篁牛人展~昭和水墨画壇の鬼才~

20211102日~20220110

大倉集古館


 富山の水墨画家だが、多くは知らない。たかむらぎゅうじんとよむ、埋もれていた日本画家である。艶めかしい女神が筋肉隆々として、小さい顔が巨大な肉体に乗せられて横たわり、あるいはすっくと立っている。かすれた墨の運筆がいい。水墨画だからもちろん龍虎や山水もある。擦りつけるような独特な仕上がりが、ときに荒々しく、ときに生々しく、さらに空々しく、重々しく、画題に応じて自在に変容する。黒々とした牛が画面をはみ出して、重厚なかすれを湧き出させて横腹をみせている。大酒呑みの自虐の座興画もいい。


 こんな画家がいたのだという驚きは、まだまだ埋もれている人財に期待をいだかせる。中央とのパイプがあるなしだけのことだとすれば、評価をくだし世におくる役割は欠かせない。地方の公立美術館がそろい、学芸員が今後は腕の見せどころとなるだろう。篁牛人の場合、美術評論界ではトップに位置した河北倫明がその役を担ったが、作家が晩年になってからやっとというのでは遅すぎる。


 運不運はつきものだが、青木繁を例にあげれば、生前の不運は没後の幸運で補われている。同郷の久留米出身の美術評論家やコレクターがいなければ、現在のような評価はなかっただろう。ほおっておけば埋もれてしまうケースは多い。現代のような売り込みにたけた時代ではなかった。やむにやまれず自作をかかえて売り歩く姿はあわれだが、食いつなぐにはなりふりかまってはいられなかった。目が効く客がすぐに手をさしのべるわけではない。


 牛人の場合、目をとめて支援を引き受ける賢者がいた。それによって画材が手に入り、今日がある。画材は画家の生命線であるが、画材の前に家族をかかえて食いつなぐが先というのではあまりにもかなしすぎる。富山県には珍しく公立の水墨美術館がある。何度か訪れたことがあるが、不覚にも篁牛人を見損ねていたようで、記憶に残っていない。中央で名の知れた画家にばかり目が向いていたからかも知れない。地方で埋もれた画家の紹介と、その常設展示を通じて、この美術館の意義はある。


 今では富山市篁牛人記念美術館もあるが、富山県水墨美術館や富山県美術館の常設展示でいつも目に触れることで、やっと不遇の画家は陽の目を見たということになるのだろう。情報過多の時代、美術信奉者には才能は埋もれていてほしいとさえ思うときがある。売り込みから選択するのではなく、隠れようとする才能を見つけ出すよろこびは、学芸員にとって至福のときだろう。


by Masaaki Kambara