・クイン大尉)に決闘をいどむ。軍人は財産家で年収も高額なので、家では理想的な相手だと喜んでいた。娘も気に入っていて、二人がいるところに主人公が現れると、眉をひそめた。娘はいとこだと紹介するが、軍人は見知らぬ男の登場と、わけありげなやりとりを目にすると、二股をかける娘をとがめて去っていった。

 それでも踏みとどまったようで、親戚を集めた祝いの宴席で、ふたりは祝福を受けている。主人公も出席するが、嫉妬心からワイングラスを軍人に投げつけた。子どもじみた行為は許されず、謝ろうともしない末に、決闘を申し込んでいる。勝ち目はないと思えた。決闘の寸前まで、謝れば許すと言われ、軍人も顔をやわらげていたが、拒否すると短銃による決闘となる。

 同時に引き金を引くが、倒れたのは主人公ではなかった。軍人の殺害ということになれば、ただではすまされない。逮捕を回避して逃亡を決意し、母親が用意した大金をもって、馬で逃れる。途中で追いはぎにあって、金も馬も奪われた。しかたなく徒歩で行くと、子連れの女に出会い、食事のもてなしにあった。女のほうは夫が戦地に向かい、長らく帰っていなかった。寂しさをまぎらわせて、しばらくとどまることになるが、主人公は別れを告げて先を進む。

 男女の親密な情景は、ロウソクの光のなかで、赤ん坊はいるが、雰囲気が高まっていく。その後もロウソクだけがともる場面が繰り返し出てきて、独特の映像美を演出している。バロック絵画を見るような、落ち着いた空気感の表情は、映像表現としては、驚くべき明るさを保っている。柔らかな温かい光を見ながら、私はジョルジュ・ドゥ・ラトゥールの「聖母子像」を思い浮かべていた。

 母子のもとを去って進むと、兵士を募集するのに出くわし、軍隊に入ることにする。やがて先の決闘で立ち会いを引き受けた軍人(グローガン大尉)にも出会いかわいがられ、戦闘でのはたらきも認められるようになる。思い出したように、残してきたいとこは、まだひとりでいるのかと聞くと、結婚をしたと教えている。相手の名前を聞くと、決闘で死んだはずの軍人の名だった。決闘で使われた弾丸は麻をまるめた弾だったようで、1時間後に目を覚ましていた。叔父がこの財産家を手放さないために仕組んだ知恵だったのだ。

 主人公はだまされた怒りよりも、ほっとした安堵だったにちがいない。殺人者にはならなかった。逃亡する必要すらなかったが、今は熱病のような恋心は去り、たくましく生き抜く自分がいた。お坊ちゃんとからかう、兵隊仲間とのいさかいでも腕前を見せて、いちもく置かれている。長らく軍隊にいるつもりはなかった。使命を受けた将校が、男色の恋人と水浴びをしているすきに、自分の軍服と取り替えて脱走する。

 友好国のドイツ領内(プロイセン)を進み、ブレーメンまでの使者と偽っている。途中でドイツ兵士(ポツドルフ大尉)に呼び止められ、方角をまちがっていると言われて、目的地まで同行してもらえることになる。名前を問われ証明書の提示も命じられるが、誘導尋問にひっかかり、あやしまれて化けの皮がはがされる。すでに脱走兵との通報が入っていたのだろう。銃殺されるか、ここで兵士となるかの選択を迫られ、ドイツ兵となることを選んだ。

 英国人であることから見込まれて、別の任務を任される。ある賭博師(シュバリエ・ド・バリバリ)の行動を監視して、報告することだった。賭博師は英国人であることから、親近感を感じて、スパイに送られてきたことを、正直に告白する。賭博師に気に入られて、行動をともにしながら、助手としていかさま賭博のハウツーを学んでいく。

 賭博を通して上流階級とのつきあいがはじまり、ある貴族の夫人(レディー・リンドン)と出会い、関係を深めていく。夫は高齢のリンドン卿(チャールズ)だったが、若い愛人であることを見抜いて、自分の地位を奪おうとしているのかと問いただす。主人公はひるむことはなかった。居直りを前にして怒りと興奮のあまり、この名誉と地位ある老人が、倒れ込んだところで前半が終わる。

