イタリア映画コレクション(人生は素晴らしい)

第143回 2023年3月31日

平和に生きる1947

 ルイジ・ザンパ監督作品、原題はVivere in pace。主役は誰だろうと考えたとき、戦争などとは無縁な平和な村で、ひとりだけ死んでいったこの家の主人ということになるだろうか。この俳優には見覚えがある。ロッセリーニの名作「無防備都市」で殺される神父を演じていたのを思い出す。ヒューマニティあふれる役柄で、感動的な人格者を好演したが、ここでもあのときの感動がよみがえってくる。寡黙だが何気なく語ったセリフに含蓄のある深い意味を宿している。これは覚えておこうと思ったフレーズがいくつかあったが、見終わるとすっかり忘れてしまっていた。

 口やかましい妻とは対比をなすが、家族を守るために身の危険をかえりみないで奔走する。守るのは家族だけではなく、敵味方両方の兵にまで及んだ。困っているものには分け隔てなく手を差し伸べた。ドイツ軍に支配され、連合軍が巻き返しをはかる戦況のなかで、捕虜となっていたアメリカ人の脱走兵をかくまうことから物語はスタートする。ドイツ兵がひとりこの村に常駐していて、人のよさそうな印象だが、村人には恐れられている。この家には姉弟の子どもがいるが、実の子ではなく、家畜の世話などの労働を割り振られている。女主人は厳しくまちがいをすると食事を抜かれたりしている。そんなときそっと差し入れをしてくれるのも主人のほうだった。

 逃げ出した豚を追いかけて、ふたりはアメリカ兵と出会うが、ひとりは従軍の新聞記者、もうひとりは黒人兵で負傷しているため動くことができない。見つけると懸賞金が入り、かくまうと家屋を燃やされて死刑というドイツ軍の警告におびえながらも、娘はこの従軍記者にひかれていく。家族にも隠れての行動は、やがて知られるところとなるが、一家の主人を中心に家族ぐるみで医者を呼んでまでも助けようとする。

 ドイツ兵がやってきてハラハラとした場面が続くが、思わぬ展開になる。酔っぱらわせて歌い踊るなかで、根っから陽気なアメリカ人気質がでたのだろう、隠れていた黒人も酔っ払って踊りの輪に入ってくる。家族だけでなく、見ている私たちも気が気ではない。ドイツ兵が見届けて、にらみ合いになるが、たがいに酔っぱらっていて、意外にも手を取り合って踊りはじめる。現実離れをした光景だが、殺し合いがはじまると思っていた家族は、唖然としている。そのまま浮かれて町中まで練り歩くなかで、敵同士が抱き合うのをみて、戦争が終わったという噂が流れ、町中は喜び合う。敵同士が戦禍の中で抱き合って踊る姿を見て、人類はなぜ殺し合わねばならないのかと、つくづく考えさせられた。ドイツ兵は酔いつぶれてそのまま眠ってしまうが、朝の覚醒を恐れて住民は村から逃げはじめた。

 ドイツ兵は酔っぱらってはいたが、やはり脱走兵のことは覚えていた。万事休すと思われたときに一本の電話がはいる。内容は語られないまま、ドイツ兵の部隊が戻ってくるのだと思ったが、連合軍が進撃をしてドイツ軍が敗走したという報告だった。軍服を着たドイツ兵はイタリア人の衣服をほしがった。主人はこれに応じて、納屋で着替えるよう示唆する。このときドイツ軍の車両がやってきて、ふたりを殺害して去ってゆく。あっけない幕切れだった。無防備都市でドイツ兵に処刑される神父の姿を思い浮かべてしまう。助けられたアメリカ兵が駆けつけて、主人の最後を見届けることになった。

 子どもの生い立ちをこの主人がアメリカ兵に何気なく語ったのが印象に残っている。アメリカ人がやってきて村の娘と恋仲になり、村を去ったが、その後娘は捨てられたという昔話である。その娘がこの子の母親だというのだ。アメリカ兵は主人を弔ったあと、このイタリア家族に礼を述べてジープで去ってゆくところで終わるので、ため息をついてしまった。オペラやミュージカルにもなったが、進駐軍のアメリカ兵と日本人女性のあいだにもよくあった話である。最後のナレーションは記者はその後中国に向かい取材をしたあと、イタリアに戻り、この娘と結婚をしたと伝えていた。やっぱりハッピーエンドがいい。現実には戦下で敵同士が踊り合うのと同じほど、まれなことだったかも知れない。そんな混血の私生児が敗戦国には必ずいる。

