目の目 手の目 心の目 part2

2019年08月09日~09月15日

岡山県立美術館


2019/9/11

 先日、東京都現代美術館で「あそびのじかん」という類似の企画を見たが、ともに夏休み中の子どもの参加を見越したねらいが読み取れる良質の展覧会だった。9月に入ると学童は登校中なので、おかげで静かに場を占有することができた。そして参加しないで鑑賞することに徹した。アプローチの島田清徳「境界(きょうがい)」(1)からワクワクしはじめたから、きっといい展覧会に違いない。天井からの降りるナイロンのベールをかき分けながら進んでいった時、すでに目だけでなく手で鑑賞していた。つまり有無を言わせず、参加していたということだろう。

 そして、あちこちに点在する藤本由紀夫を面白がりながら、サウンドが美術になるビジュアルの定式について思いを巡らせた。音を感じるためには参加しないといけないが、ビジュアルとしては必ずしも音に聞き耳を立てる必要もない。ビジュアルがすでに音を内包している。

 屋外に展示された「BROOM(STONE)」(2)は、円環に並べられた石片の上を歩かせる装置だ。石の上を歩かせる敷石の音は、作品を踏みつけるという参加によって成り立っている。ベルリンのユダヤ博物館だったか、人の顔をした無数の鉄片を踏みつける作品を思い出した。その時のなんとも言えない軋んだ金属音に、踏みにじるという言葉の意味と、ナチの訪れを告げる長靴の響きが恐怖となって、足元の不安定な居心地の悪さを感じたことを思い出した。

 しかしここでの「石」は乾いたいい音がする。ボルタンスキーの敷かれた乾草を踏みしめた時の、サクサクという音と、懐かしい自然の香りも、私の体験の中では上位を占めている。草や鉄や石は、素材に込められた音のメッセージがあるのだと気づかせてくれる示唆的な一作だった。円環状に回るという参加の行動には、シャルトルのラビリンスをめぐる巡礼にも似た宗教性が含まれている。もっと古い石器時代から続く祈りの姿なのかもしれない。ストーンサークルという語もある。

 「TURN OVER 」は、いろんな紙質のページを閉じ込んだ何も書かれていない巨大な本だ。文字がないので何も読めないが、大勢の人のめくった手垢に染まり、本はじょじょに完成していく。一部破損してもいて、荒っぽい読者の存在も認めることになる。ここではめくる時の音を頼りに、紙の肌ざわりを確かめている。紙はもちろん神と語呂合わせになっている。ひとまわり大きなフォリオは、ビジュアルとしても野外展示も含めて一捻りある。

 そんな中で「SUGAR 」(3)と題した意味不明のボトルに興味がそそられた。素材には「オルゴール、角砂糖、ガラスほか」と記述されている。音のする装置ではあるが、そのオブジェとしての形の提示もまた気にかかる。ポップアートへの足がかりとなるジャスパー・ジョーンズの良質の作品のようにも見えるし、デュシャンの既製品のようでもある。つまり参加を標榜しているが、中身は謎めいていて、現代アートそのものということだ。

 この展覧会では、あちこちで音がこだましている。渡辺富夫「ペコッぱ」(4)は鉢植えの並んだかわいい棚だ。花がいっせいにおじぎをする時の一瞬の音がいい。戸矢崎満雄「塵も積もれば山となる」(5)は、ボタンを滑らせて落とす装置だ。一人3個に限られている。ボタンが滑り落ちて響く音がいい。並んで色違いのボタンの山がある。こちらは「棒ほど願えば針ほど叶う」という洒落たタイトルがついている。ハート形をした泉に向かってボタンを投げ入れる装置だ。ここで投げるボタンも3個に限られている。うまく入ればポチャンという水音がすればもっとよかっただろう。

 それらは静寂の中での「ししおどし」の音色を聴かせてくれた。子どもたちであふれる夏休みでは体感できないサウンドアートに触れることになった。静寂を楽しむ老人のひと時となった。参加を拒んでいたわけではないが、監視員が懐中電灯を差し出してくれたおかげで、楽しめた作品もあった。

 山本努「cosmic net」(6)は、天井の複雑な形からの光と影を楽しむ装置だ。懐中電灯を持つことがなければ、きれいなライトアートだなと思って通り過ぎていただろう。ロウソクを手に祈りの歩を進めるシンプルな宗教感を下敷きにしたパフォーマンスである。その道行きの現代バージョンのようにそれは読み取れた。天井に向けて光を照射しながら移動すると足元は明暗の渦に取り巻かれる(7)。空中を浮遊する至福の魂と言ったところか。子どもたちは懐中電灯をもって大はしゃぎをしていた。

 展覧会自体はこの時開催中の県展のオプションのような位置づけだったが、私の目はこちらのほうを面白がっていた。常設展のチケットを買って中に入ったが、窓口で参加型の展覧会ですよと念を押された。老人なので雪舟でも見に来たのだと思われたのだろう。


by Masaaki KAMBARA