第4章 芸術写真

記録からの脱皮/アートの条件/ピクトリアリズム/フォトゼセッション/二重写しの効果/モノそのものへ/意志の勝利/アメリカの恥部

第412回 2022年11月14

記録からの脱皮

 写真が出てきたとき、芸術とはみなされなかった。機械的に写しだされるので芸術ではない。芸術とは何かといえば、芸術は表現であるというのが、20世紀の真実だった。表現することは芸術とイコールだろうか。今では自己表現は芸術のうちにはあるがすべてではない。自分にしか描けないものを描くのだという概念がある。遠近法のような、原理に従って描けばだれでも同じものになってしまうシステムがある時代には、表現という語が出てくる余地はなかった。遠近法を崩しにかかった原理にキュビスムがある。表現以前には、再現があった。長らく世界をどう写すかという再現に明け暮れていた。目に見える通りに平面に写し出す。

 目に見える通りは写真が得意とするものだ。写真はどんなものでも写すことができた。ただし光があればということではある。真っ暗闇だけは写真が不得意な領域だった。夜の闇は絵画のほうが力を発揮できただろう。あるいは目をつむって見える世界も写真には不得手だ。写真がオールマイティではないということは一目瞭然だ。昼間の世界や目に見える世界に関しては、写真が力を発揮していった。そこで取り込まれた世界はなかなか表現には行きつかない。自己の表現を獲得するまでに時間を要した。

 写真は記録を起点としながら、写真家の自己表現へと移行し、アートとしての地歩を確立する。絵のような写真をめざすピクトリアリズムからはじまり、写真独自の表現性を見つけ出し、ダダやバウハウスの運動と対応しながら、諸芸術と足並みをそろえて、芸術運動の拠点にもなっていく。スティーグリッツ、マンレイ、モホリナジ、さらには強烈な個性を前面に打ち出すアーバスやメイプルソープの芸術性に注目する。それは同時に病んだアメリカを告発する時代の証言でもあり、ドイツの新即物主義から出てくるザンダーの無名の職業人や、ヒトラーと歩みをともにするリーフェンシュタールの格調高い理想美についても、芸術の普遍性という点で見直してみたい。

写真の本質を考えるなら前回の報道を基本とするが、絵画から写真に移行する大きな流れのなかで、写真のもつ記録性は重要視されてきた。元来は絵画表現も日本の絵画の出発点、ことに油彩画の出発を考えると、記録をするということからスタートして、やがて芸術表現へと至っている。どんな分野でも用途は何か役に立つものからはじまって、やがて体内で成熟していく。メディア自体が自己表現を見つけていく。それにかかわるのは人間だが、人間を超えてメディア自体が自己主張をしはじめていったようにみえる。写真やカメラがそれにふさわしい芸術のかたちや表現のかたちを見つけ出していく。

第413回 2022年11月15

アートの条件

メディアにはそれぞれ得手不得手がある。写真が出てきたとき得手は何かというと、自然を正確に客観的に取り込むことができることだった。人間の目は信用がならないと、カメラが出てきたとき、人間は自分の愚かさに気づいた。カメラが台頭してきたときの画家のことばに、カメラのような目で世界をとらえたいという発言があった。それはより客観的な、私情を交えずにものを正確にとらえたいという願望だった。芸術表現というより、その前の段階で、真実を知りたいとか、知的なものへの欲求がベースになっている。表現という語が出てくる以前、絵画では再現という語をよく用いていた。絵画の領域では写真が出てきたことによって、自分自身のアイデンティティを探しはじめていった。このとき写真にできないことというので、絵画はオールマイティで見えないものでさえ描けるぞと言い出した。人間の内面表現へと突き進んでいったのである。

