ルイ・マル
死刑台のエレベーター1958/恋人たち1958/地下鉄のザジ1960/鬼火1963/好奇心1971/ルシアンの青春1974アトランティック・シティ1980/ /さよなら子供たち1987/5月のミル1990/
死刑台のエレベーター1958/恋人たち1958/地下鉄のザジ1960/鬼火1963/好奇心1971/ルシアンの青春1974アトランティック・シティ1980/ /さよなら子供たち1987/5月のミル1990/
第71回 2023年1月13日
ルイマル監督作品、モーリスロネ、ジャンヌモロー主演。よくできた映画である。ふたつの殺人事件がおこり、どちらにしても犯人にされる男が運命にもてあそばれている。最後のオチがいい。カメラは要注意ということである。カメラが没収されている限りは、犯人にとってはそこに何が写っているかはわかっていたはずで、証拠が解明されるのは時間の問題だっただろう。最後の三枚には殺人犯が写っていることは私たちも覚えている。しかしその前には何が写されていたかは、観客には知らされないまま、最後のどんでん返しで明かされる。
不倫現場を写真に残すのも、殺害に使った縄ばしごを現場に残すのもドジとしか言いようはないが、犯人捜しはこんなほころびからスタートするものだろう。エレベーターに閉じ込められる場面では、ハラハラドキドキしながら見ることになる。説明はなかったが、縄ばしごは、社長の死が自殺ではないことを意味したし、社長夫人が写真の現像から出てきたのは、殺しの共犯であったことを暗示する。
偶然がいくつか重なって、事件は思わぬところへ展開するのだという話である。ジャンヌモローは若くはないが魅力的で、いわくありげな表情が、大写しのカメラワークでひときわ印象的に見えた。リノバンチュラ演じる刑事は適役で、みごとな手腕を見せて真相を暴き出した。夜中パリの街を探しまわるジャンヌモローを追いかけて、マイルスデイビスが奏でるジャズのスウィングがスタイリッシュで、不安をかき立てながらも、心地よく響き渡っていた。
第72回 2023年1月14日
ルイマル監督作品、ジャンヌモロー主演。なんという人間なのかと唖然とするが、ジャンヌモローの魅力にひかれて、なんとか理解しようと努める。自分の夫と不倫相手を対面させておいて、ゆきずりの恋人と逃避行を試みる女を演じてみせる。3人の男が手玉に取られたことになるが、第3の男にしても生活は不安定で、その後が思いやられる。主人は新聞社の社主、不倫相手は有名なポロ選手だが、3人目は稼ぎもない考古学者である。不倫相手を見てみたいという主人の卑劣なやり口や、招かれてノコノコとやってきた愛人の俗物性にも嫌気がさして、いたたまれなくなって衝動的に、身近にいた若者に接近したようにみえる。打算を超えた運命的な出逢いという見方も成立するかもしれないが、もっとしたたかな女の本性とそのとりこになってしまう獲物という図式も見えてくる。自宅の寝室に男を引き入れる大胆さは挑戦的で、社会の通念を解体し、新しい価値観を打ち出してみせるが、現実社会では賛同を得るものとはいいがたい。
第73回 2023年1月15日
ルイマル監督作品。ドタバタ喜劇ふうではあるが、腹をかかえて笑うというものではない。不条理で破天荒な場面が次々と現れる。ザジはパリにやってきて叔父の家にあずけられるいたずら好きな少女である。母親と連れだって来るが、母はアヴァンチュールに出かけて、娘は置いてけぼり、叔父が相手をしてパリの町を巡っている。
目をかすめて逃げ出し、ひとりでパリを楽しむ。12歳という設定は微妙で、まだ色気はないが好奇心は旺盛だ。手に負えないませた娘で、男に言い寄られても物おじしない。パンテオンやアンバリッドもまわるが、何よりも地下鉄に乗りたがっている。残念ながらスト決行中で乗ることができない。ストが解除されるまでの地上での大騒ぎを綴っている。
エッフェル塔に登るのは、言い寄られた中年男から逃れるためだが、長い逃走場面が続く。身を乗り出すような階段シーンはハラハラさせるもので、助けにやってきた叔父も加わって風船に乗って地上に落ちる。
物語は現実離れしたファンタジーに突入していく。叔父は舞台人でリハーサルに急ぐが、その宴席での騒ぎは熾烈をきわめ、物は投げるわ、ガラスは割れるわの場面が続出する。無茶苦茶としか言いようはない。一段落つき、ストが解除して、やっと地下鉄に乗ることもできて、母親と列車に乗り込んで帰る場面で、映画は終わる。
