快読・美術講義

Art lecture for beginners by Masaaki Kambara

last updated: 2024/05/22

はじめに 

2021/9/1 

 芸術学全般の講義をながらく担当してきました。美術史の通史的な授業が多かったのですが、大学での受講者は人文系の学生だけではなく、教育学部の場合や芸術学部の実技系、さらには生涯教育、カルチャーセンターとさまざまでした。広く芸術一般を理解してもらうことをめざしてきましたが、定年退職を機に、これまでの講義をまとめてみようと思いたち、ホームページ「快読・美術講義」を開設しました。まずは絵画論から「絵画のモダニズム」と「絵画のルネサンス」を対比的に書きはじめようと思っています。さらには写真から映画をへて、今日の映像表現に至る系譜を「絵画のアウトサイド」としてつなげて、三部作にして私の絵画論としたいと計画しています。歴史にそってすすみますが、絵画礼讃ということになるはずです。専門的にならず、素朴な疑問から発した快読をめざし、少しずつ更新しながら進めていきます。先に出版した美術礼讃の三部作快読・西洋の美術」「快読・日本の美術快読・現代の美術」もあわせて目にとめてもらえればありがたいです。「美術時評」も以前ほどのパワーはないですが更新し、以前のものも随時掲載していきます。


神原正明(倉敷芸術科学大学名誉教授)

2024/4/22

 映画の教室」では、スタンリー・キューブリック監督の手もとにあるソフトを見終え、再度年代順に戻り、1960年代の内外の映画を続けます。先に書いた1950年代前半後半のものもあわせてごらんください。

更新記録  

2024/4/3

 映画の教室」では、1950年代前半後半に分けて、話題作を集めてみました。年代史は引き続き予定していますが、監督別に戻りスタンリー・キューブリック監督の主要作品を見ていきます。目下、映画鑑賞に集中していて、本論のヒエロニムス・ボスの謎が手薄になっていますが、こちらのほうもゆっくりと進めていきます。あわせて「Hieronymus Bosch in the Library」と題して、ボスの研究書を紹介し始めました。

2024/2/7

 映画の教室」ではアラン・レネ監督作品を見終わりました。今後の計画として監督別ではキューブリックやアンジェイワイダやポランスキーやパゾリーニを考えていますが、内容的にきついものも多いので、少し観点を変えて年代別に話題作を見ていこうと思います。まずは1950年代から始めていきます。西洋映画と日本映画を混在させていますが、私自身にとっては同時代史ということになります。本論の「ヒエロニムス・ボスの謎」は並行して書いていきます。

2024/1/24

 ブレッソン監督作品を見終わりました。手もとにあるものが限られていたので、今後追加していく予定です。引き続きフランス映画からアラン・レネ監督作品を追いかけてみます。気まぐれにはじめた映画鑑賞も一年分がたまりましたので「映画の教室」に看板をかけ替えました。

2024/1/15

 年があらたまり、これまで中断していた「ヒエロニムス・ボスの謎」を再開します。映画鑑賞日誌では、黒澤明監督全30作品を見終わりました。一貫性のあるみごとな作品歴だったと思います。引き続いてフランス映画から、ロベール・ブレッソン監督作品を見ていく予定です。

2023/11/28

 映画鑑賞日誌では、手もとにあるフェデリコ・フェリーニを見終わりました。トリュフォー、ベルイマン、フェリーニと続けましたが、通底するものがあるようです。フェリーニの晩年はずいぶんと実験的なものに飛んでしまった感はありますが、ベースにあるのはイタリアのネオリアリスモだと思います。フェリーニと比較されることの多かった黒澤明を、これからしばらく見ることにします。目新しさはないのですが、若い頃に見たのとはちがった新発見があるかもしれません。

 このホームページの末尾で「ART BOOKS IN THE LIBRARY」を開始しました。かつて大学の研究室に眠っていた洋書の美術書を、書架にそって紹介することにしました。順番に規則性はありませんが、サイズはほぼ統一されています。

2023/11/7

 映画鑑賞日誌では、イングマール・ベルイマンを見終わりました。てもとにあるものだけだったので、完全ではないですが、複雑な話の展開に引き込まれた毎日でした。屈折した人生観から神と愛の存在を問う姿勢が、これでもかこれでもかと、もがき続けていたようです。今日からはイタリア映画からフェデリコ・フェリーニをまとめて見ることにしました。

2023/10/7

 映画鑑賞日誌ではこれまでトリュフォーをまとめて見てきましたが、次にその影響源のひとつであったスウェーデンの監督イングマール・ベルイマンのものを見ていきたいと思います。これまで何本かを、気まぐれに見ていましたが、手もとにあるものを年代順にたどっていきます。もっか映画に力が入っていて、美術講義のほうが中断してしまっています。

2023/9/14

 ここまでアカデミー作品賞と、PART2との二回に分けて見てきましたが、手もとにある録画テープのタネが尽きてしまいました。ここまで時系列で追ってくると、アカデミー賞のもつ傾向がみえてきます。ひとつはアメリカ社会の苦悩の歴史をたどっている点でしょうか。ときにはアメリカ中心にみえないようにイギリスに舞台を移したりするのですが、それもアメリカのルーツ探しという点では共通するものでしょう。古代ローマも好みの舞台ですが、彼らが英語を話しているという限りでは、アメリカがあこがれる原点として、英語文化圏というテリトリーのうちにあると思います。今もイタリア系移民がアメリカ社会を構成していますし、黒人問題も含めて民主主義を築き上げるための大きな要素となって、アメリカ映画をつくりあげてきたようです。近年とみに顕著なバイオレンスに走る傾向は、銃社会の特徴なのでしょうが、人の死なない映画をみたくなったというのが、このところの正直な感想です。しばらくアメリカを離れ、フランス映画に戻り、トリュフォー監督をまとめて見る予定です。

2023/8/1

 「ヒエロニムス・ボスの謎」を書きはじめました。大学で卒業論文に選んでから半世紀がたちますが、いまだに謎に包まれています。研究を始めた頃、フレンガーという研究者が書いた古いドイツ語の著書を手に入れ、一日に数ページずつ読み進めていったのが出発です。本サイトでは感傷日誌(映画編)でここまでアカデミー作品賞」を1960年代まで続けてきましたが、大作が多くなってきて、簡単に文章化できず、息切れ状態でしばらく減速していました。1970年代以降を「PART2」として再開します。

2023/7/18

 感傷日誌(映画編)を続けます。是枝裕和作品はおもしろく鑑賞できました。「家族」の問題を考えさせられました。同じく家族をテーマにし続けた山田洋次へと進むのが流れなのでしょう。前者が変化球だとすれば、こちらは直球による取り組みだと思います。寅さんシリーズをはじめ、ひととおり見ていますが、再度見直して、文章化するのは今は気のりがしないので、先延ばしにします。あれこれ考えて、中断しているアカデミー作品賞の残りを続けることにしました。こちらもほとんどが新鮮味を欠くものですが、映画の代名詞ともいえる定番から見落としていた発見ができるかがポイントです。