絵画が新しい方向づけをすると、写真のほうでも絵画の仕事を肩代わりしてやったと自負したが、それだけでは満足できず、新しいメディアにふさわしい表現力があるにちがいないと気づきだした。写真の本質を考えるとき自然を正確にとらえるのだが、それは光と影とのバランスのことで、目に見えるということは光がなければ目には見えないことだった。光があってこその話だと思った。絵画領域では光にこだわらず表現は可能になってくる。あり得ないような光の処理は可能だ。写真の場合は何気なく写しても光に支配され、それに隷属さえしている。絵画では何でも描けるところから影をひとり歩きさせて、影と人が遊離していって想像力あふれる作品が登場する。写真も絵画のあとを追うようにして、写真を用いながらも影だけが独立を果たす。このときの影は人間の欲望に根ざしている。自然の光のもとでは客観的な影しかできないが、人間の気分や心理のうえでは、影は本体とは異なる欲望の塊として存在するかもしれない。現代のデジタルメディアを用いた画像処理は自在に影をひとり歩きさせた。

 芸術写真では光と影の処理だけで構成された作品があがってくる。自然を写すという出発点の原理からはずれて、印画紙上で光をあてることによって感光し、フォトグラムという新しい写真の可能性を見つけ出していく。作家の自己表現として持ち出された手法である。バウハウスでは抽象絵画の作家からの影響関係もあるのかもしれない。自然物でも人工物でも光をあてることによって、光と影に変換されて印画紙上で像を結ぶ。暗室での制作にこだわった。写真領域でこれまで重要だったのは、カメラを提げて屋外を動き回ることだった。写真家の信条はどれだけ被写体に迫れるかにあった。あるいはじっと待ち続けられるかが問われた。そうした価値観を否定して、暗室にこもった密室の遊戯と化した。パーソナルコンピュータが出てきたのと同じように、自身の暗室で何から何かで自分でつくりあげていくという方向性が出てきたときに、写真家は外に出歩く健全から、暗室にこもる安全へと移行していった。

リアルな現実を伝えるという報道写真は、なるべく私情をはさまず、自分の感情を殺して、現実にこういう世界があるのだという姿をありのまま写し出すことに主眼が置かれた。報道の持つ客観性が問われる。人間が白紙の状態になることはできない。カメラマンは何かに目を向けているということだ。目を向けたときにフレームをつくり、フォーカスを絞る。それが意志となる。すべてを写し出すのは不可能である。なるべくたくさんのモノを写そうとして監視カメラがある。24時間回し続けるが、事件が起こった時にある一瞬それが利用できる可能性があるにすぎない。

殺人事件が起こった時には、その場に目を向けるだろうが、カメラの視点としてはそれだけではなくて、現場を見ている観衆にもある。決定的瞬間は殺人が起こったその場なのだろうが、それに伴ったいろんな反応を写し出してもよい。弾丸が飛んで跳ね返って建物に傷をつけた時のその傷であってもよい。とっさの判断だろうが、カメラマンの視線であり思想である。客観的な立場は困難で、どちらに身を置くか、どちらの側からのカメラかが問われる。どうとでも映るという側面があり、カメラの武器としての効果とみなすこともできる。

 個人的な主張性の強い道具として、芸術領域に移行していく。メディアが登場すれば最初は実用を目的とするが、やがて遊戯の世界に応用される。それを利用して表現行為をめざす。コンピュータにしても最初は軍事的実用で開発されたが、今では娯楽やアートに応用されている。あまりにも普及するとアートではなくなってくる。表現をして見る人がいるというのがアートの条件だ。大衆化していき誰もが同じメディアをもち、町を歩きはじめると、誰もがアーティストという段階に移行していく。

第414回 2022年11月16

ピクトリアリズム

アートになった写真のはじめはピクトリアリズムだろう。写真を絵に近づけていこうとする。写真は絵のようにというのが合言葉となる。それはのちには写真のような絵を描くという展開を招く。絵画からの揺れ戻しに見える。写真は自然をそのまま写すのだが、その自然がまるで絵に描かれたようなものに見える。

アンセル・アダムス(1902-84)はアメリカの大自然をカメラに収める。見るからに絵のような写真だ。写真ではこんなに美しくは撮れないだろうという印象だ。これには絵ではどうとでも描けるという前提がある。理想化はシャッターを押すだけでは済まされない。暗室での隠された処理がうかがわれる。写真はシャッターを押すだけになるのは大衆の手にカメラが渡ってからのことだ。

砂漠もしばしば光と影に置き換えられて登場する。狙いどころは砂のかたちづくるフォルムにある。尾根の部分がつくる曲線は時間とともに移り変わる。その一瞬でしかないフォルムは、風の造形といってもよい。尾根の曲線だけが光り輝いている。

