第1章 映像前史
映画史に学ぶ/マルチメディア/映像史の試み/二つのモメント/メディアとメッセージ/映像のはじまり/影の誕生/横顔の発見/鏡と窓/
第378回 2022年10月3日
映画史に学ぶ
ここでの主題は映像・表現・歴史である。映画史はこれまで盛んに語られてきたし、それなりのボリュームがある。こんにち映像という語が一般化し、それは映画だけではないはずだ。日本語として定着し、イメージとしてもつかむことができる。映画とはちがうという認識もある。映画が誕生し20世紀末に百年を超え、恐ろしい数の作品がつくられてきた。今もどんどんと量産されて、若い映画作家や監督も育ってきている。
映画を見るということでは、今では映画館だけではなくレンタルヴィデオから映像配信、オンデマンドと多様な形をとっている。巷に広がっている映像は映画だけではない。テレビを見ていても映画が放送されることは少なく、民放ではながらくコマーシャルと抱き合わせにされて寸断され、断片化されてしまっていた。テレビドラマやドキュメンタリー、スタジオでのバラエティ番組を考えると、映像史は映画史だけでは収まりがつかない。ここでは網羅的に映像とは何かからスタートする。
ムーヴィング・イメージという語がある。直訳すると動画となる。映画についてはシネマとともにモーション・ピクチャーという語もある。動画に対しては静止画があり、これが動くとアニメーションになるだろうし、密度を増すと映画だ。今ではフィルムは縮小されてマニアックな世界に至っている。20世紀をたどる中では膨大なフィルムが眠っている。見るためには映写機が必要で、設備がなければ見られない。デジタル化の作業が進むが、フィルム段階での修復も伴い、20世紀の百年間、いわゆるフィルムの時代の決算は終わりを知らない。今はフィルムの時代ではないが、フィルムへのこだわりは残る。
第379回 2022年10月4日
マルチメディア
コンピュータが誕生してからも久しく、それだけの歴史もつづれる。その中でも文字からイメージへ、さらにはサウンドへと広がりを見せる。フィルムの歴史でヴィジュアルからサウンドが加わり、文字が加わり、複合化する流れと対応する。単独のメディアではなくなっており、マルチメディアという語が象徴的に語る。
ここではヴィジュアルのみに特化して、サウンドについては多くは触れない。まずは絵画からスタートする。イメージをつくることは長らく絵画の領域が得意としてきたことだ。パラパラ漫画をとっても、絵が動いて見えるという原理だ。動いているものをつくっているわけではなくて、動いているように見せかけているということだ。ここでマラソンを引き合いに出せば興味深い事実に気づく。それを見るには映画や舞台ほどの時間を要するが、ライヴで見るには選手とともに走らなければならない。マラソンは見るためのものではなく、走るためのものだということだ。観客からの収入は得られないので、走者から参加費を取るのが定着している。マラソンは距離を規定して時間の速さを競うが、もし出発点で逆のことを考えていればとうだろう。長距離走も短距離走も時間を規定して距離を競うとすれば、延長放送を気にしないテレビ時代を先取りしたものとなっていただろう。
パラパラという語は書籍を前提にしており、出版文化の産物だ。教科書のふちに落書きをしてパラパラと動かして遊んだ記憶は、だれもに共通するものだろう。それぞれは一枚一枚の絵であり、絵画の延長上に映像を見ることができる。直接絵画から映像にはならない。あいだに入るのが写真というメディアで、写真を含めて映像という領域を広く扱ってみようということだ。
まずは映像前史からはじめる。写真が発明されるまでに何があったか。マジックランタンという設備がある。幻燈のことで、用語からマジックであったことがわかる。ランタンは提灯のことだ。やがて幻燈はスライドと名をかえた。ポジフィルムに光を当てて投影、投射する。原理は影絵にあり、影を大きく写し出す。写真も同じことで、白黒のフィルムに光を当てた影絵であり、写真自体は一枚の紙だが、フィルムにじかに光を当てて見せると、マジックランタンに対応している。