第144回 2023年4月1日

私の息子は教授1946

 レナート・カステラーニ監督作品、原題はMio figlio professore。高等学校の管理人をしている門番の家に男の子が生まれ、校内を巻き込んで大騒ぎをするところから映画ははじまる。校内に住み込んでの勤務のようで、泣き声が学内に響いている。学校中がこのプライベートを喜び、祝福してくれている。母親は出産の時に死んでしまったのか登場しない。その後男手ひとつで息子を育てることになる。夜間勤務の女教師が子どもの世話をやいてくれて、父親は心を寄せるが、子どもにしか興味はないようだった。父は子をこの学校の教授にしようと願い、子どもの成長を追いながら、この学校に留まる70歳近くまでの長い時の経過がつづられていく。赤ん坊からはじまって、子役が何度となく入れ代わったあと、成人となった姿は父とは似つかないものだった。過保護なまでの子どもに向ける思いは、実現することになるが、親もとを離れたときに届いた同じ名をもつ召集令状を握りつぶし、教授への道に邁進できるよう画策するまでに、過保護は加速した。愛する子を戦争になど行かせたくはなかったのである。

 やがて立派に成長して息子は教授となって母校に戻ってくる。父は喜ぶが、子は親の仕事に引け目を感じて、意識的に避けているのが、その接し方からわかる。学生時代の恋愛も父の職業のことから、実を結ぶことはなかった。門番、管理人、守衛、小間使い、日本ではこづかいという語でも呼ばれた。雑役を一手に引き受ける用務員である。この学校には同じ名をもつ教授と用務員がいるのだ。両者の身分差ははっきりと区別されてみえるが、父は職業に貴賎を感じることなく、仕事に誇りをもって全うする姿が心に響く。息子は高等教育に挫折しかけたとき、親のあとを継いで用務員になると言ったことがあったが、父は叱りつけた。だれもが父のことはよく覚えていた。教授たちにとっては何でも頼める欠かせない存在だったし、朝はいつも校門に立って生徒を急き立て、遅れてきた者に、そっと扉を開いてやってもいた。授業の終わりを知らせるために教室のドアに立ち、ノックしてまわった。いつまでも講義をやめない教師を前にした生徒にとっては、救いの主だった。

 父はまだ勤務の意欲はあったが、息子と同じ学校にいることを避け、いなかに退くことを決意。息子には授業の終わりの時間を、いつものように知らせて、何も言わずに去っていった。父親の思いは子に伝わることはなかったようだ。親の心、子知らずの警句が最後に私の心に浮かんできた。生徒を前にして自分はこの学校の用務員室で生まれ育ったのだと胸を張っていうには、まだ子は未熟だったのだろう。

 父が思いを寄せた女教師の娘が、入学して父親は驚いた。母とそっくりだったのである。娘は教授となった息子に思いを寄せているようで、父は感慨深げにふたりを見つめていた。女教師はその後出世をする体育教授と結婚していたが、3人の娘を残してすでに死んでしまったようである。ともに出来はよくなく潔癖な息子はそのひとりを落第にしている。父の力による裏口入学だったが、それも教授が兵役免除になることと無関係ではなかった。もちろんそんなことは知らないが、知ったとしても親のそんな不正は許すことはできなかった。息子が父を誇らしく思う日は来るのだろうか。亡くなってからでもいい、ばかなお人よしの父だったと思い起こしてやれよと願った。

第145回 2023年4月2日

母なる大地1931

 アレッサンドロ・ブラゼッティ監督作品、原題はTerra madre。地主と小作農の関係を考えさせるイタリア映画である。土地を所有する公爵は、その地に生まれたが、今では都会に住んでいて訪れることもない。このご主人様が久しぶりにやってくるというので、農民たちは待ちかまえている。村落に生活する大勢の姿が、そこにはあった。母なる大地が彼らの生活を支えていたということだ。来訪の理由は明かされなかったが、土地を売却するためであることが、やがて知られることになる。多くの知人をともなったレジャーのようにみえる訪問だったが、いわくありげな不審そうな人物も混じっている。そこには城館のような大邸宅があった。妻か愛人と思われる女性も加わっていたが、いなか暮らしは気にいってはいないようで、契約をはやく済ませて帰りたがっている。農民の歓迎を受けた公爵は、所有者が代わることは隠したままで、地主として最後の田園気分を楽しんでいる。偶然に出会った飾り気のない村娘の魅力にひかれて、いなか暮らしの素朴さに心を開きはじめていく。娘のほうも領主だと知っても臆することなく、はっきりとした自己主張を口にしている。