エドワード・ウェストン(1886-1958)の写したピーマンもこの流れに属する。同じ写真家のヌード作品を並べると実によく似ている。写真によって世界が広がっていく。新しい世界の発見が写真に託される。ピーマンは日常生活で誰もが目にするものだ。カメラを近づけて大写しをすると、ピーマンに内在しているフォルムが前面に押し出されてくる。野菜であることが吹っ飛んでしまい、明暗のコントラストとそれによって浮かび上がるフォルムだけが、目に飛び込んでくる。ピーマンのつやのあるみずみずしい素肌の照り返しが、硬質なブロンズ彫刻のように見えだす。写真は肌を白黒に還元してしまう。それをよく見ると女性のヌードに見えたということだろう。

ウェストンのヌードには顔がない。彫刻でいえばトルソにあたる。顔があれば見るほうはそれに注目する。それを外すことで人体の描き出すフォルムに目が向かう。これは記録写真ではないということだ。顔を隠して手足が強調されている。手足のかたちづくるフォルムの面白さは、人体でありながら人体を超えている。フォルム自体がもっているメッセージが聞こえてくる。メッセージとは何かというと、生命体が生み出す力であり、それは動物だろうが植物だろうが、息を吸って生きているものに共通するものだ。そこには秘められた生命のあかしが見えてくるはずである。ピーマンにカメラを向けるというだけで、今までにない新たな方向付けが見える。キャベツ貝殻もある。コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)の現代彫刻のように見える。それを絵のようにつくりあげていくことでピクトリアリズムに属することになる。

ピーマンは私の目には、黒光りのする黒人のつややかな柔軟が連想されるが、ウェストンのヌードは白い肌に限られたようだ。ブラックビューティに向けるまなざしはまだなかったということだろう。のちにメイプルソープが顔のない黒人女性の立ち姿を撮影するのと、対比的に見る必要があるだろう。ピーマンもさることながら、ブラックビューティの誕生は大理石の彫刻美からブロンズ彫刻が復権してくる彫刻史と無縁ではないと私は思っている。シバの女王はブラックビューティの典型と考えられているが、15世紀イタリアでピエロ・デラ・フランチェスカ(1412-92)が描いたときは白人だった。この美意識はいつ誕生したのだろうか。ポールモーリア楽団の「シバの女王」(1967)は日本でも大ヒットしたが、その日本語の歌詞に出てくる「愛の奴隷」から引きずられるイメージはブラックビューティだった。

自然を見ていて人の顔に見え出すことがある。崖や岩肌には人の横顔が見える。人間のイメージ世界の中で、面白がったところがアートの出発点だったと思う。サイエンスでは着想、アートではインスピレーション、デザインではアイデアと名を変えるが、ともに創造力のみなもととなるものだった。

ウェストンも砂漠に興味をもったが、一見するとアダムスのものとよく似ている。しかし比較してみると、アダムスとは異なった視点だったように思う。ウェストンのものが近視眼的だとすれば、アダムスは遠視眼的だろうか。アダムスは遥かかなたのものを見ようとしているのに対し、ウェストンは間近なものを見ようとしている。時に砂漠の波紋はウェストン自身が写したキャベツを間近で見ているようだ。

日本にも鳥取砂丘にこだわった植田正治(1913-2000)がいる。砂丘であろうが砂漠であろうが、カメラを通してみる限りでは自然のダイナミズムはそれほど大差ない。近視眼的に見れば箱庭も広大な自然に見せることができる。植田正治の写真では箱庭のような砂丘がある。そこでは人間も人形のように見える。写真は実物の大きさを捨て去ることができる。ミクロがマクロと逆転することもありうる。顕微鏡と望遠鏡がとらえた世界は究極では同一のものではないかというメッセージが聞こえる。ミクロとマクロの一致は、レオナルド・ダ・ヴィンチが考え続けたことだが、現代の写真家がそれ受け継いだ。もちろんそこにはレンズを用いた望遠鏡と顕微鏡の発明が前提としてあった。

