高松コンテンポラリーアート・アニュアル vol.07 つながりかえる夏
2018年7月27日(金)~9月2日(日)
高松市美術館
2018/8/19
4人の作家の紹介である。それぞれに個性をもった表現だが、共有するものもある。それは同時代を生きる芸術の必然性と呼びかえてもいいが、同時代性のことを英語ではコンテンポラリーの語を用い、日本語では現代と訳している。背景には現況を把握するための膨大な蓄積があるという点で一致する。
下道基行は写真家だが、芸術写真を手がけているわけではない。かと言って記録を伝える報道写真家でもない。一点の決定的瞬間を狙ったものでもなく、シリーズとして繰り返し見ていく中で、じんわりと凄みが現れてくる。杉本博司の海のシリーズに代表される固有名詞をもった存在感という点で、共通する風景写真と言ってもよいか。
鳥居のシリーズは、一見すると鳥居のある風景と呼び直してもよいものだ。隠されていてどこに鳥居があるのか、探さないと見つからないものもある。どこにもないことがわかると、鳥居から撮影したものだという切り返しもできる。
シリーズ名を英文で「torii」とすることで、ただの鳥居でないことがわかる。さらにタイトルにサハリンなどの地名が読み取れることから、特殊な風景であることが判明する。人物は登場しない。草原に鳥居がぽつんと立っている。もともと鳥居とはそうしたものだが、この神域確保の象徴は、目に見えないバリアとなって、先の戦争に加担したのだということが、だんだんと見えてくる。
ローマやパリで言えば凱旋門のようなものだが、自国での勝利のモニュメントではない。外地に残された戦争の傷跡であり、戦没者の遺骨探しのような終わりのない旅の証言が、ここにあるのだと知ると、執念にも似た情動が、それぞれの写真に重ねられていく。密林化した草木の間に、鳥居の輪郭がおぼろげに見える(1)。桜の季節、階段の奥にあるはずの鳥居は隠されて見えない。
資料展示として鳥居のある絵葉書がガラスケースに並べられている(2)。以前横尾忠則が集めた滝の絵葉書の膨大な量に唖然としたことがあったが、確かにそれは執念としか言いようはない。芸術以前の準備体操にすぎないが、芸術に結晶するための必須のアイテムであることがよくわかる。
今回の展示は鳥居に加えて、津波石のシリーズが紹介されている。四台のプロジェクターに投影された映像作品である。巨大な石が一つ、平原に置かれた風景だ。ほとんと動かないので写真と言っていいのだが、その前に人が群がり記念撮影をしているドキュメントも含まれている。
「津波石」というタイトルに出くわして、はっとするという手順をなすが、風景としては砂漠に孤立するピラミッドのある観光写真に似ている。宇宙から飛来した隕石にも等しいが、人智を超えた自然のいたずらである。いたずらは人が前に立つと猛威に名を変えることも教えてくれる。
山城大督のトーキングライツは、一瞬でわかる美術作品ではない(3)。映像作品でもなく、演劇の舞台に近いが、演じているのは役者ではなく、個性をもった収集品、言い換えればガラクタと言っていい物たちだ。雷門の太鼓や、潰れた人形のかしらや大きなしゃもじが、舞台の上に置かれ、身振りを交えて寸劇を演じる。20分ごとに自動的に上演はプログラムされているようだ。解剖台の上でミシンとコウモリ傘が出会ったようなシュールな光景は、独特の雰囲気に包まれる。スポットライトの点滅も加わって、盛り上がりが演出される。
藤浩志の部屋は、ところ狭しと無数のプラスチックのオモチャが並ぶ(4)。ドラえもんの人形やカラフルなキャラクターが、廃品としてゴミの山を形成する。個々のパーツは趣味の収集品だが、潰れているものも多く、コレクターの収集癖の異様さは、マニアックな現代の狂騒を象徴する。
しかしその人工美はカラフルで、あちこちで立ち上がる恐竜は、メガロポリスをのし歩くゴジラの姿に等しい。プラモデルやロゴが作り上げた巨大な箱庭は、統一感のある人工都市を形成している。侘び寂びを基調にした日本文化とは対極にある西洋文化の美の結晶を端的に語り始めていく。目を細めてパーツのディテールをぼかすと、原色の街が立ち現れてくる。廃物の集積が美の統一へと変容する。
千葉尚実は、似て非なるものを積み重ね、儀式のもつ異様さに気づかせる。扱われた主題は「集合写真」(5)と「石積み」(6)と結わえられた「おみくじ」である。ともに風習として受け入れてはいるが、改めて見直してみると異様な光景である。それを仮想的に再現することで、人間の心の奥に潜むデーモンのありかを探ろうとしている。
卒業アルバムは、すべてが同じ顔をした澤田知子の世界を連想させるが、異なるのは写真ではなく手描きによる肖像画である点で、当然同じ顔は一つとしてない。それは小石の一つひとつが、違う顔を持っているのと対応している。ただし積みやすい石と積みにくい石の違いがあるという点で、全体としては、メリハリのある風景が誕生し、絵になる光景が築かれていく。
最後のおみくじも、結び方は人それぞれで、観客が参加することによって、集合風景は完結する。これが最後の展示だが、そこに印された鳥居のマークは、展示の始まりへと戻す循環をなし、脈絡のないはずの四章構成に起承転結を付けようとしているように見える。