インド近代絵画の精華—ナンダラル・ボースとウペンドラ・マハラティ

2023年01月14日~03月21日

神戸市立博物館


2023/1/13

 私にとってだけかもしれないが、実に刺激的な展覧会だった。これまで疑問に思っていたことが、スゥーと氷解したようにつながった。ひとつは村上華岳の描く仏画がなぜあんなにも肉感的なのか。横山大観の描く「流燈」(りゅうとう)は、それまでの様式とは全く異なった、それでいて魅力的な肉体を備えているのはなぜなのか。土田麦僊や今村紫紅の「熱国の巻」の風土はゴーギャンの影響だけなのだろうか。

 これらの秘密はインドにあったようだ。仏教は日本では中国から入ってきたので、禅宗や水墨画と結びついて、枯れたものをよしとする。インド的なものは平安初期に密教仏として現れたが、その後侘び寂びの日本情緒のなかで忘れ去られた。その復活として、まずは岡倉天心がインドを訪ね、仏教の源流にある豊穣なものを見つけた。それに先立って天心は中国の奥地にまで足を伸ばしたが見つけられないものだった。たぶんそれは母性とも菩薩とも言い換えられるものだっただろう。中国の奥地には父性はあっても母なる豊穣は見届けられなかったにちがいない。天心の場合その具体的な結晶は、精神化された晩年の恋愛となって具現化された。それは天心が幼くしてなくした母への慕情だっただろう。のちに三島由紀夫が「豊穣の海」を書き、遠藤周作が「深い河」でインドの大河に思いを寄せるのもこのことに由来しているような気がする。天心の跡を追って大観や春草がインドに出向いた。その長期滞在が日本美術院のスタイルを築いていくだけではなくて、京都の麦僊や華岳にまで飛び火した。

 このような日本画の革新運動が、インドでも情熱的に受容されたのは、天心以下の画家たちの情念(パッション)がもたらした成果だった。今回ふたりのインドの画家が紹介されている。様式的には日本画と西洋画が融合されたようで、主題はインドの神話に基づくシヴァサティやスジャータなどの語が目につく。技法ではウォッシュとテンペラの表示が目立つように、日本画と西洋のテクニックが邂逅する。ことに西洋に対抗してアジャンタの壁画インドのミニアチュールの伝統が下敷きになって、東洋美が日本画に結晶する様式的進化を生み出したように見えるのは、日本人のひいき目だろうか。天心の時代において、アジアはひとつというナショナリズムに行き着くには、西洋からの侵略があった。


by Masaaki Kambara