ザジの年齢設定は、当時の映画では珍しい。60年代はティーンエイジャーが輝いた時代だ。ヌーヴェルバーグの波に乗って若者文化が映画運動の活力となった。ザジはこれには若すぎる。日本でいえば青春歌謡が先行して高校三年生に代表される時期にあたる。70年代に入ると年齢が下がり、中学三年がアイドルとなるが、映画でも高校生から中学生にターゲットを移行させるのが大林宣彦ということになる。
大人はわかってくれないという悲観もなく、ザジはあっけらかんとしている。パリの町に息づいた大人の世界への興味はある。ロリコンの中年男のターゲットにされるが、ザジが寄宿する家まで押しかけてくると、男はそこで出会った美貌の叔母に気が移ってしまう。混沌とした移り気な都会生活の不毛が描き出されていて、フェリーニがローマで見とどけた狂騒とも通じるものがある。都会は取り止めのない悪の華にちがいない。
第74回 2023年1月16日
ルイマル監督作品。主演はモーリスロネ、色男を演じている。底知れない虚無感と挫折感があることは確かだが、その理由については、政治的な関連もほのめかされるが、具体的にはなんら明かされることはない。自殺する前にこれまで関係のあった仲間を巡り歩くという点では「舞踏会の手帖」に似ている。多くの女たちから愛されるが、満たされてはいない。
女には強く冷静でのめり込むことはないが、酒には弱くアルコール中毒による隔離が続いていた。断酒の約束を医師からさせられているが、死に臨み禁を破って酒を口にし、人格を変貌させていく。死を覚悟した姿は悲壮感がただようが、仲間は以前とはちがって俗物と化している。このことにいらだちを隠せないでいるが、多くは暖かく迎えてくれる。ジャンヌモローもそのひとりを演じていたが、薬物依存になりながらも、この訪問者を好意的に受け入れていた。用意していたピストルはいつ使うのだろうと気になっていたが、ベットに横たわって何もかもが終わったように、疲れ切った自身の胸にあてて引き金を引いた。
主演のモーリスロネは、「太陽がいっぱい」でも重要な役柄だったが、アランドロンのかげに隠れてしまっていた。ここでは適役だと思う。アランは笑うと憎めないが、モーリスは笑うと苦味走ってくる。いい男なのだが目は奥で鈍く輝いている。アランほどの華はなく、控えめにみえることが、ここでの演技を引き立たせたようだ。アメリカ映画でいえばポールニューマンといったところか。
第75回 2023年1月17日
ルイマル監督作品。男ばかりの三人兄弟の末っ子15歳の成長の物語。最後は一家が笑いで終わるので成長の物語といってもいいのだが、その笑いがそれぞれにつくろい笑いであることが知れると、一家の崩壊の物語、あるいは個人の自立の物語というほうがよいかもしれない。
父親は婦人科の医師だが仕事人間、母親は魅力的で若い男と浮気をしているらしい。三男はそれを目撃して心を動揺させている。二人の兄から悪事を教えられ、女の手ほどきもされているが、学校での成績はいい。母親が離婚に踏み切るかも知れないと気が気でない。親子の域を越えるほどに母を愛している。もちろん二人とも役者なのだからほんとうの親子ではない。抱き合う姿を見るとセクシーな年上の女性に惹かれる思春期の若者に見える。誰もがたどる不安定な成長記録を赤裸々に描いていて、見るほうが気恥ずかしくもなってくる。
最後の笑いは何だったのだろうかと考える。息子は明らかに朝帰りをしている。親としては怒らないといけないところだろうが、靴下もはかないみっともない姿をみて、兄たちが笑い、父も笑い、憂鬱なはずの母が笑い、本人も笑いだす。俳優が演技をしているのだから、ほんとうに笑っているわけではない。作り笑いをはじめ家庭の崩壊と見たが、見て見ぬ振りをすることはときに必要だ。笑いの共有は案外家庭を成長させる大人の原理であったのかもしれない。
第76回 2023年1月18日
ルイマル監督作品。さわやかな響きのする題名だが、内容はシリアスである。残酷なことも平気でするフランス人の若者が主人公である。いなかの病院で掃除夫をしているが、ふとしたきっかけでドイツ警察の手先になり、フランスを裏切り、さらにはドイツからも追われて、逮捕され処刑される話である。
愛するユダヤ人女性とその母親を連れての逃亡で映画は終わる。その後のいきさつが、テロップによって知らされるが、このことによって、実話に基づいた話なのだと知ることになり、現実感が増して見えてくる。
フランスを占領していたヒトラー政権下のドイツ軍が、敗走を余儀される頃で、ドイツの威を借りた主人公の威圧も、やがて転がり落ちてゆくことは予想された。ルシアンはどうみても好きになれない人格だろう。愛する女性の親に対する高圧的態度も見るに耐えない。彼女の父親は背後にドイツ軍がいることからおじけづいているし、母親は口も聞かない。
