新藤兼人
「映画の教室」by Masaaki Kambara
「映画の教室」by Masaaki Kambara
第882回 2025年10月28日
新藤兼人監督・脚本、乙羽信子、宇野重吉主演、滝沢修、殿山泰司共演、97分。
映画界の脚本家の生きざまなどには、誰も興味はないだろうと断りを入れながら、物語はスタートする。いちずに信念を持ち続けることによって、何ごとも成就するのだという普遍的な真理と、子どもの幸せを願う親の気持ちの常識的な判断とが、背中合わせになって火花を散らしている。
才能に不安を持ちながらシナリオライターをめざす男(沼崎敬太)と、それを励ます妻(石川孝子)の物語である。男は映画撮影所に通いながら、10年間脚本を書き続けていた。近隣の家の2階に間借りをしていて、そこの家主の娘と恋愛関係になっていた。父親(石川浩造)は建築士であり、映画には興味はない。
母親(石川弓江)は結婚をしたいという、娘の希望を聞き遂げてやりたいと思っている。父親のほうは生活力のない男は問題外だった。結婚がことわられると、男は部屋から追い出される。
アパートを見つけてひとりで住みはじめると、娘がやってくる。父親とけんかをして家を出てきたのだという。父親は仕事の関係で一家は引っ越しをすることになったが、娘はついてはいかなかった。男のアパートに住み着いて、親の許可もないまま結婚をしてしまう。
戦時下の東京の撮影所では、映画会社が合併され、主人公は職を失うことが濃厚になると、妻に相談する。いまの職場を紹介してくれた会社役員が京都の撮影所にいることから、事情を話してみてはと投げかける。
妻を伴って京都行きを決意する。途中で妻の両親を訪ねてあいさつをするが、父親は会おうとはしなかった。母親はあんな人なのでと言い訳をし、娘はあきらめをつけていた。娘を心配して父親がひとりで、アパートを訪ねてきたことがあった。連れ戻すためだったが、娘は従わなかった。
京都で訪ねた役員は、機会を与えようと、著名監督(坂口)の脚本を仕上げる仕事を任せてみた。採用試験だと思ってくれと言っている。主人公は喜んで、取り掛かるが出来上がって持っていくと、監督は映画になっていないと罵倒する。
主人公は落ち込んで、仕事を投げ出し別の仕事をすることを切り出す。妻はあなたは肉体労働など無理で、シナリオを書くことしかできないと説得して、撮影所に出向いて、一年間の猶予を願い出る。
主人公もその気になり、一からのやり直しがはじまっていく。シェークスピアをはじめ世界中の戯曲を読み直し、勉強の日々が続いた。収入はなかったが、妻は一年間と区切って、そのくらいなら何とかなると言っている。母親は隠れて娘に仕送りを続けていた。
貧乏長屋での生活だったが、娘はやわらかな京ことばもしゃべれるようになった。隣人には友禅の下絵かき(安さん)もいて、同じように認められないまま、老境に入っていた。
偏屈だったが、主人公を励まし、やり続けることが大事だと繰り返し言う。自分には才能はなかったとうなだれると、主人公は老人が今でも描き続けていることを讃えた。
最後のチャンスとして、この監督からシナリオ執筆の機会が与えられる。このとき妻が血を吐いて倒れてしまう。急性の肺結核だった。妻の看病もあって、思うように書けない状況を、役員は知っていて監督にもそれとなく伝えていた。
妻は自分が長くないことを感づいていた。夫が両親に伝えると母親が駆けつけてくる。娘とふたりになったとき、実家に戻って療養するよう持ちかけるが、娘はここで夫のもとにいると言い張った。父親は見舞うことがなかったが、主人公と顔を合わせれば、尋常に対することはできなかったにちがいない。
死の床にあって妻は監督に会いたいと訴えている。車で駆けつけてくれたが、そのとき監督は主人公がよいシナリオを、書き上げてくれたことを妻に知らせた。夫のことをよろしく頼むと言って、息を引き取った。