 都会の洗練と農村の素朴が対比をなすが、一方は1920年代のアールデコふうのファッションに身を包んで、ジャズピアノにあわせて優雅に踊っている。他方は民族衣装を着込んでのローカリティあふれる村祭のような浮かれ騒ぎの活力に満ちあふれている。虚と実と呼びなおしてもよいが、自動車と馬という移動手段の対比としても目に映る。

 土地の売却後は村をつぶして道路を通す計画であったが、それを知って村人たちが抵抗をはじめる。新しい領主の管理人は早まって村の何軒かの家に火を放った。こんなことをすれば、自分のものとなるはずの地所に火が回り、被害となるので、あわてて消火をうながすが、農民たちは動こうとはしない。この光景を見て公爵は意を翻して売却をとどまる決意をする。契約書を取り交わすまでには至っていなかったのである。そのとき「今はまだ自分の土地だ」という公爵の声を聞いて、農民たちは急いで消火をはじめた。こうして村落は残り、次のシーンでは大地を耕し、干し草を積み上げる農民の姿があった。顔が写し出されると、そのふたりは村娘と公爵だった。

第146回 2023年4月3日

アンナの夫1953

 ジュゼッペ・デ・サンティス監督作品、原題はUn marito per Anna Zaccheo。美人に生まれても必ずしも幸せにはなれないという話である。言い寄られることは多いが、相手を気にいらない場合も多い。つまり自分で選び取る自由度が少ないということである。幸せを物質と精神に分けたくなってくるのだ。名はアンナという。裕福な家庭ではない。父親はケーブルカーの運転手、母親は内職で手袋をつくっている。兄はいるが無職、娘も美人であることから働きに出してもらえない。親は資産家に嫁がせようと、男が近づくのを警戒している。

 街に出たときひとりの海兵が声をかけてきた。一目ぼれをしたらしく、どこまでもついてくる。金持ちのようにふるまっており、誘われるままに付き合っているうちに、いつのまにか娘のほうも忘れられなくなってしまったようだ。そのとき、ほんとうは貧乏人なのだと打ち明ける。自分も同じくらい貧乏なのだといったときさらに打ち解けた。しかもこれから4ヶ月の勤務に出るのだという。つかのまの出会いなのに、帰ってきたときに結婚する約束まで、話は進展する。

 4ヶ月をかけて結婚の準備をしようと、娘ははじめての仕事を探すが、なかなか見つからない。美し過ぎて男の社員が仕事にならないというのが不採用の理由だった。美貌を活かしてモデルの仕事を見つけるが、そこでも妻子ある写真家が言い寄ってくる。冷静な紳士だったのに狼になったのも、娘の美貌のゆえだった。新婚の家具をそろえることはできたが、結婚相手を裏切ることにもなってしまった。だまされて露出度の高い広告ポスターも出回っている。結婚相手も両親もそれを見た。

 トラブルは心身をむしばみ、自暴自棄になっているとき、いくつも店をもつ資産家が近づいて結婚をせまってくる。以前から目を付けて、機会をねらっていた中年男だった。娘は判断能力もないままに、言いなりになっている。娘を連れてほうぼうで婚約者だと紹介してまわり、新居の建築もすすめている。

 別れたはずの海兵が戻ってきて、偶然顔を合わせると、あきらめかけていた愛が再熱しはじめ、自分を取り戻す。一夜をともにすることで、海兵は兵舎に戻らず、禁を破ることになり、処罰を受けようとしている。運命の歯車はかみあわず、食い違いの末、失意をいだいて長らく家をあけていた実家に戻る。自分の部屋がそのままにしてあり、父も母も、兄も弟も、日々の帰宅のように、何気ない笑顔を浮かべて、娘を受け入れる姿があった。さてその後どうなるのだろうか。タイトルにあるアンナの夫とは、いったい誰のことなのだろうか。余韻を残したままで映画は終わる。