ドイツに加担していることで収入を得て、仕送りを欠かせないが、母は肩身の狭い思いをしている。身の危険を知らせにやってきて、息子のフィアンセとその母親と顔を合わせるが、わだかまりは隠せきれない。息子との最後の対面だと予感して去ってゆく姿は哀れを誘った。娘の父もユダヤ人であることを公言することで、命を張ったメッセージを伝えた。
第77回 2023年1月19日
ルイマル監督作品。最初に母親が子どもに別れを告げるところから始まるので、不倫にまつわる家庭の不和を描いた狭い世界での話だと思っていた。しかしこのセリフはユダヤ人の子供たちをかくまった神父が生徒たちに別れを告げるときのセリフだった。このときフランスはすでにドイツの支配下にある。
すさまじいまでのユダヤ人狩りのようすが描き出されている。機関銃をかまえながらカトリック系の中学にまでドイツ軍のゲシュタポが押し入ってきて、ユダヤ人をあぶりだしていく。荒っぽくではなく、ことは冷静に進行するだけにかえっておそろしい。優しく連れ出されるのは集団にして一斉に処理することを意味している。
ルシアンの青春でも描かれたように密告者は、仲間のうちに必ずいるという伏線も引かれている。密告は盗みをして追い出された若者の逆恨みからだった。学校は閉鎖、見つかった生徒とかくまった教師は捕らえられ、その後アウシュヴィッツに送られる。現在のロシアによるウクライナ侵攻を見るにつけ、歴史は繰り返すのだと思い知ることにもなる。
第78回 2023年1月20日
ルイマル監督作品。学生運動に発した五月革命に揺れるフランスでの騒動。いなかにいる母が急に亡くなり、子どもたちが集まってくるが、遺産相続をめぐり土地と財産の分けかたで意見が一致しない。つれあいや孫までもが加わって、混乱が続いている。同居していたミルは土地を手放すのを拒否している。
おりから革命が波及して、恐怖は田舎にまで押し寄せ、すべてが無に帰したように、身ひとつで土地を追われて逃げ出す。一族は野宿までして生き延びるが、短期間のうちにパリでの騒乱は収束し、いなか家へ戻ってきて葬式をすませる。その間の大騒ぎは男女のフリーセックスにまで発展する異様な光景だった。ブルジョワ階級の堕落と対比して、ひとり黙々と埋葬のための墓を掘る使用人の姿が印象的だった。革命さわぎで葬儀屋までも機能していなかったのである。
はじまりの養蜂の場面で、顔に何百もの蜂が群がっているのもゾッとしたが、あっと驚く場面や何でもないように無造作に出てくるショッキングなセリフに出くわすのは、ルイマル映画の驚異であり、リアリティを超えた楽しみでもある。
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第1031回 2026年4月7日
ルイ・マル監督作品、フランス・カナダ合作映画、英題はAtlantic City、ミシェル・ルグラン音楽、バート・ランカスター主演、スーザン・サランドン、ロバート・ジョイ、ホーリス・マクラーレン、ミシェル・ピコリ共演、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、英国アカデミー賞監督賞・主演男優賞受賞、105分。
カジノで知られるアメリカの地方都市(アトランティック・シティ)での事件。男女の若者が大きな荷物を持って町にやってきた。カフェを訪れて勤務中の女(サリー)に声をかける。女は迷惑げなようすで、仲間のウェイトレスに誰かと聞かれて、夫と妹だと答えた。
1時間の休みをもらって、アパートに二人を連れていく。妹(クリッシー)は妊娠していて、大きな腹をかかえている。姉の夫(デイヴ)と駆け落ちをしてしまったのだった。カナダでのことで姉はそんな故郷を捨てて、この町に来ていた。
妹は姉に詫びを入れるが、子どもを生んで3人で暮らそうと、とんでもないことを言いはじめる。夫も問題をかかえていた。近隣のフィラデルフィアで、電話ボックスに隠してあった、大量の麻薬を盗んでいて、金に替えたいと思っていた。今はまだ現金はもたないので、みすぼらしい服装をしている。
密売組織を突きとめて持ち込むが、服装を見て相手にされない。チンピラにしか見えず、信用されるにはまずスーツを買うよう勧められる。麻薬自体は上物であり、塊になっていたのを壊して粉にして、秤でグラム数を測る。価格を計算して笑みを浮かべている。
秤はアパートの隣人(グレース)から借りたものだった。富豪の一人暮らしの老婦人だったが、足が悪く寝たきりでいた。上階の部屋に住む老紳士(ルー)が世話を焼いている。昔は大物だったと自称するが、婦人は腰抜けと言っている。
勇気はなくいつも逃げまわっているが、人には親切だった。老婦人からのこづかい稼ぎのほか、掛け金を預かって胴元に届け、手間賃をもらう使い走りの仕事もしていた。