2023/7/5

 クリントイーストウッドの監督作品と出演作品を見終わりました。今日からしばらくはアメリカ映画を離れて日本映画から是枝裕和監督作品を見ていこうと思っています。手もとにあるビデオは限られているので、追加分を探さねば完ぺきではないのですが、制作年順に並べ替えて見はじめます。

2023/6/19

 「版画論を書き終えました。現代版画についてまとめなければ完結しないのですが、これまで美術時評で書いてきた断片的な文章しかなく断念しました。今は映画鑑賞を日課として、時間を割いています。美術時評はときおり行く展覧会を旅先の思い出として継続しています。自分に向かって自問するもので、失言も多々あるのですが、読者を前提としない存命証明、やめてしまった年賀状のようなものです。先に書いた「ヒエロニムス・ボスの謎」も何とかしたいのですが、今はクリント・イーストウッドに没頭しています

2023/5/1

 「日本美術のアウトサイド」が完結しました。アウトサイドを考えるなかから「絵画のアウトサイド」として写真と映像をあげましたが、それよりも前に絵画論に加えて素描と版画について考えることが必要だったかもしれません。版画については福井での学芸員の頃から気になっていたので、これからしばらくの期間、「版画論をまとめてみたいと思っています。

2023/3/1

 絵画礼讃の3部作が完結し、引き続き「日本美術のアウトサイド」と題して、福井での学芸員の頃に出会った、岩佐又兵衛、岡倉天心、いわさきちひろ、斎藤義重などを評伝ふうにまとめてみようと、書きはじめています。ただ少し前にアートスケープからのインタビューを受けてヒエロニムス・ボスのことをお話ししました。退職以来遠ざかっていたテーマが再燃してきたので、「ヒエロニムス・ボスの謎」とでもしてよみものふうに書いてみようと思い始めています。めどがつけば掲載にかかります。影山幸一さんの書かれたartscapeでの掲載記事ご覧ください。「快楽の園」のクリアな細部写真が、絵の具の亀裂のみえるところまで拡大してご覧いただけます。

2022/10/10

 「感傷日誌(映画編)」を開始します。残された限られた人生のすきまを、映画でうめることにしました。むかし見た映画や見逃した映画を見はじめています。まずは男の美学、「アランドロンからスタートします。もちろん日本映画なら高倉健でもいいのですが、てもとにある録りためたDVDにアランドロンが大量にあったからにすぎません。

2022/10/1

 「絵画のアウトサイド」の掲載を開始しました。引き続き読んでいただけるとありがたいです。まずは「はじめに」、映像に重さはあるかという話からスタートします。

2022/9/26

 「絵画のルネサンス」を書き終えました。引き続き映像表現史を「絵画のアウトサイド」という視点で書き進めます。本文執筆がスタートするまで少し時間がかかるかもしれません。

2022/5/10

 「絵画のモダニズム」を書き終えました。当初の計画からは2倍ほどに延びてしまいました。読み直してみると分割して「絵画のモダニズム」と「絵画のコンテンポラリー」に二分したほうがよいかもしれません。これと対比させながら引き続き「絵画のルネサンス」を書き出しています。

プロフィール(略歴・著書)profile 

1952 大阪市に生まれる

1970 大阪府立市岡高校卒業

1975 岡山大学法文学部卒業(美学美術史専攻)

1978 神戸大学大学院文学研究科修了(芸術学芸術史専攻)

1979 福井県立美術館学芸員

1979 「いわさきちひろ展-野の花の心」福井県立美術館(展覧会図録・共著)

1981 「岡倉天心と日本美術展―置県100年記念特別企画」福井県立美術館(展覧会図録・共著)

1982 「オノレ・ドーミエ版画展」福井県立美術館(展覧会パンフレット)

1983 「土岡秀太郎と北荘・北美と現代美術展」福井県立美術館(展覧会図録・共著)

1983 「現代日本の工芸:その歩みと展開」福井県立美術館(展覧会図録・作品解説)

1984 「斎藤義重展 5館共同企画」東京都美術館ほか(展覧会図録・共著)

1984 「芸術分類の様態と原理」多賀出版(共著)

1984 「岩佐又兵衛展」福井県立美術館(展覧会図録・共著)

1985 「藤沢典明の世界展」福井県立美術館(展覧会図録・共著)

1989 佐賀大学教育学部助教授(美術理論・美術史)

1991 「怪物―イメージの解読」河出書房新社(共著)

1992 「西洋の美術:芸術学フォーラム3」勁草書房(共著)

1993 「名画への旅(9) 北方に花ひらく―北方ルネサンス」講談社(共著)

1993 「画集 ヒエロニムス・ボス―その時代と作品」クインⅠテッセンス出版・エディションq(監訳)

1993 「モーンストルムⅠ/テンタチオ 誘惑する妖怪たち (ヌオボ・クラッシコ・シリーズ) トレヴィル(共著)

1995 「世界美術大全集 西洋編14 北方ルネサンス 」小学館(共著)

1996 神戸学院大学人文学部教授(美術史)

1997 「ヒエロニムス・ボスの図像学―阿呆と楽園に見る中世」人文書院(単著)

2000 「天国と地獄―キリスト教からよむ世界の終焉 」講談社選書メチエ(単著)

2000 「ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』を読む」河出書房新社(単著)

2001 倉敷芸術科学大学大学院芸術研究科・芸術学部教授(美術史)

2001 「快読・西洋の美術 視覚とその時代」勁草書房(単著)

2001 「快読・日本の美術 美意識のルーツを探る」勁草書房(単著)

2002 「快読・現代の美術 絵画から都市へ」勁草書房(単著)

2002 「ミステリアス・ストライプ―縞の由来」INAX BOOKLET(共著)

2006 「異界の交錯 (下巻) 宗教史学論叢 11 」リトン(共著)

2007 「ブリューゲル『イカロス墜落の風景』―人文主義的ペシミズムの絵解き (作品とコンテクスト)」三元社(翻訳)

2007 「西洋名画の読み方1:14世紀から19世紀初期の傑作177点」創元社(監修)

2008 「西洋名画の読み方2:19世紀中期から20世紀の傑作180点」創元社(監修)

2010 「西洋名画の読み方3:聖書と神話の名画188点」創元社(監修)

2012 「快楽の園―ボスが描いた天国と地獄」KADOKAWA・新人物往来社ビジュアル選書(単著)

2013 「西洋名画の読み方4:イタリア・ルネサンス」創元社(監修)

2015 倉敷芸術科学大学大学院芸術研究科長

2015 「エロティック美術の読み方」創元社(監修)

2016 「西洋名画の読み方5:印象派」創元社(監修)

2017 「『快楽の園』を読む ヒエロニムス・ボスの図像学」講談社学術文庫(単著)

2019 「ヒエロニムス・ボス: 奇想と驚異の図像学」勁草書房(単著)

2020 倉敷芸術科学大学名誉教授

論文一覧(2002年まで)

論文一覧(リンクはWebでの再録)

