柿本人麿と明石 -歌・信仰・文化-

2023年5月24日~7月 2日

明石市立文化博物館


2023/7/1

 明石市はけっして全国区ではないが、全国的に誇れるものがいくつかある。柿本人麿はそのひとつだろう。歌人としての姿だけでなく、神格化されていく文化史の流れを紹介している。柿本神社に隣接した月照寺が寄託している文化財を中心にして、人麿にまつわるさまざまな円弧が輪を広げている。周辺に位置するものとして、松本清張が明石を代表する老舗旅館である人丸花壇の宿帳に記したサインと横顔の自画像が興味を引いた。「Dの複合」の取材で明石を訪れたときのもののようだ。自虐的とも取れる、特徴的なこの作家の横顔を、みごとにとらえた筆跡を見ながら、人麿の人となりと重ねてみた。

 謎めいた人物である。松本清張が惹かれただけではない。梅原猛が「水底の歌」で追跡した学術的推理も、ミステリアスに推移する。「三十六歌仙絵及和歌色紙」(月照寺所蔵)は三十六歌仙を九人すつ四面にした屏風である。トップに出てくる人麿の10cmほどの肖像を拡大してチラシに使っているが、これがなかなかいい。だらしなく寝そべった姿もよく見かけるが、ここでは正座というわけではなく、上目がちにはすに構えた姿勢が、歌人としてのスタンスを物語っていて、興味をそそる。

 人麿信仰は奈良時代の歌人を神社の看板にふさわしいものに変貌させていった。花園大学歴史博物館蔵の白隠の文字絵「人丸図」がきていた。歌人の変貌をユーモラスに読み取れておもしろい。片膝をついてリラックスする人麿の輪郭をなぞるように歌が隠し込まれている。「ほのぼのとあかしの浦の朝ぎりに 島かくれゆく舟をしぞ思ふ」は読みづらいが、頭から肩にかけてひらがなの「あかし」はくっきりと見える。これが左に書かれたもうひとつの歌に対応している。こちらは「焼亡(じょうもう)は かきの本もとまで 来たれども あかしと云へは 爰(ここ)に火とまる」とある。ここでも「あかし」の崩し文字が左右で対照をなしている。「火とまる」は人麿とのダジャレで、「爰(ここ)に」の文字の先をよく見るとロウソクになっていて、火の用心を喚起する。神社の繁栄には祈願の対象として火事は必須の事項だった。さらに安産の祈願にも使われたが、人丸という当て字で、まるまるとした赤ん坊が生まれることを暗示させた。歌人は火人であり、家人でもあったということだ。江戸文化が豊かな庶民文化に結晶させたようで、古代を現代と結ぶ重要な中間地帯をなしていたようだ。


by Masaaki Kambara