国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展
2019年06月11日~09月23日
国立西洋美術館
2019/7/21
美術コレクターにターゲットをあてた企画展が流行りのようだ。散逸したものを集めて再構成することで、コレクションの特性を浮き上がらせる。生身の人間だから、見向きもしない分野もあるだろう。古美術にしか反応しないのはよくあるパターンだが、松方コレクションの場合、近現代の西洋絵画、ことに同時代のモネやロダンなど、評価の確定した存命の現役作家たちに目が向いた。
パトロンの収集癖をえぐり出そうとする執念は、松方コレクションをベースに設立された西洋美術館の使命だろう。収蔵するものだけでは飽き足らず、散逸したものを探り当てる。戦没者の遺骨探しに似ている。見つかれば大発見となるが、部外者には熱狂するようなものでもない。松方が手に入れ、行方不明になっていたモネの睡蓮の大作「睡蓮、柳の反映」が見つかり、ボロボロの状態から、現代の科学技術が動員されて、修復再現されている。残骸から想像のロマンを期待する考古学は、ポンペイの壁画にも似たモネを復活させている。私は遠目で見て余白の多い六曲屏風に見えていた。デジタル復元されても、そんなに美しいものとは言えないが、モネの大作であることは確かだ。ここでは作品評価の問題ではなく、考古学的価値を論じることになる。芸術学ではなくて、社会学的興味をもたないと、何だこんなものかとなりかねない。
コレクターを主役にした企画展はこれからも続いていくだろう。これまでは画家や彫刻家が主人公だったが、それは芸術的価値を見定め評価するものだった。コレクターの場合、新しい発見があるはずで、作家を絶対とする芸術論に反省を加えることになる。一方で図像学がおかした誤ちと同じく、芸術的価値を棚上げにして、本来芸術を築いてきた屋台骨を崩壊させてしまう場合もあるだろう。
コレクションを考えれば、芸術学以上に経済学が下敷きにされている。そこでは金に糸目をつけないからこそできたという側面がある。それでも不可能なのが美術品収集の醍醐味だろう。松方もまた破綻とともに収集を終結した。イギリスの海運王バレルのコレクション展が全国を巡回しているが、松方もまたこれになぞらえることができるかもしれない。日本の海運王と比較するには良い材料だ。さて、どちらに軍配があがるのか、その場合コレクターの経済力を問うのか、美的感覚を問うのか、興味深い視点が生まれる。嗜好の問題ではあるが、ともに船の絵を好んだという共通点はある。