追悼水木しげる ゲゲゲの人生展

2019年07月13日~08月25日

広島県立美術館


2019/7/31

 1922年生まれ。戦争の傷跡を深く残している。戦地に送られ爆撃にあい、片腕をなくす。波乱万丈の生涯が綴られている。戦争体験が終生尾を引いて、告発の姿勢を貫いた。ゲゲゲの鬼太郎の大ヒットが一人歩きして、ヒューマニズムのメッセージが隠れてしまいがちだが、展覧会を通じて、描き継がれた多様なテーマは、眼を見張るものがある。自身が選ぶ作品として、「総員玉砕せよ」をあげており、戦争に対する憎悪が読み取れる。

 13歳の頃に描いた油彩画が残っている。グレーのシンプルな壺だが、鈍い光を放つ陶器の質感が見事に表現されている。天才少年の出現は当時の新聞が、その個展のようすを伝えている。その後人物も風景もこなすが、漫画というメディアを選び取った背景には、戦争体験を子どもに伝えるという使命を自身に課したからだろう。同世代の画家で漫画家へと転身する例が多いのは、同様に次代の若者に向けての痛切な思いに由来する。

 戦後に態度を逆転させた大人社会への不信感が、当時子どもであった水木世代の創作活動に影を落とす。スタジオジブリが子どもに向けて訴えるのも同じ原理に基づくものだろう。大人は信用できないのである。水木しげるの描く大人の顔はのっぺりとして、何も考えていない茫洋な印象を受けるのは、このことによるのだろうか。この愚行に対して子どもの鋭いまなざしが向けられる。やがてはルドンの絵のように、目玉だけが一人歩きするのは、わかるような気がする。

 のっぺりとした顔の空白とは対比的に、細密な背景描写が抱き合わせにされているのが興味深い。漫画の一コマとは思えないような描きこみが特徴的だ。街並みも含めて神秘に満ちた自然が描き出される。それは戦争に送られて南方戦線で見た密林の恐怖が、トラウマとなったものに違いない。モンスターが息づく宝庫でもあり、計算づくの信用できない人間社会とは対極にあるものだろう。細密に描くだけの価値があるということだ。前景にのっぺりとした顔立ちとの対比が際立って見える。


by Masaaki KAMBARA