生誕150年記念 板谷波山の陶芸 —近代陶芸の巨匠、その麗しき作品と生涯—

2022年09月03日~10月23日

泉屋博古館


2022/9/29

 柔らかな鈍い光をはなつ表面は、永遠に消えることのない普遍性を宿している。板谷波山(いたやはざん1872-1963)がはじめて見いだした美意識ではないが、はじめて生み出した精華ではある。温和で柔和な輝きは、中国では太古から玉(ぎょく)工芸が追求してきたものだった。それは自然が生み出したものであって、人間には創り出すのではなくて、見つけ出すということしかできなかった。無尽蔵に自然が与えてくれるものではないと知ったとき、人は何でもない土や石を焼成することで、創造という喜びをいだくに至った。中国で青磁が生み出されたとき、濁り酒にも似た鈍い不透明に、人間味あふれる温かみを感じて、旧来からの友のような安堵を味わった。日本にも渡来して茶人たちを魅了した。権力者は争ってそれを手に入れようとした。

 青磁はいつも変わらず深いにごりを宿している。変化はかたちの追求に終始するしかなかった。何とか色の変化をつけられないかと苦心したのが、戦国の乱世を経て、江戸の太平が築かれて以降だった。佐賀の鍋島藩が秘伝としたやきものには、波山に先立つ色彩論がある。有田では今右衛門の窯がそれを伝承したようだ。それは柔和な革命とも言ってよいもので、平和主義に支えられている。柔らかく見えるのに硬い玉(ぎょく)のような輝きはダイヤやルビーなど西欧の宝石とは異なったものだ。佐賀にはそれ以前に古伊万里があった。斬新な意匠は目を引くものではあったが、こころに染み入るものではなかった。金沢の精華、古九谷もまたそれに酷似している。佐賀と金沢という地名を念頭に置いたとき、板谷波山の出自を深読みしたくなってくる。

 佐賀出身で金沢の工芸発展に貢献したひとりに納富介次郎(のうとみかいじろう1844-1918)なる人物がいる。波山が最初に職を得た金沢の工芸学校で校長を勤めていた。海外視察ではセーヴル窯にも訪れて、アールヌーヴォーを吸収している。陶芸家としてよりも教育家あるいは実務家として知られるが、石鹸の製造にも関与した人物である。石鹸は焼きしめられてはいないが、陶芸以上に実用的であって、消耗するからこそ生産は継続する。陶芸もまた産業として成り立つ要因は、それが簡単に割れるおかげである。この特性が窯業を支えてきた。こわれものであるがゆえに、珍重され、あかちゃんを扱うように、いつくしみ愛玩することにもなったのである。

 納富と波山の関係はすでに美術史で研究が進んでいるかは定かではないが、石鹸を通してそこに共通する美のありかを直感することができる。波山を愛した多くのコレクターがいる。住友家もそのひとりだが、実業家の鬼心を和らげる幼児にも似た柔和な笑顔が、波山の葆光彩磁(ほこうさいじ)にあることは確かだろう。


by Masaaki Kambara