ともに未知との遭遇であったが、さらに共通していたのは、どちらもファインダーをのぞく目には手に届く距離にあったということだ。世界の広がりをカメラは見つけ出すことができるし、顕微鏡をのぞきながら、ふと自分は宇宙の果てを見ているのではないかという錯覚を起こさせることができる。カメラと写真というメディアのもつ特性であり、大小をご和算にしてしまうのだ。

第415回 2022年11月17

フォトゼセッション

ピクトリアリズムから始まった写真が、絵のようなものから展開しはじめる。それは日常生活の何でもない光景を写し出すことだった。報道は事件がない限り成立しない。事件はないが日常で目につくものは探すといくらもある。写真はそこで効果を発揮する。戦争が終結すると、平和という事件をなんとかして、かたちに写し出したい。そう考えたとき、決定的瞬間などはなく、満遍なく時間は流れ続けるのではないかと思う。どこを切り取っても、じつは絵になるのだ。決定的瞬間を先立つ一瞬には、その予感があるはずだし、過去となった古戦場には血の記憶が風化することなく、染み付いている。アルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)とエドワード・スタイケン(1879-1973)はこうした視覚をもつ写真家だ。

ゼセッションという名を持つ運動だが、美術史では何度となく現れる。分離派と訳するがウィーン分離派の名はよく知られる。総合芸術運動であり、それぞれのジャンルはその得意な分野的特性を強調する前衛運動である。アメリカではフォトゼセッションという名称をつけて展開していった。スティーグリッツは写真家であると同時に、写真スタジオを拠点にして芸術運動を展開していく。芸術家仲間が集まって一種のサロンを形成する。夫人のオキーフを伴い絵画を巻き込みながら多領域に輪を広げていった。

三等船室」(1907)はスナップショットのように見えるが、客船に乗り込んだ人々の様々な情景が写し出される。高級なたたずまいはない。狭い空間に乗客が寄り集まっている。どこをポイントに見るというわけではない。全体にフォーカスをあてており、鑑賞者が自分の目でドラマを作り出す。場のもっている全体像が絵になるものだった。絵画では先例がありドーミエが「三等列車」(1864)で描き出した主題だ。日本でも赤松麟作「夜汽車」(1901)が知られる。鉄道という文明の利器が大衆化する社会の一コマで、座席についた乗客は中心人物が設定されるが、まわりに乗り合わせた人々の表情が重ね合わされる。

ここでは列車から船に置き換えたが、この写真が他の絵画と異なるのは、中心がないという点だろうか。ドラマがあるなしにかかわらず、たまたまそこに居合わせた偶然がそこにはある。出港するときには別れというシチュエーションがあるだろう。男女の別れであったり、家族が船出をする希望の光景など、さまざまなドラマが展開しているはずだ。カメラに視線を向けているものもいる。気づかないものもいるし、無視しているものもいるだろう。何気なく写した写真の中にはおのずと視線のドラマがある。集合写真なら統一した視線があるが面白みは少ない。

カメラを近づけるのではなくて、引くことによっていろんな人生が見えてくる。クローズアップでドラマを枠づけるのが写真の王道だったとすると、スティ-グリッツのそれはその対極にある。見るものは迷う。この写真のどこに焦点を合わせればよいか。写真はまんべんなく主人公をなくしていく装置だ。どこに中心があるではなくすべてが平等である。写真家が気づかないものまでも写し込まれるという限りにおいて、周辺が中心を凌駕する。

ニューヨーク早朝の馬車のいる光景を写した一枚がある。走行前の寒々とした空気は、湯気のように馬の吐く息によって白く広がっている。写真ならではの光景だが、絵画では印象派の視線の延長上にくるものだろう。雪の中を走る馬車や曇り空に疾走する蒸気機関車もあり、ターナーやモネの写真ヴァージョンのようで、絵画での印象派の視点を気にしていたことがわかる。空を飛ぶものやなんでもない雲にも目が向けられる。妻であるオキーフの手の変幻を写し出した連作も、自然現象の移ろいにも似た変容という点で興味深い。

夕暮れ時の池を写したスタイケンの風景写真も絵画のような重厚さをもつ。光がなければ成立しないもので太陽が傾いた一瞬をとらえた写真ならではの効果だ。絵画ならイメージを記憶にとどめて、アトリエでそれをたどることになる。競売で億を超えるほどの値が付く写真ではあるが、それは写真の芸術作品としてのステータスの確立を意味する。白黒だがそこには色がある。古い写真は黒光りがする。セピア色といってもよいか。年を経てすべての色が白黒の世界に還元されていった。