第380回 2022年10月5日
映像史の試み
映像というメディアが登場して以降ということになれば、歴史としては極めて短いものだ。100年ほどの歴史は映画史や映像史としてつづられているが、もう少し範囲を広げると、映像をイメージ表現として置き換えることができる。フィルムやムーヴィーという言葉でよいのだろうかという懸念もある。日本語の「映像」はかなり広い範囲を扱った語である。使い勝手もよいので、今では自明のものとして日本語に定着している。しかし西洋語に置き換えようとしても一言での対応がない。近いのはイメージという語だが、それを用いるとさらにぼやけてしまう。これを100年ほどの歴史ではなくて、もっと広範囲の概念として理解が可能ではないか。
映像表現史としてつづることで映画史や映像史とは異なったアプローチが可能となる。オーソドックスな映画史なら映画が誕生してから今日までの作品によりつづられる。映画のメディアそのものは今でも健在だ。斜陽産業と言われ、映画会社が倒産の憂き目を味わったが、今では姿をかえてヴィデオ映像やデジタル映像に置き換えられながら、かつての映画を支えたプリントフィルムを引き継いでいる。その意味では映画史でつづることはできるが、映画史だけで済ませられるかというと、映画の世界が限られたものであるという現実に出会う。日常生活で常に目にするのは何か。パソコンの前に向かう人は多い。そこに出てくるのはすべて映像だ。あるいはテレビのモニターの前に座っていて見えるのも映像だ。映画という限られたジャンルから見ると、テレビの前に座っていて見える映画がどれほどのものかを考えると明瞭だ。一週間に何度かのことだろう。日常生活ではわずかな時間しか映画は占めていない。
この場合、映画は見るためのものとして考えられる。いつだれがどんな作品を創ったかという、美術の歴史をたどるのと同じように映画史がつづられる。作品を追いかけて通史が成り立っていく。映像史ということになればニュアンスが変わる。見る側だけでなくつくる側の論理が先行してくる。映像をつくってきた歴史になれば、オーソドックスな映画史とは異なったアプローチが予想できる。
第381回 2022年10月6日
二つのモメント
映像関係で歴史をつづる時に、二つのモメントがある。一つはイメージ世界。イメージをどう作り上げてきたかの歴史だ。一枚の写真や一本の映画がある。今では映画館のスクリーンよりもテレビのモニターで見ることも多いだろう。あるいは携帯でさえ見ることが可能だ。どういう見方があったにせよ、そこに出てくるイメージの内容は変わらない。小さな携帯画面に大多数の人間を写しこむことは、黒沢映画を携帯で見る困難を伴うが、大まかなストーリー展開が変わるわけではない。文学的な内容面ではほとんど変わらない。イメージ表現の歴史として映画史をつづることはできる。
それともう一方で、写し出されるものはどうでもよく、真っ白の画面が続いてもよい。問題になるのはどんな写し方をするか。大型スクリーンなのか小型のモニターなのか、携帯画面なのか。コンピュータの発明以降は、投影からモニターへと変貌した。暗い部屋でなくても映像を見ることができるようになった。それまでは暗い中でしか映像は見られない、いわば密室の遊戯であった。今では真昼の健全さへと推移した。一方ではモニターの前で動くことのない人種も誕生する。メディアによって人格までも変わっていく。それは物質のもっているパワーのことだ。他方ではメディア自体ではなくメディアが伝えようとするメッセージへのこだわりもうかがわれる。
第382回 2022年10月7日
メディアとメッセージ