主人公の表情からシナリオは必ずしも、出来栄えがよかったとは思えないこともわかる。妻を安心させるための、この厳格な監督の思いやりだとすれば、それにもまして、良いシナリオを書き上げねばならないという思いは強まったはずだ。
このデビュー作が、新藤兼人監督にとっての自伝作品であるのなら、シナリオライターの腕前は、その後半世紀を越える経験をへて、確かに飛躍したということになる。
第883回 2025年10月29日
新藤兼人監督・脚本、長田新原案、乙羽信子主演、滝沢修、宇野重吉、奈良岡朋子、北林谷栄共演、近代映画協会・民芸製作、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭平和賞、英国アカデミー賞国連平和賞受賞、 97分。
1945年8月6日の広島で、8:15に向かってスリリングに時計が動いている。原爆投下の数分前の日常生活から、映画ははじまる。日ごろと変わらない情景が、何でもなく写し出されている。家を出て登校したが、忘れ物に気づいて、引き返した子どもの姿が見える。
原爆で家族を失った娘(石川孝子)が、瀬戸内海の島に住む親戚に引き取られ、小学校教員を続けている。7年後の夏休みに、久しぶりに広島に戻って、かつて幼稚園に勤めていたころの教え子を尋ねようと思い立つ。船出のときに広島にはもはや家族も墓もなく、早く帰ってくるよう声をかけられていた。
広島ではまだ戦争の傷跡は色濃く残っていた。廃墟と化した原爆ドームや階段に座り込んで影が焼き付けられた人型が、映し出されている。路上で物乞いをする老人に出くわし、顔を見ると以前、娘の家にいた従業員(岩吉)だった。
恥を詫びて逃げようとするのを、引き止めて話しかける。家族を失い、孫と二人だけが生き残った。老人は顔にやけどを負っており目が見えず、不自由なからだをかかえながら、娘を自宅に招くことになる。
孫(太郎)は施設に預けていて、娘はようすを訪ねていくが、元気に仲間たちと生活を送っていた。孤児を預かる施設であり、親を亡くした子どもたちが、国の援助を受けながら、自活の道を探っている。
娘は老人に宿泊を願い出たが、とてもお嬢さんが泊まれるようなところではないと拒んでいる。それでも頼み込んで、苦労話を聞き、貧困生活を知ることになる。ひとりで生活するにはこれで十分だと慰めも言っていた。
広島時代の同僚(夏江)の家にも泊めてもらう。共稼ぎの夫が帰ってきてあいさつをする。養子をもらうことが決まっていて、夫はその手続きをしに出ていった。妻はピカに合って放射能を浴びたことで、子どもの生めないからだになってしまったことを打ち明けた。憎々しげに原爆をのろい語気を強めた。
教え子の消息を尋ねて歩き続ける。久しぶりの再会だったが、子どもたちはよく覚えていてくれた。ともに家族を失い、自身も原爆症に苦しむ者もいた。ひとりの少年(平太)の家では、姉(咲江)が嫁ぐ日を迎えていた。両親は亡くしたようで、年の離れた兄(孝司)が家族を養っていた。
姉は足を引きずって歩いている。原爆投下により引き起こされた負傷だった。従軍したいいなずけがいたが、消息不明でいた。足が不自由になったことから、結婚は諦めていた。無事に復員をして、まっさきに訪ねてきて、姉との約束をはたしたいと言ってくれた。
帰還したばかりで生活力がなく、待ってほしいと言われ、5年間待ち続けた日が、この日だった。兄に連れられて別れを告げて、嫁ぐ姿を主人公も見送ることになる。
老人と孫を見ながら、主人公は孤児施設にいる孫を、引き取って育てたいと考えはじめた。長年世話になった従業員への恩返しのつもりだったが、老人はそれだけはこらえてくれと訴えた。ただ一人の肉親である孫と、引き離される悲しみを読み取ると、二人して島に来ないかとも言った。こんな姿で世話になることはできないと否定する。