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 第二部は未亡人と結ばれて、バリー・リンドンとなって地位と財産を得た男が、第一部とは一転して、没落してゆくまでの物語である。若い賭博師にだまされて、未亡人は判断力を欠いていた。先の夫との間に息子(ブリンドン子爵)がいたがまだ少年だった。彼は早くも男が母親の財産目当てなのだと見抜いていた。新しい父には反抗的で、逆らうと体罰を受けていた。不貞を働くだけではなく、メイドにまで手を出している。金銭のやり取りには妻のサインが必要であり、財産はこのままでは、母親から息子へと受け継がれる。

 そんなとき二人の間に子ども(ブライアン)が生まれた。主人公は溺愛する。母親はともに愛する。兄弟で勉強をしているとき、鉛筆の所有をめぐってけんかになり、兄が弟を殴りつけると、父がやってきて、ムチによる体罰をくわえている。息子の憎しみは加速していった。邸内で室内コンサートを行なっているとき、兄は弟に音の響く靴を履かせて入ってきた。音楽会は台無しになり、父がいさめると、弟は泣き出し、母親は抱きかかえて退席した。兄の反抗的態度を見かねた父がみさかいもなく殴りつけると、まわりの客が取り押さえることになった。これと反比例して、兄の母親への熱愛は、成長してからも強いものだった。

 このことによって主人公の立場は悪くなる。彼は爵位を得ようとして、人を招き、妻の財産を借りながら、貴族たちに取り入ってゆく計画だったが、義理の息子への非道は、彼らの心情を害するものとなった。息子は体罰に耐える生活を嫌って、出ていくことを宣言している。父への宣戦布告だった。血を分けた息子ひとりとなり、甘やかして育てるうちに、自分の馬を欲しがり、誕生祝いの約束をする。待ちきれず勝手に馬に乗り、落馬して死んでしまう。

 夫婦ともに悲嘆に暮れ、ことに妻は立ち直れない状態で、自殺未遂にまで至った。呼び寄せて同居していた、主人公の母親が執務の代行をしはじめる。これまで子どもの家庭教師と妻のサポートをしてきた牧師(ラント)は、必要がなくなったとして、解雇を言い渡されている。この仕打ちに対抗して、これまで築いてきた財産を、この母子によって乗っ取られたと告発している。この状況に乗り出したのが、屋敷を離れた息子だった。

 主人公と決闘をはたすにいたるが、度胸では大きな開きがあった。短銃に丸い鉄の弾が詰められている。順番に発砲することになり、コインの表裏で決まり、息子が先になる。引き金を引く前に暴発してしまい、順番が移る。緊張に耐えられず、吐き気をもよおしてしまう。主人公はおびえる姿を見ながら、地面に向けて発砲した。息子にどうするかが問われた。やめないで続けるといい、構えて発砲すると主人公に命中した。急所は外れたが、足を切断することになった。母親が、付き添って介護をしている。

 母子に提示されたのは、年金を生涯のあいだ受け取るか、財産の横領で訴えられるかという二者択一だった。ふたりはしかたなく年金を受け取り、国外に退去する約束をした。松葉杖をつく息子と、それに付き添いながら、去っていく老母の、哀れな親子の姿があった。

 追放後どうなったかはわからない。賭博師に戻ったのだとも言われている。何年ものちのことなのだろう、年金の支払いにサインをし、うつろいの表情を浮かべる元妻と、それを複雑な思いで見つめる息子の姿も映し出されていた。純真な若者が愛をもてあそばれての、女性への復讐劇ともみえ、愛を知らないまま終わった悲しい結末だった。母親がいつまでもつきまとい息子を独占したのが、その一因だったかもしれない。

第440回 2024年4月12

シャイニング1980

 スタンリー・キューブリック監督作品、スティーヴン・キング原作、原題はThe Shining。売れない作家(ジャック・トランス)が、冬のあいだ休業期のホテルで管理人をする。家族を連れて5ヶ月間、住み着くことになるが、じょじょに精神に変調をきたして、家族を殺害しようとするホラー映画。常軌を逸していく主人公を、ジャック・ニコルソンが怪演をしている。