文学の場合を引き合いに出してみよう。夏目漱石の「坊っちゃん」はお話があり、活字から出発する。活字を読みながら内容を理解する。読んでいるほうは活字を問題にすることなく、その向こうにあるものを見定めている。それは坊っちゃんという物語世界がもっているメッセージであって、活字がもっているメッセージではない。それがマンガになったりテレビドラマになったりしても、変わることがないものがある。メディアを超えて向こうにあるもの。一つは物質的なもの、もう一つは目に見えない手に触れない精神化されたものだ。
文学は今では活字で読むものになっている。これからは徐々に電子メディアに置き換えられていく。いずれは書籍という形はなくなってしまうかもしれないが、モニターで見たとしても画像を見るように文字を見ている。文字も一つの画像であるということにもなってくる。目で見るものだけではなくて耳で聞くものがある。文学にしても物語にしても、一方では肉声によって伝えられていた。古事記にしても日本書紀にしても、文字よりも伝承によるコトバによって、お話が伝えられていった。聖書でのキリストの話も今では書籍になっている。出発点では文字の読めない人が大半で、聖職者が聞かせるものだった。そういう伝達で伝わってきたストーリーが山ほどある。それはメディアを抜きにして、共通した精神世界をかたちづくっている。それが映像を考えるときに必要になってくる。
それだけではなくニューメディアが開発されてきて、その歴史がつづられる。現代では加速度的に開発されてきていて、それに伴い内容も動きつつある。しかし核になるものは、常にあり続けるだろう。2時間のドラマであったものが2分に凝縮されたとしても、そこには始まりがあり、終わりがある。コマーシャルのように20秒になったとしても同様だ。時間とともに繋がっていくメッセージはあり続ける。メディアは単なる道具に過ぎないというほうがよいのではないか。しかしメディアのほうが先行して、メディアそのものがもっているメッセージ性を考えるようになる。
第383回 2022年10月8日
映像のはじまり
額縁、影、鏡、遠近法、レンズ、印画紙、フィルムをキーワードに、映像前史をたどる。絵画のはじまりは壁に写った影をなぞることからスタートしたというが、影絵をへてやがてフレームをもったタブローの成立が、イリュージョン空間を小宇宙に閉じ込めることになる。目は世界を丸くとらえているはずなのに、四角の枠づけが、その後長らく映像表現の標準になっていく。遠近法を把握システムとするレンズによってとらえられた世界というのが出発点であり、モニターもスクリーンも未だに矩形のフレームから逃れられてはいない。今日のプロジェクションマッピングは、これを乗り越える実験と見えるし、現代では消滅したブラウン管時代が一番人間の視覚には近かったかもしれない。双眼鏡でのぞくと四隅はない。世界は丸いものなのだ。地図は四角だが、それを地球に置きなおせば不自然なのを、誰もが気づいている。円が無限の多角形であると考えれば、球は無数の平面が表面に貼りついている状態をいうのだ。でも地球はどことなく、すべてが丸い。まろやかに見えているとすれば、それが自然というものだ。それが人工化していくと、とたんにエッジが際立ってくる。
「絵画のはじまり」という絵画がある。壁に向かって絵を描いている。何を描いているかというと、光にあてられて壁にできた人物の影があり、その影の輪郭線をなぞっている。それが絵画のはじまりということらしい。影は絵画の出発点であると同時に、映像の出発点でもある。絵画とは何かというと、壁に映った自分のシルエットをたどっていくことだった。できるだけ正確にたどっていく。できるとそれは「生き写し」であり、離れてみるとそこに人がいるように見える。これがイメージメーキングの最初だろう。そこで大きく作用しているのは光と影だ。
