絵画のルネサンス
by Masaaki Kambara
第244回 2022年5月9日
はじめに : 遠近法の興亡
だれもが絵を描く。しかしうまく描けない。恥ずかしい場合も笑われる場合もあるかもしれない。うまくない場合は「味がある」という語を用意してくれている。ヘタウマと言ってかばってくれることもある。つまり絵はすべてを許容してくれるのだ。「何でもあり」というのが、現代という時代に絵画が活況を呈する理由なのだと思う。
ルネサンス以降の絵画の歴史は、「遠近法」という科学的システム、言いかえれば「絵空事」(イメージメーキング)の興亡の歴史であったようだ。14世紀におぼろげに感じ取られた遠近法は、15世紀を通じて完全な理解へといたる。ルネサンスは遠近法の「発見」の歴史だったのである。そしてそれに続くバロックは遠近法の「実験」の歴史をかたちづくる。遠近法のもつあらゆる可能性に目を向けたのである。静止した空間ではなくて揺れ動く空間をいかに表現するかはバロックの画家たちの課題だった。じょじょに深まっていく空間ではなくて、前景の奥にはいきなり闇がきた。そこでは奥行きを感じ取る想像力を必要とした。ルネサンスとバロックのちがいは、たとえてみれば十二単衣を一枚ずつ着ていくか、一気に十二枚を着てしまうかのちがいのようなものだろう。やがて18世紀のロココの歩みの中で、遠近法は「たそがれ」を迎える。すべてが絵空事として解消される不在感を感じてしまった絵画は、そこでは力のない装飾に甘んじるしかなかった。「装飾」とは遠近法を否定したもうひとつの絵画のことをいう。
ロココの好んだ夕暮れは遠近感のない世界だった。逆にバロックの闇は遠近感しかない世界だったとするならば、バロックの時代こそが遠近法の生涯にとっては最良の時期だったということになる。ロココにたそがれを見た遠近法は、静かに終わるすべを探していたのかもしれない。
近代絵画はそれの「解体」の歴史として機能する。それはジョットが遠近法の「懐胎」に立ち会ったのと同じほどの充実した瞬間である。絵画が遠近法を見限っていかに生き残るかという意味からは、絵画史にとって瀬戸際でもあったということだ。少なくとも絵画は遠近法と心中することはなかった。絵画史が人類史のはじまりからつづれるという限りでは当然のことだった。最後に遠近法に引導を渡したのはピカソだった。その意味ではジョットとピカソは、遠近法の誕生と死に立ち会った両巨匠ということになる。
絵画史において印象派が革新的な意味をもつのは、ロココと同じくたそがれを愛したこと、つまりは遠近感のない時間を描こうとした点にある。そのとき彼らはかつてのロココのような装飾に陥らずに絵画を保とうとするすべを模索した。それは絵画史にとって重要な流れを築いていく。近代絵画史において遠近法は悪役を演じた。しかし名誉回復のためにいうなら、ルネサンス絵画史において遠近法がいかに新鮮で頼もしい味方であったかは、同時に理解していなければならない。老兵の若い頃の手柄話も若者にとって、やがて彼らもまた老兵になる限りにおいて、一概に無意味なものというわけでもないだろう。「ルネサンスの絵画」を、「絵画のルネサンス」としてつづってみたいと思った。遠近法はその後、20世紀以降になると絵画を見限り、写真や映像表現に活路を開いていく。
ルネサンスのおかげ/絵画の勝利/ジャンソンの「美術の歴史」より/エジプトの絵画/素描からの展開/ルネサンスの図像学/絵画とは何か
14世紀から16世紀に⾄るルネサンスの美術を、絵画を中⼼にたどります。ルネサンスはイタリアを中⼼に展開される美術運動ですが、 アルプスを越えてドイツや今のベルギー・オランダであるネーデルランド地⽅にまで広がっていきます。内容的にはキリスト教を⼟台にした宗教美術ですが、異教の神話や歴史的テーマ、さらには⾵景や⾵俗といった新たなジャンルも独⽴し始めていきます。具体的な作品を⾒ながら、主眼は何が描かれているかという図像学に置かれますので、キリスト教図像学の基礎知識も同時に学ぶことになると思います。例えば⻄暦1500年を前にした⼀時期に「最後の審判」という主題がヨーロッパ中で盛んになりますが、これは⾄福千年説に基づく終末論を反映して、世の終わりを憂える社会不安がベースになっています。楽園と地獄のイメージも、この時期幻想的に⾼まっていきます。ルネサンス期の作品に意味を読みとる作業はパノフスキーに代表されるワールブルク学派の学際的な研究を参照する必要があります。イコノロジー(図像解釈学)と呼ばれる⽅法論を知ることで美術史はずいぶん⾯⽩いものだと気づくはずです。