 はじまりはハイウェイを一台の車が、山深く入り込んで行く。他に車は通っていない。必要以上に長い空からの撮影で、人里離れたホテルまでの距離が暗示される。到着したとき、車で3時間半かかったと答えている。今でも山には雪がかかるが、このあと冬の間は、雪に閉じ込められることになる。契約のための下見だったが、支配人から不吉な出来事を知らされる。前の管理人(チャールズ・グレイディ)が孤独な生活に耐えきれず、同伴した妻とふたりの娘を、斧で惨殺して、自身も自殺をとげたのだという。

 作家は気にしないと答え、孤独なほうが執筆がはかどるし、妻(ウェンディ)も一人息子(ダニー)も、平気だと答えていた。狭いアパート暮らしに比べれば、広い高級ホテルはこの上ない環境に思えた。ホテルが閉まる日に家族はやってきた。客は前の日にいなくなっていた。従業員たちも5時には出て行くという。みんな帰宅に向けてそわそわとしている。案内されるが広いホテル内は、すぐには覚えきれない。黒人の料理長(ハロラン)が、夫人にホテルの設備を案内している。備蓄品も冷蔵室に大量に保存されている。

 夫婦がホテル内を見てまわる間、子どもを預かって、アイスクリームを食べさせながら、料理長は話しかけている。自分は予知能力をもつシャイニングなのだが、この子どもにも同じ能力があることを感じ取っていた。彼はまだ学校に上がる前の年齢だったが、目に見えない親友(トニー)がいて、自分の口のなかに住んでいるのだと打ち明けている。謎めいた文字REDRUMと書いていて、鏡で見ればMURDERと読める。

 ここに来る前から、不吉な予感を聞いているが、他言をしないように止められていた。彼はホテルにつくなり、双子の少女の幻影を見ている。ダイアン・アーバスの写真を思わせる不気味なフリークスだった。廊下には血の海のような洪水が押し寄せている。惨殺をされて横たわるふたりの姿も、一瞬はさまれていた。このあとも双子の少女と恐怖の映像は繰り返し登場する。

 妻はボイラーの点検や、無線機での通信といった業務にくわえて、料理と日常生活を楽しんでいた。夫も快適に執筆活動を続けている。息子は広いホテル内を三輪車で走りまわっている。庭園に設置された巨大迷路も母親と散策していた。ホテル内にはその模型があり、父親はそれを眺めている。快適な生活が、ひと月たったあたりから、揺らぎはじめていく。目つきが異様になり始めていく。執筆がはかどらないのか怒りっぽく、妻が近づくと追い払っていた。山のように積まれたタイプライターで打たれた原稿をのぞいた妻は、唖然としている。レイアウトや段落は施されているが、短い文章が繰り返し打たれているだけのものだった。

 誰もいないホテルで、主人公は幻影を見はじめていく。ゴールドルームという社交場に入っていくと、着飾った大勢の客が集っていた。バーで絶っていた酒を飲んだあと、年配のボーイと関わって、名前を聞くと前に管理人をしていて自殺をした人物だった。問いただすと本人で、息子には気をつけるよう忠告される。妻についても、手強い相手だと言っている。ここに集っていたのは死者たちの亡霊だったようだ。ホテルを建てたこの場所も、かつては原住民の墓地であり、謎の死をとげたのも、前の管理人だけではなかったようだ。主人公を仲間に引き込もうとしていたのである。

 息子は料理長から237号室には近づかないよう言われていたが、気になっていた。超能力はそこが事件の現場なのだと予知していたのだろう。三輪車を降りて入って行こうとする。鍵が刺さったままドアが開いていて、誰かいると母親に知らせた。妻から言われて主人公が見にいくと、浴室に若い裸婦がいた。誘惑され、それに答えて抱擁しあうと、とたんに醜悪な死者に変貌していた。戻ってきて妻には異常はなかったと伝えている。その後、子どもが襲われて、喉に傷を負った。妻は夫を疑っておびえている。他には誰もいないはずだった。夫には自覚はなかったが、無意識のうちに、自分が首を絞めたのかもしれない。

