高橋秀+藤田桜—素敵なふたり展

2019年09月14日~10月22日

倉敷市立美術館


2019/9/19

 イタリアから見ると去っていった人であるが、日本から見ると戻ってきた人ということになる。二人のそれぞれの個展にしても十分な質と量はあるはずだが、60年をともに暮らした二人展とすることで見えてくるものがある。絵画という限りでは壁面を奪い合うことになるが、壁面は夫に譲り、中央のスペースにのぞきケースを置いて、妻は中心を占有している。絵画鑑賞の二つの方法論の対比が興味を引く。日本美術ならさしづめ屏風と絵巻の競演と言ってもよい。会場はほぼ同面積の二室からなり、これが第1室である。第2室は細長い会場を単純に二等分している。隣り合わせているが、互いに干渉しないで行き来のできる壁で分断されている。展示室は2室あるのだから、2人展ならそれぞれが独立して一室づつにすればよさそうだが、そうならないところに企画者の意図は潜んでいるようだ。つまり日々の生活スタイルがそのまま展示に反映している。

 藤田桜の切り絵を見ながら、息の長い一貫した思想を思い浮かべた。それは何十年も続いた雑誌の表紙絵に反映する。布地を切って貼り付けるというハサミとのりの作業は、悪くすると「ハサミとのりで」作った作品になってしまう。布地のもつ豊かな表情は、いわば自然の食材で、それを組み合わせることで、別の命を宿らせる。決して無から有を創造するという大それた芸術家根性がないところがいい。

 子どもの目線に立ってその豊かな感性を記録する。それは描写力といってよいが、普通は絵筆によって実現するものだろう。それがハサミに置き換えられている。この方法論に魅せられて夫も筆を捨てたように見える。そこではハサミはノコギリに置き換えられてはいるが、キャンバスを切り裂いて変形させるという限りでは妻と同じ仕事を共有している。違いを明確にしようという意志は、サイズを大きくする以外にはなかったかもしれない。

 妻の仕事はリビングですむが、夫の仕事はアトリエが必要となる。もっと言えば仕事場、ファクトリー、工場といったほうがいいものだろう。アトリエで難しい顔をしてキャンバスに向かうかつてのアーティストの姿は、そこにはない。電動ノコギリの音がする家具職人の匂いが立ち込める。イタリア生活40年が生み出した成果なのだろう。

 私は倉敷に赴任した時、高橋秀の名は知っていたが、安井賞の頃のイメージしかない。沈思黙考してキャンバスの前で苦闘する画家の典型だっただろう。ビュッフェの具象が好きなファンは、高橋の抽象が好きなはずだ。妻の言葉を借りれば、気取ってキザな鼻持ちならない孤独感に、日本人が好む美の典型がある。安井賞を得た「月の道」(1961)は、具象なのは題名だけだ。そのまま絵にすればルオーの宗教画になるだろうが、多くの鑑賞者はその前に立って首をひねる。円は月の、長方形は道の見立てだろうが、そうすると月への距離はあまりにも近い。そこで思考はストップするのだが、それ以上に画面に盛り上がったアスファルトのような素材感と色調にくぎ付けになっている。

 月への道の近さを考える。狼が月に吠えたり、赤ちゃんが月に手を伸ばしたりするのは、それが身近な存在だからだろう。幼児にとって丸いものは母親の顔だし、守銭奴にとってはコインにちがいない。仙厓は円相を饅頭に見立てた。秀さんは黒い日輪を近作として描いているが、それは金策としてのコインではなくて、太陽であり、日食の背後には燃えさかる赤色が噴き出そうとしている。それはきわめてプリミティブな原始宗教を感じさせるものだ。