第147回 2023年4月4日

証人1946

 ピエトロジェルミ監督作品。原題はIl testimone。サスペンス仕立ての犯人探しを楽しむ法廷劇からはじまるが男女の愛の問題を重ねながら、微妙な心理劇に仕上げている。死刑の判決を受けていた男が、土壇場で無罪を勝ち取る。自分の見たのはこの男だと断言していた証人が証言を覆したのである。正確だと確信していた時計がくるっていたと言い出すのだ。人の人生を左右する重大な証言である。

 釈放された男は酒場でひとりの女と出会う。不当な労働を強いられている姿を見て、雇い主に掛け合うが、決裂すると女に退職をうながして、ふたりして出てゆく。頼もしい姿に娘は従い、見ず知らずの相手であるが、心を通わせていく。結婚を約束するまでに至るが、急いで手続きをしようとする姿を見て、女はなぜそんなに急ぐのかがわからない。緩慢な役所の窓口で特別の扱いをして、手続きを進めてくれる役人がいて、顔を見ると法廷で証人に立った人物だった。親しげに近づいてくるのを女は親切と受け止めているが、男は避けているようで、苛立ちを隠せない。親切は証言が死刑に導いてしまった自責の念から発しているようにもみえる。手続きを急いでこの土地を立ち去ろうとする姿と合わせて、女は知らされていない隠し事があることに感づきはじめる。

 仲間と思われる男たちを集めて騒ぎはじめたとき、大金を所持しているのを目撃した娘は、不信感をつのらせて家を出ようとする。男はとどめて哀願すると、女もどこに行くあてもない身の上を自覚して泣き崩れる。証人が何度も訪れて、男の顔をしげしげと見つめることから、証人が目撃したのはやはりこの男だったのではないかということが、見ている私たちにもわかってくる。裁判所からの出頭要請の手紙が届いたとき、男は動揺するが、不安とは無関係の内容だった。ほっとするのと同時に、男は意を決して、隠し持っていた拳銃を手に証人宅に向かった。訪れたとき証人は死亡したところだった。日頃から持病をもった弱々しげな人物だったのである。見ている私たちはほっとしたが、それに反して男は引き返し女に自分の罪を告白した。

 自首して死刑に服するのかは不明のまま映画は終わる。映画の冒頭で、刑が確定して獄中にあって向かいに収監されている男と会話をかわす場面があった。初対面のあいさつに過ぎなかったが、やがて役人と神父が訪れて、その男が連れて行かれるとき、向かいにいる自分の牢のカーテンが引かれた。見えないままさようならという別れの声だけが聞こえていた。死刑囚同士の対話だったのである。そのとき次は我が身という恐怖は植えついてしまったはずだ。男はどんな決断をするのだろうか。美しいエンディングにしようとするなら、自戒の念から自首をするが、すでに証人は死亡し、一度決まった判決はくつがえらないという結末だろうか。男は生涯、重い十字架を背負って生きることになるが、妻に支えられながらという救いの光をともなっていた。

第148回 2023年4月5日

小さな古風な世界1941

 マリオ・ソルダーティ監督作品、原題はPiccolo Mondo Antico。1850年、イタリアが大きく変わろうとする時代の話。イタリアの近代史に興味がなければわかりづらいものかもしれない。侯爵夫人の財産は侯爵の残した遺言では、同居する甥のフランコという聡明な青年に相続させるはずだったが、二通あった遺言書の一方を夫人が燃やしてしまったのだという。もう一方は隠しもたれて青年の知るところとなるが、青年はその権利を放棄し、燃やすよう命じた。家名の不徳を表沙汰にはしたくなかったからである。

