特別展「貝殻旅行 ー三岸好太郎・節子展ー」

20211120日(土)~2022213日(日)

神戸市立小磯記念美術館


 これまで三岸好太郎をまとまってみた記憶はない。タブローという古い絵画形式を過去のものとして遠ざけていたからだと思う。このところ額縁をもった絵に回帰してしまったようで、そこに安定を感じとり、安心してみれるようになった。ことにこの小宇宙に生涯をかけた生きざまに出会うと、感銘と憧憬を感じる。


 好太郎の没年は31歳だったが、この年齢も気にかかる。荻原守衛が31歳で死んでいる。スーラも同じ31歳だ。早すぎる死にちがいないが、短命に帰結する一目瞭然が、一枚の壁画と化した展覧会形式に集約する。そこではモチーフの変遷がくっきりと見える。抽象絵画の試作もあるし、絵筆の否定や引っかきなどの技法の実験もある。


 モチーフとしてはピエロマリオネットが盛んに登場する。世紀末のパリで若き画家たちの純真が目をつけた系譜である。貝殻と蝶という「ぬけがら」を思わせるモチーフが、人形と化したピエロに同調し、画家自身の短命と共鳴したのだろうか。運命には予感がつきものだ。画家の苦悩はのんびりした貝殻を憧れる。それはぽっかりと口を開けた屈託のない表情なのだが、命の尽きた抜け殻であることに変わりはない。三分の一構図で描かれた「郷愁(1934)と題した一作では、ソールライターの写真にも似て、空白になった三分の二の抽象に、安らぎとも諦念ともつかない静かな貝殻の想いが横たわっている。


 上空に向かって口を開けたあっけらかんとした貝殻を描いた「のんびり貝(1934)はひだまりの砂辺にある。にもかかわらずくっきりとした影を宿していて、それはかなり暗くて深い。海上を舞う蝶が描かれている。「郷愁」では描き忘れたものだが、たぶん目には見えていた魂のことだろう。古代ギリシャでは蝶はながらく霊魂と見なされた。ともにプシュケという語があてられている。英語ではサイコということになるだろう。


 好太郎の魂が上空を浮遊していたのに対して、妻の節子の目は地に根づいていたのが、対比的に見えて興味深い。妻の絵では似たような壺がふたつ太陽のもとでなかよく並んでいる。風化を恐れる砂丘に埋もれる光景ではなく、現実世界に立脚している。シルエットをなぞると雛人形のような夫婦像が浮かび上がっている。生活に根を張った女性の視点は、男のロマン主義を駆逐して、夭折の夫を飲み込んでたくましい。夫の短命をあざ笑うように94歳まで生きた。


by Masaaki Kambara