事情を見ていた隣家の老女(おとよ)が、親しくしていたことから、間に入って老人に言い聞かせる。老人は老い先が長くはない。孫の将来のことを考えれば、申し出を受けるべきだと。
老人は決意して孫を呼び、別れを切り出すが、孫はいっしょにいたいと言って、祖父に縋り付いて泣きはらす。老人も抱きかえして、引き離したりはしないと本心を語っていた。主人公ももっともなことだと納得して引き下がる。
老人は再び、翻心をして孫を主人公に託した。手紙を書いて孫に届けさせると、一人になった小屋に火を放って、自殺を図った。火事を見つけた老女が主人公のもとに駆けつける。
やけどを負って、瀕死の状態を見届けている。孫だけを乗せて連れていく船が、見送られている。これでよかったのかと、私たちに問いが投げかけられているような結末だった。
第884回 2025年10月30日
新藤兼人監督・脚本、徳田秋声原作、近代映画協会製作、乙羽信子主演、北林谷栄、宇野重吉、山田五十鈴、山村聡共演、131分。
借金のために芸者に出された娘(銀子)の生涯である。父(銀蔵)は東京の下町(佃島)に住む靴屋であり、娘もその手伝いをして仕事を覚え込んだが、稼ぎが追いつかず芸者に出ることになる。生来の陽気さからか、ためらいはなかった。飲み込みが早く、踊りもうまい。
下には妹がふたりいるがまだ幼く、さらに一番下は乳飲み子で、母親(お島)が背中におぶっている。芸者社会に溶け込んで、美人であることからすぐに客がつく。置き屋の主人(磯貝)まで手を出すが、女将が強くて柔道家の娘だった。頭が上がらずちょっかいを出したのが見つかると、投げ飛ばされていた。
宴席で若い男(栗栖)に惹かれて、恋心を抱いた。男のほうも女の危なかしい客とのつきあいを、冷静には見ることができないでいた。店の女将が急病で亡くなると、主人は娘を後釜にしようとする。
芸者仲間はうらやましがるが、娘は言うことを聞かない。無理強いされたのを逃げだして、心惹かれる男のもとに走る。男は医師であり、大きな家にばあやと二人で住んでいた。窓からのぞいているのを招き入れ、優しくされるが、芸者の身ではつりあいの取れるものではなかった。
あきらめをつけて、東京を離れることを決意し、雪深い北国で同じように芸者として、新たな出発をする。家族と別れて出ていくが、それも家族の生活を考えてのことだった。
逃げ出して実家に戻ったことがあったが、父親は娘の暗い表情を読み取っていた。何も言わずに店に戻り、主人から力づくで迫られていたとき、父親が乗り込んで、啖呵を切って娘を連れ帰った。
多額の借金をかかえていて、病弱の父には返済のめどはつかなかった。娘も昔のように靴の仕事を続けるが、埒があかない。結局は芸者に戻ることになるが、母親に伝えると、否定することなくそうしてくれるかという、返事しか返ってこなかった。下の妹が芸者にされることがないように、芸者は自分ひとりで十分だと、声高に伝えている。
雪国でもすぐに人気の芸者になっていた。仲間からは嫉妬の目で見られている。名家の若者(倉持)が気に入って、なじみの客になっていった。若者は結婚を切り出し、かつて父親が母親に贈ったという指輪をプレゼントする。
娘はまさか芸者の身でという驚きを感じ、幸せの極地にあった。そんなとき男の母親が店にやってくる。息子と別れてくれということだったが、野暮なことは言わないと切り出したのは、小さな家を用意するので、そこで関係を続けてもよいという。
考えさせてくれと答えるが、帰り際に母親は娘の指に目を止めて、自分の指輪に似ているとつぶやいていた。母親が来たことを男に伝えると、そうしてくれないかという返事だった。松島の観光旅行にお供をする仕事が入っているので、結論は帰ってからと言って旅立った。