目で見えるというのは、光と影の問題に換言される。光はイメージ世界をかたちづくる大きな要素である。光に重さがあるかないかという問題にも連動してくる。手で触れば固いや柔らかいということだが、目になると光が強い弱い、見えないやかすかに見えるという微妙なニュアンスに置き換わる。歴史的には、光は物質なのか波動なのかという議論があった。物質なら重さはある。しかし光がガラスを割らないで通過するのをみれば、それは物質ではあり得ない。しかしガラス以外では通過できないとすれば、物質である光がそこでとどまったとも言える。そうすると光ではなくガラスのほうに神秘の奇跡が感じ取られていく。この不思議をキリスト教はおもしろがった。光を通過させるガラスは、処女のままで身籠るマリアとなったのである。そしてこれを視覚化したのがステンドグラスだが、それはまたフィルムを通過する映像のことでもあって、教会は中世の映画館として機能することになる。ここではスクリーンは壁面や床面にあるが、宗教の時代が過ぎて、教会堂は映画館と名を変えて引き継がれたと見ることができる。
光と影になれば中間のグラデーションは消えて、100か0かという問題になる。くっきりとした輪郭線を機械的にたどることができる。誰でもできることだが、出来上がったとたん、離れてみるとそっくりであっと驚く。それだけでも十分に人間は感受性を働かせる。輪郭をたどっただけなのに、輪郭とは思っていない。そこに人間がいてその形跡がペタッと貼りついたものと見てしまう。それは見るほうの勝手な世界だが、十分にイマジネーションを働かせて、その人だといえる。描いているのを見ていた人は、確かにその人であり、輪郭をなぞっているに過ぎない。本当に輪郭をなぞってできた絵なのかと、あらためて問われると、誰もわからない。輪郭をなぞっても描けるが、頭のなかでこんな輪郭だと思って、その不在のシルエットを描くこともできる。
絵画のはじまりは誰でも描けるという点では、シルエットの輪郭をなぞるというじつに簡単なことだ。この簡単なことというのが重要だ。誰でも描けるということに向かって、どんどん加速化していった歴史だった。ほんとうは目に見える通りに描くのは大変なことだ。簡便化は輪郭をなぞることからはじまって、やがてはシャッターを切ることだけで完結するに至った。
写真術にたどり着いたのである。映像は誰でもできるという意味では、ステータスをもちはじめて、一世を風靡した。いまでは写真で置き換えられているものなのだが、絵画がそれをたどっていった歴史がある。このように描けばほんものらしく見えるぞという技巧のことだ。誰もに共通した目をみつけ普遍化させていく。つまり原理ということだ。
第384回 2022年10月9日
影の誕生
そのひとつが遠近法である。これに沿いながら絵画から写真、および映画、映像にたどり着く。目に見えるという限りでは、光と影だけでいい。そこに遠近法というトリックを導入することによって、より豊かなものになっていった。光と影なら点滅したり、明るいところと暗いところだけでよい。絵画でいえば白と黒で成立はするが、これだけではイメージメーキングにはならない。色面分割というだけの話である。しかし色面分割だけで絵画は成り立つ。これだけで絵は十分おもしろいという立場はある。そこに遠近法を駆使して、ほんとうは三次元の世界なのに、それを二次元に置き換える。
映像の原点として遠近法を考える。それは絵画での発明の話だ。一眼のカメラが画家の目になったということができる。のちに写真術が発明されてくるというのも必然だ。そこで再現や再生が問題になり、常に取り出して見せることができる。メディアの特性としては、同じものを何度も再現可能だということで、その前提になるのは絵画世界だ。
絵画とは静止画だが、いつもルーヴル美術館に行けばモナリザが見える。いつもそこにあって見えるものだ。網膜の中を通り過ぎた映像ではなくて、それを定着させる。絵画では長時間をかけて定着させた。写真が発明されてシャッタースピードは短縮され、最後には一瞬のことになった。そう考えればメディアの勝利ともいえる。
ところがひと月かけて、何年もかけて描いていたものとどう違うかという考察は必要だ。絵画はすべてニューメディアに置き換えられ消えてしまうかというと、そうでもない。絵を描く人口はある。電子メディアが普及すればするほど、フリーハンドに戻っていく。逆行する立場も出てくる。
