第295回 2023年10月4日
フランソワ・トリュフォー監督作品、フランス映画、原題はVivement dimanche!。不動産屋の秘書の活躍を描いたサスペンスミステリー。冒頭は殺風景な葦の生える水際での狩猟場面である。頭を撃ち抜かれて男が殺害された。2台の車が止められていて、犯人と思われる男が開いたままの別の車のドアを閉めて立ち去った。次の日、不動産屋の事務所で女秘書がタイプライターを打っている。社長との折り合いが悪く、ひと月後に退職を言い渡されている。秘書は劇団に属していて、そちらに専念することになりそうである。
妻の品行は悪く、秘書は妻が嫌っていることもあって、社長は妻のわがままの言いなりになっていた。警察がやってきて社長に殺人容疑がかかっていることがわかる。狩猟に行っていて、犠牲者の車に指紋が残っていた。社長は専属の弁護士を呼んで対応する。犠牲者は妻と不倫の関係にあったため、警察は社長への疑惑を強めている。
次に社長の妻が殺害される。弁護士に伴われて帰宅したとき、弁護士を自宅に誘うが娘が病気だからと断られた。帰ってみると妻は殺されており、証人もいないことから立場はよくない。原因を究明しようとして、社長は妻の前歴を調べるため、以前いたニースに行こうとする。社長は拳銃をもっていこうとしている。秘書が引き止めて、退職することになっていたにもかかわらず、調査を買って出た。劇団での稽古の最中だったが、舞台衣装を身につけたまま、コートを借りてそのまま探偵になってしまった。男もののコート姿はいかにも探偵ふうである。劇団員たちは忽然と消えたのを唖然として見ている。
秘書は手がかりとしてこの夫婦が知り合った頃に撮った写真をもっていた。裏には住所が書かれている。ニースでは美容室に勤めていたというのだが、その住所にあったのは、売春をおこなうクラブだった。その女オーナーを探して、ホテルの813号室にいたことを突き止めた。以前の映画でも登場した部屋番号である。オーナーの部屋に入り込むことができたが、忍び込んできた男とはちあわせになり、逃げる男の袖を引き裂いた。ポケットから私立探偵の事務所名が出てきた。
事務所を訪ねると所員を大勢抱える組織であり、所長がいうのは新米の探偵にまかせたのが失敗だったとのこと、依頼を受けての捜査だったが、依頼主については語らない。秘書が女オーナーとして見つけ出したのは、映画館の切符売り場に座っている女性だった。これが3番目の犠牲者となった。劇場のドアから手だけが出され、招かれて窓口を離れた。ドアが開くとよろめきながら倒れ込み、みると背中にはナイフが刺さっていた。映画館もクラブも同じ経営者だった。
秘書はさらに深追いをして、厚化粧をして夜の女に化けて組織に潜入する。ボスとして出てきたのは、女ではなく男だった。秘書は怪しまれることもなく追い払われるが、さらに盗み見を続けていると、ボスのもとにやってきた男といさかいになり、ボスが殺されてしまった。窓越しに目を凝らすが男の顔は見えないままだった。
秘書は社長を疑った。社長のもとに戻ると、いきなり殴るつけられる。経過を伝えていると、社長は親身になっている秘書の行動を、これまでとはちがう目で見始めている。愛が芽生える、あるいは愛に気づくといったほうがよいか。社長は弁護士をたよって逃亡計画を立てるが、秘書はとどめて、警察に出頭することをうながす。すでに警察は事務所を包囲していて、社長は捕まってしまう。秘書が密告したのだと裏切りに対する怒りをあらわにしたが、それによって命を救われたことを、やがて知ることになる。次に殺害されるターゲットになっていたのである。
秘書が弁護士を訪ねたとき不在で、待っている間に、隠し扉があることを知り、そこに不動産屋の妻とふたりで写された写真を発見していた。犯人は身近なところにいるという推理小説の典型なのだが、ここでは途中から見えすいてくるたねあかしよりも、社長と秘書のラブコメディに目を向けるほうがよいだろう。はじめて心が通じあったとき、秘書は「日曜日が待ち遠しい」と言った。そのときはまだ、最後には結婚にまでたどりつくとは思っていなかったにちがいない。
社長は事務所の地下室に隠れているが、すりガラスになった天窓から通りを歩く人の足がシルエットで行き来する。社長がそれを気にしていることを秘書は知っていて、自分もハイヒールをはいて行き来して、セックスアピールを欠かせない。妻は小柄でキュートな、みるからに男をそそるタイプだった。これに対して秘書は大柄で舞台でも男役がよく似合う。美人ではあるが、キリリとした頼もしい女性だった。
キスをする場面のあつかいが、しゃれている。はじめは警察に追われたとき、捜査の目から逃れようとして、秘書がおおいかぶさって社長にキスをする。次に社長が秘書に愛を感じて衝動的に唇を奪う。このとき秘書は警察もいないのにと、軽くかわしている。そして3度目にふたりはたがいに抱きしめあって唇をかさねあわせるのである。愛にはさまざまな形があるが、ここでの三段論法は、まずは女がしかけ、男がそれに気づくというものなのだと教えている。
秘書は社長への愛を告白し、社長はこの命の恩人と結ばれてハッピーエンドで終わった。ひと月後に退職という通告はあたっていたのである。秘書のあとがまには、先に求人広告をみてやって来ていた女性が採用されるのだろう。一本指でみごとにタイプライターを操作する、社長好みのブロンド娘だった。主人公の女優が監督の実生活でのパートナーでもあったという事実を知ると、さらに興味は深まる。トリュフォー遺作となった作品である。52歳での死は早すぎた。脳腫瘍にならなければ、あと20本は見ることができたはずだ。さらに勘ぐれば、今度も秘書が妻の座を得るのかと考えると、このラブロマンスも恐ろしいサスペンス映画に思えてくる。
これが白黒映画だったという点に注目する必要がある。初心に戻って、ヒッチコックから学んだトリュフォー映画術の集大成といってもいいだろう。犯人逮捕の電話ボックスでの夜の映像はミステリアスで美しい。広場にぽつんと立つ電話ボックスは、犯人の孤独そのものだ。光を放つターゲットに向かって、大勢の警官が忍び寄ってくる。
さまざまなしかけが盛り込まれていて、よく見ていないとわからなくなってしまうことも多い。冒頭の狩猟の場面で、殺される男が銃を構えた男に、「君か」ということばを発したとたんに撃ち殺されたが、この一瞬の字幕を見落とすと、犯人とは知り合いであることがわからない。殺害後、逃げる男が別の車のドアを閉めるのは、いったん自分の車に乗りかけて、引き返してまで閉めているので、不可解にみえる。指紋がついたと知らせるものだが、この男が犯人ではないことを暗に示すものでもあるようだ。
妻の死体が映されたとき、腕時計をクローズアップにしていて、11:40頃をさして動き続けていた。この時刻が意味をもってくるのだと記憶にとどめることになるが、動き続けているというのが不自然だ。原爆投下や地震発生の、時刻を記憶する時計の停止はミステリアスなものだ。つぶれた時計なら殺害された時刻なのだとわかるが、動いているから、死体が発見された時刻、あるいは映画が撮影された時刻ということになる。人間は死んでも、時計は動き続けるという単純な理由だったのだろうか。思わせぶりなトリックだった。もちろん単純なのは私のほうで、だいじな場面を見落としただけのことだったのかもしれない。