美術時評 2021/03/~

by Masaaki Kambara



野口哲哉展—this is not a samurai 

2021年02月06日~2021年03月21日

高松市美術館



2021/03/05

 

   東京のポーラミュージアムで見てあっと驚いてから年月が経過した。東京展では絵画はなかったと記憶するが、今回は大規模な個展だった。経歴を見てなるほどと思う。広島市立大学芸術学部で油彩画を学んでいる。リアリズム絵画で定評をもつ大学だが、そこで学んだ下地が絵画から彫刻へと移行させたようだ。今回なぜ高松かと見ると、高松生まれのようだ。地元の美術館はいい香川県人をひとりゲットしたということになる。

 

鎧と兜について考えさせられる。近年の若者たちの刀剣ブームに連動しているようだ。私はこれまで東京国立博物館に行っても、甲冑や刀剣の展示室はいつも素通りでいた。もう何十年ものはなしである。近年そこで立ち止まるようになったが、そのきっかけは陣羽織からだった。「かざりの美」をかかげて、これまでのわびさびを基調にした日本美術史の書き換えをねらう辻惟雄氏の著作に負うところが大きい。戦国時代の派手な陣羽織や兜が見直され、もうひとつの日本の美意識として認知された。

 

平凡な兵士たちの表情には読み取るべき悲哀がただよっている。それは戦国という勇ましい勇姿ではなく、負け犬のもつ敗者の感慨である。英雄とはほど遠い底辺のひと続きの横並びがあって、現代人の多くは戦国大名ではなくて、何でもない一兵士のほうに、自身を仮託する。

 

うつむいていて顔は見えないが、下からのぞきこむと、しっかりと彫り込まれている。ヨーロッパ中世では、クラウス・スリューテルが制作した泣き人たちという彫刻群がある。ちょうどここでの武者のサイズに等しく、50センチほどのものだ。頭からすっぽりとヴェールにおおわれていて、顔は見えないが、死者を弔うために明らかに泣いている。泣いているのは、肩を震わせているようにみえるからだ。しっかりと彫り込まれているのに、顔を見せないぶん、背中がかたっている。「七人の侍」で三船敏郎が演じた戯けたサムライも混じっている。

 

鎧姿で胴部に浮かび上がる図柄がいい。Cを逆向きに組み合わせたシャネルのロゴマークがある。結ばれたノシのマークもある。極め付けは同心円が連なる標的だろうか。ジャスパージョーンズの標的が下敷きになっているようで、それが画布ではなくて、胸当てだという点に、ユーモラスな諧謔が読み取れる。

 

時代絵巻を現代社会に蘇らせるのは、山口晃の日本画と同調するし、SF的視点だと解すれば、角川映画の「戦国自衛隊」とも連動する。

 

フェルメールへのオマージュがあった。オルガンの前でポーズする兵士は映画「戦場のピアニスト」を思わせる。合わせてフェルメールが円空と同い年、つまり同級生だったことへの親近感にも思いをはせていて、オランダと日本の文化交流を夢想する。レンブラントの美術品コレクションのなかに、兜があったことから、兜をかぶったレンブラントの自画像が描かれている。レンブラントが描いたかもしれない未知の作品に思いを馳せる。しかしタイトルをつければ「これはレンブラントではない」ということになるだろう。これによって贋作ではなく、野口のオリジナル作品となる。今回の展覧会サブタイトルは「これはサムライではない」とされている点が興味深い。精神性の問題を棚上げにすることで、鎧と兜というツールのもつ象徴性が浮かび上がってくる。

 

鎧や兜が身を守るためには重くて硬いものでなければならないが、あまりにそうなりすぎるとかえって身を滅ぼすことになる。相手を威嚇するためには派手で目立った方がいいが、それもまた度が過ぎると標的にされてしまう。心と体の交差点に甲冑があり、それは爬虫類の脱皮のように興味深い抜け殻である。

石内都展 見える見えない、写真のゆくえ

2021年04月03日~07月25日

西宮市大谷記念美術館


2021/06/11

 大掛かりな展覧会を横浜で見た記憶が鮮明にある。今回は自作を自由に取り込んでインスタレーションを楽しんでいるように見える。フリーダカーロの身につけたコルセットや義足や衣服を写し出したシリーズが並んでいる。この衣服を着ていた絵が確かあったなと記憶をたどる。会ってもいないのに画家の顔を覚えている。絵画は衣服を描いたイメージなのに写真は衣服そのものだ。同じ部屋にヒロシマのシリーズが同居していて、被爆者が身につけていた焼け焦げた、血のこびりついた衣服が写し出されている。どこまでがヒロシマかがあいまいにされている。顔をもたない衣服が共通して悲鳴をあげている。

 別の展示室ではひきつった皮膚がクローズアップにされている。刺し傷の痕跡が残っているようだが、一見では人体のどの部分かはわからない。隣にはサボテンの痛々しいトゲの生えた肌がクローズアップにされている。シリーズが解体され、別のシリーズに組み合わされる。作品歴を通して通底しているものがあることに気づく。死を前にして走馬灯のようによみがえる記憶にひとしく、時間を自由に行き来する。自作をコラージュにして写真のゆくえを探っている。

 ハートマークの小窓が三つ壁にうがたれた廃屋が、写し出されている。写された頃にすでに廃屋であった被写体は、今はもう存在してはいないだろうが、写真では今も廃屋のままだ。

 母親の使っていた口紅を大写しにした一枚を見て、ライフルの薬莢にしか見えなかったことがある。この驚きは写真家のねらいだったはずだ。女の飛び道具だという意味が一番わかりやすい連想だが、そんなパワフルな輝きを見せるものではなく、うらぶれた場末の日当たりの悪さがただよっている。

 本体を無くした遺品の表面をしつようになぞっていくのがこの写真家のスタイルだ。リサイクルショップには、そんな遺品が満載されている。

Viva Video! 久保田成子展

2021年06月29日~09月23日

国立国際美術館


2021/09/10

 ヴィデオ彫刻という不思議なジャンルをまとめて見る機会をえた。夫であるナムジュンパイクのヴィデオ作品は、これまでもよくみていた。ただものではないという実験映像のルーツを確認したという思いだ。「セクシャルヒーリング」と題したパイクが脳梗塞でたおれ、車椅子生活のようすを写したヴィデオ作品がある。カメラの角度や移動を通して、深刻ではない回復へと向かう安堵が、ユーモラスにとらえられている。パイクがちょっかいを出すいたずらは、今ではセクハラで大騒ぎになる証拠映像だが、おおらかな伴侶の目を通して、単なるリハビリの記録を超えるものになっている。

 マルセルデュシャンとジョンケージがチェスをしている。写し出された顔を見ているだけで、教祖たるオーラを感じる。パイクも同じだけ伝説的名称だが、人懐っこい、とぼけた東洋人のおおらかさは西洋の哲人とは対極にあるものだ。

 女性のアーティストの発掘は、21世紀の課題だろう。半数が女性だという限りでは、同じだけの作家がいるはずだ。オノヨーコにしても、ジョンレノンが長生きしていれば、その背後に隠れていたかもしれない。少なくとも今どきの女性よりも古いタイプの人だっただろう。久保田成子もナムジュンパイクとのユニットだとすれば、クリストのように単一名からなるユニットであるべきだっただろう。

鷹野隆大 毎日写真1999-2021

2021年06月29日~09月23日

国立国際美術館


2021/09/10

 東京タワーのシリーズは、毎日写されるなかでは気づかないが、20年も続けると、東京タワー以外のさま変わりに驚く。逆にいうと、東京タワーは変わらないということだ。そして写している写真家も変わらない。同じ場所を同じアングルで写すためには、カメラを設置している場所が変わらないという条件があるが、保証の限りではない。目の前にビルでも建つと、その時点で終了する。東京タワーと写真家との見えない糸を見せる交信の記録が、息づいて見えたとき、ただのスナップ写真がアートになる。東京タワーと結ぶ線上にビルが建ちはじめるとヒヤヒヤする。低層で終わってしまうとほっとする。高層ビルだとすっぽりとタワーを隠してしまう。いつなんどき何が起こるかわからない。

 人物と影を写して上下逆さに展示するとシュルレアリスムの風景画となる。バゼリッツでは実現できない写真の持ち味だろうか。影がひとり歩きをして人間がそれについて行くというのが、写真の本体だと思いはじめる。ストロボ写真で壁に自分の影が定着するのを見て、はっとする。影が自分のあとをついてくるのを当たり前だと思っていた常識がくつがえされる。

深堀隆介展 金魚鉢、地球鉢

2021年09月11日~11月07日

神戸ファッション美術館



2021/09/11


 一合入りの枡のなかで金魚が泳いでいる。固まっていて動かない。よく見ると描かれた金魚なのだとわかる。もっとよく見ると絵画ではなく立体なのだ。さらに水でもなく、透明のアクリル樹脂であり、そのなかに金魚が固められている。たとえてみれば、あんこの入った水まんじゅうが近いか。涼しそうな夏の風物詩に見える。そっくりの金魚を立体でつくってまわりを樹脂で固めたというのが目に見える技法だ。子牛を輪切りにしてシリコンで固めてガラスケースに閉じ込めたターナー賞アーティストを連想したりもしたが、こんな非情の現代アートとは比べないほうがいいだろう。

 作者が手の内を明かしていて、積層絵画と名づけている。専売特許は秘密にしておくのがこれまでの礼儀だったが、レシピまで披露している。こうすれば誰でもできるというのが、レシピなのだが、それをオープンにするには、誰にも真似ができないという自信をうかがわせる。重ねがきをした絵画だということに、まずは驚かされる。層を塗り重ねていくのは漆芸での日本の伝統だと見ると、伝統工芸の人間国宝にも対応するものに見え出してくる。

 金魚に目をつけたのはいい。一芸に秀でるというのがどういうことかがよくわかる。若冲の鶏でもそうだったが、何に目をつけるかで、その後が決まる。一種の目だまし絵画だが、今は写実絵画が受け入れられる時代だ。モダニズムが行き詰まり、それを脱して古典復興の時代に入っているようにみえる。絵画の定義は「窓」でも、「色の塗られた平面」でもなく、描かれたカーテンにある。それをまちがって引きに行ったときに「絵画」が誕生する。目をだます遊戯が原点をなしている。

 みごとな塗り重ねは、洋菓子を引き合いに出せば層を積み重ねたオペラケーキとなる。菓子職人の妙技は口のなかに入れたときに広がる、すべての層がなすオーケストレーションにある。見ていたときの各層が混ざり合って、口のなかで広がっていく。金魚の鱗の層と皮膚の層は異なっていて、両者が同時に目に入ってきたときにリアリティをもって金魚は泳ぎ出す。

