第852回 2025年9月22日
山崎貴監督作品、西岸良平原作、山崎貴、古沢良太脚本、吉岡秀隆主演、堤真一、薬師丸ひろ子、小雪、堀北真希、須賀健太共演、日本アカデミー賞最優秀賞を12部門(作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞・助演男優賞・助演女優賞・音楽賞・撮影賞・照明賞・美術賞・録音賞・編集賞)で受賞、133分。
昭和33年に完成する、東京タワーが半分ほどできあがっている頃の、東京下町での人情物語である。舞台は小さな自動車修理工場(鈴木オート)とその向かいにある駄菓子屋(茶川商店)と、最近開店した居酒屋(やまふじ)である。
工場には集団就職で青森からやってきた娘(星野六子)が、社員として働きはじめる。社屋はビルだと思っていたが、あてが外れてがっかりしている。会社案内とは大きく異なっていた。妻(トモエ)と小学生の息子(一平)が同居する家内工場だった。上野駅に迎えに行ったのは、社長(鈴木則文)の運転するオート三輪(ミゼット)だった。
社長は怒りっぽく、履歴書に自動車修理ができると書いていたのに、ジャッキが何かも知らず、詐欺だと言って怒り出す。娘も負けてはいなかった。きたない町工場だとは会社案内からは読み取れず、やはり詐欺だと言って抵抗する。妻が履歴書を見直すと、自動車ではなく、自転車修理ができると書いてあった。社長は読み違いだったことを認めて頭を下げている。
娘はよく働いてくれた。今はまだきたない工場だが、社長はこれからは車の時代だと言って、自分の先見の明を強調した。近所に先駆けてテレビを買うと、大勢が集まって、力道山のプロレスを楽しんだ。冷蔵庫も買ったが、ともにすぐに故障した。シュークリームを腐らせてしまうと、青森の娘は残念がって、黙って食ってしまった。
駄菓子屋の主人(茶川竜之介)は小説家だった。いなかの裕福な出身だったようだが、文学にかぶれて勘当となり東京に出てきて、親戚の駄菓子屋に居候に入った。高学歴で東大の文学部を出ている。
経営者が亡くなって、今はあとを継いで子どもを相手にしている。純文学をめざすが芽が出ないままで、子ども雑誌の物語を書いて糧を得ていた。人前では児童文学も手がけるのだと言っている。
居酒屋は最近店を開いたが、美貌のマダム(石崎ヒロミ)をめあてに、近所の男たちが集まってくる。知り合いから小学生になる子ども(古行淳之介)を預かっていた。母親(和子)は子どもを置いて逃げてしまっていて、代わりに育ててくれる人がいないかと探していた。
目をつけたのは客のひとりだった。店の経営者だと聞いていての判断だったが、あとで聞くとしがない駄菓子屋だった。飲み仲間からは文学とあだ名されている。子どもの親になってほしいと近づいて行くと、勘違いをして酔った勢いでその気になり、子どもを連れ帰った。
翌朝、起きると少年がいて驚く。戻そうとするが居酒屋はまだ開いてはおらず、いつまでも着いてきて離れない。お前とは血のつながりのない他人なんだぞと繰り返して言うが、出て行くそぶりを見せない。
小説を書いている横に、ぴったりとくっついているので、10円のこずかいを与えて追い出すが、すぐに戻ってくる。少年雑誌が置いてあって、開くと執筆者名に駄菓子屋の名が書かれていて少年は驚く。これまでも気に入って読んでいた小説だった。子どもの目の色が変わり、尊敬されると気分を良くして、愛読者が増えたと喜んだ。
マダムが気になってやってくる。カレーを作って、3人そろって食べると、ほんとうの親子のように思えた。マダムが勢いでこのままいっしょになろうかと持ちかけた。女は言ったあとすぐに冗談だと否定したが、男は真剣に受け止めはじめている。
少年の母親が見つかったと言う情報が入った。大人の間での話だったが、少年の耳にも入ってしまう。少し離れたところの和菓子店(藤戸屋)に住んでいることを知る。
少年は同級生だった自動車工場の息子を誘って会いにいく。土壇場になって帰ろうと言うが、友は入っていった。迷惑がかかるかもしれないと遠慮したが、友は実の母親じゃないかと励ました。
