富本憲吉展のこれまでとこれから

2023年07月08日~09月03日

奈良県立美術館


2023/07/08

 富本憲吉の白磁がいい。シンプルな形のなかに無色の潔癖が、暖かみを失うことなく、滲み出ている。その落ち着いた面持ちは、土のもつ安定と類比をなすが、表面上のあらわれは、対極に位置している。民藝運動と一線を画した富本の立ち位置が興味深い。はじめバーナードリーチとの交友から、民藝運動と歩調を合わせている。その頃に制作されたもののいくつかには、リーチに似た土くさいどってりとした味わいがうかがわれる。磁器のもっている冷徹なまでに研ぎ澄まされた鋭利な感触は、民藝とは相容れないもので、それはどこから来たものだろうか。

 仮にそれを奈良という土壌から生まれたものではないかと想定してみる。奈良県立美術館は開館展以来、富本憲吉にこだわってきた。そして今回あらためて「これまでとこれから」として、それを問い直そうとしている。奈良には京都に対する対抗意識と自負がある。奈良と京都という古代の覇権争いに起因した美意識のちがいが、ここに外在化したようにみえる。富本憲吉は奈良にとって強い味方だったにちがいない。

 もちろん富本の本領は白磁だけではない。色絵にも向かい、九谷焼の北出塔次郎に学んでいる。有田ではなく九谷だったという点に注目してもいいだろう。佐賀に行っていれば、またちがった展開があったように思う。その頃には見るからに九谷焼だと思える作品が頻出している。各地の窯を訪れ、陶芸のもつ多様性に目が向かう。魯山人にも似ているが、野人ではない。ホラ吹きでもなかっただろう。真摯に土と向き合うが、一ヶ所の土にこだわらなかったのは、その原点がデザイナーであろうとしたからだと思う。

 デザイナーは素材を選ばない。素材に語らそうとする「もの派」ではないということだ。ときにはプラスティックでもいいというのが、その立場である。陶工というには図案が多い。原風景となる自己の出自を探り続けている。シンプルな太い線で描き出された風景には、記憶の底から呼び出されてきた確固とした骨組みだけが、皿絵となって定着している。ときには3000枚という量産にも挑戦した。最後には研ぎ澄まされて家屋も風景に同化して、一筆で書かれた手書き文字と化している。この流れるような絵とも字とも取れる線描は、染付の技法で存分に活かされている。

 「寿」という文字を図案化した作例が見られたが、デザイナーとしての志向だろう。独自の書体を開発したデザイナー田中一光との2人展を、かつてこの館は企画したことがあった。その意図は二人がともに奈良県の出身だというにとどまらないものだ。富本の寿は、彼が繰り返し用いてきた羊歯(しだ)の図柄に似ている。

 奈良国立博物館の近隣にあって、県立美術館は地味な印象が強いが、筋の通った真摯な姿勢は頼もしく目に映る。私が以前勤めていた倉敷でも、大原美術館というビッグスターの影に隠れた倉敷市立美術館の存在を、いつもたのもしく見ていた。美術館活動は派手な打ち上げ花火に終わらないほうがいいと、私は思っている。


by Masaaki Kambara