 メダカのような稚魚が一人歩きをしてゆく。日本画の掛け軸のようにして描き出されると、金魚は鯉の滝登り図を思わせて、伝統絵画となって変奏曲をかなでている。金魚を頭、胴体、尾と真上からとらえた作例がおもしろい。金魚にしては大きすぎると思えたときに、人体になぞらえられているのだと気づかせる。襖一面に鶏を大きく描き出した江戸の奇想に対応している。変奏は金魚すくいのインスタレーションにまで展開するが、やはり観察に明け暮れた金魚との対話がいい。

日比野克彦展 明後日のアート

20210918日~1107

姫路市立美術館



2021/10/14


 久しぶりに充実した展覧会に接した。「段ボール」なんてと評価していなかった、これまでの思い込みを恥ずかしく思った。たかが梱包材にすぎないという軽蔑にも似た差別意識をくつがえして、変幻自在な段ボールの魅力を満喫することになった。レディメイドのオブジェにちがいない。自然界で見つけ出された物質の神秘を最高の基準としてきたファインアートの権威が失墜する。美術品概念は小気味良く解体され、段ボールが同等以上の自己主張をなしている。それはむき出しにされているのに、常識的な額縁に収められて、タブローとして完結しているものもある。ザマアミロというバリアが築かれて、近づきがたいオーラも放ちはじめている。消耗品として影も形もなくなっているはずの美学が、フォルマリンに漬けられて生き延びたという印象だ。当時よりもたくましくなっていることも確かだ。美術品としての風格を備えてきたといってもよいか。

 ひとまわり大きいジャンパーやシューズが、従来の彫刻的価値を拡大する。段ボールなどは知らない19世紀以前の目には、驚異的な素材の可能性として見えるだろう。平面にも立体にもなるという可塑性があり、鉄、コンクリート、ガラスにはない温かみのある肌ざわりは、衝撃を柔らかく包みこむという特性を、一目見て感じ取っているはずだ。貼り付けることで適度な厚みが生まれ、大げさにならない平面性を保ちながら、保存への道筋を用意する。展示効果は立体がしっかりと担っている。平面はそのまま収蔵に適した美術品としてもくろまれる。

 わずかな厚みが引き起こすレリーフとしての効果は、遠近法の奥行きをレリーフ彫刻の現実の深みと重ね合わせてトリッキーな空間を実現している。脚立の手前の部分の出っ張りなどはみごとな視覚効果を出している。トロンプルイユ(めだまし絵画)を応用した古典的でルネサンスの風格を備えて見え出してくる。段ボールにしたしみ、試行錯誤するなかから誕生した技法といってよいだろう。低学年の美術教材としても有効で、図画でも工作でも使用できるオールマイティの素材となった。それをワークショップと呼びかえれば、コミュニケーションアートにも広がりをみせていく。段ボールからはじまり、明後日のアートを希求する行動の方向性は、この素材にすでに内包されていたようだ。油彩が孤独で自己を見つめる素材であったことと対比して考えるとよい。段ボールを切って貼って彩色するのは、もちろんひとりでもできるが、クラス全員の文化祭を取り持つ輪となればもっと楽しいはずだ。

星野道夫 悠久の時を旅する

2021年09月28日~11月07日

岡山県立美術館



2021/10/15


 43年の生涯のうち20年間の軌跡をカメラが追っている。つまりその間はカメラとともにある。アラスカと出会うのは20歳のことだが、そこから意志の力がつむぎ合わされて、自然との対話が深化していく。クマに襲われてプッツリと終わる履歴書は、戦場に散った報道カメラマンの短命をなぞっている。ちがうのは理不尽な戦争を摘発する無念の思いとは異なって、天命にも似ている点か。大自然の営みに殉じたようにみえるのは、私だけの印象だろうか。あらがうことのできない自然のリサイクルがあって、人間だけが例外ではないという、宇宙のおきてに従っている。なきがらさえもないとすれば、この定義を受け入れた証拠だ。

 海に向かって散骨するように、綺麗さっぱりとすべてが消えてしまったとする。それは悲しみや喜びといった刹那の感覚を超越したものであって、この写真家がこれまで動物に託して、繰り返し写し出してきたものだ。宇宙の原理、あるいは野生の摂理と言い換えてもよい。皮を剥ぎ獲物を解体するヒトの非情も繰り返し登場する。それは現代社会では異常な目の輝きを放つ狂気とみなされるが、ここでは大いなる宇宙のいとなみに従っていて、殺戮者なのに目は澄んで、実にいい顔をしている。キバやツノは凶器なのだが、鈍器のような心優しいツノもある。なかには内に向かって曲がっているものさえある。

 熊と鮭が顔を突き合わせる一瞬をとらえた一枚がある。水上に飛び上がった鮭にとっては、しまったという思いかもしれない。ブレッソンの代名詞、決定的瞬間の極め付けはサンラザール駅裏で紳士が水たまりに落ち込む無重力だが、それがもたらす一瞬の至福に匹敵する名品だと思う。そこでは食うものと食われるものが同等に鼻を突き合わせている。次の瞬間には紳士は水浸しになり、熊は大きく口を開けて鮭は飲み込まれている。写真は一瞬を切りとって、永遠を定着させる。弱者も強者もなく、同等を分けもつ時間帯がある。

 氷の上で体を寄せ合って眠る三頭の家族がいる。群れからはぐれて大自然をさまよう一頭がいる。その後はどうなったかはわからないが、生命はその時とどまって、一瞬を永遠にかえていることは確かだ。その姿をいとおしく思うとき、時が一巡すると、妻は夫の意志をたずね、子は父の足跡をたどる。反芻するとき三頭寄り添っていたのは、自分たちのことだと思っていた個別が普遍化される。一頭は命を落とし、残された二頭が意志を継ぐ。繰り返されてきた血の系譜であって、淡々と語り継がれて伝説となる。この伝説が成立した証拠に、私たちはここで数十年前の写真を、悠久の思いをだいて見ている。

 アラスカにつたない英文で手紙をつづり、写真技術を学び、動物の生態を学び、旅をし続けた。すべては意志の力のたまものだ。そして家族をむかえ、子をもうけるのも意志に導かれてのことだった。そこには写真家を受け入れた自然があり、支援する人々がいた。そして何よりも出会いのきっかけとなった、アラスカと題された一冊の写真集があった。神田の古書店に眠っていた洋書の一冊だった。いまは古ぼけたが、大切に保管され、展示されている。

 たぶん写真家ではないのだろう。写真を学ぶのは、アラスカに出会ってからのことだからだ。職業としての写真家でないからこそ、見えてくるものがある。まずは自身の目で見て、身体で体験することからはじまった。写真はその行動の足跡であって成果ではない。手段であって目的ではない。写真につけられたタイトルは、芸術を気取ったものではなく、簡潔に綴られた説明文であることが、このことを伝えている。もちろん美に魅せられたからこそ、それを見る私たちと共有できる真理にたどりついた。

 アラスカで出会ったワタリガラスの伝説を求めた道程は、自然科学から文化人類学へと興味を移したようだ。アラスカからシベリアに向かう新たな課題が、命取りになったかもしれない。ベーリング海峡を渡る壮大な環太平洋構想は、明治期に日本にやってきたお雇い外国人フェノロサが日本に根づかせた無謀な持論でもあった。冒険家の野望は魅せられて移動を決意する。初心にかえり、つたないロシア語でシベリアに手紙を書くことからはじめる必要があったのかもしれない。ロシアのクマには英語は通じなかったようにみえる。日本でも目をそらすことなくコラッと叫ぶだけで、クマを追い返す達人を追ったドキュメンタリーを見たことがある。

 アラスカでもシベリアでも、雄大なパノラマのほんのいっかくに生命が息づいて、目を輝かせている。隠れた目の輝きはもちろんクマの場合もあった。臆病なオオカミは奇跡的にしかヒトの前にはあらわれないという説明をキャプションにした一枚が気にかかる。ヒトを避け、いまだ私たちが目にしたこともない生命の神秘は無数にあるのだろう。重要なのはヒトが避けられる存在だということだ。自然の本能はヒトを忌みきらうものにしたということだ。目に見えるものこそ真実だとされてきた写真論がゆらぎはじめた。

大・タイガー立石展 変幻世界トラ紀行

2021年09月18日~11月03日

高松市美術館



2021/10/16


 虎がトレードマークになっていて、つねに登場するモチーフだ。なぜ虎なのか。寅年生まれかと思ったが、1941年なので巳年のようだ。福岡県出身なので、タイガースファンでもないようだ。画風より察するに縦縞のメタモルフォーゼに要因があるのかもしれない。いつのまにか虎柄はそのままで、タイガーはスイカに変身している。尾はスイカのへその緒となり、あっと驚くイメージのマジックはエッシャーを焼き直したパロディとして、脳裏に定着する。

 パロディは権威を引きずり下ろす大衆の武器だ。ポップなイメージは昭和歌謡を満載した大作に結晶する。美空ひばりの登場は強烈で、古賀春江のシュルレアリスムの名作中から飛び出して、水着姿の自由の女神になっている。古賀メロディーを歌うという意味で、画家名と作曲家名が隠しこまれている。誰であるかがよくわかるというのは、似顔絵の基礎的なテクニックの確かさを示すもので、次々と昭和の亡霊が湧き上がってくる。政治権力やイデオロギーに根ざした風刺も散りばめられるが、基礎となるのは誰もが共有する大衆的イメージである。連想が連想を生み、鮮やかによみがえってくる。

 その頃、通りの看板でよく見かけた人物名を言い当てることができる。哀愁列車のタイトルには、探すと三橋美智也が見つかる。ジグゾーパズルのワンピースがはまったときの快感に似ている。もちろん古賀政男の名を隠し込んだ高度な図像学は、ダブルイメージを敷いたシュルレアリスムの技法であり、絵を読む楽しさを伝える。世代をこえて共通するものではなく、閉ざされた戦友たちの哀歌でしかないだけに、同世代の連帯は根づよい。どうしても思い出せないと意地になるが、知らないと恥になる。知らないものも混じるが、作者のプライベートに属するものだと解釈することで、無知は回避できる。忘れてしまった人の中には、会ってもいない人も含まれている。思い出せない場所には、行ってもいない場合もある。老化と健忘はスクラムを組んでやってくるということだ。

 

 エッシャーの連想は、イメージのマジックだけでなく、建築空間に広がることで、デザイナーとしての立石の立ち位置を明確化している。イタリアで評価されるのも空間のマジックにあったようだ。昭和歌謡を満載してもイタリア人にはわからない。しかしそれが生み出す豊穣な空間構成は、ディテールの図像学にこだわる私たち以上に、正確に把握できたはずだ。名前が次々と変わるが、立石だけは一貫しており、気に入っていたのだろう。原始の石を立てるプリミティブに、意志を立ち上げる精神性が加わる。確かにいい姓である。