絵画の独立/世紀初頭のフィレンツェ/彫刻からの出発/ルネサンス建築/ドナテッロ/マザッチオの「絵画の重み」/貢の銭/ウッチェロ/フラ・アンジェリコ/フラ・フィリッポ・リッピ/ルネサンスの第二段階
15世紀の幕開きとともにフィレンツェで、⼀気にルネサンスの華が開きます。絵画のマサッチオ、建築のブルネレスキ、彫刻のドナテッロの登場です。その後絵画は、フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、ウッチェロへと受け継がれ、着実にルネサンス様式は発展してゆきます。ふたりの画僧が描いた聖⺟にみる聖俗の表情の違い、遠近法の魔術に魅せられた画家のテクニックなどを観察下さい。
ボッティチェリの評価/愛された花/ユディト/三王礼拝/プリマヴェーラ(春)/ヴィーナスの誕生/サボナローラ影響/ピエロ・デッラ・フランチェスカ/キリストのむち打ち/アレッツォ/オルヴィエート
15世紀後半の絵画の流れを追います。1500年という区切りの年が近付くにつれて、フィレンツェは不安を加速させて⾏きます。それはボッチチェルリの画⾵の変遷に⾒て取れます。神話的主題を⾃ら放棄し、キリスト教的なテーマに終始した晩年には、もはやルネサンスの春の⾹りは⾒られません。⼀⽅、この時期トスカナ地⽅に退いたピエロ・デラ・フランチェスカが、マサッチオを受け継いで独⾃のルネサンス様式を確⽴させていったことは重要です。
ラファエロ/アテネの学堂/中庸の精神/彫刻史より/ミケランジェロの彫刻/ピエタ像/未完成/ミケランジェロの絵画/システィナ礼拝堂
今回は若くして世を去った天才ラファエロの折衷主義と、激情の天才ミケランジェロの個性的な彫刻群とシスティナ礼拝堂に結晶する絵画の宇宙論をさぐります。レオナルドをめぐる三者の関係は興味深く、ともにルネサンスの理念を形作るものです。
風土/アントネロ・ダ・メッシーナ/マンテーニャの空間/聖セバスティアヌス/マントヴァ/ジョヴァンニ・ベリーニ/ジョルジオーネ/テンペスタ(嵐)/田園の奏楽/三人の哲学者/ティツィアーノ/横たわるヴィーナス/悔悛するマグダラのマリア/ティントレット
15世紀のイタリアはフィレンツェが先導して進んで⾏きますが、15世紀後半に⼊ると、北イタリアにも画派が誕⽣します。出発はマンテーニャ、遠近法を駆使した斬新な作品が光ります。そしてマンテーニャと同輩のジョバンニ・ベリーニによってベネツィアの⾵⼟にルネサンスが移植され、カルパッチオなどに受け継がれて⾏きます。その後ベリーニ⼀家のあとを受けて、盛期ルネサンスを築くジョルジオーネとティツィアーノ、さらにマニエリスム様式を⾊濃く残すティントレット、ヴェロネーゼと続きます。フィレンツェ派が線描を重視したのに対して、ヴェネツィア派は⾊彩を重視します。
ファン・デル・ウェイデンの位置/ブルージュ/ロベール・カンパン/メローデ祭壇画/ファン・デル・ウェイデンの作品/聖ルカと聖母子/ボーヌ祭壇画/周辺の画家
ファン・アイクと同時代、同じフランドル地⽅で活躍した画家ロベール・カンパンとその弟⼦ファン・デル・ウェイデン、さらにはその後ブリュージュを中⼼に⻩⾦時代を築くメムリンク、ダーフィット、そして北ネーデルランドの画家バウツ、 異⾊の名匠ファン・デル・フースなどの傑作を紹介します。
ボスの評価/社会的背景/風刺画/七つの大罪/聖アントニウスの誘惑/最後の審判/快楽の園/ボスの時代/ブリューゲルの世界観/ブリューゲルの主題
15世紀末から16世紀の転換期にネーデルランドに現れた異⾊の画家がヒエロニムス・ボスです。これを出発点とする幻想絵画の系譜、さらにはアントワープを中⼼にイタリア影響の強いマサイス、ファン・レイデン、エールツェンなどマニエリストの作品も併せて紹介します。16世紀中頃アントワープで活躍したブリューゲルは、ボスを出発点にしながらも、新しい時代の幕開けとも呼べる視点で⾵景画に着⼿します。ここではブリューゲルの絵画作品に加えて銅版画というメディアの重要性、さらにはハーレムにはじまるホルツィウスなどの後期マニエリスムの作例についてもふれてみます。