没後60年 北大路魯山人 古典復興 —現代陶芸をひらく—

2019年07月02日~08月25日

千葉市美術館


2019/7/20

 魯山人のあまりにも多様な様式を前に、本当の顔は、一体どれなのかがわからなくなってしまう。古典に根ざしてはいるが、すべてが現代風で、これを取り違えると、魯山人は古典の持つ普遍性を語っているように思ってしまう。しかし魯山人にとって、古典はやはり古びたものとしてみなされるべきものだろう。その点で魯山人はマニエリストとして定義できるのではないかと、私は思っている。あらゆる様式を面白がって取り込み、自分のものにしてしまう。はては写しを越えて、ありもしない乾山を創作してしまう。それは贋作とは言わない。今まで埋もれていたものが発見されたというフェイクニュースにしては生々しい実証を伴い、犯罪と紙一重の危うい説得力の上に成り立っている。

 魯山人のマジシャン的な性格は、すでに生い立ちの内にあったかもしれない。本名は福田姓だが、魯山人になる前に大観という雅号も使っている。魯山人の作品群は、彼が陶芸作家ではなくて、陶芸収集家ではなかったかと、錯覚を抱かせる。中国陶器から野々村仁清や尾形乾山、さらには備前の古陶まで有した旧財閥系コレクションが、そこにはある。今回の展覧会には財界の人でもある川喜田半泥子も混ざっていたが、中国陶器も備前も、はて八木一夫やイサム・ノグチまで含む贅沢な企画だった。

 魯山人のものと見比べるという学術的視点では、興味は尽きないのだが、それは魯山人を贋作者扱いするという前提に立ったものと見なせなくもない。その分もっと魯山人作を一点でも多くかき集めることに、エネルギーを費やした方が、魯山人展という名にはふさわしかったように思う。そしてそれらが魯山人の「つくったもの」ではなくて、「あつめたもの」だと見えた時に、この企画の意図は達せられたことになる。すべてが魯山人作であるなら、キャプションにその名をあげることもない。つまり誰がつくったかはわからないという状態を演出することで、マニエリストたる魯山人の人となりを伝えることができるのだ。

 本当は料理人なのだから、魯山人のレシピによる料理が器にのることで完結するはずだ。器は料理を演出する脇役にすぎない。京都の現代美術館ではいつも魯山人の皿に数尾のメザシがのっている。こうした自身の存在をゼロに近づけるミニマリストとしての強烈な自己主張にこそ、現代陶芸を切り開いたものとしての魯山人の評価があるように思うのだ。

 私は以前、魯山人は「魚を焼くのに飽き足らず、器まで焼いてしまった」(快読・日本の美術)と書いたことがある。つまるところ両者は「やきもの」という意味では同一なのだという諧謔に、魯山人一流の話法を読み取ることも可能だ。併設された所蔵品展では本展と連動させて棟方志功も展示されていたが、二人のやり取りを見る限り、志功や民藝運動は、彼の目にはあまりにもまじめすきて映ったようである。利休と同じく、魯山人はパフォーマンスの人だった。デュシャンがチェスばかりやっていたように、料理ばかりつくっていたかったはずだ。禅宗とそれを支えるニヒリズムの思想が根深く作用したのではないかと思う。


by Masaaki KAMBARA