第71回 2023年1月13日
死刑台のエレベーター1958
ルイマル監督作品、モーリスロネ、ジャンヌモロー主演。よくできた映画である。ふたつの殺人事件がおこり、どちらにしても犯人にされる男が運命にもてあそばれている。最後のオチがいい。カメラは要注意ということである。カメラが没収されている限りは、犯人にとってはそこに何が写っているかはわかっていたはずで、証拠が解明されるのは時間の問題だっただろう。最後の三枚には殺人犯が写っていることは私たちも覚えている。しかしその前には何が写されていたかは、観客には知らされないまま、最後のどんでん返しで明かされる。
不倫現場を写真に残すのも、殺害に使った縄ばしごを現場に残すのもドジとしか言いようはないが、犯人捜しはこんなほころびからスタートするものだろう。エレベーターに閉じ込められる場面では、ハラハラドキドキしながら見ることになる。説明はなかったが、縄ばしごは、社長の死が自殺ではないことを意味したし、社長夫人が写真の現像から出てきたのは、殺しの共犯であったことを暗示する。
偶然がいくつか重なって、事件は思わぬところへ展開するのだという話である。ジャンヌモローは若くはないが魅力的で、いわくありげな表情が、大写しのカメラワークでひときわ印象的に見えた。リノバンチュラ演じる刑事は適役で、みごとな手腕を見せて真相を暴き出した。夜中パリの街を探しまわるジャンヌモローを追いかけて、マイルスデイビスが奏でるジャズのスウィングがスタイリッシュで、不安をかき立てながらも、心地よく響き渡っていた。
第72回 2023年1月14日
恋人たち1958
ルイマル監督作品、ジャンヌモロー主演。なんという人間なのかと唖然とするが、ジャンヌモローの魅力にひかれて、なんとか理解しようと努める。自分の夫と不倫相手を対面させておいて、ゆきずりの恋人と逃避行を試みる女を演じてみせる。3人の男が手玉に取られたことになるが、第3の男にしても生活は不安定で、その後が思いやられる。主人は新聞社の社主、不倫相手は有名なポロ選手だが、3人目は稼ぎもない考古学者である。不倫相手を見てみたいという主人の卑劣なやり口や、招かれてノコノコとやってきた愛人の俗物性にも嫌気がさして、いたたまれなくなって衝動的に、身近にいた若者に接近したようにみえる。打算を超えた運命的な出逢いという見方も成立するかもしれないが、もっとしたたかな女の本性とそのとりこになってしまう獲物という図式も見えてくる。自宅の寝室に男を引き入れる大胆さは挑戦的で、社会の通念を解体し、新しい価値観を打ち出してみせるが、現実社会では賛同を得るものとはいいがたい。
第73回 2023年1月15日
地下鉄のザジ1960
ルイマル監督作品。ドタバタ喜劇ふうではあるが、腹をかかえて笑うというものではない。不条理で破天荒な場面が次々と現れる。ザジはパリにやってきて叔父の家にあずけられるいたずら好きな少女である。母親と連れだって来るが、母はアヴァンチュールに出かけて、娘は置いてけぼり、叔父が相手をしてパリの町を巡っている。
目をかすめて逃げ出し、ひとりでパリを楽しむ。12歳という設定は微妙で、まだ色気はないが好奇心は旺盛だ。手に負えないませた娘で、男に言い寄られても物おじしない。パンテオンやアンバリッドもまわるが、何よりも地下鉄に乗りたがっている。残念ながらスト決行中で乗ることができない。ストが解除されるまでの地上での大騒ぎを綴っている。
エッフェル塔に登るのは、言い寄られた中年男から逃れるためだが、長い逃走場面が続く。身を乗り出すような階段シーンはハラハラさせるもので、助けにやってきた叔父も加わって風船に乗って地上に落ちる。
物語は現実離れしたファンタジーに突入していく。叔父は舞台人でリハーサルに急ぐが、その宴席での騒ぎは熾烈をきわめ、物は投げるわ、ガラスは割れるわの場面が続出する。無茶苦茶としか言いようはない。一段落つき、ストが解除して、やっと地下鉄に乗ることもできて、母親と列車に乗り込んで帰る場面で、映画は終わる。