論文38・「『光』の図像学―その宗教的シンボリズムについて」単著 2002年3月 倉敷芸術科学大学紀要 第7号 13-25頁

論文37・「破れかぶれの桃山美学」単著 2002年3月 『ミステリアス・ストライプ:縞の由来』INAX出版 28-29頁

 同名の展覧会カタログに寄稿した論文。桃山の美学と縞の文様を考察する。「文様はただのマークではない。人類の夢や祈りがそこに仮託されている。それがシンプルであればあるほど、太古からの宇宙のいとなみの原理が息づいている。 『縞』は『島』から来るという。かつて島は逃れられない束縛を意味した。そして『青』(ブルー)は悲しみの色だとすると、島のブルースは確かに逃れられないものの悲しみだ……」。

論文36・「ヒエロニムス・ボスとY字のシンボリズム」単著 2001年6月 美学(美学会誌) 第205号 28-41頁

 昨年秋の第51回美学会全国大会(京都市立芸術大学)で発表された同題の研究をもとに、その後の考察を加えたもの。「快楽の園」に登場する謎めいたY字を示す人物像をもとに、ボスの思想的背景を考察する。

論文35・「方法論としての図像学」単著 2001年3月 MADO美術の窓 213号 106-7頁

 ブック・キャラバン第6回として取り上げられた著者の新著『快楽の園を読む』(河出書房新社)の紹介として書かれた論文で、図像学的研究の方法論的有効性について言及する。

論文34・「『木男』伝説ーヒエロニムス・ボスのファンタジー」単著 2001年1月 武蔵野美術 119号 40-5頁

 ボスの代表作「快楽の園」の地獄パネルの中心にいる「木男」と呼ばれる樹木と人間のダブルイメージのルーツについて考察する。各章は、1)矛盾するイメージの統合、2)怪物から奇形へ、3)「木男」の変容、4)「木男」の正体、5)結婚・愛欲、そして出産。木男に胎児のイメージを見出し、当時の結婚観と対応させて「快楽の園」全体の解釈を試みる。

論文33・「いかさま医師のいる日常ー16世紀ネーデルランドの図像学的考察」単著 1997年3月 神戸学院大学人文学部紀要 第14号 95-114頁

 平成8年度の文部省科学研究費による一般研究「近世版画の比較図像学的研究―16世紀ネーデルランド版画をめぐって」の研究成果として書かれたもの。愚者を治療するため頭の石を切り出すいかさま医師と、同じイコノロジーを展開するいかさま歯科医を描いたネーデルランドの版画を比較考察する。

 中世の因習的世界観を脱して、近代医学が誕生するが、ここでは17世紀に医者が信頼を獲得するに至るまでの状況を、それ以前の「いかさま医師」を描いた様々な図像を分析する中で見直していく。そこではいかさま医師は二つの典型的な姿として登場する。ひとりは愚かさの治療と称して頭にメスを入れる外科医であり、もうひとりは文明化とともにやってきてオランダ社会をむしばんだ虫歯を治す歯科医である。愚かさの原因が頭にたまった石であるという妄想は、15世紀末のヒエロニムス・ボスを皮切りに、17世紀にかけて盛んに描かれている。精神異常を引き起こす悪霊は頭に穴をあけることによって開放されるという迷信は、古くからあった。これを利用してニセ医師は、素朴な民衆につけこんで、頭皮をわずかに切り込み、背後から仲間が提供した小石をまるでそこから出てきたかのように見せかけた。気をそらせたすきにスリに及ぶ。この作例の多発は現実の反映よりむしろ、図像の伝播としてとらえるべきである。頭痛と並び歯痛も太古からのものだが、この痛みは不思議にも歯を抜くことにより簡単に消え去る。この連想が頭の石を抜き去ることで愚かさが直るという信仰につながる。図像的にも愚かさの治療と同一のものとして表現される。17世紀のオランダでの歯医者を描いた図の流行は、オランダの富を背景とした当時の砂糖消費量との関係もある。レンブラントをはじめ歯痛に苦しむオランダ人の肖像が知られている。歯のシンボリズムは、歯が力の象徴であることを教える。歯を抜くことで力を喪失するという点で、サムソンの物語に見るように頭髪とも対応する。それらはともに個に対する抑圧の手段ともなり、抜歯は飼いならすための最後の条件となる。歯は最後に残された武器でもあるが、抜歯は口封じにもつながり、文字通りの抑圧と黙殺となる。

論文32・「イメージの東西:変身」単著 1996年3月 銀座チャイム和光 3月号 26ー9頁

 著者が代わりながら連載形式での論考で、「変身」というテーマで、中国や日本と西洋の図像の比較を試みる。

論文31・「ヒエロニムス・ボス『快楽の園』の図像研究(5)」単著 1994年10月 神戸学院大学人文学部紀要 第9号 91ー122頁

 右翼パネルに描かれた「地獄」のデテールを詳細に考察する。全体として地獄が、楽園や快楽の園と比べて、当時の風俗を写し出している点に注目し、現世の地獄的様相との対応を見る。

論文30・「ヒエロニムス・ボス『快楽の園』の図像研究(4)」単著 1994年3月 神戸学院大学人文学部紀要 第8号 99ー121頁

 前号で書けなかった注釈と補足をまとめる。

論文29・「ヒエロニムス・ボス『快楽の園』の図像研究(3)」単著 1993年10月 神戸学院大学人文学部紀要 第7号 107ー135頁

 平成5年度文部省科学研究費一般研究「ヒエロニムス・ボスの図像学的研究」の研究成果として発表された論文。「快楽の園」中央パネルの分析。前景、中景、後景にわけて、描き込まれた図像をできるだけ客観的な解読をめざす。

論文28・「ヒエロニムス・ボスの図像論」単著 1993年8月 岡山大学芸術学研究 第3巻 20ー37頁

 ボスの諸作品を大きく3群に分類し、それぞれの作品群のもつ図像学的な諸問題を提示する。

論文27・「キリスト・アダム・イヴーヒエロニムス・ボス『快楽の園』中央パネル前景の人物群像について」単著 1993年3月 神戸学院大学人文学部紀要第6号 89ー98頁

 多くの謎に包まれたボスの代表作の新しい視点からの図像学的解釈。この試論で著者は中央パネルに点在するトリオの人物像に注目し、その風俗的要素を読み取る。

論文26・「『疫病』のシンボリズムー中世末期における『医療』と『信仰』の図像学」単著 1992年10月 神戸学院大学人文学部紀要第5号 179ー207頁

 1992年度トヨタ財団から個人で受けた助成研究「医療と信仰の図像学的研究ー奇病をめぐる社会の反応とその造形表現について」の報告書として書かれたもので、ペストとアントニウス病に関係した中世末期の図像の考察から、病気の症状と図像の密接な関連を強調する。

