ジャンギャバン

a sentimental diary of the movie

第25回 2022年11月16

フレンチカンカン1954

 ジャンルノワール監督、ジャンギャバン主演。三番目の登場人物はジャンギャバン、アランドロンとの共演も多く、味のある俳優である。初老の興行主の舞台にかける情念を追う。踊り子との恋にならないいっときの感情も、非情にみえるまでにそれを捨てる使命感が伝わってくる。若い娘をめぐるバトルに貧しいパン職人の若者と、富裕な王子とに混じって、初老の男が加わったようにみえる。娘は選択を迫られている。娘は結婚を夢見ている。

 ゆったりとしたジャンギャバンの演技がいい。のっそりとした動きなのに娘と踊るとき、こんなに素早く動けるのだという驚きのシーンがある。娘が嫉妬から舞台をボイコットするときに、連発のセリフで本音を吐露するシーンがいい。個人的感情を捨てて、アイドルを育てようとしたジャニーさんの思いを知ったような気がした。

第26回 2022年11月19

望郷1937

 ジュリアンデュヴィヴィエ監督作品、ジャンギャバン主演による。男と女が出会ったのはカスバ、ふたりにとってそこはパリからはるか隔たった異境の地だった。男は警察から追われる身、カスバに逃げ込む。魅惑的な街で人種のるつぼになっている。実景で映し出され、カスバの市街の解説がはさまれる。フランス化したアフリカのエキゾチックは、「モロッコ」1930からはじまり、のちの「カサブランカ」1942に引き継がれていく系譜だ。女に会いたくてカスバを出て、計略にかかって、出航する女を探すがつかまってしまう。船が出てゆくラストシーンは、のちの「霧の波止場」へとつながってゆく。ジャンギャバン演じる男の叙情の典型である。


霧の波止場1938

 イタリア映画に比べるといかにもフランス映画というもの。とぼけた三人組の悪党がコメディタッチでおもしろい。くたびれた軍服姿でもっさりとしたジャンギャバンの自然体と対比をなしている。この悪党が最後の鍵を握ることになるので重要人物だが、いくら強くても飛び道具にはかなわない。悲しい女の運命を演じたミシェルモルガンがいい。最初に登場したときのレインコートを着た謎めいた魅惑が輝きを放っていた。

第27回 2022年11月20日

獣人1938

 ジャンルノワール監督作品、ジャンギャバン主演。女はこわいという話。人妻に恋をしてその気になって、殺人まで起こそうとするが、発作的に愛する人妻のほうを殺してしまう。呪われた遺伝子を恨み、自死へと至る。主人公は機関士である。真っ黒な顔ですすにおおわれるが、当時最先端の花形の職業だったはずだ。機関車を恋人のように愛称で呼んでいるのは、凶暴になる血の宿命から逃れる防衛本能からだろう。女性を避けようとするのに、もうひとつの本能が頭をもたげてきて、悲劇へと至るのである。

 ルノワールの映画では、ときおり必要以上に長いシーンが登場する。ストーリーを置き去りにした映像美を形成している。ここでは冒頭とラストでの機関車の操縦席から見える前方の線路が続く景色である。19世紀末のゾラの小説が下敷きだとすれば、それは当時最先端のスピードの象徴だったはずだ。今見てもその映像から疾走感は伝わってくる。映画術発明のリュミエール兄弟へのオマージュとして列車の登場を受け止めることも可能だろう。

第28回 2022年11月23

レミゼラブル1958

 ジャンギャバンがいい。血のつながらない娘に寄せる父の歓喜と悲哀が説得力をもって迫ってくる。前科者の烙印は生涯つきまとうが、無償の愛に接して生まれ変わる。盗まれた燭台を与えたのだと言って救ってくれた宗教家の心情が、盗人の心をよみがえらせた。盗人は市長にまで昇り詰めるが、過去が暴き立てられる。

 娘の恋人を命をかけて救出する。娘夫婦にみとられながら死にゆくなかで、死者の目が、ロウソクをともした燭台に向けられる場面は、何のセリフもナレーションもないのに、感動をよぶ。娘との出会いが走馬灯のようによみがえってくる。娘婿に向けるエールが嫉妬心をともなって、素直に喜べない。レミゼラブルを「ああ無情」と訳した真意はここにあるのか。手塩にかけて育てた娘を奪われる父親の哀しみは、時代も民族もこえて、共通するものだろう。それでも娘の喜びを思うと命がけで、この革命に命をかける若者を救おうとする。