水墨画で墨は五彩ありというようにすべての色を含んでいる。絵の具はすべての色を混ぜると黒になる。白黒の写真は実はカラー写真なのだ。カラー写真が生まれる前のモノクロ写真はある種の水墨画であり、見る側がそこに色を感じ取るものだ。シロクロのクロは黒のことだが、モノクロのクロは黒ではない。朝もやや夕暮れの光景は色のない世界だ。色を包み込んだものとして、ヴェールに隠されている。太陽がのぼるにしたがって、木立が緑になっていく。写真というメディアそのものがもっているカラフルな側面を読み取らねばならない。水面に映った木立もモネがとらえた世界だった。

水墨画の画集はながらくコスト面から白黒写真で見てきた。今日、水墨画をカラー写真で撮ることを思うと、水墨画には色があることをカメラマンは気づいていたということだ。見比べるとモノクロフィルムで撮ると平面だが、カラーフィルムだと奥行きのある立体であることがよくわかる。もちろん名匠はシモノクロフィルムで深淵を写し出せる人のことではある。カラバッジョの描く闇をいつも写し損なっている。すべての色を含んだ深々とした黒を写そうとするのだが、しろうとのカメラマンには、白々とした光の反射しか写し出せない。

第416回 2022年11月18

二重写しの効果

原版があれば複数制作が可能だということだが、版画と同じく限定版で、最初のものを残し、他を没にする。オリジナルプリントを価値あるものとみなす限りは、古いマーケット制度を脱却するものではない。現在ネガが残っていたとしても当時の紙焼きを重視してコレクションすることになる。写真も絵画と同列に置きたいという願望が見えてくる。

スタイケンには高層ビルを二重写しにしたような写真がある。光が漏れてしまった失敗作のように見えるが、芸術効果として見ると興味深い。以前アジェのショーウィンドウでもガラスに反射した外景が二重写しになっていたが、そこでは意識した効果として用いてはいなかっただろう。写真技術上で工夫をすれば様々な効果が生まれることを、積極的に利用していこうとする。

スタイケンはまたオーギュスト・ロダン(1840-1917)のバルザック像(1897)を1908年に写している。ガウン姿の巨匠は、くつろいだだらしない姿でもある。雪だるまのようだという悪口も聞かれた作品だ。それをシルエットでしかも重々しく見せようという写真家の目がある。薄暗がりの中ではバルザック像かどうかもわからない。ただ石の塊が立っている。重層性は巨石文化の頃の大きな石を思わせる。そこではロダンであってロダンでなくなっている。写真家の意図は原始の頃から脈々と続く石の歴史をここで説き起こそうとしている。ロダンが彫り出した鑿のあとをバルザックの輪郭線にたどることができる。昼間の光では見えてこなかったものが、シルエットになることによって、人の営み、人間が石に刻み付けてきた太古からの歴史をメッセージとして伝えようとする。大地の中で立っているのだというのは、足元に木立が見えることで、効果的な対比をなしている。

ダダからバウハウスへという主にヨーロッパで展開した芸術運動で、写真がクローズアップされ、芸術上での可能性が見つけ出されていく。ここではマンレイ(1890-1976)とモホリナジ(1895-1946)をあげておこう。マンレイはニューヨーク・ダダの活動に位置づけられるが、絵画と写真をともにこなす。女性の大きな唇が空に浮かぶ絵画は代表作として知られる。写真ではトリックを用いた遊び心が目を引く。現実を写すのではなく、現実を超えるという意味ではシュルレアリスムだが、加工していくおもしろさがある。

アンドレ・ブルトン(1896-1966)はこれだけでも優れた肖像写真だが、そこに特殊効果が加わる。今ではコンピュータの画像処理が得意とするソラリゼーションが、デジタルのない時代に登場している。横顔の輪郭線がくっきりと浮かび上がる。コピー機が写真を写し出すときの光の効果に似ているが、一瞬に強い光線を浴びたとき、人工的閃光によってできた影である。一瞬の強い閃光がそのひとの内面まで写し込めるのではないかという発想は、レントゲン写真によっても予測できる。広島に行くと、さらに強い閃光が犠牲者の影をコンクリート地に定着させた1945年の恐怖に出会うことができる。原爆は写真史の最後にくるストロボ写真でもあった。