写真家ドアノー/音楽/パリ

2021.10.23 土-12.22 水

美術館「えき」KYOTO



2021/11/05


 戦後すぐのパリの日常が音楽をともなってよみがえる。1951年のムフタール通りと題した写真に登場する少年を見ながら、よく知られたブレッソンの同名の写真「ムフタール通り」(1954)を思いかえす。ワインボトルとともにラッパを手にしていたように思っていたのだが、あらためて見直すと二本とも酒瓶で、両脇にかかえていた。ラッパ飲みなどという語があるのだから、得意げな少年の表情に気をそがれて、そんな勘違いの連想をしたのもしかたのないことかもしれない。

 アコーデオンとチェロが頻繁に登場するが、演奏者を女と男で描き分けている点が興味深い。前者はもの悲しいジプシーの響きを、後者はユーモラスな足手まといを写し出して、下町に流れるパリ情緒を定着させている。アンニュイな表情がアコーデオンをかかえる流しの女の憂いに連動する。美人というわけではないが、謎めいたたたずまいに、肉屋の男たちがじっとこの女の無表情を見つめている。一方、セロ弾きの男は、どんなに名手だろうと、写真ではコメディアンに変貌する。大きな楽器をかかえて地下鉄を移動する姿は、現代日本でもときに目にする情景であり、ヴァイオリンぐらいにしておけばよかったのにと、おせっかいにも思ってしまう。

 ドアノーの本領はユーモアにある。クスッとした笑いのことだ。豪快な高笑いではない。エスプリの効いたフランス式微笑といってもよいか。長らくルーヴルに定着してきた、イタリア人を脱したレオナルドのフランスへの帰化の一瞬のようにも見える。今回は音楽とパリをテーマにしたセレクションなので、チェリストが目立ったが、総点数が45万もあるというのだから、ピカソどころではない。多作の画家がいくらがんばっても、写真家に追いつくものではないだろう。これまで絶妙な切り取りがさえわたり、特に私の印象に残っていたものは、残念ながら今回セレクションには含まれていなかった。

 ピカソの手がフランスパンに見立てられた遊び心「ピカソのパン」(1952)はよく知られるものだ。パリの街並みに向かってイーゼルを立てる日曜画家もいる。そこではカンバスには風景はなく、なぜか裸婦が描かれている。画家の背に隠れてベンチと女の足がのぞいて見える。さらに犬を連れて散歩をする紳士が、屋外でのヌード制作に興味をもって、ことの真実を探ろうと、のぞきこむように身を伸ばしている。犬はこの顛末を撮影するドアノーに目を向けている。タイトルは「芸術橋のフォックステリア」(1953)とある。もちろんベンチの女性が裸婦かどうかは曖昧なままだ。着衣を見ながら裸婦像を描いているというのが、もっとも安全な解釈となるが、そのときにドアノーのユーモアは最高に達する。

 画廊のショーウインドウに並んだ裸婦像が気になる男たちを、内側から写し出したシリーズも、ドアノーの残した秀作だ。多少の差はあるが、おしなべて共通した男たちの「斜めの視線」(1948)と、いちように顔をしかめる連れの女たちの対比が絶妙な連作だった。無防備な通行人が見せる欲情の一コマだ。ときには鏡がわりに自分の容姿を確かめる場合もあるだろうが、それはそれでおもしろいスナップショットとなるだろう。笑いのルーツは見られていないはずの無防備にある。ショーウインドウを内から写し出してチャップリンの表情をとらえた映画「街の灯」の撮影術を連想した。

 ドアノーを決定づけるこれらと同類のユーモアは、今回では被写体としてジャックプレヴェールを追った一連のポートレートに見つかる。ブレヴェールは切り取られたフレームのさまざまな位置に登場する。画面のわきに見つかったあと、次の一点ではさがしまわるが見つからない。遠景を探したあと、死角になった真正面に大写しの顔が見つかって驚かされた。階段を登ってきて顔だけがのぞいた一瞬をとらえた一点だった。まるで鎌倉時代の山越え阿弥陀図のようだ。

 逆にジュリエットグレコは正面から全身をとらえて、それだけで文句なくカッコいい。小細工はいらないと、自己主張して自立している。アズナブールもマリアカラスもいる。なじみの顔に出会うと、パリの歴史の年輪を感じる。アウグストザンダーの無名の職業人づくしもいいが、真っ黒な画面の左下の隅に、小さくライトを浴びているスタアは、まぎれもなくエディットピアフであって、大竹しのぶではない。見たこともないはずなのに、ピアフのものごしと身のこなしなのである。

 古き良きパリは、もはやアジェの写し出した時代ではないが、50年代のパリのほうに私たちの青春はあった。お蔵入りのLPレコードが、確かまだあったはずだ。帰宅して探してみようと思うが、レコード針どころか、プレーヤーも残念ながらない。にもかかわらずCDよりもひとまわり大きいジャケットと、ドーナツ版を見ているだけで、音はきっと聞こえてくるにちがいない。会場ではグレコのCDがエンドレスで流れていたが、私の場合はアズナブールのLPレコードを擦り切れるほど聞き続けた青春がある。そのアルバムには確か「帰りこぬ青春」という曲も含まれていた。

SURVIVE - EIKO ISHIOKA/石岡瑛子 デザインはサバイブできるか

2021年10月16日~12月18日

京都dddギャラリー



2021/11/05


 コロナのせいで国立新美術館での回顧展は見れずじまいだった。ここでは手狭なこともあって、くりひろげられる饗宴は、息づまるような強い緊迫感である。衝撃といったほうが適切か。戦い続けた兵士のような勝負師の風格は、のちに日本を去り、ニューヨークが鍛え上げ、つくりあげたアマゾネスのように見える。ポスターの片隅にPARCOの文字があるが、申し訳程度でありながら、それでいてこの五文字のもつ重量感は、いまでは広告写真の代名詞となったのだと気づく。

 リーフェンシュタールを見いだし、自己と重ね合わせる。赤と黒という対比が、他の介入を許さず、ほとばしる赤という形容がふさわしい。両者は対比ではなく、なじみあい、共有しあう進化の姿だと思う。それは太陽でも火でもなく、血液なのだとすると、黒化してもなお血液なのだろう。どす黒くドロドロとしたおどろおどろしいほどに粘りついた怨念を感じさせるものは、いったい何なのだろうか。

 今回のディスプレイはもちろん石岡瑛子の企画ではない。彼女は73歳のとき、膵臓癌ですでに死んでいる。にもかかわらず展示へと向かうアプローチは、石岡の意思の力がひきこんだ誘導装置のように見える。それは赤い鳥居が連なる日本の土俗的原野を演出していてみごとだ。スクリーンへと誘うが、そこでは走馬灯のように彼女自身に同化したイメージと言葉が散りばめられて、繰り返されている。それぞれの赤い壁柱には、おみくじのように、題目を記した名号(みょうごう)が浮かびあがっている。デザインという語が目につくが、強いメッセージがこれらの「おだいもく」に託される。

 フォークロアに根ざした生命力は、リーフェンシュタールが近代文明によって祭りあげられた末に、ストンと突き落とされたとき、谷底で見出したものだ。そこにはNUBAの文字が浮かびあがった原色のアフリカがあった。「あゝ原点。」のシリーズがそれと共鳴しあう。さきを越されたという悔しさが滲み出て、先人の評価を誇張する。

 一列に横に並んだ女たちのたくましさは、砂漠をゆくジプシーのようでもあるが、それよりもやはりアマゾネスと呼ぶのが適切だろう。なぜか映画「モロッコ」のラストシーンで、ディートリヒがハイヒールを脱ぎ去って荒野に消えてゆく場面を思い出した。すべての色彩が風化したサイレント映画のようなのに、原色を満載したパルコの渋谷が、エスニックを底流として、私のなかでは共鳴しあっている。

 60年代の仕事についてはもちろん知らなかった。前田美波里や資生堂のほうが主役で、石岡瑛子と結びついたのは、ずいぶんのちのことだった。グラフィックデザイナーが裏方だという意味では、それでよいのだと思う。影の仕掛け人として君臨したという暴露を通して、確固とした意思をもって文化を先導する時代の証言を確認することになる。デザインは大衆の意志ではないのだ。デザインは何にでもなびく意志薄弱の資本論だと思ってきたことのほうが、じつは薄弱で訂正を余儀なくされる。「デザインは感覚や技術ではなく、考え方を表現する手段なのだ」と、お題目のひとつは伝えている。

 幾何学的図形を用いた初期のポスターや本の装丁にはあふれ出る想念を抑え込んだ、奇妙なねじれが読み取れる。形をなす前の原像とみると、思想書の表紙にはふさわしいものとなる。かつて気に入っていた筑摩書房のシリーズが、石岡のデザインだったのだと気づくのも、いまさらのことだった。

 デザイナーが写真家ではないのは、映画監督がカメラマンとして撮影技師を必要とするのに対応している。マイルスデイビスからのレコードジャケットの依頼を実現するためには、すでに高名な写真家の写し出していた顔と手のクローズアップが必要だった。それはみずからが写真家となって、あらたに写し直すことではないのだ。つまりデザインは個人プレイではない。信頼感からなるオーダーは、デザインを鍛える。人脈と交友録がデザイナーを鍛える。恥ずかしくないだけのリアクションを返し続けるプレッシャーは、並のものではなかっただろう。

 そんなに突っ走らなくてもと、私なら思ってしまう。周囲から隔絶した平成の地、たとえば松山あたりに引きこもり、温泉にでもつかりながら、人生はもっとスローなものぞなもしと連発しているのも、サバイブをデザインするに、味わいある老境だったように思う。石岡瑛子のデザインした「道後温泉ぞなもし」のポスターを見てみたかった。

二つの円環:岩崎正嗣・近藤千晶

2021年10月5日(火)~10月10日(日)

天神山文化プラザ(第4展示室)



2021/11/09


円を描いてきた絵画の歴史で思いついたのは、次のような作例だった。

九州チブサンの装飾古墳

マレーヴィチの黒い円と十字

カンディンスキーの点線面

ジャスパージョーンズの標的

吉原治良の円

利休・織部・遠州による茶碗の三つの円

円相図とりわけ仙厓のマルサンカクシカク

・中西夏之「霞橋を渡る二ツの輪」

展覧会に合わせて「放談○(まる)の芸術」と題したギャラリートークが開かれた。「円」の話題は金儲けの経済学になる場合が多いが、ここでは浮世離れした芸術学、ことに抽象絵画論が語られる。カタカナで書くと世代によればマルクスを連想してしまう。ひらがなでも酒飲みにとっては日本酒名となり、つまりは多様な解釈の可能を楽しむ言語学、簡単にいえば頭の体操となった。展示では二人の円環の解釈が提案されている。

