カルティエ、時の結晶

2019年10月2日(水)~12月16日(月)

国立新美術館


2019/12/2

 神秘的な光を放つ宝石を埋め込んだ時計やブレスレットやネックレスやティアラが、うっとりとする女性のまなざしに支えられて、ガラスケースの中で歓喜している。シンプルでいいはずの時計に、なぜ宝石を埋め込むのだろうか。永遠の時を刻むという美辞の背景には、短命の美を慈しむデリケートな心変わりが存在している。中空に浮かぶ短針と長針が交差する神秘は、置き時計の謎めいたトリックに反映している。時の結晶というタイトルの妙を感じながら、時計と宝石の出会いに、タイム・ストーンという語彙を思い浮かべる。

 見られることによって鍛えられるのが、ジュエリーの試練だとすると、美女の出現にライバル心を燃やし、限りある時を生きる命の定めを、カルティエは嘲笑ってみせる。冷ややかに燃え尽きる火の試練は、何ものにも傷つかない自尊心を脅かす。土に埋もれて眠る平安を目覚めさせた報いは、ジュエリーに携わる者なら誰でも気づいていることだろう。

 石炭だって黒いダイヤと称される限りは、何万年もの眠りを想定してのことだ。黒光という妖艶を対極に置いて、プラチナをベースにした白光のクリスタルが展開する。清楚と気品を基調としたカルティエの商標が、ヨーロッパの王室文化と溶け込んで、古代エジプトの神秘のベールに包まれる。さらにはアジアンテーストが加味される。

 こんな貴族趣味をと反発はしたものの、庶民に開かれた美術展という窓口には、夢見心地で食い入る目がある。ブランド店に足を踏み入れることのない者にとって、至福のひと時であることは確かだ。身につけようとは思わないが、性の違いを超えて、いつまでも見続けていたかった。写真撮影は可能だったが、残念ながらこの輝きは写真にならない。普通に写しても光しか撮れないのである。その時、当たり前のことだったのだが、カルティエはモノではなく、現象のことなのだということがわかった。


by Masaaki KAMBARA