店の主人が出てきて母の名を伝えるが、そんな女はいないという答えだった。本人は逃げるようにして去ると、奥に隠れていた母親が姿を見せて、もう帰ったかと確認していた。息子の鋭い感性は、母が会いたくはないと予感していた。
暗くなってふたりの少年は途方にくれている。帰りの電車賃がなく、友は穴の空いたセーターに肘当てをつけてくれた母親が、お守りを入れてあると言っていたのを思い出す。開いてみると、困ったときに使うようにと、お守りの代わりに紙幣が入っていた。
二人が行方不明になったことを、家では心配して待っていた。工場の一家と駄菓子屋とマダムがいるところに、少年たちが帰ってくる。真っ先に駆けつけたのは駄菓子屋で、居候の少年を殴りつけた。全員が張り手の音に驚いた。どれだけ心配したことかと言っている。マダムも実の親子以上のものを感じ取って、感動している。
クリスマスがきて、子どもたちにサンタがやってくる。工場では父母が息子と住み込みの従業員に、プレゼントを贈った。従業員には青森行きの切符だったが、表情を曇らせていて、その後、返しに来る。自分は追い出されて来たのだと言い、誰も待ってはいないことを打ち明ける。口減らしということばも出ていた。
子どもを可愛くないと思う母親などいないと言って、毎月届いていた青森からの手紙を娘に渡した。心配する気持ちが綴られていたが、里心がつかないように、娘には見せないよう書かれていた。本心を知ると娘は身支度をして上野駅に急いだ。玄関には乗り遅れないよう、社長がオート三輪で待ち受けていた。
駄菓子屋の居候には万年筆が贈られた。少年の空想力は素晴らしく文才があった。そのアイディアを盗んで雑誌に掲載したが、後ろめたい気持ちから黙っていた。少年がやってきて涙ぐんでいる。
盗作を悪かったと詫びて、使用代金を提示するが、首を横に振る。足りないのかと原稿料の半分をと言っても首を横に振った。どうすればと聞くと、嬉しいのだと言った。自分の考えたことが本になったことを喜んでいたのだった。
少年を訪ねて父親(川渕康成)がやってくる。会社を経営する社長だった。芸者が生んだ子どもであり、去っていった女には未練はないが、血のつながる息子は引き取りたかった。駄菓子屋にもそれなりのお礼をと言って、乗り付けて来た車で、息子を連れ去っていく。
駄菓子屋は子どもが裕福な生活が送れることを願って、背中を押した。少年が大事そうに手にしている万年筆を取り上げて、窓越しに駄菓子屋に返した。これからは一流品しか使わせないと、子どもに言い聞かせている。
送り出しはしたが心は晴れなかった。悔いを残して追いかけはじめたが、その先に子どもが立っていた。なぜ戻ってくるのだと、もう一度突き放すが、戻ろうとはしない。同じことを何度も繰り返して、その度にお前とは赤の他人なのだと言い続け、最後には強く抱きしめることになる。
サンタの役は、マダムが頼み込んでなじみの客のひとりだった医師(宅間史郎)が演じてくれた。空襲で妻子を失ってひとり暮らしだったが、飲み過ぎると亡くした妻子が妄想で登場していた。飲みすぎないようセーブしながら、居酒屋の客になっていた。
工場の息子の往診にも来ていて、息子は医師の名(タクマ)をもじって、悪魔だと言って、注射を恐れていた。従業員も腐ったシュークリームを食ったときに、腹痛でお世話になっていた。
駄菓子屋からマダムへのプレゼントは指輪だった。ただし中身を買う余裕はなく、箱だけだった。そわそわとしながら決断を伝えたが、マダムは開いて薬指につけて、かざして見ていた。
中身は原稿料が入ってからと言い訳をしていたが、マダムは年明けとともに店を閉じて姿を消してしまった。父親の借金をかかえていて、もといた店に戻り、踊り子となっていた。今どき珍しい、江戸時代のような話である。
外に出て出番を待っていると、声をかけられた。指輪の箱を手にしており、中身を心待ちにする姿が希望をつなぐ。年が明けて住人は、それぞれに目を上方にあげていた。見上げる先に最後に映し出されたのは、完成したばかりの東京タワーだった。違和感のないCG映像に驚嘆しながら、映画は終わった。