絵画の原点で自然を写すという思考はどこから始まったのか。重要なものとして「影」「鏡」「窓」を考える。絵画においても映像表現においても、きっかけになるものだろう。絵は誰がどんな形で描き始めたのか。再現だとすると目に見えるものを写すということだ。自動的に写す術を考えて、影の輪郭をなぞっていった。一人の男が壁に向かって照明で映し出された自身の輪郭をなぞっている。絵は重さをもたないが実体に限りなく近い。映像はこの影から目鼻立ちが見え出したものだ。影自体が映像の原点としてある。高松次郎(1936-98)は赤ちゃんを巨大な影で描くだけで現代絵画を実現した。もちろんそこには赤ちゃんはいないで、影だけがある。
絵画では影をつける。絵画のレッスンの中に影をどうつけるかを学ぶ。影をつけるととたんに実体があらわれ重さが見えてくる。実体がくっきりとし始めてくることがわかる。原始の頃からわかっていたことだろう。最初に影の存在に気づいた時がある。大人になるどこかの段階で、強い太陽光線で自分の影を見る。これは何だと思う。
「影踏み」という遊戯がある。この遊戯の誕生は興味深い。影を追いかけるが、いくら追いかけても捕まらない。子ども心にある記憶だ。影におびえることもある。動物を観察していてもそのことはわかる。影は驚異をもって迫ってくるものではないが、心理的には寄り添いながらも、追跡と逃亡の作用を持っている。手では触れないし、重さも持たないが、存在感としてはインパクトの強いものとして、映像世界では理解できる。
絵画表現で影を問題にした例がある。15世紀ネーデルラントでファン・アイク(ヤン1390c.-1441)は「ヘント祭壇画」(1432)で様々な方向から影をつけている。影をつけようとしていた意志は見えるが光源の意識はなく、つけやすい方向に置いたようだ。現実の光と神の光の描き分けといううがった解釈もあるが、それにしては光源がいくつもありすぎる。おもしろいのは額縁のわくまで絵画面に影で取り込んだことだろう。4面からなる「受胎告知」ではそれぞれの額縁が手前に柱があるかのように、後方に向けて床面に影を描き加えている。
ファン・アイクが別の作品で額縁に文字を書き込んだり、彩色したりするのもこれに似た工夫だが、彫刻と絵画という分類からいえば、領域侵犯である。これ以前の中世の絵画では影は出てこない。光が当たって影ができることはわかっていたが、絵画表現としてそれを描くことはなかった。絵に描くものとは考えていなかった。つまり絵画とは影のない平面そのものだということだ。
第385回 2022年10月10日
横顔の発見
影が面白がられると、自然にできる影だが、やがては影がひとり歩きしていく。これは絵画の特性で、写真に撮った時にできるのは自然の影だ。物理的な法則に従って写しこまれる。絵画では画家がどういうふうに描こうと自由である。影が本体とは別の動きをしてみたり、影に角(つの)を生やしてみたりする。浮世絵では影がおどろおどろしい姿で、障子や提灯に登場している。幽霊には影はない。それ自体が影だからだ。影は物が光をさえぎる現象だが、幽霊が物質ではないとすれば、それは映像そのものだということだ。幽霊に足がないのも重量を支えていないということなのだろう
現代でも自分の影に殴られるボクサーを映像にした化粧品のコマーシャルが記憶に残る。シャドウボクシングは影と対等に向かいあっておこなわれるものだ。現在のデジタル技術ではかつての絵画表現のように自在に影をひとり歩きさせることができる。絵画に近づいているということだ。今までの映像は法則にしたがった厳密な科学的世界だったが、デジタル技術は画家が絵筆を握って好きに描ける自由を獲得した。
