ヒグチユウコ展 CIRCUS

2019年06月15日~09月01日

神戸ゆかりの美術館


2019/6/21

 緻密な絵だ。細部へのこだわりの凄まじいエネルギーとマイナーな情念が、700点もの絵画からなる会場に充満している。イラストレーターという分類でよいと思うが、壁面の絵画を補う立体物の導入で、展覧会としてのエンターテイメント性も一段と飛躍している。ブリューゲルのバベルの塔の展覧会に触発されたヒエロニムス・ボスを含む西洋絵画の奇想を、自身の世界に引きつけてパロディとしておどけて見せた手腕は見事な輝きを放っている。

 黒い情念なのにその陰性を免れているのは、猫のキャラクターのせいだろう。犬ではなく猫である点に、本質的には魔性を感じることになる。犬のようなとぼけた味は、猫には出せない。いつも先を見越して、計算ずくで罠を仕掛けてくる。そうした猫の狡猾な本能に人はコロリと騙されてしまうから、どうしようもない。

 見事に猫を絵画化した藤田嗣治などは無類の猫好きで、可愛い裏に隠された本性を愛玩して自滅する姿を、癒しと受け止めてしまうのだ。一方、天下泰平の犬好きの江戸の将軍や、京都の円山派周辺の絵かきのスタンスは、比較すると何ともノーテンキで、お人好しに見えてくる。それに喝を入れるのは、江戸末になっての化け猫で、浮世絵を復興する攻撃的な末期症状が、明治維新を切り開いていった。ここでの猫もそうした系譜に置き直してみると、美術史に正しく位置付けることができるだろう。

 おどろおどろしいイメージの源流は、さまざまな先行例と対応している。先のボスとブリューゲルだけではない。奇想の系譜の本命、若冲の鶏も描き出されるし、猫の風神雷神図もある。伝統をパロディとして、笑ってみせる風刺精神には、頼もしい大衆文化の反逆が読み取れる。

 「双子」へのこだわりもまた、猫に向けるまなざしと共通するものだろう。目のまわりが黒ずんだ虐待をうかがわせる双子の姉妹は、ダイアンアーバスのフリークスを思わせるし、ある程度の年齢を経た者なら、キューブリックのシャイニングの異様を連想するかもしれない。マニアックなまでの草木の増殖に囲まれた装飾は、アール・ヌーヴォーというよりも、ヨーロッパ中世の森のメルヘンとグリーンマンの妖精譚に近いものだ。

 絵画史の正統な異端の系譜に属しながら、大衆的基盤を獲得しているのは、イラストレーターとして名をなす現況が証明している。先立って世田谷文学館での開催を知りながら、神戸展を待っていただけの見ごたえある展覧会だった。


by Masaaki KAMBARA