帰ったとき仲間から新聞記事を見せられて驚く。名家どおしの婚礼と題して、見知らぬ令嬢と男との結婚が報じられていた。裏切られたという思いから、宴席の続く明かりを遠くから眺めながら泣き崩れた。
所詮は芸者に過ぎないのだとあきらめて、もう一度東京に戻ることになる。本名に加えて、三度名前を換えて、店に出ている。銀子、牡丹、寿々竜、晴子と続く。ここでもなじみの客に恵まれたが、遊び以上のものではなかった。割り切って、男を手玉に取って生き抜く知恵も覚えていた。
実家にも近く、妹が下の子を背負って訪ねてきた。父親の健康がすぐれず、生活苦を訴えた。屋台の焼き鳥屋で腹一杯食べさせて、手持ちの金を持たせて返した。帰り際に振り返って戻ってきて、やきとりがおいしかったと感慨深げに語った。
妹の咳が気になっていたが、次には下の妹がやってきて、上の妹が倒れたという知らせだった。このとき主人公もまた急病で倒れていた。不在だった店に運び込まれる。医者が呼ばれて駆けつけると、急性肺炎だった。
ライバルの芸者と激しいけんかをして、心身ともに疲れ切っていた。客を取り合う醜い争いだった。倒れたのを見舞った父親に、家に戻りたいと娘は訴えている。
父親は聞き遂げて、抱きかかえて戸板に乗せて戻る。医者も付き添ってくれた。薄れゆく記憶の前で、父親は家に帰ってきたのだと伝えるが、わかっていたかどうかは定かではない。
二階に寝かされたが、一階には妹が結核で寝込んでいて、命はいくばくもなかった。姉に会いたがっていると聞くと、父親は抱きかかえて降りて、姉妹を対面させる。妹は姉に、家族を頼むと言って息を引き取った。やきとりがおいしかったというのが、姉に向けての最後のことばだった。
主人公は快復していた。死にゆく妹から命をもらったように見える。家に戻った喜びもつかのま、ふたたび芸者屋に戻っていく。母親には帰りますと言ったが、父親には行ってきますと言っていた。母親は以前のようにそうしてくれるかという反応だった。父親は何も言えず、沈黙で返事に代えていた。
第885回 2025年10月31日
新藤兼人監督作品、乙羽信子主演、宇野重吉、殿山泰司共演、114分。
腹を減らした娘(ツル)が、線路わきに倒れていた。工員(徳さん)が見つけてパンを一個投げてやると、頬張って食っている。工場に出るとストライキで仕事はストップしていた。男は興味がないのか、ストの決行を知らなかった。
工員が住んでいるのは、粗末な住宅が並ぶ一角で、いろんな職業の家族が住み着いている。かつては名の知れた役者や、仕事もせずにいる知識人もいる。元侠客もいる。もちろん老人や子どものいる普通の家族もある。
吹き溜まりのようにして集まってきた住人たちだった。河童沼と呼ばれ、窓からはドブが広がっていて、快適な環境とは言いがたい。土手には鉄道が引かれていて、貨物列車が行き来している。
通り過ぎるのを見計らって、何人もの住人が駆け上がって、金目のものなのだろうか、落としていったものを拾い集めている。仲間意識は強く、地主が住民を立ち退かせて、遊戯施設を建設しようとしていることを知ると、力を合わせて反対する。
浮浪者の娘も、ここに住み着いてしまう。パンをもらった男と、その仲間(ピンちゃん)の住む家に転がり込んだ。ここに来るまでの生い立ちを語っている。知恵遅れのように見え、隣家の住民たちは距離を置いてつきあっている。
飯を食っているのを恨めしそうに見つめていて、追い払おうとすると、靴の底に隠していた千円札を見せる。手渡すと男たちの顔色はとたんに変わった。おひつごと預けると、みごとに平らげてしまっていた。
別の家では留守宅に上がり込んで、飯を頬張っているのを見つけられていた。だらしない身なりと異様な目つきからみると、精神障害をもっているとしか見えない。娘が上がり込む前に、ネコが卓上の魚をくわえて、立ち去っていた。
