熊谷守一 いのちを見つめて

2019年09月28日~11月04日

岡山県立美術館


2019/10/11

 大作はないが味わいのある小品が輝きを増している。初期の薄暗い陰気な重圧感が急速に影を潜めて、カラリストになってゆく展開が興味深い。浮世離れをした画家だとは思うが、人の世と時代の悲哀を一身に受け止めていることは確かだ。究極の貧困の中で、絵が売れることの喜びを得る。赤い輪郭線をもった独特の単純化は、繰り返しパターンとして量産されている。誰もが所蔵してみたいという一作だ。花の名が無数にあるように、動物も植物も、プライベートルームの壁面に収まるサイズで完結している。ある時は牛が一頭描かれている。同じサイズで昆虫が並んでいる。大小の差はあっても同じ一個の命という限りでは同等だという主張が聞こえてくるようだ。

 一点一点が丁寧に仕上げられているという特徴は、クレーの絵と比較したくなってくる。同じような小品なのにすべてが異なった味わいを持っている。赤い輪郭線と言ったが、よく見ると塗り残しである場合が多い。地肌の赤い色層が露出しているのだ。上から塗られた線ではなくて、深くえぐられた溝のようにも見える。これらは1960年前後の量産品だが、1880年生まれの画家だから、80歳の作品ということになる。時代によっては、力強く輪郭線の跡にタッチが残るものもあるが、手法としては逆である。日本画に興味を持った時期と連動しているかもしれない。表現主義が前面に出て、自由な描きなぐりを楽しんでいるようだ。それはこの画家のもう一つの魅力である。

 クレーになぞらえた小品の筆跡は実に繊細で、丁寧に時間をかけて、色を置いている。かといって筆跡をなくすというミニマリズムの意識はない。一見するとフラットなポップアート調ではあるが、目を近づけると命が息づいている。蟻にまで同等の生命を感じ取る眼差しと連動するものだろう。蟻はどちらの足から歩き出すかという禅問答のような問いかけの中に、この画家の宇宙観は潜んでいる。昆虫に向かうのと同じ視点で、山の峰も登場する。単純化が行き着くと円相だけの日輪へと至る。 

 太陽も蟻一匹と同じサイズの世界を持っている。さすがに3ミリ大の蟻を30センチサイズのキャンバスに引き伸ばすのが非常識だとなると、蟻は3センチまで拡大して、まわりに大きく縁取りをとった絵にしてしまう。縁取りの色彩感覚がそれを不自然には見せないところは天性のものだろう。原色を叩きつける表現主義ではなく、マイルドな混色が心地よい深みを伝えている。一言では名づけられない色のニュアンスを持っているのも、クマガイの特性だ。そんな時はクマガイモリカズと色面の上から引っ掻いたカタカナのサインを残している。

 カラリストの側面は現存する初期の脂派の絵とは結びつかない。ロウソクの光に魅せられた目には、色彩は見事にカットされている。ただ脂がこびりついているだけだとすれば、モネの絵のようにクリーニングをすると見違えるような色彩画家であったことがわかるのかもしれない。青木繁を同期として、東京美術学校を主席で卒業し、黒田清輝から高く評価されたというのだから、黒田は熊谷の色彩感覚を見抜いていたということにならないか。黒田が脂派を持ち上げるわけはない。青木繁は90歳代まで生きる必要はなかったが、熊谷が青木のように30歳代で死んでいたなら、画家として名が残ることもなかっただろう。もちろんどちらが良い生き方だなどとは言えない話ではある。


by Masaaki KAMBARA