身なりはよく威厳もあるところから、チンピラと知り合うと、麻薬を売りさばくのに手伝いをしてもらう。部屋から秤を持っていったことから、老婦人は二人の男が何をしようとしているのか怪しんでいる。
チンピラは老紳士が昔はギャングのボスとのつきあいもあったというので信用した。チンピラは新たな流通組織をつきとめると、老紳士を伴って乗り込む。アパートの妻の部屋とは隣りどうしだった。
途中で老人一人にまかせて、チンピラは姿を消す。身なりが良くないことから、手間賃をよけいに支払うことで逃げてしまった。老人ははじめ躊躇したが、大物の風格をもって乗り込んだ。
客を集めてギャンブルをしている部屋に入ると、麻薬と引き換えに現金を受け取った。白い粉をなめて品定めをし、今は品薄なのでまた頼むと、追加の依頼をしてくる。
チンピラは町で車から声をかけられる。先に麻薬を売ろうと持ちかけた男だった。探している人がいると言われ、顔を見せたのはギャングのひとりで、あわてて逃げはじめる。
横取りをされたギャングの組織が動き出していた。工事現場を逃げ続けるが追いつかれ、刺殺されてしまった。姉のもとに警察からの知らせがやってくる。男が持っていた財布は女物で、妻のバックから盗んだものだった。
財布がないことに気づくのは、かなりの時間がたってからのことだ。妹と部屋に転がり込んで、男が一人で外出したときに財布ごと盗んでいた。財布をきっかけにして災いが続いていく。
警察がやってきて夫の遺体を引き取れと言われるが困っている。老紳士が間に入って、夫の実家に電話を入れてやり、引き取ってもらうことになった。女は男の親切なのをありがたく思っている。
ギャングが麻薬を取り戻そうと、男の妻のもとにやってくる。このときも老紳士といっしょだったが、妻だけを暴行した。持ち物をひっくり返すが見つからない。老紳士は女を助けることもなく、呆然としている。
老紳士は麻薬を独り占めしていた。姉にも優しい父親のように接して、愛を手に入れようとしていた。姉はカジノでディーラーとなることをめざしていて、併設されたカフェでもはたらいていた。
支配人(ジョゼフ)が目にかけてくれ、厳しい指導を受けていた。下心もあったが、夫の素性が明かされると、上役のオーナーはトラブルを嫌い、退職させられてしまう。そんなとき老紳士が優しく女を包んでやった。
女は暴行だけではなく、部屋に戻ると部屋も荒らされていた。麻薬を探そうとして必死になった姿が思い浮かぶ、荒らされようだった。老紳士はそれを見ると恐れをいだく。
二人の部屋は隣どうしだったが、窓は対面していた。女が裸になってレモンで身体を拭いているのを、知り合う以前からのぞき見していた。漁村で育って魚臭くなっている肌を、隠そうとしてのことだったのも知っている。
老紳士は自室に戻り、残りの麻薬を早めに処分しようとした。先に売った部屋に持ち込んで、現金を要求するが、すぐには用意できないとわかると、麻薬の袋を分割して、いくらかを残して金を受け取った。
姉に近づいて財産家に見せかけ、気前よく振る舞っていた。それも麻薬を手に入れたからで、姉は優しかった老人に怒りを爆発させ、金は自分のものだと主張をはじめる。
老人は逃げて老婦人のもとに戻っていた。老婦人は残りの麻薬をもって、部屋を訪ね、男がやったのと同じように売りさばいていた。老女はスリルを楽しみ、男はその成功する姿を、にこやかに見守っている。
主人公を演じる、老境に入ったバート・ランカスターの演技がすばらしい。いびつなキャラクターをみごとに演じている。ひとことで言えば、見掛け倒しである。関西弁ならあかんタレとなる。ヒーローでは決してない。あきらめの境地とも見える、淡々と生きる姿に、あこがれすら感じる。
かつては大物だと見せかけるが、度胸のない小物である。若い娘にちょっかいは出すが、危険を感じると逃げ腰になる。腰抜けの男がギャングに追われて、持っていた銃で二人を射殺するところがある。
興奮が覚めやらず、自分にもそんな勇気があったのだと女に自慢する。テレビでギャングどうしの殺し合いだと報道されると、高笑いをして自分がやったのだと誇ってみせる。
逃げ延びて最終的には、怖がりで逃げまわっていると罵倒し続けた、老婦人のもとに戻っていた。ジゴロを自称して仲よく暮らしている。ときには老婦人のベッドに入り込んで、添い寝をしてやっていた。
ルイ・マルが描き出すキャラクターが興味深い。いびつな性格は「死刑台のエレベーター」や「鬼火」や「ルシアンの青春」でも共通していた。好感の持てない人格を主人公に課して、徹底して見つめる目が、人間の本性を説きおこしていく。