横顔のシルエットを用いた演出がある。壺の輪郭をよく見ると人の横顔になっている。図と地を逆さにしたようなトリックで横顔はよく使われるものだ。自然にできた岩肌に人の目はしばしば、人の横顔を見つけてきた。壁のシミや木の木立などでも同様だ。影で写すと横顔はその人の特徴がくっきりと見え出してくる。実物以上に見え出すといってもよい。横顔の影の輪郭を見るだけで一目瞭然として、その人が識別できる。しかもそれを見ることのできない本人にはわからないという点が重要だ。文明国ではそれは正面像と一対となって保存された。ただしこの特権にあずかるのは、犯罪者だけだ。現存するローマ皇帝のコインは、多くが横顔で刻印されている。犯罪者のようなものだと解釈すると興味深く見えてくる。ローマンコインの普及した属州にあっては、搾取を通じてローマ皇帝は犯罪者のようなものだっただろう。
第386回 2022年10月11日
鏡と窓
鏡と窓もイリュージョンを表現するときの媒体だ。鏡は像を写し出す。虚像だが、像が映るという意味では映像ということだ。鏡は定着させないから映像表現とはならない。鏡にはふちがある。そのふちは絵画のふちである額縁とそっくりだ。絵画世界ではそれはタブローという。額縁をもった絵の全盛期にあたる。鏡に映された世界は映像そのもので、そこに映し出されるのは遠近法を使って描いた絵画世界である。違うのは常に自分が映っているということだ。これを絵だと考えると、鏡の前に自分が立つと、大きな人物の背後に遠近法が保たれた風景が広がっている。自分が横にはずれると遠近法の原理が見えてくる。これは絵画そのものだ。
鏡が発明される以前では水面に映る自分の顔だった。波が立つと像は揺れる。顔がゆがむのを面白がったものもいただろう。自分の顔は鏡が登場する以前は、よくわかっていなかった。あまりの美しさに見とれて、溺れ死んでしまったナルシスという若者もいる。そこから自己愛(ナルシズム)がはじまった。血のつながった子どもがいくら醜悪でも愛らしいのはこれに由来する。火のないところに煙が立たないように、子のないところには孫もなかったという意味で、自己愛は種の生存にとって原則だった。
鏡と水面は魅入られるものだった。不思議の国のアリスにしても鏡の向こうという着想がある。鏡では向こうに行こうとすると物理的には頭をぶつけてしまう。あまりにも磨かれたガラス窓ではぶつかるが、すぅーと抜けてしまえるのではないかと考えたとき奇跡が生まれる。映像とはバリアの向こうということなのだろう。中世ではマリアの向こうに光はあった。光はガラス窓を割らずに通過することから、キリスト教中世ではそれを奇蹟とみて、光を神になぞらえた。映像とは一種の神学でもある。
絵画の定義に「壁にくりぬかれた窓」というのがある。絵画はそれに従って進化してきた。原始の洞窟壁画を考えると、絵画ははじめ壁に描かれた。それ以降も建築物と抱き合わせになって展開した。そこから抜け出してイリュージョン表現が誕生したときに、新しい絵画の定義として壁そのものではなくて、そこをくりぬいた窓となった。イタリアの建築家であり、画家でもあるレオン・バッティスタ・アルベルティ(1404-72)によって規定される。窓はその後のキャンバスのサイズに対応していく。
窓の高さは一定している。肘を載せてのぞき込めるようなものとして定着する。「モナリザ」(1503-19c.)にもそんな手が描かれている。窓があってそこから見えるのは屋外の風景である。風景だけが見えるはずだが、仮にそこに人が立ったとしたら、上半身だけが切り取られた半身像表現が成立する。半身像は絵画の進化過程で成立する。全身を描くのが通例だが、15世紀になると半身像が好んで描かれるようになる。その前提になるのが窓であり、絵画そのものとなった。日本でも浮世絵の歴史をたどると、歌麿の時代になって全身像が半身像になってくる。西洋の額縁画の思考が、蘭学を通じて入ってくる時代だった。聖徳太子も源頼朝も全身像だったことを思うと、渡辺崋山(1793-1841)の描く肖像が半身像なのは新世紀の絵画に見えてくる。もちろんこれ以前に「聖フランシスコ・ザビエル像」(17世紀前期)は半身像で描かれるが、江戸の中期まで日本に根づくことはなかった。肖像画の傑作「一休和尚像」は半身像で描かれていると反論もあるかもしれない。全身像が断ち切られた可能性も考えられるが、室町時代の禅画では達磨像は多くが半身像であり、いずれにしても断言は難しい。全身像を横長の画面でも見せようとすると、三角形構図におさまる坐像が成立する。キリストやブッダでは涅槃図に代表される横臥像も、重要な位置を占める。
