遊びの流儀 遊楽図の系譜

2019年06月26日~08月18日

サントリー美術館


2019/7/22

 「遊び」を人間本来の行動と見て、絵画に描かれてきた系譜をたどる。それが人間の起源に由来するものならば、原始美術までさかのぼらねばならないが、企画者の興味は主に「遊楽図」の描かれた桃山から江戸初期にあるようだ。確かに良質の遊楽図が量産された時期であり、享楽のルーツは現世主義に根ざした今を楽しむという人生観にある。それは一方で死に直面した時代を反映してもいて、戦乱の世の明日は知れぬ身が、今を楽しむ志向を共有するのである。

 琴棋書画という中国の高貴な遊びを範として、やがて遊楽へと傾斜していく流れは、人間の欲望の何たるかを伝えている。野外の踊り花見から室内の秘戯へと場を移していくが、最後には場を捨てて、身も捨てて、衣装だけが残される。「誰が袖図屏風」の成立は遊楽図の最後に位置するが、人物は消えてしまい、着物だけが描かれる。この特異な暗示力は、身体を主体とする西洋の美意識とはかけ離れている。西洋の概念でとらえれば、フェティシズムということになるが、衣装を通して脱がされた裸婦の象徴性を際立たせている。

 「誰が袖」というロマンチックな響きも、現実には「虫干し図」だとすると、単なる年中行事に変貌する。脱ぎ捨てられた衣装というスキャンダラスな表現法もあるのだろうが、着物の美を強調するように、色彩構成のようにきっちりとした構図法に基づいて、色面分割がなされていく。身につけていた衣服を通して人を語るという方向性に、ものに託された工芸的成果が感じ取られ、研ぎ澄まされた江戸の美を成立させていくのだろう。それは平安朝の奥ゆかしさとも異なる、粋の美学に支えられた江戸庶民の豊かな結晶に近づいていく系譜でもあった。


by Masaaki KAMBARA