レミゼラブル1998

 ジャンバルジャンも適役だとは思うが、悪役の警部のほうが存在感を増して見える。セーヌ川に身を投げて自殺するのは、前作と同じだが、そこがクライマックスとなって映画は終わってしまう。それにしても不可解な死だ。それに対するジャンの反応もあいまいで、最後は笑みを浮かべている。自由を獲得した喜びとも取れるが、それはあまりにも月並みな解釈に思える。

 前作ではその後のジャンバルジャンの死まで描いていて、そこに人生の悲哀を映し出していた。ミュージカルを原作にした2012年の映画化も見ておきたいと思った。もちろんユゴーをしっかり読んでおかないと、いいかげんなことは言えない。

第29回 2022年11月24

ヘッドライト1956

 大型の長距離トラックが霧雨のなかを走る。先が見えない風景描写は、この映画の通奏低音となって響いている。これぞフランス映画の醍醐味アンニュイが、全編に立ち込めた映画である。ジャンギャバンの持ち味をいかんなく引き出したもので、急ぐことのないゆっくりとした歩き方は独特のリズムを取っており、見るものを引き込んでいく。

 気だるさを加速するのはテーマ曲の旋律で、人の心をどこまでも落ち込ませるものだ。しかしこれが心地よく響くのは、それが普遍的な純愛ドラマのようにみえるからだろう。もちろん初老とも思えるトラック運転手と若いレストランのメイドとのふつりあいな恋愛の話なのだが、親子ほどの歳の差を楽しむなら、恋の冒険譚で終わる。歳の差を悲しむところに人の世の不条理と真実が、物語に託される。

 相手に知られないまま妊娠中絶をし、その疲労も手伝って病の末、女は命を落としてしまう。男は最後は何事もなかったかのように、もとの家庭生活に戻ることになる。なにも好んで妻も子どももいる男のもとに走ることもないのにと思ってしまう。幸薄い女を演じたフランソワーズアルヌールのコケティッシュな陰りが、いつまでも尾を引いていた。

30回 2022年11月25

陽は昇る 1939

 マルセルカルネ監督作品。なんともやりきれない映画である。ジャンギャバンはまだ若く、後年を知るものには想像しがたい。ふだんは落ち着いて見えるが、ときに激しやすい殺人犯の役を演じている。一人の女をめぐる男同士の駆け引きが、殺人にまで発展した。部屋に立てこもり追憶するなかから、殺人に至る事情が明かされていく。娘は危険な塗装工をしている男に愛情をいだきながらも、親子ほど歳のちがう別の男との関係が絶てない。娘の選択肢は潔癖な男のプライドを傷つけ、若さを失ったもうひとりの男のジェラシーを引き起こす。娘の実の父親だという話まで聞かされると、はじめ信じ込むが、作り話だとわかると怒りが加速する。思わず拳銃の引き金を弾いたという印象だが、前作との関連でいうと、遺伝子のなかに潜む「獣人」の血を感じさせるものだった。

第31回 2022年11月27

大いなる幻影1937

 ジャンルノワール監督作品。ジャンギャバン主演。ドイツ軍に捕まったフランス人が捕虜収容所から脱走する話。仲間三人のうち一人がおとりとなって、そのすきに二人が逃げ延びる。見どころはおとりとなったフランス軍大尉とドイツ軍幹部とのやりとりにある。同じ軍人という立場の共感から、発砲を躊躇するが、使命に殉じざるを得ないジレンマが描かれる。多くの捕虜が収容されるが、不思議なほど扱いは寛大で、自由が確保されている。なぜ脱走をしないといけないのかが、不思議にも思えてくる。

 ドイツ領内にある民家に逃げ込み、子どもと二人で暮らすドイツ人女性にかくまわれる。夫は戦死してしまっていた。滞在中ジャンギャバンと恋仲になるが、戦争が終わると戻ってくると言い残して立ち去る。幻影(イリュージョン)という語が出てくるのはここで、戻ってくることなどできるのかという平和の幻影のことである。悲観的状況は続き、ドイツ軍は追ってきて銃撃するが、国境を越えたところで追撃をやめてしまう。戦争という不条理のゲームがおもしろいところでもある。アメリカ映画を見ていても、犯罪者がハイウェイを逃走し、州警察が追ってきて州境まてきて引きかえす場面にでくわす。江戸時代にも駆け込み寺というのがあった。逃げてゆくふたりの後ろ姿で映画は終わる。

 意思疎通できないフランス語とドイツ語の男女が恋心をいだきあうというところに、考えさせられるヒントがあるようだ。のっそりとしたジャンギャバンの後年しか知らないものには、はつらつとした美男子なのに驚くが、アクションを売り物にする役者では、決してない。


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