この定義のもと、壁に窓のように絵を描くのではなくて、窓だけを額縁で独立させて描き、何もない壁に掛けるというスタイルが生まれる。さらにこの延長上にテレビモニターが出現する。テレビサイズも大きくなるが左右比は、人の目の左右の間隔に対応して見つけ出される。はじめの3対4がやがてワイドスクリーンに変わっていく。キャンバスの規格も統一されていく。写真は誕生時、テーブルの上で広げるサイズだったが、やがて絵画に近づいていく。絵画と映像は連動しながら推移していく。
第387回 2022年10月12日
単眼で見る世界
遠近法によって現実空間を平面に写す移し方が開発されていった。写真もその後の映像もこの原理に従っている。一点集中遠近法は単眼で見る世界であり、頭の中では奥行きは理解できるが、実際に浮き上がって見えるまでにはゆかない。人間の目はふたつありそれによって奥行きが生じる。長らく遠近法は一眼のままできた。動画が出てきた段階でも目は一つのままだった。人間の目の構造からすると片手落ちだった。そこで立体映像が登場してくる。一瞬の刺激はあるが鑑賞方法も不自然であり、映像の主流を占めるには至っていない。映画でいえばそういう技術よりもドラマトゥルギーの見ごたえを求める。新しいメディアは開発されてはいくが、常にそれがオールマイティにはなり得ない。ギリシャ悲劇やシェイクスピアが健在たるゆえんだろう。表現形式の探求に追われ、ドラマを生み出す力に限界を感じた時代に、それらはリメイクとしてよみがえってくる。
イリュージョンは目をだます方法論だ。目に見える通りには描けない。常に何かの刺激を受けながらその反応として手が動いていく。頭脳から手に行くまでに時間がかかる。頭で思って目で見たものがそのまま再現できれば理想だが、そうはならない。どこかでいびつになりながらつくられていく。だまし絵の基礎となるのは遠近法だ。遠近法を逆手にとって、マウリッツ・エッシャー(1898-1972)の版画が誕生する。遠近法が理解できていなければ面白いとは思わないものだ。遠近法はある訓練を経て目がなじんでいく。異文明の世界でエッシャーの絵の鑑賞法は成り立たない。
遠近法自体がイリュージョンだという確認が必要だ。遠近法は自然を忠実に写しているわけではない。平面なのに立体を感じ取るという作用はイリュージョン(まぼろし)以外のなにものでもない。視覚心理学の実験のようなものも数多く、芸術表現とは一線を画している。面白おかしく映像の興味を誘う点では、トロンプルイユが絵画の原理でもあり、映像の原理でもある。ありもしないものがそこに見えるトリックのことである。
今回は映像前史だったが、次回からは写真表現からスタートする。これらは写真史に組み込まれてしまうし、次の映画の場合も映画史に含まれる。映像史では限られたデジタル映像だけに収まってしまう予感もある。前史としては15世紀にさかのぼるが、その後絵画ではイリュージョン表現に明け暮れ、やがて写真術が発明される。絵画から写真に移行する。写真はニューメディアとして何を獲得していったか。いくつかにわけて考えてみたい。映像表現であると同時に写真表現も、最初は再現であったものが、やがて写真家というアーティストが独立すると、写真もれっきとした芸術表現となる。表現性という点ではいくぶん扱いにくいものを自己表現に向ける。そして映画からデジタル映像へと話題を展開させていく。
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