 文化として「病い」をとらえるという文脈に沿って、まず中世のレプラを概観し、ペストから「聖アントニウスの火」の図像を取り上げる。中世を通じてレプラのゆっくりと進行する病状にあきたらず、ルネサンスは「黒死病」の名をもつペストの大流行とともにはじまる。嵐のように通りすぎるスピード感は、レプラと対照的で新しい時代の訪れを予感させる。ペストによってルネサンスがはじまったというよりも、ペストが中世を終わらせたと見ることができる。レプラはペストと交代するように急速に消滅する。レプラはペストと比較した場合、そのイメージするものが異なる。ことにペスト大流行以降、それは恐怖をともなった悲惨な病気というよりも、むしろユーモラスな嘲りの対象となる。仮病を使って物乞いをする乞食の姿として、それはイメージ表現を獲得する。一方ペストは突然訪れる死に対する恐怖が、それをミステリアスなものにし、なかば神格化さえすることになる。中世からルネサンスにかけて盛んに描かれる「聖セバスティアヌスの殉教」という図像の中にそれは結晶する。12世紀からアトリビュートとして「矢」が登場するが、この矢に射ち抜かれた聖人の肉体が、ペストの痛みと重ね合わされることになる。黒死病は患者の皮膚に黒っぽい反転が浮かぶが、その視覚的印象が聖人像と結びつくと、無数の矢におおわれた聖人の痛ましい傷跡が典型的な図像となって定着していく。セバスチアヌスが殉教するのは実際は矢によってではない。「矢」のシンボリズムは古代以来、突然死と結び付けられていたものであり、ペストのイメージは、聖セバスティアヌスの矢と結びつくことで、確固たる象徴性を獲得した。聖セバスティアヌスとペアにされて、しばしば聖アントニウスが登場するが、これは「聖アントニウスの火」として知られる熱病と関係する。現代では「麦角中毒」であったことがわかっているが、そのぞっとするような症状は神の怒りか悪魔の仕業としか思えないものであった。病状ははじめ表面より皮下で進行するため、第三者には大声で痛みを訴えたり、歯をくいしばったりする患者に戸惑いを覚える。やがて見えない火は患者の体内を燃やし、肉を切り裂き四肢を骨から切り離す。手足を失って衰弱した患者の様相は、身の毛のよだつものだったようで、「聖アントニウスの誘惑」という主題で聖人を攻撃する怪物たちの相貌にそれは反映している。

論文25・「ヒエロニムス・ボスと民衆版画」単著 1991年12月 『21世紀版画』第15号 144ー148頁

 一般にはあまり知られないボスの下絵による版画作品を紹介し、その考察を通じて、中世民衆の日常生活の姿を追う。ことにボスの怪物の発想源が、不具者の奇形にある点を指摘する。

論文24・「ヒエロニムス・ボスと放蕩息子」単著 1991年10月 神戸学院大学人文学部紀要3 75ー104頁

 ボスの晩年の代表作をめぐって、その主題をさぐる試み。従来の説を概観しながら、この作品をルカ伝記載の「放蕩息子のたとえ」をふまえたパロディとして解釈することの必要を指摘する。

 このロッテルダムにあるトンド作品の主題をめぐって、従来は「放蕩息子の帰宅」と解されてきたが、この作品の分析的研究が進められていく中で、そこに表現されたのは「行商人」さらには行商人が属する「土星の子どもたち」という解釈から、当初の「放蕩息子」という題名は捨てられるに至った。明らかに聖書の記述と一致しないアトリビュートをこの男が持っているからである。しかし、その放蕩息子説の否定は正しかっただろうか。そのような疑問に対する解答は、これと『乾草車』の外面に描かれた男との比較から出発する。人物が同一なのは明白だが、『乾草車』の人物には放蕩息子の文脈はまったく見られない。一方ロッテルダムのものでは、はっきりと放蕩息子の物語をふまえて人物を取り囲む周辺が描かれている。左の売春宿と右の牛のいる門は、放蕩息子が財産をなくす場所と、回心をして帰宅する父の家が対比的に語られている。さらに細部を細かく見ていく中から、ボスが意図的に放蕩息子の喩えのパロディとしてこの作品を描いたのだということを実証する。ボスは行商人のスタイルを、そのまま放蕩息子の文脈に持ち込むことによって、明らかに矛盾する行商人=放蕩息子の定式を成り立たせようとした。このような意味の逆転は、ボスが多用したダブルイメージと共通するもので、フクロウやカササギなどあい矛盾する両義的な図像をあえて問題にする姿勢と通じている。

論文23・「北斎『冨岳三十六景』ー遠近法の導入と西洋的風景観の成立」単著 1991年3月 『日本美術のイコノロジー的研究ー外来美術の日本化とその特質』(文部省科学研究費総合研究報告書) 8ー17頁

 同名の科学研究費による研究報告として書かれたもので、北斎の風景画を図像学的に解釈する。16世紀ネーデルランド版画との比較、都市と風景の関連、地図との対応などを考察。

論文22・「ヒエロニムス・ボス『阿呆船』について」単著 1991年3月 佐賀大学教育学部研究論文集38ー2(1)93ー118頁 

 文部省科学研究費一般研究「死と造形ー死を前にした人間の造形表現に関する美術史的研究」の関連成果として発表。ボスの初期の代表作のデテールを出来るだけ忠実に読みとってゆく試み。当時の祝祭や慣習をふまえて個々の図像の意味に論及。「船」というモチーフが、時代とともに変化してゆく過程を追及する。

 ルーヴル美術館が所蔵するボスの「阿呆船」の図像分析。はじめに精神的背景として15世紀末の流れの中で「愚かさ」と「船」がシンボルとして位置を占める具体例を、エラスムスやブラントの著作との対応で論じる。続いて「船」を教会の船としてのキリスト教的文脈、月のアトリビュートとしての占星術的文脈、青船という名の祝祭的な文脈から整理する。そして、図像の分析として、まずこれが当初祭壇画の一部として構成された時の復元を試みる。同じく断片で残されるエール大学の「大食のアレゴリー」、ワシントンの「守銭奴の死」との対応関係を考察する。細部の図像の分析では、コーラスと歌と楽器のシンボリズムを見る。「卵の中のコンサート」など、類似した主題の作品群とのイメージの連鎖について指摘する。またマストとして持ち込まれた木について、生命の木という文脈で、同種の作例を探り生命が段々と蝕まれていく時間の流れを、この図像に読み取る。さらに木の茂みから顔をのぞかせるものについてドクロのマスクかフクロウかと問い直す。さらに長く尾を引くペナントが、ブリューゲルの遠洋船を描いた版画と類似することから、両者を比較し、ボスの作品が停滞した酔いどれ船のイメージをもつこと、ブリューゲルの船が17世紀にオランダが世界の海に進出する先取りとして読めることを指摘する。

論文21・「ヒエロニムス・ボス『快楽の園』の図像研究(2)」単著 1990年8月 研究論文集(佐賀大学教育学部)第38集ー1号(1・2) 53ー88頁

 前号に引続き、ボスの代表作の左翼パネルの解釈。「エデンの園」の図像をめぐり、アダムとイヴの結婚の主題、動物のシンボリズム、生命の木などに言及。

論文20・「ヒエロニムス・ボス『快楽の園』の図像研究(1)」単著 1990年2月 研究論文集(佐賀大学教育学部)第37集ー2号(1) 163ー174頁

 ボスの代表作を出来るだけデテールに即して詳細に研究。前半では今までの研究史をふまえて、作品の外観をまとめる。後半は外翼パネルの図像学的解釈。「天地創造」と透明球、球体のシンボリズムなどを論及。