ザジの年齢設定は、当時の映画では珍しい。60年代はティーンエイジャーが輝いた時代だ。ヌーヴェルバーグの波に乗って若者文化が映画運動の活力となった。ザジはこれには若すぎる。日本でいえば青春歌謡が先行して高校三年生に代表される時期にあたる。70年代に入ると年齢が下がり、中学三年がアイドルとなるが、映画でも高校生から中学生にターゲットを移行させるのが大林宣彦ということになる。
大人はわかってくれないという悲観もなく、ザジはあっけらかんとしている。パリの町に息づいた大人の世界への興味はある。ロリコンの中年男のターゲットにされるが、ザジが寄宿する家まで押しかけてくると、男はそこで出会った美貌の叔母に気が移ってしまう。混沌とした移り気な都会生活の不毛が描き出されていて、フェリーニがローマで見とどけた狂騒とも通じるものがある。都会は取り止めのない悪の華にちがいない。
第74回 2023年1月16日
鬼火1963
ルイマル監督作品。主演はモーリスロネ、色男を演じている。底知れない虚無感と挫折感があることは確かだが、その理由については、政治的な関連もほのめかされるが、具体的にはなんら明かされることはない。自殺する前にこれまで関係のあった仲間を巡り歩くという点では「舞踏会の手帖」に似ている。多くの女たちから愛されるが、満たされてはいない。
女には強く冷静でのめり込むことはないが、酒には弱くアルコール中毒による隔離が続いていた。断酒の約束を医師からさせられているが、死に臨み禁を破って酒を口にし、人格を変貌させていく。死を覚悟した姿は悲壮感がただようが、仲間は以前とはちがって俗物と化している。このことにいらだちを隠せないでいるが、多くは暖かく迎えてくれる。ジャンヌモローもそのひとりを演じていたが、薬物依存になりながらも、この訪問者を好意的に受け入れていた。用意していたピストルはいつ使うのだろうと気になっていたが、ベットに横たわって何もかもが終わったように、疲れ切った自身の胸にあてて引き金を引いた。
主演のモーリスロネは、「太陽がいっぱい」でも重要な役柄だったが、アランドロンのかげに隠れてしまっていた。ここでは適役だと思う。アランは笑うと憎めないが、モーリスは笑うと苦味走ってくる。いい男なのだが目は奥で鈍く輝いている。アランほどの華はなく、控えめにみえることが、ここでの演技を引き立たせたようだ。アメリカ映画でいえばポールニューマンといったところか。
第75回 2023年1月17日
好奇心1971
ルイマル監督作品。男ばかりの三人兄弟の末っ子15歳の成長の物語。最後は一家が笑いで終わるので成長の物語といってもいいのだが、その笑いがそれぞれにつくろい笑いであることが知れると、一家の崩壊の物語、あるいは個人の自立の物語というほうがよいかもしれない。
父親は婦人科の医師だが仕事人間、母親は魅力的で若い男と浮気をしているらしい。三男はそれを目撃して心を動揺させている。二人の兄から悪事を教えられ、女の手ほどきもされているが、学校での成績はいい。母親が離婚に踏み切るかも知れないと気が気でない。親子の域を越えるほどに母を愛している。もちろん二人とも役者なのだからほんとうの親子ではない。抱き合う姿を見るとセクシーな年上の女性に惹かれる思春期の若者に見える。誰もがたどる不安定な成長記録を赤裸々に描いていて、見るほうが気恥ずかしくもなってくる。
最後の笑いは何だったのだろうかと考える。息子は明らかに朝帰りをしている。親としては怒らないといけないところだろうが、靴下もはかないみっともない姿をみて、兄たちが笑い、父も笑い、憂鬱なはずの母が笑い、本人も笑いだす。俳優が演技をしているのだから、ほんとうに笑っているわけではない。作り笑いをはじめ家庭の崩壊と見たが、見て見ぬ振りをすることはときに必要だ。笑いの共有は案外家庭を成長させる大人の原理であったのかもしれない。
