太田三郎-此処にいます

2019年09月28日~11月04日

岡山県立美術館


2019/10/11

 特別展の熊谷守一展にぶつけた常設展の形式をとるが、新しいもの好きにとってはこちらの方が面白い。熊谷に輪をかけて芸術家の奇怪な習性に出会うことになる。きっちりとした丁寧な仕上がりは熊谷にも劣らない。切手をシートで収集するという収集癖も奇妙なものではあるが、コレクターならこれが当然だと思っている。一枚一枚切り離す方が特殊な形ということになる。鑑賞用には用途を外すことが条件だ。1ドル紙幣をシートにしてしまうとポップアートになるが、切手という存在に目をつけたのも、その延長上にあるだろう。

 紙幣よりも面白いのは、消印というスタンプの存在で、この存在証明が、既製品を唯一無二のものにしてくれる。しかし捺印をした途端に切手としての価値をなくしてしまう。それでは紙幣に捺印したらどうだろう。もらった方は嫌がるはずだが、それによって所有者は限定され、他人は使用できなくなる。そして同時に貨幣としての流通機能もなくしてしまう。

 切手に目をつけたからといって、それだけでは作品にならない。ここからが鬼神となるか奇人のままで終わるかの瀬戸際だろう。執念は日々の繰り返しの中で実現する。毎日欠かさず朝食を取る者なら、そんなに難しいことではないのかもしれない。消印を毎日郵便局で押してもらう。もちろんそれは存在証明となるから、この日はどこにいたということが記録される。その蓄積が一堂に並べられると、圧巻であると同時に、美術が空間だけでなく、時間芸術でもあるのだと気づく。

 パロディとしてでも紙幣を偽造すると犯罪になるが、切手風にシールを作っても罪にはならない。そこからは独壇場の他の追随を許さないものとなっている。しかし原点は消印だ。消印を押してもらうのを忘れた日もあったかもしれない。前の日の消印は押してはくれないはずで、このために「消印有効」という金字塔が打ち立てられてきた。仕方なくスタンプを偽造した日もあったのではと思い、しばらく消印を丁寧に追ったが、途中でアホらしくなってやめた。もちろんそんな楽しみ方がなければ、この集積を一点一点見てゆく鑑賞者はいないはずだ。消印の奥深さと神秘に出会うだけでも、本展の価値は充分にある。なぜこれが常設展なのか理解しがたいほどの大規模だったが、特別展として観客を見込めないことだけは、確かなのかもしれない。


by Masaaki KAMBARA