高畑勲展—日本のアニメーションに遺したもの

2019年07月02日~10月06日

東京国立近代美術館


2019/7/19

 かぐや姫の印象的なディスプレイから展示ははじまり、ラストも「かぐや姫の物語」で締めくくられている。最後の仕事ではあるが、本展の企画者は高い評価を下しているということであり、私もまたそう思う。劇場公開時に見たが、エンターテイメントというには、あまりにもアート的要素が強い作品だった。フレデリック・バックを思わせる流れるような線の軌跡は、アニメーションが生命線から成り立つのだと確信させる。動きが激しくなるにつれて衣服も皮膚も抜け落ちて、生命を維持する一本の線だけが残される。

 その軌跡は蛇の移動にも似て原始的アニミズムに満ちて、地をはい天に飛翔する。天に達すれば雨を降らせ嵐を起こす。天地創造のイメージは、かぐや姫の物語にも対応するものだ。蛇はアニメーションのために誕生した生物だったのではないか。そしてアニミズムにも欠かせないアイテムである。かぐや姫のなびく髪は意志に反して命を得たように自由に動いていく。まるで蛇だ。躍動感は一本一本の髪が蛇に変わったメドゥーサ伝説を味方につけて、アニメーションに格好の神話的素材を提供する。

 高畑勲はアニメーターではない。東大の仏文科出身というのだから知的レベルはかなり高い。日本文化を考え、後年には加藤周一に私淑していた姿を思い出す。アニメーションを通じて日本文化を再構築する理論的エキスパートというのが、その立ち位置だったように思う。今回の展示では絵コンテや制作メモ、企画書までが展示されている。完成されたアニメーションそのものの評価よりも、完成に至るメイキングの思想が追われていく。実に多くの手書きの文字が残されている。もちろん具体的な内容で、そこでアニメ論を展開しているわけではない。しかし文字化する作業を通じて、アニメーションの輪郭が埋められていく。スタジオジブリでの同僚、宮崎駿とは異なる評価をする必要があるのだということが、よくわかる展覧会だった。


by Masaaki KAMBARA