 青年にはルイーズという恋人がいて、叔母の目を盗んで心を通わせていた。進歩的な家庭で育ち、旧体制に入れ替わるべく武装組織を進めており、青年もそれに属して一兵卒として加わる決意をしている。権勢と財力を誇る叔母とは敵対する関係にある。秘密裏に結婚をするが、裕福な家庭の遺産相続さえも手にしようとしないのは、潔癖とはいえ、貧困を強いられる家庭にあって、つらい信念ではあった。財産に向ける私欲が頭をもたげていたからかもしれない。叔母の不正を夫以上に妻のルイーズは憤りを感じている。権力者として叔母がやってくるというので、それに挑もうとして子どもを置いて出かけたが、その間に5歳になる娘は湖に落ち込んで命を落としてしまった。妻は自分自身を悔いて、立ち直ることもできず、夫とも離れて長い時間が過ぎた。叔母もまた子どもの死を自身に与えられた罰だと夢にうなされ、財産は甥に譲ると叫んだ。

 フランコは戦闘が続くなか、ルイーズに会おうとするが、かたくなに拒んでいるのを見て、同居の叔父が代わりに行くともいった。説得されて再会を果たすと、愛は再熱した。つかの間の出会いは一夜をともにして、フランコは船に乗り込んだ。志願兵たちは新生のイタリアを夢見てさっそうと船出した。そのときバックに流れたコーラスの歌詞は、戦いが息子に託されるという意味のリフレインが暗示的に歌われていた。私の耳には一夜にして母体に宿った命が成長して、戦没する父の意志を継ぐのだというように聞こえた。

第149回 2023年4月6日

不貞な女たち1953

 マリオ・モニチェリ、ステーノ監督作品、原題はLe infedeli。じつにうまくできた推理サスペンスである。あっちでもこっちでも不倫の夫婦がいて、はじめのうちは、人間関係に戸惑ってしまうが、無実の罪で自殺してしまったメイドを憐れんで、自らの不貞を明らかにしてまでも、真実を訴える女主人公に、見ている方も感情移入してしまう。何もなかったことにしようとした最後の結末をくつがえすように、拳銃を握って殺人者となる姿は、自殺的行為ではあるが、納得できるものだった。警察に呼ばれて関係者全員が場を同じくして語られた虚偽の氾濫が、一幕ものの芝居を見ているようで圧巻だった。

 美女として名高いシナ・ロロブリジーダも出ているが、主役を演じたメイ・ブリットが魅力的で、確実な演技力で見る者を引き込んでいく。探偵事務所の調査をする下請けのヤクザまがいの男がいて、はじめクローズアップされて、正義感に燃える主役だと思って見ているが、しだいに私欲にとらわれた悪人であることがわかりだしてくる。この男の昔の愛人だったのが、今は英国人と結婚をして、裕福な生活を送っている女主人公である。

 イタリアの敗戦により、貧しいイタリア人よりも戦勝国の富に心が傾いたということだ。再会は未練を呼び戻し、はからずも男の野望の手先になってしまう。男に対して未練もあったが、引け目もあった。男は社交界に出入りもすることになったかつての愛人を利用して、不貞をネタにしてゆすりを繰り返す。ゆすられた金は盗みによって手に入れられたが、その罪でメイドが疑われることになり、はては警察での厳しい取り調べのすえに自殺へと至ったのである。

 映画の冒頭、探偵事務所にやってきた会社社長は、妻の不貞を見つけてほしいと依頼するが見つからない。調査員がいい男であったので、妻と不倫をするようにもちかける。何という話かと思っていたが、裏があった。嘘の上に嘘が重ね合わされて、何重にもねじれていくのが、このサスペンスの醍醐味であり、ネタバレがしてしまうと、おもしろみが半減してしまうので、この手の映画は筋を詳しくは語らないほうがよいだろう。

第150回 2023年4月7日

欲望1946

 マルチェロ・パリエーロ、ロベルト・ロッセリーニ監督作品、原題はDesiderio。人間のどろどろとした欲望のありかを見つめた映画。男から常に注目を集める妹と、堅実な姉との対比で見せようとしている。2年ぶりにローマから帰ってきた妹を快く受け入れられない理由があった。姉は結婚をしたばかりだったが、その夫が妹の帰宅後に人が変わってしまう。姉は気づいている。妹は何もしないが、男のほうが夢中になり、近づいていってしまうのだ。自戒のすえ妻を連れて離れようとするが無駄だった。それはコケティッシュな女の魅力なのだろうが、もって生まれた美女の宿命でもある。姉妹は再会を喜ぶが、やがては亀裂が生まれる。