岩崎正嗣は円環を4点並べてシリーズとしている。それぞれは同じ形をしているのに人格は異なっている。元型が何かは不明のままだが、それぞれが肖像画に見え出してきた。ここからは、十字になったすきまが十字架に見えた私の妄想だ。キリストやマリアをデジタル変換して円形にするとどうなるのだろうか。悲しみのマリアはいつも青の衣服を着ているし、キリストの流す血は赤い。悲しみの色はいつまでも残り続けるだろう。あるいはここに並んだ4点は人格化された福音書として、描き分けられているのだろうか。元型が何かわからないほどに解体され再構成されている。アナログ時代ならキュビスム的変換といっただろう。これを再度解体すると16のパーツに分かれるが、その組み合わせを変えると、必ずしも円にはならず、新しい統合体が誕生する。となりには目を閉じたデスマスクが4点並べられ色ちがいにされている。セルフポートレートなのだろうが、ここでは逆に同じ顔が四つの人格をもっている。

 元型が何かを明かさないところが謎めいてみえる。作者のトークには血液や体液という語が飛び出した。生々しい人体が解体され円環に「変換」されている。人間には四つの体液がある。四分割された断片の亀裂は十字をなすが、その交差する中心は不在の穴なのに光を宿して輝いてみえる。宗教的に解釈されないためには十字架に見えないほうがいい。モンドリアンに先例があり新しくもないが、全体を45度回転すると、ダイヤ柄のシェイプドキャンバスが誕生する。その時、亀裂にはエックスの文字が浮かび上がり、手足を伸ばした人体が浮き出してくる。はっきりとみせるには、すきまをもっと広げてみることだ。レオナルドやデューラーが模索した人体比例説が浮上する。

 この時どのように吊るすかという難問が起こってくるが、それはここでの展示という今しかない時間を刻むアイデンティティとなる。別の場所では組み合わせを変えて、今とは異なったすきまをつくることができる。自作を用いたインスタレーションは無限に繰り返すことが可能だ。それが断片を固定せずにいる意味だろう。

 近藤千晶の描く円は、白くくり抜かれた穴である。穴は普通には暗いものだが、それは私たちが穴を上からのぞきこんでいるからだ。逆に私たちが穴に落ち込んでいたら見上げる穴は白い。小さなドットが取り囲み「白い穴」を浮き上がらせる。つまり白い穴は結果的にできたものであって、はじめから意図したものではない。この場合円は輪郭をもたない印象派の絵となる。無数のドットは執拗なまでにくりかえされている。それは白光に至る日々の祈りのように機能する。穴は上か下にしかないはずで、壁面にかかる絵画では、穴がのぞきこむものなのか、見上げるものなのかはあいまいなままだ。開かれた四角い窓ばかり描いてきた絵画論に揺さぶりがかけられる。

 円環が取り囲む空洞になった部分に目がいくと、そこにはじつは何もない。円は円盤と円環からなっている。円環は円盤の輪郭線のことだ。太くなるとドーナツになるが、線は厳密にいえば見えるか見えないかの細い糸のことだ。王冠(クラウン)に由来した語にコロナがある。コロナはミクロとマクロが一致する形だ。望遠鏡で見える太陽の輪が、顕微鏡で見えるウィルスの形に反響する。そこでは見えない糸が両者を結んでいる。二つの点が並んだ記号はコロンと呼ばれる。点は円の元型だが、厳密にいえば点は目には見えない。イサムノグチの石の彫刻に、ただの大きな輪がある。ただの円環なのに表面は磨かれて輝き、まだらになった色調に見入ってしまう。しかしそれ以上に目がとまるのは、なかに入っている空洞の円だ。

 壁に立てかけることで絵画を解体し、そこでも円が語られている。5点のシリーズが並んでいる。壁面展示には大きすぎ重すぎるという物理的理由をこえて、絵画はそこでは立体に変貌する。これは絵画とは何かを考え続けた中西夏之へのオマージュとして描かれたようだ。「霞橋を渡る二ツの輪」というパフォーマンスが、15年前に倉芸の退任記念展としておこなわれた。4メートルの鉄の輪を通して倉敷の自然をすくいとる不在の絵画だったが、絵画とは金魚すくいの輪のようなものだという表明にみえた。ここでの大作は鉄の輪が壁面に立てかけられた光景に呼応している。

 金沢21世紀美術館では、タレルが天井に四角い空をくりぬき、カプーアがまるい穴を黒く彩色することで、遠近法を超越し、凹凸の区別もつかず、鈍くかがやく発光体でありながら、閉ざされた闇でもあるというアンドロギュノスが誕生している。この枠組みとしての絵画を念頭におくと、ここでの白い穴とは光る闇のことだったのだとわかる。

 人間サイズをこえることで見え出してくる驚異がある。近藤のアナログの大作に対し、岩崎のデジタルでは、円環が手足を伸ばした人間サイズに収まっているのが興味深い。ともにマルが円に変わる経済学を希求するが、今のところ在庫は増え続けていて、経済的ではない。二つの円にもうひとつ○の要素が加わるとしたら「円相図」に集約する東洋思想だろうか。子どもの頃、赤インクでマルをつけてもらってうれしかった答案の思い出がある。円相にみる歓喜の一瞬だった。そこでは世俗を超越し、円は完結せず、永遠でもない。円は饅頭に見立てられることはあっても、マネーとは無縁だ。無円は不定形をなし、始まりがあり終わりがあるのだと教える。犬が尾をくわえようとしてとどかず、くるくると回る姿をみて、未完こそが永遠なのだと思ったことがある。究極の円を求めて描き続けることができるのは、経済学も芸術論もこえた、唯一無二の幸福論であるにちがいない。

円は線だろうか面だろうか。円環と円形を区別すると、円はどちらでもあるということだ。美術の話にすれば、絵画でもあり彫刻でもある。絵画の場合、円を描くと始まりがあり終わりがある。版画の場合はそれがない。始まりと終わりは一度にプレスされる。円環を考えた場合、棒の両端をくっつけて溶接する場合と、紙や石をくり抜いた場合とがある。輪がつらなっていると、結び目が気になる。円には始まりがあって終わりがあると思っている。その場合は、蛇が尾をくわえてできた円環のことだ。

台湾の博物館で輪がいくつか繋がっているのに、継ぎ目がない「玉」(ぎょく)を驚異をもって見つめ続けたことがある。中国文明の偉大に驚嘆する一瞬だ。輪は棒を曲げて接着するものと思っていると、これはマジックに見える。石からくり抜かれたものだとわかると納得はいく。輪がふたつなら頭でなんとかついてゆけるが、いくつもつらなっていると、なみの頭ではついてゆけない。遠近法をおもしろがったウッチェロをはじめ、初期ルネサンスの素描に驚いたあと、それを凌駕する東洋の神秘に出会うことになるのだ。

円の誕生をめぐる絵本を考えている。地球が誕生してまもない頃、生命体は地を這っていた。今も残り嫌われている蛇のことを思い起こすとよい。蛇が自分の尾をくわえたとき、あれっと思った。食べはじめるとうまかった。どんどん食べ進め、ぎりぎりまで食って口を離すと、蛇はワニに変わっていた。そこから四つ足の動物が誕生した。尾はくわえにくくなった。その名残りなのだろう、いまでも犬や猫が自分の尾をくわえきれずに、くるくる回っている姿を見つけることができる。これが円環運動のはじまりであり、線が円になる神話だ。

円は究極の直線のことだ。地球上で直線を引いていくと最後は円になって完結する。円は線で引かれると見えない。点線面は概念であって、実在はしない。点も線も目に見えるときは面である。平面も厚みをもつと立体になる。面には厚みはないので、それは存在しない。円は点の輪郭線のことだ。点は必ずしも円ではない。円は線のことだ。円は面であって立体ではない。円が立体になると円環となる。円環は円を連ねて円にしたものだ。

円は点線面と同じく、究極の形だ。多角形の最小は三角だが、四角、五角、六角と増やしていくと、無限大の位置に円が登場する。カンディンスキーはマルサンカクシカクを分類し、三角は鋭角、四角は直角、円は鈍角だという。はじめ鈍角の意味が分からなかったが、円が究極の多角形だと考えると納得がいった。円を考えることは、抽象絵画論を語ることだ。点と線と面が出発で、この三者は厳格に考えると、ともに目に見えないものだ。目に見える点は面であるし、目に見える線も面である。つまり面積をもつということだ。平面もまた立体が厚みをなくしたものだが、そんなものはありえないから、すべては立体ということになる。つまり手で触れられるものということだ。ところが円は点でもあり線でもあり面でもある。

誰が発明したのか、円環という概念はすごいものだと見えてくる。ひものはしを両手でもって始まりと終わりをくっつけると、終始はなくなってしまった。その形から読めてくるのは、1が0になったということで、ゼロの発明と言い換えてもよいだろう。ゼロとは何か。何もないことであるが、始まりも終わりも解消されるという点では永遠を意味する。永遠は無限大のことだとすると、何もないこととは矛盾する。それを無と呼ぶと東洋思想の神秘学につながっていく。ゼロの発明は古代インドでのことだが、深遠な奈落に落ち込むような響きをもっている。穴は押し並べて丸いものとされている。そしてそこは光のささない闇である。天地創造は光あれという掛け声からはじまる。

光は直進するだけで円にはならないものだ。そこに光輪や円光や円相を用いることで、永遠不滅を成し遂げようとする。普通は物事には始まりがあって終わりがあるものだが、円環は目的地に行こうとしないアナーキーな思想のことだ。子どもの頃、大阪にいたが、始発と終着駅があるはずの鉄道に、環状線が登場したとき、新しい時代の誕生を予感した。1961年のことだった。まっすぐ進んでいるのに円環を描いていることがある。環状線の場合は、左右の揺れを傾きを通して感じるだろうが、地球上を前進すると、一回りするといつのまにか円環をなしている。これが人間存在の矛盾に根ざした真理のことだろう。

喜多俊之展 TIMELESS FUTURE

2021年10月09日~12月05日

西宮市大谷記念美術館



2021/11/21


 デザイナーの仕事は、まとめて展覧会をすることでやっと個性が見えてくる。個性を全面に出すアートの仕事とは異なるが、個性を殺しているわけではない。スポンサーと消費者のかげにかくれて、見えていなかったものがあり、展覧会を通じてはじめて主役になることで、見え出してくる。この人のデザインだったのだという驚きにいくつか出会うと、なるほど通底しているものがあると、気づくことになる。

 ハイビジョンの時代になって機能しなくなった液晶テレビが家に一台ある。コンパクトでスタイリッシュなので捨てられないまま残していたが、今回の展覧会を通して喜多俊之のプロダクトデザインなのだと知った。捨てられないデザインとは何なのだろうか。古くなれば捨てて買い換えるのがデザインの鉄則だと思っていたが、そうではないものがあった。今回それに出くわし喜多俊之という名が与えられた。アクオスという名は覚えていても、喜多俊之の名は知らなかった。