論文19・「『快楽の園』のコスモロジー(下)ーヴィーナスの図像学」単著 1990年2月 月刊百科(平凡社)328号 24ー34頁

 前回からの続きで、ここでは主に「快楽の園」のもつ甘美な男女の戯れを、当時のヴィーナスの図像と比較しながら論じ、占星術との関わりを強調する。

論文18・「『快楽の園』のコスモロジー(上)ーヒエロニムス・ボスと中世末期の時間意識」単著 1990年1月 月刊百科(平凡社)327号 23ー32頁

 ボスの「快楽の園」を中世の宇宙論の観点から解明する。ことに占星術や錬金術的思考を強調する。平凡社編集部から依頼を受けた原稿で、2回に分けて掲載される。

論文17・「岡倉天心と小山正太郎ー『和魂洋才』をめぐる西洋の問題」単著 1989年8月 研究論文集(佐賀大学教育学部)第37集ー1号(1) 81ー115頁

 福井県立美術館在職中に担当した「岡倉天心と日本美術展」の調査資料をもとに、その後の調査を加えてまとめたもの。日本画と洋画の対立を背景に、天心と小山の思考を比較しながら明治初年の日本の動向をさぐる。

論文16・「木になる男ーヒエロニムス・ボスと『木男』の図像学」単著 1989年2月 研究論文集(佐賀大学教育学部)第36集ー2号(1) 99ー121頁

 ボスが描いた一般に「木男」と呼ばれる怪物に関する図像学的研究。素描とタブローとの同テーマの比較から、この怪物のイメージの源泉には、当時の日常生活でよく見かけられた乞食や奇形の不具者があったと指摘。

論文15・「一角獣のいる風景」単著 1988年8月 研究論文集(佐賀大学教育学部)第36集ー1号(1) 87ー107頁

 中世美術にしばしば表現された一角獣の図像学的研究。一角獣の伝説を追いながら、人間のイメージの中でいかに図像化されていったかをたどる。中世を脱したボスの時代には、もはや図像的に魅力を失ったことを指摘。

 一角獣伝説は楽園伝説と対応し、インドとエチオピアに位置付けられて、人類の異界への夢を物語るものとなる。一角獣は古代に発見され、その角の効力が広く知られるようになった。中世を通じてキリストとマリアの象徴として、繰り返し語られてゆく中で、明確な実在性は失われた。15世紀末のタピスリーに描かれたものは、空想の幻獣としての中世最後の華であったように見える。ヒエロニムス・ボスも「楽園」の一角にこれを置いたが、彼の得意とする地獄に生きるグロテスクな怪物とは、およそ似つかわしくない力のない動物になってしまったようだ。ボスが「快楽の園」を描いた16世紀初頭は、ロマンチックな一角獣よりも、古代に見出されて中世を通じて忘れ去られていた実見できる奇形のドキュメントへと、目が向けられた時代だった。ルターやシェーデルが、社会の腐敗の兆しとしてアジテイトした奇形の出現のほうが、説得力があったに違いない。一角獣のいる風景は「楽園」神話の崩壊とともに、見失われてしまった。

論文14・「庭のシンボリズム:中世末期における『楽園』の風景」単著 1987年7月 研究論文集(佐賀大学教育学部)第35集1号(1)

 昭和61年度文部省科学研究費奨励研究「15・16世紀ネーデルランドにおける『楽園』の造形表現について」の研究成果として発表された論文で、ネーデルランドを中心に広くヨーロッパの中世末期の『楽園』の概念とその造形を論究した。

論文13・「ヒエロニムス・ボスと『フクロウ』のシンボリズム」単著 1987年3月 デ・アルテ(九州芸術学会誌)第3号 32ー49頁

 昭和60年12月第30回九州芸術学会での同名の研究発表で、ボスの作品にさかんに現れるフクロウのもつ聖俗の意味について論じたもので、ボスの人格のメランコリックな性格を中世末の四気質の理論からフクロウと関連付けた。

 ボスの時代フクロウは、嘲りの対象として意識されていた。13世紀末の詩「フクロウとナイチンゲール」では、陽気なナイチンゲールと薄暗い陰気なフクロウが対比される。両者の論争としてそれは描かれるが、フクロウの主張では、自分の英知はナイチンゲールの陽気な愚かさよりも価値があると言う。ボスは中世の文脈で、昼の鳥と夜の鳥の戦いとして描くが、自分自身の自画像のようにフクロウを用いたようだ。その中で昼は愚者として生きるが、夜になると帝王に変身する二重の意味を持った存在として、これを描いている。ミネルバの象徴としてのフクロウは古代の伝統として残されたが、ルネサンスの気分が伝わる中で、ボスの中で英知の象徴としてのフクロウが復活したと考えてよい。こうした意味の二重性は、錬金術的思考の反映であり、同じくドイツルネサンスの流れで、クラナッハも学識ある歴史家の肖像画にこれを挿入した。フクロウの特性は「土星」(サチュルヌス)の性格を写すものでもあって、ルネサンスの思考の中で、土星は四気質のうちでメランコリーと結びついた。それは一方で不具者、囚人、狂人が土星に支配されたが、他方で哲学者、芸術家、隠者もまた土星に結び付けられた。土星にあっては怠惰の中に投げ出された精神は、即座にメタフィジックな瞑想に高められる。ボスがフクロウを自己と同一視したことは、彼のペシミズムのゆえでもあったが、その心情としては、蔑まれ嫌われる愚かなフクロウこそが、真実を語る賢者なのだという自己弁明と自負であったように思われる。

論文12・「放蕩息子:16・17世紀ネーデルランドの造形表現をめぐって(下)」単著 1987年1月 研究論文集(佐賀大学教育学部)第34集2号(1) 27ー44頁

 (下)では、「放蕩息子の理念」と題し、「マタイのお召し」のテーマ及び自由意志 free willの問題をからめて、宗教的な主題として、カトリックとプロテスタントが対立してゆく当時の社会背景から考察を深めた。

論文11・

放蕩息子:16・17世紀ネーデルランドの造形表現をめぐって(中)」単著 1986年7月 研究論文集(佐賀大学教育学部)第34集1号(1) 159ー176頁

 (中)では、「放蕩息子の変容」として、当時類似して風俗画の主題となってゆく「陽気な仲間」merry company 「ふつりあいな恋人たち」unequal loversとの主題の混乱についての考察。これは後に美術史学会西部会例会で研究発表された(87年7月)。

論文10・「放蕩息子:16・17世紀ネーデルランドの造形表現をめぐって(上)」単著 1986年1月 研究論文集(佐賀大学教育学部)第33集2号(1) 91ー112頁

 ネーデルランド・ドイツで16・17世紀に流行した「放蕩息子」のテーマについて、当時の社会背景、図像学的伝統、宗教観等から考察した3回連載の論文。(上)では中世からの「放蕩息子」の描き方と放蕩息子劇、酒場の放蕩息子という場面を特に強調する。