第76回 2023年1月18日
ルシアンの青春1974
ルイマル監督作品。さわやかな響きのする題名だが、内容はシリアスである。残酷なことも平気でするフランス人の若者が主人公である。いなかの病院で掃除夫をしているが、ふとしたきっかけでドイツ警察の手先になり、フランスを裏切り、さらにはドイツからも追われて、逮捕され処刑される話である。
愛するユダヤ人女性とその母親を連れての逃亡で映画は終わる。その後のいきさつが、テロップによって知らされるが、このことによって、実話に基づいた話なのだと知ることになり、現実感が増して見えてくる。
フランスを占領していたヒトラー政権下のドイツ軍が、敗走を余儀される頃で、ドイツの威を借りた主人公の威圧も、やがて転がり落ちてゆくことは予想された。ルシアンはどうみても好きになれない人格だろう。愛する女性の親に対する高圧的態度も見るに耐えない。彼女の父親は背後にドイツ軍がいることからおじけづいているし、母親は口も聞かない。
ドイツに加担していることで収入を得て、仕送りを欠かせないが、母は肩身の狭い思いをしている。身の危険を知らせにやってきて、息子のフィアンセとその母親と顔を合わせるが、わだかまりは隠せきれない。息子との最後の対面だと予感して去ってゆく姿は哀れを誘った。娘の父もユダヤ人であることを公言することで、命を張ったメッセージを伝えた。
第77回 2023年1月19日
さよなら子供たち1987
ルイマル監督作品。最初に母親が子どもに別れを告げるところから始まるので、不倫にまつわる家庭の不和を描いた狭い世界での話だと思っていた。しかしこのセリフはユダヤ人の子供たちをかくまった神父が生徒たちに別れを告げるときのセリフだった。このときフランスはすでにドイツの支配下にある。
すさまじいまでのユダヤ人狩りのようすが描き出されている。機関銃をかまえながらカトリック系の中学にまでドイツ軍のゲシュタポが押し入ってきて、ユダヤ人をあぶりだしていく。荒っぽくではなく、ことは冷静に進行するだけにかえっておそろしい。優しく連れ出されるのは集団にして一斉に処理することを意味している。
ルシアンの青春でも描かれたように密告者は、仲間のうちに必ずいるという伏線も引かれている。密告は盗みをして追い出された若者の逆恨みからだった。学校は閉鎖、見つかった生徒とかくまった教師は捕らえられ、その後アウシュヴィッツに送られる。現在のロシアによるウクライナ侵攻を見るにつけ、歴史は繰り返すのだと思い知ることにもなる。
第78回 2023年1月20日
5月のミル1990
ルイマル監督作品。学生運動に発した五月革命に揺れるフランスでの騒動。いなかにいる母が急に亡くなり、子どもたちが集まってくるが、遺産相続をめぐり土地と財産の分けかたで意見が一致しない。つれあいや孫までもが加わって、混乱が続いている。同居していたミルは土地を手放すのを拒否している。
おりから革命が波及して、恐怖は田舎にまで押し寄せ、すべてが無に帰したように、身ひとつで土地を追われて逃げ出す。一族は野宿までして生き延びるが、短期間のうちにパリでの騒乱は収束し、いなか家へ戻ってきて葬式をすませる。その間の大騒ぎは男女のフリーセックスにまで発展する異様な光景だった。ブルジョワ階級の堕落と対比して、ひとり黙々と埋葬のための墓を掘る使用人の姿が印象的だった。革命さわぎで葬儀屋までも機能していなかったのである。
はじまりの養蜂の場面で、顔に何百もの蜂が群がっているのもゾッとしたが、あっと驚く場面や何でもないように無造作に出てくるショッキングなセリフに出くわすのは、ルイマル映画の驚異であり、リアリティを超えた楽しみでもある。
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