 そんな目で眺めてみるとプロダクトデザイナーの思想が見えてくる。日ごろは隠れているが、こんなふうに一貫して並べてもらわないと気づくことなく終わってしまう。そんな未発掘の人格が眠っている。個人名が先行して綴られてきた美術史の書きかえがはじまっている。アニメーターや絵本作家の展覧会が増えていることは、この動向を伝えるものだ。

 伝統工芸とのコラボレーションが、プロダクトデザイナーの可能性を広げていく。それぞれは衣食住に結びついていて、太古より古びることのない美の基準を提供する。工芸はただ素材の魅力を引き出すだけではない。生活に根ざした利便を追求している。それがデザイナーの意志と響き合うのだ。

 利便はいつも利潤と抱き合わせにされるが、互いの信頼感がなければ成立しないものだ。上滑りになりがちなデザインにはどめがかかり、ひとりよがりになりがちな工芸には命が吹き込まれる。ギブ&テイクといってしまえばあまりにも味気ない経済効率だけの話になってしまう。それをどれだけ乗り越えられるかということだ。

 日本文化の基調が、畳のサイズの居住空間に反映する。建築と工芸の接点を模索するのも、プロダクトデザインの使命だ。畳二畳の茶室に集約されるとすれば、すべては茶道具のデザインに帰結する。金工や木工や陶芸や漆芸の名で分類されるマルチメディアとのコラボレーションをデザイナーは均等に楽しんでいるようにみえる。

 椅子照明器具は、閉鎖空間を彩る必須のアイテムだ。茶掛けは現代の液晶テレビであるし、持ち歩きできるポータブルを売り物にするアイデアも、仮設を基本形とする茶の文化を引きずっている。漆器陶器和紙のもつ素材の安定性は、プラスティックとナイロンに明け暮れたモダンデザインから解放されて、土地に根ざした地域性が浮上する。

 時系列で並べたときに、一貫したポリシーを感じ取ることのできる多様性だったが、唯一わからなかったのはロボットである。今日ではよく見かけるもので、プロダクトデザイナーの究極の成果なのだとは理解できる。しかしすべてを結集して人工知能に向かうのではない、いわばアナログ的回路に、私自身は魅力を感じていて、なめらかでつやつやした肌をもったロボット工学には、まだ違和感を感じてしまうのだ。

 ロボットは尾を振るペットでもよいのだが、エキスだけを取り込んだ模倣を超える試行錯誤のなかに、等身大の人間性を見い出せるものだろう。そんな目で見るとロボットは汗をかかないし、漆器や陶芸を現代化したデザインもまた、しゃれた現代感覚に引かれはするが、ときになめらかすぎてまるでロボットのように見え出してもくるのである。

特別展「貝殻旅行 ー三岸好太郎・節子展ー」

2021年11月20日(土)~2022年2月13日(日)

神戸市立小磯記念美術館



2021/11/21


 これまで三岸好太郎をまとまってみた記憶はない。タブローという古い絵画形式を過去のものとして遠ざけていたからだと思う。このところ額縁をもった絵に回帰してしまったようで、そこに安定を感じとり、安心してみれるようになった。ことにこの小宇宙に生涯をかけた生きざまに出会うと、感銘と憧憬を感じる。

 好太郎の没年は31歳だったが、この年齢も気にかかる。荻原守衛が31歳で死んでいる。スーラも同じ31歳だ。早すぎる死にちがいないが、短命に帰結する一目瞭然が、一枚の壁画と化した展覧会形式に集約する。そこではモチーフの変遷がくっきりと見える。抽象絵画の試作もあるし、絵筆の否定や引っかきなどの技法の実験もある。

 モチーフとしてはピエロマリオネットが盛んに登場する。世紀末のパリで若き画家たちの純真が目をつけた系譜である。貝殻と蝶という「ぬけがら」を思わせるモチーフが、人形と化したピエロに同調し、画家自身の短命と共鳴したのだろうか。運命には予感がつきものだ。画家の苦悩はのんびりした貝殻を憧れる。それはぽっかりと口を開けた屈託のない表情なのだが、命の尽きた抜け殻であることに変わりはない。三分の一構図で描かれた「郷愁」(1934)と題した一作では、ソールライターの写真にも似て、空白になった三分の二の抽象に、安らぎとも諦念ともつかない静かな貝殻の想いが横たわっている。

 上空に向かって口を開けたあっけらかんとした貝殻を描いた「のんびり貝」(1934)はひだまりの砂辺にある。にもかかわらずくっきりとした影を宿していて、それはかなり暗くて深い。海上を舞う蝶が描かれている。「郷愁」では描き忘れたものだが、たぶん目には見えていた魂のことだろう。古代ギリシャでは蝶はながらく霊魂と見なされた。ともにプシュケという語があてられている。英語ではサイコということになるだろう。

 好太郎の魂が上空を浮遊していたのに対して、妻の節子の目は地に根づいていたのが、対比的に見えて興味深い。妻の絵では似たような壺がふたつ太陽のもとでなかよく並んでいる。風化を恐れる砂丘に埋もれる光景ではなく、現実世界に立脚している。シルエットをなぞると雛人形のような夫婦像が浮かび上がっている。生活に根を張った女性の視点は、男のロマン主義を駆逐して、夭折の夫を飲み込んでたくましい。夫の短命をあざ笑うように94歳まで生きた。

ミロコマチコ いきものたちはわたしのかがみ

2021年10月02日~12月19日

神戸ゆかりの美術館



2021/11/21


 奔放な造形力は、破天荒としか言いようのないものなのに、不思議にもデザインとのマッチングがいい。ポスターや本の装丁には強すぎると思うのに、意外とおさまりがいい。絵本は確かに絵の力だが、ことばを説明し、図解するだけのものなら、たいした役割ははたさないだろう。生命力という語につきる。移動する紙芝居の屋台のような装置がいい。美術館の壁面を信用できないという表明なのだろう。ロビーにまではみ出した現況もまた、生命力のなせるわざだろう。増殖し続けているという印象は、蛇が地を這いながらうごめく気配と同調する。

 土俗的と言っていい妄執が底辺にあるのだと思うが、表面上はいたって常識的で、社会性と倫理性を備えているようにみえる。それがデザインとの相性が良いということなのだろう。個性のないもの、クライアントにおもねるものにデザインの寛容を見出す場合も多い。心になじむもの、違和感なく受容できる形に汎用性のもつ購買力を見つけ出してしまうのだ。

 しかし近年の美術展で紹介された石岡瑛子上野リチのデザインを見れば、強い表現性を前面に押し出して、枠内におとなしく収まってはいない。それでいて広告や商業と結びついて、ファインアートとは一線を画している。ミロコマチコもこの系譜の延長上にあるように思う。枠があるからこそそれをはみ出そうとするエネルギーを感じ取るものだろう。壁を突破するときの瞬発力といってもよいか。もちろん枠内にエネルギーを封じ込め、アニミズムをデザイン力として制御しているたまものでもある。暴発と制御をバランスよく操作していくのを、生活力と呼ぶならば、実にたのもしい人生論をも語ってくれている。見ているだけでパワーを与えられる展覧会だった。大道芸の紙芝居に歓喜した頃の記憶がよみがえってきた。

龍野国際映像祭

2021.11.3(月)~29(月)

ゐの劇場(たつの市龍野町)ほか



2021/11/25


 見ごたえのある企画だった。山陽本線の竜野駅はしょっちゅう通過していたが、姫新線の本竜野駅ははじめてだった。芸術祭でもない限り、訪れることはなかっただろう。落ち着いた古い街並みである。映像祭の会場「ゐの劇場」は醤油工場跡で、大型スクリーンと十分な音響設備を整えている。

 コンペティションは投票形式だったので、久しぶりに30点ほどをまじめに見た。グランプリを私なりに予想すると、実験映像部門では、ヤン・シャポテルの「内部」、アニメーション部門ではアイバン・ストヤコビックの「」かヒ・ローの「ウサギの巣穴」だろうか。

 「内部」はアンドレアス・グルスキーの動画バージョンのように見えるが、巨体マンションの無数の窓に、その数だけの人生があるのかと思うと感慨深い。対面の窓からはすべてが見わたせるというシチュエーションが、ここでのポイントだ。ヒッチコックが「裏窓」でおもしろがった設定でもある。それが絵画にもなるし、写真にもなるなら、動画にもなるということだろう。カメラは移動だけでなく、近づけたり引いたりすることで、隠れていたものが見え出して、あっと驚く。

 絵本では岩井俊雄の「100かいだてのいえ」が、カメラの垂直移動という点で、「内部」と共通した現代都市の生活観を展開している。集合住宅の窓は、規格通り切り出されて、画一化された現代社会そのものを象徴している。同じように布団をベランダに乾して、パタパタとほこりをはたいている。同じように夜が来ると部屋には灯がともる。全員が一斉にというわけではなく、消えている窓も少なくない。それが同じ行動だとすれば、国家統制を思わせ気持ちが悪い。民主主義のルールにしたがうと、適度に分散して生活は多様化し、充実している。

 みんなが一緒になるというのも実は民主主義で、ポップアートが目標としたものだった。大統領も私たちと同じコカ・コーラを飲んでいる。スーパーマーケットに並ぶ大量の缶詰は、マンションの窓の光景と共鳴しあっている。写真家松江泰治の写し出す巨大客船の窓の壮観も、同一の興味を共有したものだろう。しかしそこでは一斉に窓が開いたり、灯りが消えたりするわけではない。そのアトランダムがおもしろく、人間的だということだ。

語りの複数性

2021年10月09日~12月26日

東京都渋谷公園通りギャラリー



2021/11/27


 百瀬文の映像作品「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」を見ながら考えさせられた。これを作品とみなすならば本人が登場するのでセルフポートレイトということになるか。対話なのでダブルポートレイトというほうがよいか。インタビュアーとして素朴な疑問を投げかけるなかで、あっと驚くような着想が出てくる。イメージに重さがあるかという、最近私が考え続けている疑問に、ヒントを与えてくれるものだった。そのときあっ、これだと思ったはずなのだが、正確なことばにならないまま、忘れ去ろうとしている。声は記憶とよく似ている。

 インタビューの相手は、生まれついて耳が聞こえないが、口の動きで「聞き取る」ことができる。そして受け答えを発声することもできる。手話を拒否することは、マイノリティのなかではさらにマイノリティの立場となるが、そのことによって声とは何かという問題に、深く肉薄することになる。美しい声では決してないが、しばらく聞いていると慣れてくるし、意味ははっきりとわかる。それをなぞらえて八重歯のようなものだという回答がとびだした。誘導尋問を仕掛けて、相手の戸惑いを見ながら、答えを待つ。ここで出てきた八重歯という肩すかしの回答は、相手の隠れた能力を引き出したインタビュアーの勝利である。

 インタビュアーには八重歯が生えていて、それによる口内の変形は、声を個性として判別することになる。映像の途中、声が途切れて手話に切り替わったように、字幕だけが流れる箇所があり、このとき衝撃的なやりとりがなされることを暗示する。私は発せられたひとことの発話に、ハッとしたことは覚えているが、その記憶はどんどんと薄れていく。声はまたたくまに消え去った。