 ローマに行った妹のうわさは良くないものだった。母親は娘の帰宅を喜ぶが、父親は目を合わそうともしない。妹は幸せな結婚を夢見て、つつましい園芸家と出会うが、飛び降り自殺を見て、気を失っての介抱をきっかけにしたものだった。自分のすさんだ生活から逃れようと、都会を去り、いなかに帰るが、懇意となった園芸家の迎えに来るとの約束を心待ちにしていた。いなかでのうわさは、冷ややかな視線を浴びることで察することができた。ローマでまともな仕事をやめてからの実像は知られたくはなかった。

 村を去ったのは、妻帯者である男からの執拗な付きまといから逃れるためだった。その男がまた近づいてくる。恋人がやってくることを聞きつけて、脅しはじめるのだ。すさんだローマから逃れたはずが、さらに心はすさんでいく。放っておいてくれと叫んでも、視線を集めることになってしまうのはどうしようもない。

 はてはこの妻帯者と姉の夫とが、痴情をむき出しにして争いに至り、姉までも妹を疫病神として見限ってしまう。いたたまれなくなった妹は飛び降り自殺をはかり、何も知らずに妹を訪ねて歩いてきた園芸家がその場に居合わせたが、それがだれかを確かめることもなく通り過ぎていくところで映画は終わる。ふたつの飛び降り自殺が対比をなし、出会いと別れをくっきりと浮かび上がらせていた。

第151回 2023年4月8日

トトのイタリア自転車レース1948

 マリオ・マットリ監督作品、原題はToto al Giro d'Italia。本格的な自転車レースを舞台にしながらのコメディ。スピード感のある自転車とは思えないほどの迫力が、カメラの前を通り過ぎていく。悪魔が出てきての奇想天外な話の展開には、悪魔の何たるかを知らない日本人としてはついてゆけないが、イタリア式伝統の上に立ったファンタジーなのだろう。悪魔に魂を売って、自転車に乗るのもままならない教授が、世界的レベルの自転車レースに出場し勝利しようとする。若い美女との約束は、このレースで優勝すれば、結婚するというものだった。レースに優勝することだけを悪魔は目的にするが、結婚をさせるということを目的にしてはいないというところに落とし穴があった。

 悪魔の手から逃れるため、途中からはどうすればレースに負けられるかが目的になり、教授は気がふれた振りをしてみたり、レースから退場できるように考えをめぐらすがうまくいかない。教授の母親が助けを出し、悪魔を睡眠薬で眠らせることで、これまでの実力者がゴールを通り過ぎることになった。番狂わせを回避させることで、悪魔は追いやられ、結婚も成就しハッピーエンドで映画は終わる。イタリア喜劇の下地をなすカトリック文化には馴染みきれないところがあるが、何日もかけて各地を巡る長時間のロードレースは見応えがあった。

第152回 2023年4月9日

人生は素晴らしい1943 

 カルロ・ルドヴィコ・ブラガリア監督作品、原題はLa vita è bella。よくできた話だった。イタリア喜劇の伝統を感じさせ、オペラ仕立てで歌もいい。アメリカ映画だとミュージカルということになるが、こちらはオペラの重厚さが、ソプラノとバリトンの張りのある音声にこだましている。無職の伯爵がギャンブルに溺れ、無一文になって金を借り、それも使い果たして死を決意する。最後の逆転劇でハッピーエンドとなる展開は見ていて心地よい。

 金に困っている人間をモルモットに使おうと賭博場で物色している医学博士がいた。新薬の開発のためにウサギになってもらおうというわけで、この善良そうな伯爵が狙われた。期日を指定されて薬を飲むことを約束し、証文を預けて別れる。宿なしの身でもあって、いつのまにか農場を経営する姉妹のもとに転がり込む。姉の勘違いから、まだ見ぬ王子にされてしまう。情熱的な手紙が匿名で出し続けられていたのだ。伯爵はそこで出会った妹のほうにひかれ、農夫としての労働に生きがいを感じはじめる。

 博士との約束を守るために、そこを去り死を覚悟するが、愛に目覚めた妹が先回りをして助けようとする。約束どおりやってきた伯爵に向かっての博士のセリフがいい。新薬は完成し、もはや人体実験の必要もなくなっていたが、何も明かさずにやってくるかどうかに賭けていたようだった。非人道的な科学者だと思っていたが、愛の成就と生きがいを見つけだしたことを祝福してやる姿が印象に残った。