新藤兼人
「映画の教室」by Masaaki Kambara
「映画の教室」by Masaaki Kambara
第882回 2025年10月28日
新藤兼人監督・脚本、乙羽信子、宇野重吉主演、滝沢修、殿山泰司共演、97分。
映画界の脚本家の生きざまなどには、誰も興味はないだろうと断りを入れながら、物語はスタートする。いちずに信念を持ち続けることによって、何ごとも成就するのだという普遍的な真理と、子どもの幸せを願う親の気持ちの常識的な判断とが、背中合わせになって火花を散らしている。
才能に不安を持ちながらシナリオライターをめざす男(沼崎敬太)と、それを励ます妻(石川孝子)の物語である。男は映画撮影所に通いながら、10年間脚本を書き続けていた。近隣の家の2階に間借りをしていて、そこの家主の娘と恋愛関係になっていた。父親(石川浩造)は建築士であり、映画には興味はない。
母親(石川弓江)は結婚をしたいという、娘の希望を聞き遂げてやりたいと思っている。父親のほうは生活力のない男は問題外だった。結婚がことわられると、男は部屋から追い出される。
アパートを見つけてひとりで住みはじめると、娘がやってくる。父親とけんかをして家を出てきたのだという。父親は仕事の関係で一家は引っ越しをすることになったが、娘はついてはいかなかった。男のアパートに住み着いて、親の許可もないまま結婚をしてしまう。
戦時下の東京の撮影所では、映画会社が合併され、主人公は職を失うことが濃厚になると、妻に相談する。いまの職場を紹介してくれた会社役員が京都の撮影所にいることから、事情を話してみてはと投げかける。
妻を伴って京都行きを決意する。途中で妻の両親を訪ねてあいさつをするが、父親は会おうとはしなかった。母親はあんな人なのでと言い訳をし、娘はあきらめをつけていた。娘を心配して父親がひとりで、アパートを訪ねてきたことがあった。連れ戻すためだったが、娘は従わなかった。
京都で訪ねた役員は、機会を与えようと、著名監督(坂口)の脚本を仕上げる仕事を任せてみた。採用試験だと思ってくれと言っている。主人公は喜んで、取り掛かるが出来上がって持っていくと、監督は映画になっていないと罵倒する。
主人公は落ち込んで、仕事を投げ出し別の仕事をすることを切り出す。妻はあなたは肉体労働など無理で、シナリオを書くことしかできないと説得して、撮影所に出向いて、一年間の猶予を願い出る。
主人公もその気になり、一からのやり直しがはじまっていく。シェークスピアをはじめ世界中の戯曲を読み直し、勉強の日々が続いた。収入はなかったが、妻は一年間と区切って、そのくらいなら何とかなると言っている。母親は隠れて娘に仕送りを続けていた。
貧乏長屋での生活だったが、娘はやわらかな京ことばもしゃべれるようになった。隣人には友禅の下絵かき(安さん)もいて、同じように認められないまま、老境に入っていた。
偏屈だったが、主人公を励まし、やり続けることが大事だと繰り返し言う。自分には才能はなかったとうなだれると、主人公は老人が今でも描き続けていることを讃えた。
最後のチャンスとして、この監督からシナリオ執筆の機会が与えられる。このとき妻が血を吐いて倒れてしまう。急性の肺結核だった。妻の看病もあって、思うように書けない状況を、役員は知っていて監督にもそれとなく伝えていた。
妻は自分が長くないことを感づいていた。夫が両親に伝えると母親が駆けつけてくる。娘とふたりになったとき、実家に戻って療養するよう持ちかけるが、娘はここで夫のもとにいると言い張った。父親は見舞うことがなかったが、主人公と顔を合わせれば、尋常に対することはできなかったにちがいない。
死の床にあって妻は監督に会いたいと訴えている。車で駆けつけてくれたが、そのとき監督は主人公がよいシナリオを、書き上げてくれたことを妻に知らせた。夫のことをよろしく頼むと言って、息を引き取った。
主人公の表情からシナリオは必ずしも、出来栄えがよかったとは思えないこともわかる。妻を安心させるための、この厳格な監督の思いやりだとすれば、それにもまして、良いシナリオを書き上げねばならないという思いは強まったはずだ。
このデビュー作が、新藤兼人監督にとっての自伝作品であるのなら、シナリオライターの腕前は、その後半世紀を越える経験をへて、確かに飛躍したということになる。