 声は発したとたんに消えてしまう。映像が見えたとたんに消えてしまうのに似ている。写真が紙にはりついたイメージだとすると、声は人体にはりついたイメージのことだ。ナマの声があり、それをアナログで録音した声があり、いまではデジタル化された音がある。声が身体をヴェールのように取り巻いている。それは犯せないヴァリアであり、絶叫のときもあるし、嗚咽のときもある。もちろん歌唱のときもあるから、歌手という職業も成立する。ウグイスは、その声だけで生きている。ウグイス嬢という人格を無視した用語例もある。私たちはそれを聞きつけることができる。もちろん、私たちに向かって発しているのではない。身体を切り離して、私たちは声だけでウグイスを受け入れている。どこにいるのかはわからないほうが多い。

 見終わったあとで、はたとこのインタビューがなされたのはいつだったのかが気になった。2013年とありずいぶんと旧作である。発声する口元を隠し続ける時代がくるとは、だれも思ってはいなかった。マスクはなぜ透明ではないのかと思う。透明の布はやがて開発されてくるだろうが、そのだめには読唇術がもっと普及する必要がある。シュヴァングマイエルの食事をし続ける口を大写しにした短編アニメを思い浮かべた。ライオンが獲物を食い尽くす口元であってもいい。口は発声だけでなく、生命力の源を視覚化したものだった。ライオンの彫像がマスクをしているのを、最近見かけたが、百獣の王もウィルスを恐れていると解すると理解できるものだ。口を覆うことで、目力はますます大きくなってくる。「目は口ほどにものをいう」というフレーズは視覚全盛の時代に、幾分かの修正が必要になっている。インタビュー中いらだち気味に、「さんま」(明石家)のしゃべることばは何をいっているかわからないという返答が印象に残った。昨今のテレビでは外国語だけでなく、日本語でも字幕がつく場合が多くなった。

キューガーデン 英国王室が愛した花々 

シャーロット王妃とボタニカルアート

2021年9月18日(土)〜11月28日(日)

東京都庭園美術館



2021/11/26

 江戸時代の本草学に出てくる草花の描写に興味があった。イギリスでは王室の気品がボタニカルアートに反映する。繊細な生命がそれ自体として自立している。枠のなかできっちりとおさまって、それぞれは同等に個性を作り上げている。なかに中国人画家が描いた牡丹(ぼたん)や、インド人の描いた蓮(はす)が混じると、くっきりとした民族の差がみえてきて、それ以外はすべて西洋の型を分けもっていたことがわかる。

 18世紀から19世紀への推移のなかで、単独の花弁がやがて背景を持ちだすのが興味深い。標本からの脱皮といってよいだろう。野生への復帰とすれば、文明化を嫌う時代の嗜好が読み取れる。分類に明け暮れた18世紀精神の知性から感性の学の誕生を予言するものでもあった。

 「フローラの神殿」は驚異的な幻想性をもって、現代にアピールするものだ。日本でいえば若冲の登場に対応するものだ。写生と幻覚との同居は、現代でいえば齋藤芽生の描く世界と対応する。19世紀のはじめに出てくるが、エキゾチックな風景を背後に描きこんでいて、ここでやっと絵になったという印象を与える。それまではずっと息の長い分類学だった。同じ枠のなかで、個を主張しており、すべてはひとつの名のもとで平等である。民主主義の誕生と歩みをともにしてきたものだ。

 動植物の研究は、王室を国家権力に介入させない安全弁にもなるが、芸術文化の発展はそうした国家の意志によって支えられてきた。アートとしては表現力が希薄で物足りない印象を残す。しかし分類が平和主義の技法だとするなら、一枚のプレートに絵とことばが整理された光景は、ながらく植民地支配を身につけてきたイギリスならではの統治法に見えだしてくる。気品があって格調も高い。ギリシャ文字を伴った学術名も記載されている。やがては花言葉にまで世俗化される逸話が神話と抱き合わされて、上流階級の知恵となって定着し、印刷されている。もちろん花も実も結ばない薬草としての役割は、雑草でさえも丹念に写し取られる自然科学の勝利である。目をひかないアートとは隔絶した何げなさに、繊細な筆さばきの妙を感じ取る。

 そんな一兵卒に過ぎないような無名性を讃美するのだが、それらは根から引き裂かれ、背景をなくして、標本になっている。自然を檻に閉じ込める姿は、動物園や植物園の管理とも同調するものだ。冊子となって閉じられて、一ページに収まって図鑑となり、必要な時にはいつでも取り出せる。経営学につながるビジネスならば、薬学だけではなく、毒殺のための研究も、麻薬に向かう悦楽も内包している。可憐な野草はすべてを飲み込んで、清らかに枠内でおさまっている。同じく愛好されたウェジウッドの冷たい発光とも相性はいい。18世紀は貴族の没落する世紀だった。王室の収集した食器も、抱き合わされて妖しい輝きを放つ展覧会だった。

柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」

2021年10月26日(火)〜2022年2月13日(日)

東京国立近代美術館



2021/11/26


 民藝運動が主人公というよりも、柳宗悦にスポットをあて、その人となりを浮き上がらせる展覧会だった。バーナード・リーチを中心に柳夫妻や濱田、河井など名の知れた人たちの並ぶ写真がある。そのなかで、ひとりだけ「ひとりおいて」と書かれた人物がいる。このとき興味がわいてきて、誰かがわからないのなら調べてみたいと思った。鮮明に写っているのでわからないはずはないと思うが、わかっているならけしからん話である。この人物を主人公にして小説が書けるのではないかと思った。タイトルは「ひとりおかれた男」。

 柳宗悦の美意識は一貫している。柳の発見物や民藝運動で誕生した成果を見続けていると、柳が好みそうだというものが、わかりだしてくる。わかりすぎるくらいにわかるのは、私自身も共鳴してしまうからで、気持ちが悪いほどだ。同時に嫌うものもはっきりとしている。三人の息子がいるが、風貌はともに父の分身のようによく似ていた。全員に宗という一字を名に加える点で、自身のアンドロイドを分散させようという意図が読み取れる。男の子が産まれ続けるのさえ、意志の力にみえてくる。

 子も親の嗜好をみごとに代弁しているようだ。長男はプロダクトデザイナー、次男は美術史家で宗教美術を専門とする。三男は造園家であり、ともに著名で一流のプロの仕事をこなすが、父の多様性の一面を分け持ったという点では、アンドロイドということになるだろう。遺伝子の不思議がみえてきて興味深い。

 ひとりくらいはハミゴがいても良さそうに思うが、二世がみんな優等生すぎるというのも、おもしろみを欠く。父親が偉大だと重圧がかかり、子の精神疲労を察するが、ともに一芸に秀でたというのは、父の教育者としての資質のゆえだろうか。あるいは声楽家の母の恩恵だろうか。エリート家庭への羨望も手伝って、あらぬおせっかいを思いつく。芸術家家庭なら画家がいてもよかったのにと想像すると、妄想がふくらんでくる。この四男はことごとく父と意見が合わず、ファインアートを突き進むのである。父のポリシーから見て、画家はこの家庭ではいづらい存在であったはずだ。これも小説ネタである。 

 農民のもつ大地に根づいた安らぎと田園風景を背後に置いた素朴さを信条にして、都会人の知的エリートの共有が輪をなしている。白樺派グループに身を置くが、柳も学習院出身の体臭を身につけている。与えられた運命が「宗」に執着したとするなら、見つけ出した意志は「民」の語に反応した。三男の名はそのまま宗民と名づけられている。厳密にいえば民そのものではなく、民への共感ということだ。都会人が寄せる民衆へのまなざしは、都市の時代を築く1920年代の世界的動向だった。民藝運動の出発は1926年のことである。民主主義は「民衆」を希求し、社会主義は「人民」の意思に従う。ともに民の一字に帰結する。日本がアジアに野望を向ける昭和のはじめの話である。柳宗悦と民藝が生き抜いた昭和を概観した、よくわかる展覧会だった。

石橋財団コレクション×森村泰昌 

M 式「海の幸」ー森村泰昌 ワタシガタリの神話

2021年10月2日(土)〜2022年1月10日(月)

アーティゾン美術館


2021/11/26

 常設展示をどのように見せるかという課題に、常駐の学芸員を外して、著名な文化人やインディペンデント・キュレイターにたよるというのが、昨今の流行になっている。その流れに属するものだが、意欲的な展覧会だった。ジャムセッションとあり、石橋財団がモリムラに場を提供したという印象だが、そのオーダーにみごとに答えている。映像作品では、青木繁に語りかけるモリムラ演じるアンドロイドが、「海の幸」の実像を浮き彫りにする。20分続く長ゼリフは、熱い思いに裏打ちされていて、露出の人にして実現可能なチャップリンの独裁者を思わせる一人芝居だった。

 九州なまりが大阪弁になったとたんに、まじめくさった暴走が、パロディとして緩和され拡散する。冗談なのか本気なのかわからないところに、ことの本質はある。散りばめられたメーキングが手のうちを明かすが、舞台裏を見せない限りは、ただの冗談としか思えない。周到に準備された虚構が、スリリングな作品解釈を提示している。

 「海の幸」の妄想は硫黄島で玉砕する日本兵から、東京オリンピックの入場行進ゲバ棒をもった全共闘のデモ行進をへて、二人から、はてはひとりとなり、遮光器土偶をかぶりひざまづく。キーワードは海である。海を前に演じてきたパレードは、青木の生涯では、「海の幸」にはじまり、「朝日」に終わっている。

 時を同じくして九州国立博物館で「海幸山幸:祈りと恵みの風景」という展覧会が開かれていた。青木繁を加えることができれば、古代神話の文脈理解に広がりを示すことができただろう。「海の幸」(1904)はもとは九州にあった。久留米の石橋美術館の所蔵で、永久にそこにあり続けるものだと思っていた。ところが石橋がつぶれて、横文字にしただけのブリヂストンに統合され、さらにアーティゾンと名を変えた。

 「海の幸」も東京へと持ち去られたが、「朝日」(1910)は佐賀に留まり、県立小城(おぎ)高校にあったのを記憶している。佐賀大学に勤めていたころ、同校の美術部から進学してくる新入生が、青木繁に重なって見えたことがある。私の大阪の母校にも校長室に小出楢重がかかっていて、甲子園とともに過去の栄光は、生徒を野球部と美術部へと駆り立てていった。

 絶筆が朝日だというのは気にかかる。対して海の幸は大きな獲物を仕留めた帰宅の歩みだが、収穫であるはずが、葬列のように見えて不気味だ。モリムラは登場人物をまねるなかで多くのことを発見している。考え抜かれた経過は、制作過程の下絵やマケットが展示されていて、創作の秘密が見え、手のうちが明かされる。