ソラリゼーションを通じてこのシュルレアリスムの詩人は、じつはこんな人物ではなかったかと知ることになる。写真の前衛技法でありながら、それはみごとな肖像写真だったということだ。ネガに変容するぎりぎりの定着という点で、写真だけがもつ表現力だった。シャッターを押すということだけではない、暗室での仕事に目が向かう。野外制作からアトリエ制作へという絵画史とは逆行する歩みをとる。

大写しにした女性の目の周りに大粒のガラス玉を置いた「ガラスの涙」(1930)も印象に残る一点だ。ここには写真の特殊技術はない。遊び心は女の涙が偽りのガラスの涙のようなものだというフランスの下町で聞こえるシャンソンの旋律をなぞっている。これは絵画で描くよりも写真のほうが、モデルの目のふちに落ちないように涙を置いていく姿を思い浮かべるだけでも、格段におもしろい。

モホリナジはバウハウスの運動の中で、写真を用いてデザインへと展開させていった。野外でシャッターを切るのではなくて、暗室の中で直接印画紙に写し出す。フォトグラムの名でその後、写真のもう一つの表現性として定着していくものだ。ネガを焼き付けるのではなくて、じかに光のペンでデッサンをする。日本では瑛九(1911-60)のフォトデッサンが知られるが、いわばデフォルメされた抽象絵画ということだろうか。写真は真を写すものだから抽象はあり得ないだろうという思い込みを逆転させたともいえる。

第417回 2022年11月19

モノそのものへ

ドイツに登場するノイエ・ザッハリヒカイト(新即物主義)も写真表現にとって重要な思想となった。モノそのものに肉薄していくということだ。自然を目にうつろうものとして取り込むのではなくて、自然のもつモノとしての生々しさを前面に出そうとする。絵画運動でもあるが写真では近年、アウグスト・ザンダー(1876-1964)の再評価が進んでいる。職人尽くしともいえるもので、ドイツの田舎にこもり小さな町に住む職業人の顔立ちが写し出される。無名の人たちの肖像写真ではあるが、いかにもその職種が見せるそれらしきたたずまいが際立っている。1928年に撮影されたレンガ職人ケーキ職人を並べてみる。ケーキ職人はいかつい顔だが体型は甘いもの好きであることを伝える。その人の肖像を越えて、ある職業がもつナマの肉体という点では新即物主義だろう。レンガ職人も実際はスィーツずきで、相貌を崩す安息日があることを思い浮かべてみるとさらに、この表向きの無表情がおもしろく見えてくる。。

この主張がめざす方向性は、日本では同じく1920年代に描かれた岸田劉生(1891-1929)の麗子像を引き合いに出すとわかりやすい。写実的に描いているが、写実を越えて肉体のもつ生々しさが、見るものに迫ってくる。衣服をはぎ取った時に出てくるナマの感覚が見えてくる。西洋では表現主義の反動として出てくる考えだが、表現主義以前の写実主義のめざすものとは異なっている。視覚ではなく嗅覚でとらえた写実というのが適切か。よそゆきの盛装をしている休日と、仕事着の平日が写し分けられているが、不思議とザンダーの肖像写真には、笑っているモデルはいない。みんな難しい顔をしている。笑いは真実を写さないのだとザンダーは言う。笑いは視覚がとらえるものだが、それを超えようとしたことがわかる。笑ってはいけないという指示は、日本では志賀理江子(1980-)が踏襲して、「ブラインドデート」(2009)のシリーズを通じて、男女の間に横たわる異質で濃密な哀感を写し出した。