論文9・「16世紀ネーデルランド版画の研究」単著 1985年12月 鹿島美術財団年報 第2号 55ー59頁

 鹿島美術財団より助成を受けた同名の研究の成果報告として書かれたもので、福井県立美術館が収集した16世紀のネーデルランド古版画のそれぞれについて論究したもの。ホルツィウスの作品はそのうちの一部である。

論文8・「放蕩息子とかぶき者」単著 1985年3月 「芸術分類の様態と原理」111ー124頁

 昭和59年度文部省科学研究費による総合研究「芸術分類の様態と原理」の研究成果報告書として印刷された論文集に掲載されたもので、東西の美術作品でテーマとなった「放蕩息子」と「かぶき者」の類似、比較を論じた。

論文7・「岩佐又兵衛とヒエロニムス・ボス:過渡期の造形」単著 1985年1月 古美術(三彩新社)第73号 91ー97頁

 中世から近世への過渡期に登場する東西二人の画家を比較しながら、奇想の画家のペシミズムについて論じた。又兵衛の桃山という時代とボスの活躍した15・16世紀という時代を対比。

論文6・「マニエリズムからナチュラリズムへ:ヘンドリック・ホルツィウスの場合」単著 1984年9月 芸術学芸術史論集(神戸大学文学部)第1号 39ー51頁

 16世紀末から17世紀はじめにかけて、自然主義がオランダでめばえてくる動向を、版画家ホルツィウスの生涯を通してさぐる。「写生」の概念をホルツィウスのデッサンに見いだし、論をすすめる。

 この時期をホルツィウス様式と見て、マニエリスムの反古典的様式が、自然観察を土台にした17世紀オランダの風景画・静物画・風俗画などの成立へと移る時代の推移を、マニエリスムの美術理論との対応から見なおす。ホルツィウスは交差する刻線が重なり合って生み出すふくれうごめく人体の描写で独自の版画様式を築き上げるが、やがて自然を見えるがままにとらえようとする観察精神が芽生える。一時期、人工的な版画様式を素描に写すということを通じて、マニエリスムがその原理としてもつ自然の人工化が、ホルツィウスの中で、自然を見えるままにとらえる観察精神と表裏一体のものとなる。ホルツィウスの絵画理念はファン・マンデルの文章を通じて推測されるが、その中で「写生による」素描の必要性が繰り返される。「写生」と「模倣」の区別をして、写生が現実の見えるがままの完全なコピーであるのに対し、模倣は現実をこう見えてほしいという形で再現する。ファン・マンデルは「写生による」素描さえできればすべてができると言っている。ホルツィウスが「写生による」独立した風景素描を描きはじめるのは、イタリアから帰国する1594年以降である。こうした動向は1590年代のオランダの詩人にも見出せる。16世紀までの古典的な風景詩のヴィジョンに加えて、自国の魅力が歌われはじめ、それが古典的風景と同様に賛美の対象になってくる

論文5・「聖アントニウスの誘惑:医学と信仰の狭間で」単著 1984年3月 研究紀要(福井県立美術館)第2号 45ー100頁

 15世紀末にドイツ、ネーデルランドを中心に絵画のテーマとなる「聖アントニウスの誘惑」をめぐって、当時の医学と信仰の中から生まれてくる造形表現について考察した。ボスの同テーマの作品については、昭和55年第33回美術史学会にて研究発表され、それより発展した論文である。

論文4・「ヘンドリック・ホルツィウスの生涯と版画作品」単著 1984年3月 研究紀要(仁愛女子短期大学)第15号 55ー66頁

 16世紀末のネーデルランドの版画家ホルツィウスが果たした役割の重要性について、その生涯をたどりながら強調した論考で、おそらく日本ではじめてのまとまった紹介と思われる。福井県立美術館で収集したホルツィウスの版画をもとにした論考。

 ヘンドリック・ホルツィウスは、ハーレムに居住し、コルンヘルトの自由思想に影響を受け、ファン・マンデルとともにイタリア影響のもとでマニエリスム様式を打ち立てた。イタリアからの帰国後、版画家としての名声のもとにあったが、彼は1600年を境に一切の版画活動を打ち切り、油彩画に没頭しはじめることになる。版画のために残された素描は、その後弟子であったヤコブ・マータムが彫版して出版されたものもある。晩年の油彩画の方面では版画において見られたほどの成果を示すことなく終わっている。しかし、没年の1617年までの間に描かれた素描は、17世紀の新しい美術の動向を暗示する先駆的なものが含まれている。それは何よりも風景を描いた素描の中に見出される。前世紀のアルカディア風の山岳風景から脱して、現実のオランダの平坦な風景をモチーフとしはじめている。そのいくつかはキアロスクロ木版画として彫版された。このような自然観察に向かう目は、スプランガー様式をいち早く脱して、古典古代あるいはデューラー、ルカスへと回帰したホルツィウスに当然予定されたものだ。しかし、自然観察はあくまで素描にとどまり、そのいくつかを除いては版画化されていない。それはいまだ自然観察が版画というメディアに乗るまでに至っていないことを思わせ、こうした志向性が一般化・大衆化するのはまだ先のことである。

論文3・「『船』のシンボリズム:ヒエロニムス・ボスの『阿呆船』をめぐって」単著 1982年12月 研究紀要(福井県立美術館)第1号 145ー211頁

 ヒエロニムス・ボスの『阿呆船』をめぐって、中世末のネーデルランドで「船」が聖なるイメージから愚者のシンボルへと変わる推移を考察した。

論文2・「ヒエロニムス・ボス作『放蕩息子』と『行商人』」単著 1978年12月 美学(美学会誌) 第115号 26ー38頁

 同年7月の第120回美学会西部会(関西大学)での研究発表「ヒエロニムス・ボス作ロッテルダムのトンド作品について」をもとにして、この作品の主題について宗教的意義と風俗的意義の多様性を論じた。新しい見方として、本作でのボスのダブルイメージのトリックを指摘している。

論文1・「ヒエロニムス・ボスの図像研究」修士論文 1978年3月

 神戸大学大学院に提出したもので、ボスの4点の代表作「阿呆船」「聖アントニウスの誘惑」「快楽の園」「放蕩息子」を取り上げ、細部の図像を詳細に吟味し、ボスの造形の特質をさぐる。デテールの意味解釈を中心に見て、ボスの図像辞典をめざす。

エッセイ一覧(1979-1991年)

エッセイ・雑誌・新聞(リンクはWebで再録)