 行進の先頭が老人だという発見は、メーキングがメーキャップとならないと気づかないものだろう。人類の進化のように若者から老人へと進んでいる。人はどこからきて、どこへゆくのかというゴーギャンの問いを、ワタシガタリも語っている。海の幸では行進に隠れているが、背後には夕日が沈んでいるにちがいない。

 夕日にはじまり、朝日におわる。青木の28年の生涯が、今日ではありふれた82年の生涯とは逆転しているとすれば、28歳ははじまりの年齢であっただろう。並べて展示された「大穴牟知命」(1905)や「わだつみいろこの宮」(1907)と抱き合わされると、九州での「海幸山幸」展に出品させるべきだったと思ってしまう。しかしモリムラのパロディをひと通り見おわったあとで、もう一度私は「海の幸」を見直しに戻ったことを思うと、この無意識を通して、あらためて青木繁の魅力に触れることになった。つまりそれは海幸山幸のパーツなどではなかったということだ。同時にM式の作品解説が、みごとなアートにもなっていたことに気づく。

 九州人の古代に寄せる情熱は邪馬台国論争も含め、根強いものがある。外来文化が海を渡り九州にたどり着く。佐賀県でいえば唐津から南下して、山越えをして佐賀市を経て、久留米へと至る。久留米は青木の出生地である。それは海幸が山幸と出会う道であり、青木が最後にたどった行路でもあった。邪馬台国は東に向かえば海路をたどり畿内に至るが、南下を続ければ、有明海へと至るのである。まっすぐな九州人は東になど向かわない。畿内の人は、はたして青木をうまく解釈できただろうか。

和田誠展

2021年10月09日~12月19日

東京オペラシティ アートギャラリー



2021/11/27


 ものすごい作品量である。そしてものすごい人ごみである。コロナ禍の狭間でなければ成立しない企画だが、和田誠にはなんの責任もない。華やかな舞台に身を置いてきた人だというのがよくわかる。芸能界やテレビ局やコマーシャルという文脈なので、創作活動としては三谷幸喜などと混同して見えてくる。人気も今の若者から昔の若者にまで渡るのが、ひとごみの層の厚さから察せられる。四年が一本の柱に見立てられて、回を重ねるオリンピックのように林立している。各面に一年が割り当てられているので、円環状に繰り返しまわりながら、聖火リレーのようにしないと、生涯をたどれない。

 物心ついた頃は数年がまとめられるが、高校生以降は代表的なイメージをはりつけた1年のクロニクルが、途切れることなく続いている。エポックはいくつかあるが、それは見る側の個人史との対応をなしている。私にとっては「ハイライト」のパッケージデザインと、「麻雀放浪記」の映画制作だった。セブンスター派だったので、ハイライトはあまり吸わなかったが、タバコの顔はグラフィックデザイナーの勲章だ。民衆のタバコか、上流階級のものか、労働者のものかは、デザイナーの資質と関係している。

 週刊文春の表紙デザインが、壁面いっぱいに並んでいる。ライフワークともいえる息の長いシリーズだ。毎週のことだから大変だと思うが、通してみるとスランプやマンネリ化、絶好調の時期がうかがえて興味深い。週刊文春だというのもタバコと同じで、デザイナーのキャラクター形成の要因となる。それは立花隆が文春の出だという意味とも共通するものだ。スキャンダルを執拗なまでに暴くという人格形成は、その機関に身をおいた偶然のもたらした必然なのだと思う。では和田誠は何を暴露しようとしていただろうか。

 一歩下がって斜めから世間を見渡すスタンスなのは、取り上げられるモチーフの庶民性からうかがえる。漫画やコミックをパワーの源としている点でも、武器はパロディにある。聞こえてくる音楽は歌謡曲とジャズである。ゴシップと紙一重の綱渡りをしながら、存在感を増していく。新聞や月刊誌ではなく、週刊誌の立ち位置が和田誠の行動様式の美学をかたちづくっているように思う。同じ話題を一週間以上は引きずらないが、一週間は徹底的に考えつくす。そのサイクルが小気味よく繰り返されて、数十年の連作が誕生した。週刊文春の表紙はその結晶だった。週刊新潮が谷内六郎を好んだのと比較すれば、同じ素朴派とはいえ、都会と田園風景との相違は、誰もが気づくところだ。

 都会的でありながら洗練されてはいない。野暮ったい田舎暮らしとの同居が、庶民との同一地平を楽しんでいる。植草甚一のコラムを集大成した全集のような、松岡正剛の千夜千冊をネットから冊子に移したような、在野に根ざした知的伝統との協調がある。そのポピュラリティには、いちはやくアンテナをはって嗅ぎ分ける知に向けての自負がある。考現学の地平と言ってもよいか。在野がたよるのは権威ではない。民衆の共感であり、その気まぐれな移り気に賭けようとする。流行はすぐに移りゆく。それがわかっているからこそ、週刊誌はおもしろいのだ。誰もそれを本気では信じてはいないし、裏切りを苦にもしていない。そんなふてぶてしさが、痛快に響き渡る展示空間だった。

クリスチャン・マークレー展

2021.11.20(土)- 2022.2.23(水・祝)

東京都現代美術館⃣



2021/11/27


 音が視覚化されている。音楽と美術という対立する概念をなだめるようにして、提案がなされる。もちろん楽譜という旧来からの基準はあった。それは目に見える音楽だ。ベートーベンの手書きの楽譜を集めて、展覧会をすることは可能だ。しかしそれは建築家の展覧会を、図面だけですませるのに等しくつまらない。マークレーの場合、抽象絵画となった音楽は、シェーンベルクからの伝統を踏襲するように堂々としてクラシックでもある。

 レコードもまた音が視覚化したものだが、この死滅したメディアへのこだわりは一貫している。レコードそのものが音楽だというフェティシズムは、レコード盤を噛み砕き、食い尽くす映像作品に結晶している。私の家にも、メディアとして死滅したにもかかわらず、無数のレコード盤が音のしないまま残されている。マークレーの映像作品を見ながら、音を取り戻すためには振ったり叩いたり、はては噛み砕くに至るというのが痛いまでによくわかる。けたたましくうるさい音なので、音を楽しむということにならないのがネックである。

 マンガは音を文字に置き換えて視覚化する。マークレーでもマンガが見つけた文字の音がちりばめられている。マンガが教える教訓は多い。迫力ある描写に加えてドバッという音声が吹き流しになると、迫力とはその字幕のことだと気づく。英語ならzzz…という記述となるが、60年代のポップアートがすでに試みたことだ。

 マークレーの試みた日本の絵巻物の形式を借りた記譜法が気に入った。そこにはこれまでにない驚異の実験を見つけることができる。音符のように上下しながら、音が連なっている。日本では右から左に絵巻は読まれるが、西洋人は左から右に時間は流れるようだ。それは私たちの目には時の流れを逆行する西洋のアンチ自然のスタンスがみえて興味深い。自然の中に身を置く東洋思想と真っ向から対立する人間賛歌が聞こえてくる。

 地を這う音符はやがて「龍」に見え出してくる。絵巻は龍頭にはじまり、龍尾でおわる。絵巻とは龍を閉じ込める封印でもあって、そこでは何重にも簀巻きにされて身動きが取れない。音もまたそこに封じられている。絵巻の常態は閉じられた時間にあり、展示ケースに開かれているのは、稀有な時間に属している。檻の外から猛獣を眺めている姿に等しい。全体を通してポップなイメージを引き継いで、ネオポップのくくりで見ることができるものだが、サイケという語が飛び交ったディスコサウンドの聞こえる郷愁を宿していた。

篁牛人展~昭和水墨画壇の鬼才~

2021年11月02日~2022年01月10日

大倉集古館



2021/11/28


 富山の水墨画家だが、多くは知らない。たかむらぎゅうじんとよむ、埋もれていた日本画家である。艶めかしい女神が筋肉隆々として、小さい顔が巨大な肉体に乗せられて横たわり、あるいはすっくと立っている。かすれた墨の運筆がいい。水墨画だからもちろん龍虎や山水もある。擦りつけるような独特な仕上がりが、ときに荒々しく、ときに生々しく、さらに空々しく、重々しく、画題に応じて自在に変容する。黒々とした牛が画面をはみ出して、重厚なかすれを湧き出させて横腹をみせている。大酒呑みの自虐の座興画もいい。

 こんな画家がいたのだという驚きは、まだまだ埋もれている人財に期待をいだかせる。中央とのパイプがあるなしだけのことだとすれば、評価をくだし世におくる役割は欠かせない。地方の公立美術館がそろい、学芸員が今後は腕の見せどころとなるだろう。篁牛人の場合、美術評論界ではトップに位置した河北倫明がその役を担ったが、作家が晩年になってからやっとというのでは遅すぎる。

 運不運はつきものだが、青木繁を例にあげれば、生前の不運は没後の幸運で補われている。同郷の久留米出身の美術評論家やコレクターがいなければ、現在のような評価はなかっただろう。ほおっておけば埋もれてしまうケースは多い。現代のような売り込みにたけた時代ではなかった。やむにやまれず自作をかかえて売り歩く姿はあわれだが、食いつなぐにはなりふりかまってはいられなかった。目が効く客がすぐに手をさしのべるわけではない。

 牛人の場合、目をとめて支援を引き受ける賢者がいた。それによって画材が手に入り、今日がある。画材は画家の生命線であるが、画材の前に家族をかかえて食いつなぐが先というのではあまりにもかなしすぎる。富山県には珍しく公立の水墨美術館がある。何度か訪れたことがあるが、不覚にも篁牛人を見損ねていたようで、記憶に残っていない。中央で名の知れた画家にばかり目が向いていたからかも知れない。地方で埋もれた画家の紹介と、その常設展示を通じて、この美術館の意義はある。

 今では富山市篁牛人記念美術館もあるが、富山県水墨美術館や富山県美術館の常設展示でいつも目に触れることで、やっと不遇の画家は陽の目を見たということになるのだろう。情報過多の時代、美術信奉者には才能は埋もれていてほしいとさえ思うときがある。売り込みから選択するのではなく、隠れようとする才能を見つけ出すよろこびは、学芸員にとって至福のときだろう。

第68回日本伝統工芸展 岡山展

2021年11月18日 – 12月12日

岡山県立美術館



2021/12/08


 人形では一様に「たたずまい」の極めの美が、求められていく。これが西洋彫刻との相違点だろう。気品といってもよい。ふとした一瞬がみせるしぐさが、どれだけ未来と過去を取り込んで現代に生きているかが問われている。歌舞伎で目を寄せてあらぬものを見ているしぐさに等しい。身を固めて留まらざるを得ない。立つものは多いが、座るもの、寝そべるものも、それなりにポーズをとめて、永遠と一体化しようとする。

 漆芸でも象嵌でも、箱の装飾は、なかに何が入っているかが気にかかり、どれだけわくわくするかで、良し悪しは決まる。閉じられた口は、のぞきたくならなければだめだ。うちに金魚を描いた鉢と、蝶が舞う鉢があって、対比をおもしろく見た。のぞきみて蝶との出会いの逆説をおもしろがるか、金魚鉢の道理に与するかという択一となる。鉢や椀の内と外には落差があって、どこからも写真を撮ることができないように身をよじるという反骨精神もいい。立ちにくい形は、手を添えたくなるかどうか、大ぶりの皿は手に取りたくなるかどうかに優劣はある。六角形の真っ白の高杯を複数並べた展示が気に入った。シンプルな柱と天井からなる白亜のガウディ建築を連想させる。ダイナミックなスケール感を宿して、神域にまで達しているように見えた。

 染織では着物のかたちは、みんな同じなので、自然と題名と図柄のパターンに目が向く。「想い出」と題された観覧車がいい。「バタフライ」も図柄としてはおもしろい。「雨音」ではデジタル音が聞こえてくるような雨粒で、伝統工芸への挑戦と受け止められる。「山並」はピラミッドを思わせる尖った山なのに、裾の湾曲に呼応して、まるみを帯びた四国の山並みに見えてきて、あっと驚いた。染織は繰り返されたパターンがどれだけ羽ばたくか、連なりがどれだけ飛躍するかが見どころとなるのだと思う。

熊本県立美術館所蔵 今西コレクション 肉筆浮世絵の世界 アナザーワールド発見!