 宗教的暗示力という点では、この日輪だけでなく、下地の赤が塗り残しの表面から噴き出したような効果が、近作では繰り返し試みられている。私はこれらを「キリストの受難」と結びつけて解釈している。むち打ちの末、血がほとばしるパッションの情念を隠しおおせることはできない。若い頃、桜さんの前に現れた秀さんの上着の裏地は赤だったとのこと、もちろん表地はシックで落ち着いた色合いだったにちがいない。裏地に贅を凝らすという江戸庶民の「いきの構造」は、琳派の意匠が得意とするものだった。山陽新聞社蔵の琳派風大作も、至る所に血が噴き出ているが、なだらかなゴルゴダの丘が背景をなしているように、私には見える。

 月の道に先立って、「アダムとイヴ」という対になった具象画がある。それぞれは独立しているが、やがて両者は垣根を越えて一枚のタブローとなる。「月の道」がかぐや姫伝説の出発点だとすると、その後その誕生物語を綴り始めていく。抽象絵画はシンボリックな男女の交わりを見事なパロディとして、語ってみせる。

ヴィーナス誕生」と題した絵がある。隣には「受胎告知」が並ぶ。どちらも誕生物語だが、精神的には異なっても、肉体的には男女の交わりに過ぎないというクールでユーモラスな思いが画面に反映する。西洋人は二つの絵の前に立って、にやっと笑いながら、処女懐胎という「受胎告知」の意味を噛みしめることになるはずだ。

 藤田桜の一連の作品を見ながら、いわさきちひろを思い出した。それは私が学芸員になったとき、はじめて担当した企画展だった。三ヶ月足らずで50枚の図録原稿を書くのに猛勉強したが、その時に出てきた懐かしい名前がここでも登場した。赤松俊子や初山滋であるが、桜さんはちひろさんと随分と近い距離にいたようだ。ちひろの作品選定をしながら、原画のひどい扱いに出くわした。原画は絵本制作の消耗品に過ぎなかった。平気で画面に印刷のための指示が書き込まれたり、出版社の非道に対抗するために、裏面には要返却のスタンプが押されたりしていた。

 岡山県立図書館が所蔵する桜さんの原画が展示されていたが、出版物を上まわるオリジナリティに接し、感銘を受けた。さすがに年代を感じさせる保存の難しさが、布地にはある。しかし独特の柔らかな肌ざわりは健在で、絵本になってもそれは伝えられるが、あくまでも原画をコピーしたものに過ぎないという印象を与えている。少しほつれた糸が、離れて見ると、犬の歩く姿に見えるのを発見した時、布地のもつ表現力の豊かさに驚異した。ハサミで切った時、鋭利な断面がほぐされると、糸はほつれはじめる。水彩画の滲みの効果にも似た表現性に気づくのである。

 こうしたエッジのもつデリケートなニュアンスが、高橋秀の大作にも引き継がれているところが面白い。微妙な曲面の交錯は、絵画とレリーフが相乗効果となって響き合っている。男女の交わりは、イメージと物質のせめぎあいの中で成立する。曲線は絵画のためのものだが、凹みはレリーフのためのものだ。その凹みに現実の光が宿ると、微妙なニュアンスを表面に刻みつけていく。それは胎動といってもよいものだ。これは美術館での静止した照明では実現できないもので、自然光の傾きとともに息づいて、生と死を日々繰り返してゆくものだろう。

 都会の喧騒を避けて、自然の土と光と水に満たされた生活は、イタリア人の愛する食文化のいしずえであるに違いない。桜さんの一冊にあるように、スパゲティづくりは誰にも負けないという生活感が、日本への帰国後も引き継がれている。90歳になった今でもまだイタリア生活が一番長かったと答えている。それは浦島太郎だったのだろうか、あるいはかぐや姫だったのだろうか。ともに共通するのは帰国物語だという点にある。長いようで短い、短いようで長い青い鳥の、心温まる軌跡を見た気がしている。現在の居住地である倉敷市の沙美海岸は、日本のエーゲ海たる牛窓から見ると西に位置するので、そこは南に向かって海に突き出したイタリア半島にあたると見てよいだろう。


by Masaaki KAMBARA