1・「ロダン作『接吻』について」1979年8月 福井県立美術館だより 7号 6-7頁

2・「高田博厚の彫刻について(1)長すぎた不在」 1980年2月 福井県立美術館だより 9号 2-4頁

3・「高田博厚の彫刻について(2)彫刻的思考」 1980年6月 福井県立美術館だより 11号 4-5頁

4・「ディルク・バウツ作『悲しみのキリスト』」 1981年7月 福井県立美術館だより 15号 5-7頁

5・「岡倉天心―明治37年の行動」1981年10月 福井県立美術館だより 16号 4-5頁

6・「西洋と東洋の矛盾と統合―岡倉天心と日本美術」 1981年11月 美術手帖11月号 270-71頁

7・「オノレ・ドーミエ 石版画とその舞台裏」 1982年5月 ドーミエ版画展目録(福井県立美術館) 1―8頁

8・「下村観山の明治37年ケンブリッヂ展出品画について」 1982年9月 福井県立美術館だより 20号 2-3頁

9・「木下秀一郎―福井における未来派の衝撃」 1982年11月 福井県立美術館だより 21号 6-7頁

10・「土岡秀太郎の遺産」1983年5月 美術手帖 5月号 110―11頁

11・「近代洋画家の模写について」1983年11月 福井県立美術館だより 25号 6-7頁

12・「沼田一雅―彫刻と陶芸の間」1984年3月 福井県立美術館だより 26号 2-3頁

13・「村上華岳の仏画について」1984年7月 福井県立美術館だより 27号 4-5頁

14・「岩佐又兵衛の時代―過渡期の肖像」 1984年10月 福井県立美術館だより 28号 4-5頁

15・「藤沢典明―その作風の変遷について」 1985年2月 福井県立美術館だより 29号 2-3頁

16・「書評・北嶋広敏『聖アントニウスの誘惑』」 1985年3月 美術手帖 3月号 224-25頁

17・「影の不思議―大江良二の午後(美術時評)」1989年1月 新郷土478号 34-5頁

18・「文化施設を考える(美術時評)」1989年2月 新郷土479号 34-5頁

19・「外国展あれこれ(美術時評)1989年3月」新郷土480号 26-7頁

20・「銅版画の魅力―ブリューゲル全版画展より(美術時評)」 1989年4月 新郷土481号 34-5頁

21・「現代の考古学―ころがった徳利(美術時評)」1989年5月 新郷土482号 34―5頁

22・「扉は語る(美術時評)」1989年6月 新郷土483号 26-7頁

23・「消えてゆく窓口(美術時評)」1989年7月 新郷土484号 36-7頁

24・「観覧車と鯉のぼり(美術時評)」1989年8月 新郷土485号 28―9頁

25・「環境と彫刻―町田市からの便り(美術時評)」1989年9月 新郷土486号 36-7頁

26・「有明海私考―絵になる風景(美術時評)」198910月 新郷土487号 36-7頁

27・「着物と包装紙―鈴田照次の染色」198911月 新郷土488号 28-9頁

28・「二人の利休(美術時評)」1989年12月 新郷土489 36-7頁

29・「物見やぐらと熱気球(美術時評)」1990年1月 新郷土490 36-7頁

30・「福袋とゴミ(美術時評)」1990年2月 新郷土491 36-7頁

31・「ロマン主義を考える(美術時評)」1990年3月 新郷土492 36-7頁

32・「二点の石本賞―第34回佐大卒業制作展(美術時評)」 1990年4月 新郷土493 35-6頁

33・「第三計画展を追って(美術時評)」1990年5月 新郷土494 34-5頁

34・「続・第三計画展を追って(美術時評)」1990年6月 新郷土495 34-5頁

35・「黒澤明のジャポニスム(美術時評)」1990年7月 新郷土496 36-7頁

36・「金魚すくいのやぶれた夢(美術時評)」1990年8月 新郷土497 34-5頁

37・「県庁とカッパ(美術時評)」1990年9月 新郷土498 34-5頁

38・「2LDK-BROTHERS‘90を見る(美術時評)」 1990年10月 新郷土499 34-5頁

39・「アムステルダムからの便り(美術時評)」1990年11月 新郷土500 34-5頁

40・「気球に乗ったルネッサンス人―牛丸和人個展より(美術時評)」 1990年12月 新郷土501 34-5頁

41・「公衆電話のミステリー(美術時評)」1991年1月 新郷土502 34-5頁

42・「新春の特別展より(美術時評)」1991年2月 新郷土503 34-5頁

43・「現代の文人画―鍋島紀雄展を見る(美術時評)」1991年3月 新郷土504 34-5頁

美術論考   articles 

ヒエロニムス・ボスの謎 第620回 2023年7月27日

第760回2024年4月28日 七つの大罪

第759回2024年4月27日 タンパンと壁画

第758回2024年4月26日 左右の問題

第757回2024年4月25日 サボナローラ影響

第756回2024年4月24日 アンチクリスト

第755回2024年4月23日 魂の重さ

第754回2024年4月22日 第11章 最後の審判 大天使ミカエル

絵画のモダニズム 第1回 2021年9月1日~

絵画のルネサンス 第244回 2022年5月9日

絵画のアウトサイド 第375回 2022年10月1日

日本美術のアウトサイド 第509回 2023年2月20日

版画論:美術のアウトサイド 第578回 2023年5月2日

快読・西洋の美術 快読・日本の美術 快読・現代の美術 現代絵画の図像学

書庫 archive

Art Books in the Library 

Hieronymus Bosch in the Library

美術時評 art review

  2024年57日 「エルマーのぼうけん展」明石市立文化博物館

  2024年4月19日 「アニメーション美術の創造者 新・山本二三展」神戸ファッション美術館

  2024年418日 「スーラージュと森田子龍」兵庫県立美術館

  2024年3月2日 「横尾忠則 ワーイ!★Y字路」横尾忠則現代美術館

  2024年1月24日 「船場花嫁物語Ⅱ」大阪市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」

  2024年1月23日 「コシノジュンコ 原点から現点」あべのハルカス美術館

  2024年1月13日 「ひだまりの絵本画家 柿本幸造展」ひろしま美術館

再録 journey to the past 

  2024年5月21日 「椎原保展 旅する KIITO」デザイン・クリエイティブセンター神戸

  2024年5月20日 「没後130年 河鍋暁斎」兵庫県立美術館

  2024年5月19日 「コレクション展 特集 : 境界のむこう」兵庫県立美術館

  2024年5月17日 「江口寿史イラストレーション展」明石市立文化博物館

  2024年5月14日 「あべ弘士の絵本と美術 -動物たちの魂の鼓動-ふくやま美術館

  2024年5月13日 「ふくやま草戸千軒ミュージアム」広島県立歴史博物館