2021年11月13日~12月19日

岡山県立美術館



2021/12/08


 浮世絵の成立までを肉筆浮世絵でたどる。女性を描いてきた歴史は、太古より連なるが、江戸時代という限られた枠内でも、通観してながめると法則めいたものが見えてきて興味深い。展示作品ではないが、浮世絵は洛中洛外図から始まるという指摘は、その後の展開を理解しやすいものにしている。コレクションとしては、ひとり立ち美人図を中心に、ずらり並んだという印象だ。

 洛中洛外図(舟木本)では、女性はりりしく、キリッとして立っている。それがいつのまにかだらしなくなってくる。立つだけでなく、寝そべりだしてもくる。彦根屏風で頂点に立つ江戸の悪所の情景だ。ここでもその流れを実証できる作例が続いている。寝そべって読書にふける娘もいる。

 遊女の気位は高くなり、気取って立つと美しくもない。上から目線で、あでやかな衣裳だけが、一人歩きしているという印象だ。遊女よりは、それに付き添った禿(かむろ)の可憐さに目が向いていく。堂々とした遊女の機嫌をそこなわないように、そわそわとして落ち着かない旦那衆がいる。どちらが客かわからない。江戸の男は不甲斐ない。近松の描く男は、おしなべていくじなしで、しっかりしろと言いたくなる。しかしこれが実は、江戸が平和を保つ要件でもあった。

 幕府の政策は男が強くなることをことごとく嫌った。大石内蔵助が目隠しをして茶屋遊びに興じる情景をよしとした。それが忠義のカモフラージュであり、隠れた真意を深読みしようとして、男たちが目を向けたのは歌舞伎に結晶する虚構だった。リベンジは美化された劇中でのカタルシスにとどまり、男には歌舞伎役者をあこがれてしか生きる道はなかった。暴発する欲望を遊廓にとどめたようにである。両者はともに幕府の管理下にあった。

 江戸後期になってやっと変化があらわれる。女は逃げ腰になってくるようだ。男は北斎の描く鍾馗のようにりりしくなっていく。まるで富士のようにそそり立っている。同時に浮世絵は美人画から風景画へと画題を移していく。見通しのきく風景は領土拡大の野望に結びつくものだろう。男が強くなって明治維新を呼び込んで、それ以降は明治・大正・昭和と戦争の歴史に明け暮れていった。江戸の平和を忘れたかのようにである。その後、平和を取り戻すのは敗戦後、アメリカに同調してナイロンとともに強くなった女性の台頭を待ってのことだった。

 浮世絵の東京での変質に比較して、関西では人物画では画面をはみ出すものも生まれ、衣装は江戸なのに、顔立ちは近代という、これまでの定型を解体する変化もあらわれる。江戸ではなく、京に出てくる浮世絵での現象である。岸田劉生になぞらえて、デロリの女と言ってもよいだろう。祇園井特(ぎおんせいとく)という画家名がインプットされた。その後続く京都画壇の奇怪な女の魔力は、国家権力にあらがうように、千年の都を呼び戻そうとして恨み続けている。

上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー

2021年11月16日(火)〜2022年1月16日(日)

京都国立近代美術館



2021/12/10


 よい立ち位置にいた人物だと思った。もちろん戦争の影を宿した変動の時代を生き抜いたということはできる。埋もれていたわけではないが、よく知られているというわけでもなかった。それは東京中心の美術史からはずれていたからか。日本人の血が流れていなかったからか。あるいはデザインという分野の特性からだろうか。

 作家精神を表に出すアートの世界とは異なり、自作という意識を抑え込むデザイナーあるいは工芸家とのコラボレーションを通じて、埋もれようとしていたというほうが適切かもしれない。こんにちウィーンのアールヌーヴォーが、魅力的に語られることは多い。クリムトの人気は日本でも根づよい。世界の檜舞台にいたのだが、それが日本人となる前の上野リチの実像だ。その後日本にやってきて、日本人建築家の妻となり昭和という動乱の時代をまるごと生き抜いた。

 画家の個展を展覧会の定番だとしてきた常識が崩れてきている。グループ制作の一員として加わった経験は、個を前面に押し出すのではなくて、時代のニーズに従おうとする。パートナーである夫の存在も、妻が一歩下がる謙虚を売り物にしてきた日本文化の伝統に乗り合わせる。著名な建築家を夫にもった妻の立ち位置という点では、オノヨーコや久保田重子の今日での再評価とも連動するものだろう。

 ドイツ語表記の名をもち、日本人の妻としてもう一つの名をもつ。イサムノグチとも共有するが、国籍によって引き裂かれたというわけではない。むしろ相乗効果として高めあった成果を認めることができるだろう。ノグチの場合のように国に引き裂かれることで負のエネルギーが、創造のパワーとなることはある。ことに両国が敵同士で戦い合う場合は悲惨だが、ここではそれは回避されている。ユダヤ系という血筋からはヒトラーの影がもっと強く宿っているだろう。

 コンプレックスが生み出す造形性は、健全なものとはなりにくい。鬱積して溜まり込んで、爆発の機会を待ち続ける姿は、インパクトの強いものにはなるが、こころ和むものとはなりにくい。悲劇のヒーローやヒロインになることで、瞬発力はたくわえられる。

 上野リチの場合、求めに応じて才能を開かせたと見れば、野望はなく肩を張らない生き方が共鳴を得ることになるだろう。名声を求めて名をなすという剥き出しがない限り、名を知られることにはならない。埋もれることをよしとする人生観は、人を払い退けて前進する欲望からは解放されて、心地よいものだ。後世発掘される期待さえもない自然体が、清々しく感じ取れる。才能は求めに応じて場を移動し、それぞれに開花したといってよいだろう。デラシネという放浪者精神が、無国籍的な自我の形成に作用したが、いつまで日本にいても日本語がうまくならないという例はある。リチもまたドイツ語のもつ文化的土壌を捨てきれずにいた。それがメルヘンのように響く幻想を個性として確立させていく。

 デザインに身を染めながら、個性が満載された造形性が残されている。それらの確実な物質性が、埋もれれようとする本体を無化していく。デザインファンタジーという語を用いたようで、夢見心地の少女の幻想が、自己主張を試みている。ときにマティスのような奔放なまでの色彩が氾濫する。上野リチ展のあと訪れたフィンレイソンの服飾や先日みたミロコマチコの絵本とも共通する世界に向けて、万遍なく拡張していく増殖力が感じ取られる。もちろん上野のほうが時代に先行し先輩である。

 京都という風土もぬきにはできない。東京との対向姿勢というのもあるだろう。千年の古都がつちかってきた艶やかな雅びの伝統がほとばしる。アールヌーヴォー以来ウィーンに根づいた装飾には、江戸時代に継承された琳派の色彩感覚が読み取れる。屏風という形式に反映するものもあるが、壁紙のままでもパターン化されたリズミカルなファンタジーの繰り返しはエキゾチックで、光琳の型紙を下敷きにしたような印象を残す。ときには東洋趣味はメソポタミア文明やロシア的旅情を彷彿とさせるプリミティブな造形にまで、広がりを見せている。とりわけ「木立」1925-35と「そらまめ」1928と「クレムリン」1929と「象と子ども」1943がいい。

伊豆の踊り子

1933年松竹蒲田作品(無声・モノクロ・123分)

監督:五所平之助/出演:田中絹代、大日方伝、小林十九二

京都文化博物館



2021/12/10


 劇場で無声映画を二時間もかけて見るのは、はじめての経験だった。長い映画だが、確かにサイレント映画である。セリフがないだけではなく効果音も音楽もない。沈黙を前にして、耳の不自由な人の世界を連想する。生まれついて聞こえないのではなくて、突然聞こえなくなったという体験に等しい。

 私たちはこれまで音のある映画を見慣れていたわけで、耳をすませると不思議と声が聞こえてくる。俳優は口を動かしているが、何と言っているのだろう。字幕が入るのでそれはわかるはずだが、ほんとうにそう言っているのだろうか。唇の動きから判断すると、ちがうような気がするのだ。何の意味もない口パクではなさそうだと思うと、無声映画の役者もセリフを覚えての撮影だったのかが、気になってくる。モノクロ映画の時代、俳優はどんな色の衣裳を着ていたのかと思うと、まさか白黒ではなかったはずだ。とすると無声映画でも役者はセリフを覚えて喋っているということになる。

 声を出さずに感情を伝えるためには、演技力を必要とする。男女の出会いと別れを描いた伊豆の踊り子は、格好のテーマとなる。文学作品の映画化という点では、観客はストーリーをあらかじめ知っているという前提で、その上に付け加えたり、展開させたりする醍醐味を得る。

 その声は俳優のナマの声とどんな関係かというと、声を覚えている場合はその声が聞こえる。田中絹代の声は地方なまりだったようだが、後年には見ているはずだが記憶がない。飯田蝶子の声は知っている。若大将シリーズのおばあちゃん役だったので、その時のかすれ声がそのまま聞こえてきた。

 五所平之助はこれより以前にトーキー映画を完成させているので、ここではあえて無声映画を楽しんだということだ。今回は沈黙とのコラボレーションだったが、活動弁士の時代はもっと派手で、鳴り物入りのパフォーマンスをともなってもいただろう。エンターテイメントとしては、演芸の一コマとなっていたはずだ。二時間のあいだ全く音がないというのもいいものだ。新鮮な体験だった。