 夫の狂気ははっきりと妻と息子に向けられる。斧を振りかざして追いかけはじめる。休暇で暖かいマイアミにいた料理長が、胸騒ぎをして電話を入れるがつながらない。雪に閉ざされて回線が途絶えていた。無線も雪上車も壊されていた。料理長は急いで車でかけつけるが、狂人の斧の一撃で、命を落としてしまった。

 妻は部屋に立てこもり、包丁を手にして対抗する。息子は庭の迷路に逃げこむと、斧をもった殺人鬼が追いかけてくる。息子は迷路から出て、邸内から出てきた母親と抱きあい、料理長の乗ってきた雪上車で逃げることができた。父は迷路に迷いこみ、出口がわからないまま凍死してしまう。ゴールドルームにつどう楽しげなポスターが映し出され、中心には明らかに主人公の顔があった。不思議なのは日付が、半世紀以上も前の写真だったことである。

第441回 2024年4月13

アイズ・ワイド・シャット1999

 スタンリー・キューブリック監督作品、原題はEyes Wide Shut、トム・クルーズ、ニコール・キッドマン主演。聞き慣れたショスタコーヴィッチのワルツに乗って展開する、夫婦の亀裂と修復の物語。夫は医師(ビル・ハーフォードで主治医になっている知り合いは多い。結婚して9年になり、妻(アリス)は今は主婦で、7歳になる一人娘の子育てに忙しい。患者でもあった友人(ジーグラー)に招かれて、子どもを預けてクリスマス・パーティに向かう。顔見知りは少なく、夫婦で踊っているが、やがて夫は二人の若い娘と話しはじめた。どこかで顔を合わせたことがあったようで、盛り上がっていた。誘惑されて外に出ようとしたところに、この会の主催者からの呼び出しが入り、上階にあがっていった。

 妻はひとりで飲んでいたが、見知らぬ中年男性に話しかけられて、言い寄られている。妻はもとはギャラリーに勤めていて、絵画には興味がある。男は美術関係に知り合いがいるので紹介すると言って、ひつこく誘いをかけている。主人がいて一緒に来ていることも言うが引き下がらない。まちがいはおかさずにすんだが、夫婦はたがいに不信感を募らせている。帰宅後、妻は夫が途中からいなくなったのを、ふたりの娘との火遊びのためだと疑っている。

 主催者が呼んだのは、部屋に入って娼婦(マンディ)と楽しんでいたところ、酒と麻薬のせいで、女が意識をなくしてしまったからだった。裸体のままだったが、応急処置を施し、意識が戻るまで付き添っていた。危ない状態だったと振り返っている。友人は医者が来てくれていて、恩にきているようだった。秘密にしておいてくれと頼んでもいた。帰宅後このことを話しても、妻は言い訳としか聞かず、信用してはいない。

 寝室で恋愛問答をはじめるが、夫は常識人で一線を超えるようなことは、性格上できない。妻はドラッグの勢いを借りて、古い話を持ちだし、夫以外の男のことを、興奮気味に語りはじめる。海軍兵士と妻が、激しく抱きあうモノクロの映像が、その後も妄想として、夫の脳裏に繰り返し登場する。夫がうんざりしかかったところに電話が入る。主治医になっていた知人(ネイサンソン)が急に息を引き取ったという知らせだった。

 夜遅かったが、駆けつけると、娘がいて亡き父親に寄り添い、悲嘆にくれていた。取り乱した勢いで、医師に愛を告白して抱かれようとしている。彼女には婚約者がいて、大学の数学の教授だった。実は医師のことを愛していたのだと告白をして、とりすがっていたところに、婚約者が駆けつけてきた。主人公は取り繕ってその場をあとにした。

 興奮が冷めやらず、そのまま家には帰れない。夜道で声をかけられた娼婦の誘いに乗って、部屋まで入り込む。このとき妻からの携帯電話がなり、我にかえり何事もなく、料金だけを払って去っていった。その後、もう一度この部屋を訪ねることになるが、同居する別の女がいて、彼女はいなかった。ともに娼婦のようで、良い人だと聞いていたので、部屋に入れて、誘いをかけようとする。隠そうとしていたが、真実として明かしたのは、彼女はエイズの疑いで、入院したということだった。もちろん何事もなく部屋をあとにする。

