インポッシブル・アーキテクチャー ― もうひとつの建築史

2019年9月18日(水)~12月8日(日)

広島市現代美術館


2019/10/6

 不可能な建築は、これまで繰り返し構想されてきた。文学で言えば、没になった原稿のことを考えれば、こちらの方が圧倒的に多いはずだ。最後のコーナーには東京オリンピックの国立競技場案で没になったザハ・ハディドさんの関係資料が山積みにされていた。書類の山は実現しなければ、何の意味もない徒労と化すが、実はこうした不条理のシジフォスから、芸術の輪郭は構成されている。実現すれば膨大な書類の山は無に帰する。建てられたものがオリジナルとなる。しかし没となった場合には、美術は文学となるのであって、構想をしたためた夢の小説が、一山を築くのだ。

 出発はタトリンだった。モスクワの街並みだろうか。遠望にそびえる四百メートルの塔がぼんやりと見える。古びた感のある映像には確かにこの記念碑はそびえ立っていたのである。社会主義革命を背景にした歴史のダイナミズムを抱き込んで、夢想の建築史が開花しはじめる。馴染みのあるところでは、安藤忠雄の中之島プロジェクトの模型が置かれていた。中央公会堂のなかに卵が埋め込まれている。建築が産み落とそうとする生命を暗示して、エネルギッシュに胎動し始めている。教会堂が身ごもったいわば受胎告知であった、そんな構想に至った現代建築の雄は、偉大なる宗教家でもあったのだと気づかせてくれる。

 馴染みのない建築家名も多かったが、ガウディのバルセロナにある建築群も、実現はしているが、この分類に属するものだっただろう。


by Masaaki KAMBARA