  2024年5月12日 「蠢動 竹喬のまなざし」笠岡市立竹喬美術館

収蔵庫 archive

 ウッドワン美術館収蔵名品展 山野アンダーソン陽子 安井仲治 堀尾貞治 万博と仏教 時代の解凍 見るまえに跳べ コスチュームジュエリー 大巻伸嗣 私たちのエコロジー 即興ホンマタカシ 野島断層保存館 超・色鉛筆アート展 さくらももこ展 働く人びと Yokoo in Wonderland 交感する神と人 芦屋第二モダニズム展 Perfume COSTUME MUSEUM 墨の世界 安野先生のふしぎな学校 海洋堂と博物館 金山平三 富本憲吉展 聖地南山城 追善の美術 柿本人麿と明石  初期伊万里の粋 マティス展 美術館の悪ものたち 牧野富太郎 草木とともに ワールド・クラスルーム 田沼武能 本橋成一とロベール・ドアノー セレンディピティ 森山大道 CORRELATION—交流と継承 Re: スタートライン 1963-1970/2023 昭和のモダンガール展 Slow Culture #kogei 葛西薫展 所蔵日本画展 耳を澄ませば コレクション展1 それは知っている アレックス・ダ・コルテ キッド・ピボット『リヴァイザー/検察官』 コレクションの20世紀 近代日本の視覚開化 明治 ピーター・シスの闇と夢 網谷義郎 恐竜図鑑 ジブリパークとジブリ展 横尾忠則展 満満腹腹満腹 ピカソ 青の時代を超えて 川瀬巴水 Before/After 昭和のこども イサム・ノグチTOOLS 第9回日展神戸展 石阪春生と新制作の神戸 レジェンド&バタフライ アリス 1909 現代名家百幅画会 第9回日展神戸展 石阪春生と新制作の神戸 レジェンド&バタフライ アリス 1909 現代名家百幅画会 インド近代絵画の精華 中辻悦子 李禹煥 創立150年記念 国宝 濱田庄司と柳宗理 西野壮平 写真展 アピチャッポン 神坂雪佳 地球がまわる音を聴く 西行―語り継がれる漂泊の歌詠み― 装いの力―異性装の日本史 川内倫子 桃源郷通行許可証 すべて未知の世界へ—GUTAI 分化と統合 野口里佳 不思議な力 見るは触れる 日本の新進作家 vol.19 写真新世紀 30年の軌跡 フジタが目黒にやって来た 旅と想像/創造 いつかあなたの旅になる カンパニーXY 『Möbius/メビウス ゲルハルト・リヒター展 よみがえる川崎美術館 もうひとつの顔 ロバート・キャパ 京(みやこ)に生きる文化 茶の湯 Back to 1972 50年前の現代美術へ 利休生誕五百年記念 利休と織部 利休茶の湯の継承 ミーシャ・ラインカウフ—空間への漂流 五所平之助『朧夜の女』 板谷波山の陶芸 STILLALIVE 国際芸術祭 あいち2022 勅使川原三郎 『天上の庭』 絵本作家 谷口智則展 山元春挙展 倉敷・大原家伝来 浦上玉堂コレクション ヒンドゥーの神々の物語 せとうちの大気—美術の視点 鴻池朋子  今井俊介  スコットランド国立美術館 國久真有 浄土寺浄土堂 野田弘志 こども本の森 モディリアーニ 小磯良平 関西の80年代 絵のある病院 李侖京 THEドラえもん展 デコレータークラブ 飯川雄大 レッサーユリィ ゲルハルト・リヒター 大阪中之島美術館 ゆるかわふう 平塚運一と神原浩 ジョーンジョナス 石内都 上野リチ 喜多俊之 ミロコマチコ ソールライター 和田誠 野口哲哉 インポッシブルアーキテクチャー 下村良之介 未来と芸術 ダムタイプ 皆川明 風景の科学 窓展 川上不白 金文 アジアのイメージ 斎藤芽生 地球・爆 カラヴァッジョ 円山応挙 浦辺鎮太郎 衣笠豪谷 三川八重 白水瓢塚古墳 照沼敦朗 日本建築の自画像 四国村 ラファエル前派 平櫛田中 徳川家康 小野竹喬 横尾忠則 富野由悠季 岡山芸術交流 日蓮法華 太田三郎 熊谷守一 塩谷定好 ポーラ美術館×ひろしま美術館 広島浅野家の至宝 柚木沙弥郎 川端康成 サンドルフィ DIC川村記念美術館 バスキア ポーランド女性作家と映像  イメージを読む 写真の時間 オランジュリー美術館コレクション 高橋秀+藤田桜—素敵なふたり展 ボンボニエールと雅な世界 ミイラと神々—エジプトの来世、メソポタミアの現世—  目の目 手の目 心の目 part2 福井県立歴史博物館・常設展 蜷川実花・蜷川宏子 二人展 京博寄託の名宝 —美を守り、美を伝える ドレス・コード?—着る人たちのゲーム 八田豊展 流れに触れる 日本の前衛—山村德太郎の眼 今森光彦・ 小谷眞三 胡蝶之夢 マツオヒロミ展 池田遙邨名作選 あいちトリエンナーレ2019 情の時代 クリムト展 ウィーンと日本1900 中谷ミチコ デンマーク・デザイン 抽象世界  山口啓介 かこさとし 追悼水木しげる 小野竹喬のすべて 北大路魯山人 古典復興 スペインの現代写実絵画 大竹伸朗 ビル景 原三溪 ボルタンスキーLifetime 遊びの流儀 マイセン動物園展  塩田千春展 虫展 あそびのじかん 松方コレクション展 伊庭靖子展 三国志 高畑勲展 ジュリアン・オピー オープン・スペース 2019 メスキータ 日本の素朴絵 計良宏文 マルタ・クロノフスカ ルネ・ラリック 粟津潔 大岩オスカール 世界人―D.T.Suzuki バルセロナ展 へんがおの世界 改組新第5回日展 岡山展 灘本唯人の全貌 NDT(ネザーランド・ダンス・シアター) 新たなる木彫表現 ロイヤル コペンハーゲンのアール・ヌーヴォー展 煌めく薩摩 ガラスと陶器に描かれた『昆虫と動物たち』 近年の新収蔵品(岡山県美)髪飾りと小道具 印象派からその先へ—世界に誇る吉野石膏コレクション 山沢栄子 鳥丸軍雪展 ヒグチユウコ展 ノンタン絵本の世界展 岩間弘展 花の心 廉塾に伝えられたタカラモノ 桑田笹舟展 折元 立身  川勝コレクション河井寬次郎 WILLY RONIS展 一遍聖絵 吉村芳生 Mai Miyake / Aurore Thibout  ロマンティック・ロシア展 美を紡ぐ 日本美術の名品 クリムト展 百年の編み手たち 青池保子 花のお江戸ライフ 北斎のなりわい大図鑑 ギュスターヴ・モロー展  エルンスト・ハース ユーモアてん トルコ至宝展 ウィーン・モダン キスリング展 華ひらく皇室文化 Meet the Collection 瀬戸ノベルティの魅力 五大浮世絵師展 チームラボ ジョージ・クルックシャンク 文房四宝 明恵の夢と高山寺 四条派への道 10年の成果 BBプラザ美術館 篠田桃紅 荒木悠 林忠正 ル・コルビュジエ 両陛下と文化交流  大石芳野 志賀理江子 写真の起源 英国 西田眞人 杉浦非水展 福沢一郎展 The 備前 

映画の教室  classroom of the movie 

第468回 2024年5月22日 キューポラのある街1962

第467回 2024年5月21日 シシリーの黒い霧1962

第466回 2024年5月20日 終身犯1962

第465回 2024年5月19日 渇いた太陽1962

第464回 2024年5月18日 1962年 アラバマ物語1962

第463回 2024年5月17日 不良少年1961

第462回 2024年5月16日 1961年 反逆児1961

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