 パーティ会場では、医学部時代の同窓生にも出会っていた。大学を中退してジャズバンドでピアノを弾いているとのこと。いつも出演しているクラブの名を聞いていて、その後訪ねていく。再会を祝って話し込んでいると、仕事の依頼が入ってくる。収入は安定していないようで、あやしげな仕事にも手を出しているようだ。電話でパスワードを書き取っていた。目隠しをしてピアノ演奏をするのだという。

 医師は興味をもって、自分も連れていってほしいと頼むが、危険をともなうので、それ以上のことは語らない。秘密の仮装パーティが行われることを読み取って、フィデリオというパスワードを手がかりに医師は深入りしようと決意する。夜中だったが貸衣装店から、タキシードに黒いマントや仮面を借り出して、郊外の邸宅に乗り込む。貸衣装店には不良娘がいて、医師に興味を示していた。

 タクシーで乗り付けるが、10分で終わるか1時間になるかはわからない。しばらく待っていてくれと言って、100ドル紙幣を半分に破って運転手に手渡している。こんなやりかたがあるのだと感心する。相当の現金を持ち歩いているのは、閉店している貸衣装店で借りるときにも示されていた。いかめしい警戒があるが、パスワードによって仮装パーティに入り込むと、全員仮面をつけていて、顔はわからない。

 宗教儀式のように、広間でリーダーの男を中心に、裸婦が円形に取り巻いて、ひとりずつが男性客と連れ添って、姿を消していく。医師にもひとりの裸婦が、近づいてきてささやいている。あなたの来るようなところではないので、すぐに帰らないと危険だと忠告する。自分のことを知っているが、彼女が誰であるかはわからない。言うことを聞かず居続けると、中央にいた導師のような人物に呼び止められて、第二のパスワードを求められる。

 答えられないでいると、仮面を取るよう脅迫され、正体が明かされてしまう。身の危険を感じていると、先ほどの仮面の裸婦が、自分が身代わりになると、割って入った。主人公は命からがら逃れていくが、その後も真相究明に手を引かない。旧友の身の安全も気がかりで、日中に再度、邸宅を訪れると、監視カメラを見届けて、戸口まで車でやってきた執事から手渡された手紙には、手を引かないと身に危険が及ぶという脅迫状だった。行動が監視され尾行もされていた。

 パーティを主催した友人に呼び出され、彼もまた仮装パーティに参加していたことを明かしている。ことの真相を知っているようだった。第二のパスワードなどはないのだとも言っている。仮面をかぶってかばってくれた裸婦が誰であったかも知っていたが、明かされてはいない。第二のパスワードのことをいうのだから、彼がリーダーだったのかもしれないが、私たちは誰であるかがわからないまま、主人公のまわりに出てきた女性を思い浮かべる。

 妻であってもいい。パーティで命を救った女性、そこで出会ったふたり、父親が死んで悲嘆にくれた女性もいる。夜道で出会った娼婦か、その同居人であるかもしれない。貸衣装店の不良娘も加えられるだろう。逃げ帰って翌日、貸衣装を返しに行くが、仮面だけがなくなっていた。しばらくして夜中に帰宅すると、眠っている妻の横にその仮面が置かれていた。

 謎めいたミステリーの結末は、夫婦の仲が修復して、妻が発した最後の一言、「ファック」ということばにあるはずだ。妄想を打ち消す魔法のことばなのだが、それを発する限りは、まだことばでしかない。映画のタイトル「目を大きく閉じて」という、矛盾することばとともに、映像表現のもつ多義的に広がる宇宙論を示唆して、キューブリック最後の作品となった。2001年を待たずした70歳での遺作である。

 映画はすべてが夢でしかないのだが、主役の二人は現実世界でも夫婦であった。ハリウッドを代表するビッグカップルである。さらに映画の完成にあわせて、申し合わせたように監督は謎めいた死をとげてしまった。虚実の錯綜する魅惑に満ちた、20世紀最後のメッセージだったのだと思う。鋭くて異様だが、輝かしい目が特徴的な、キューブリックの写真が残されている。目を大きく閉じて眠っている姿が思い浮かぶ。