第418回 2022年11月20

意志の勝利

ドイツではこの時代常にナチスの影が背後にある。ザンダーにとってそれは制作の妨げになったが、もうひとりドイツ的感性の典型ともいえるレニ・リーフェンシュタール(1902-2003)をあげるとアドルフ・ヒトラー(1889-1945)のもとで才能を開花させたという点で対照的だ。戦後はナチスに関わったということで排斥されたが、1980年代になって再評価された。活動的な美女で100歳まで生き、創作意欲を絶やさなかった。ヒトラー好みの強い女性で、出発点はダンサーで自分自身が被写体だった。山岳映画(1933)では主演をして登頂するが、カメラも回し、写す側にまわる。映画監督としての才能を見出していく。「意志の勝利」(1935)という映画のタイトルはそのまま彼女自身を象徴する。ナチスの活動をドキュメンタリーで記録し、ヒトラーの勢力下ベルリンで開かれたオリンピックの記録映画(1938)で名を成す。スタッフを総動員して監督としてまとめあげる。ギリシャ彫刻を抱き合わせに写し、肉体のもつ美の理想を定着させた。芯の強い女性像が浮き彫りにされる。ドイツ民族万歳というスローガンに取り込まれていった。戦後長らく活動を制限されたが、映画から写真に場を移す。高齢になってアフリカの小民族(1973)の中に入り込み、さらにアクアラングを身に着けて水中写真(1990)に挑む。海の花ともいえる海洋生物の鮮やかな原色世界にカメラを向ける。アクチュアルな行動に支えられた魅力的な女性であることは確かだ。

リーフェンシュタールは精神的には健全だと思えるが、ヒトラーと結びついていったところに、再考すべき落とし穴があったにちがいない。今日でのリーフェンシュタールの再評価は1980年代のポストモダンの流れと同調している。日本ではグラフィックデザイナー石岡瑛子(1938-2012)の存在が、リーフェンシュタールを紹介した文化の仕掛人として重要だが、ともにアマゾネスにも似た背筋の通った存在感を示している。20世紀を通じて築いてきた表現主観に根ざしたモダニズムの限界が、クラシックに回帰したとみることは可能だ。ポストモダンにはモダニズムを否定してアンチモダニズムを打ち出し、モダニズムをこえようとするが、ときに旧態依然としたクラシックを呼び込むことにもなってしまう。セザンヌの現代絵画を導く先見性が、プッサンに帰れという合言葉を生んでしまうのも、その一例かもしれない。

第419回 2022年11月21

アメリカの恥部

リーフェンシュタールはオリンピックを通じて人間のもつ挑戦的パワーを肯定的に描き出したが、現代アメリカの写真家の目は逆にアメリカのもっている病的な恥部をえぐり出すことに向かった。リーフェンシュタールは悪くすると英雄万歳になるおそれがある。それに対しダイアン・アーバス(1923-71)やロバート・メイプルソープ(1946-89)が耽美的な目でマイナーな世界のもつアメリカを写し出した目は挑戦的だ。民主主義の国がもつ憂鬱と混沌が浮かび上がる。アーバスの描くのは双生児の少女2メートルを超えるような巨人がごく普通の生活空間にいる姿である。フリークス(畸形)がもたらすメッセージは、リーフェンシュタールのオリンピックを無言のうちに批判している。エイズをはじめ現代社会が直面した負の代償に目を背けられない時代に入ったということだろう。双生児は畸形ではないはずなのに、アーバスの写真を通してあえて被写体としてクローズアップされることで、不気味な衝撃が走り出す。美とは裏返しにあるが、近親相姦のように近い関係にもある。

メイプルソープの対象は一方は裸体であり、しかも女性よりも男性に目が向かう。リーフェンシュタールがアフリカで見出したしなやかな黒人の美に近いものだ。エイズでなくなる男性写真家の履歴は、興味の対象として黒人男性の身体を美しく写し出す。もう一方に花弁のシリーズがある。ウェストンがピーマンと裸婦を重ねたのを思い出す。日本では荒木経惟(1940-)にも共通するものだ。リーフェンシュタールも黒人のヌードをへて最晩年、深海の花に目を向けた。花のもつ生命のフォルムは生殖に根差した官能性を讃えている。両者は同じ目線で表現されている。これもアメリカの抱えた負の側面であり、マイノリティの描写を通して、社会の多様性と自由を束縛してはならないというメッセージが聞こえる。もちろん健康的な写真もあるが、芸術として訴えかける震度として、これらが深く立ち止まり考えさせられるということである。


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