マティス展

2023年04月27日~08月20日

東京都美術館


2023/06/27

 画家は形と色をいかにして違和感なく共存させるかに苦悶するようだ。マティスを見ながら、画家の生涯を一本の筋道を立ててたどれるのだという安定感に安堵する。絵筆を捨てる必然性を、身体と魂の乖離とみることで、老化や事故によるアクシデントという不可抗力を克服する術を、マティスは伝えようとしている。絵画にとって色と形は、身体と精神に対応しているのではないだろうか。日本では心とからだという二分法のほうがわかりやすいか。それがひとつのものとなると「魂」になるのだろうと私は思う。

 画家魂はこの相反する両者を克服して、バランスを取りながら美に昇華しなければならない。ときに絵筆の代わりになるものを探し、ハサミに持ち替えて、切り絵を試みたりもした。マティスが色彩の画家だったら、そんなに迷うことはなかっただろう。マティスは思い切りよく、一筆で決めてしまえる線の画家である。デッサンという対立する要素に魅力を感じ、さらに時代の潮流がめざす意志に従うことで、フォーヴィズムたらんとした点に、苦悩があった。身体が思うように動かなくなったとき、切り絵を思いついた。それはくっきりとした切り口を示し、輪郭線を残す点で、形そのものだったし、色紙であることは、色そのものだった。

 形と色を統合するにはさまざまな方法がある。それぞれをばらばらに一人歩きさせると、輪郭線をはみだすように色を塗って行けばいい。レジエにはそんな作品がある。マティスも何点か試みているが続かなかった。窓はマティスの好みのモチーフだが、それはフレームで囲まれている限りでは絵画そのものだった。形をなくして色だけを残したとき「コリウールのフランス窓」という窓の名作が生まれた。しかしそれは窓ではあるが、コリウールでもフランスでもない。一方で切り絵はいつも形と色が一つのものとして、統一している。そしていつも枠内で収まろうとしていた。そこから解放されるために、つまり絵画から開放されるために、早くから彫刻に挑んだし、晩年には建築空間へと広がった。

 ブロンズ彫刻では形と色が仲たがいすることはなかった。晩年のヴァンズの礼拝堂では、形は室内で単純な輪郭線によって色彩に左右されることはない。色は屋外からステンドグラスを通して光となってもたらされている。そして小さな礼拝堂は形と色が一体となって、統一されている。形と色はそれぞれ個別の立ち位置にあったものが、ときおり光が色彩の粒となって、形の上に降りそそぐ。そのときが最高の至福のときとなるはずだ。残念ながらそれは展覧会では伝えることのできないものだ。


by Masaaki Kambara