二人の男は娘を利用して、悪巧みの金儲けを考えている。男のひとりは苦学生で、学費が払えずにいるということにした。困窮状態を訴えて、娘が働けそうな職場を投げかけてやると、その誘いに乗って、水商売も嫌がらずにこなした。
芸者になって宴席ではしゃいでいる。酒を浴びるように飲んで、酔っ払ってかかえられて戻ってきた。貧困学生の学費を稼ごうと、身売りも嫌がらずにやってのける。駅前で待ち構えていて、帰宅する男たちに声をかけている。
300円でどうかという誘いだったが、150円に値下げしていることもあった。男たちに贈り物をして、開けてみると学生服だった。娘の稼いだ金を、ギャンブルに使おうと思っていた男たちは、がっかりしているが、娘の優しい気持ちを理解しはじめる。
同居する男が娘に向かって、俺が好きなのだろうと言う。うなづくと力づくで迫ってくるが、拒み続ける。男は腹を立てて出て行けと命じる。悲しそうに出ていくが、売春仲間とのトラブルから派出所に逃げ込む。
警官は不在で、拳銃を見つけて、手にすると戸外に飛び出して、乱射をはじめる。狂気に襲われたのか、まわりに危険を感じた警官が、娘に銃弾を放ち、娘は倒れ込んで死んでしまった。
部屋に運び入れ、娘のまわりに住人たちが集まっている。娘の顔はこれまでの知的障害者のそれではなく、天使のように安らかだった。無垢な魂を弔いながら、貯めてくれていた通帳に感謝し、あらためてその存在感を確認していた。時折見せる表情からすると、河童沼にすむカッパであったのかもしれない。
第886回 2025年11月1日
新藤兼人監督・脚本、近代映画協会製作、乙羽信子、高杉早苗、殿山泰司、浜村純、菅井一郎出演、128分。
貧困生活から集まってきた保険の外交員たちが、企てた犯罪の顛末を描く、ミステリー仕立ての喜劇である。保険会社(東洋生命)の募集に集まってきた男女は、ともに家庭に事情をかかえていた。
採用試験を受けたのは22人、全員が合格し、親子丼であったが、食事が用意されていた。入社を祝う支社長のあいさつからはじまり、何人かの担当者のことばが続く。
ことばでは食事をすすめるが、話が続くと食べるものも食べられない。口をつけ始めた者が、手を置くようすがコミカルに描かれている。東洋一を誇る本社にも案内され、ゾロゾロとついて歩いている。
待遇の話になるとノルマが与えられ、6ヶ月以内にクリアしないと、退職させられる。親兄弟、友人など、あらゆるつながりを求めて勧誘するよう、発破を掛けられる。
3ヶ月目に集められたときには、激減していた。どこに行っても保険に入る余裕はない。友人を頼って見つけた舞台のスターがいて、高額の保険に入ってくれたが、健康診断で胸のレントゲン写真に異変が見つかり、保険に入れなくなった。
スターは病気を見つけてくれたと感謝しているが、この女担当者(矢野秋子)ははじめての成約を逃すのが悔しくて、病院にまで乗り込む。担当医(和田医師)をつかまえて、何とかならないかと詰め寄るが、自分もやっと見つけた仕事なので、不正が見つかって職を失いたくはないと受け付けない。
最後まで残ったのは5人だったが、すべてが契約までたどり着いたというわけではない。社員として雇い入れるつもりなどなかったのではと、全員を合格させた会社に怒りをぶつけている。
5人が去ったあと、保険会社では次に15人の応募者が来ていて、同じことが繰り返されていく。保険会社に捜査の手が伸びなければ、5人の人間関係には接点はなく、犯罪は見つからないはずだった。
女性はもうひとり(藤林富江)がいたが、ともに夫を亡くして小さな子をかかえていた。戦後間もなくのことであり、夫を戦地で亡くした多くの未亡人がいた。男は3人で、それぞれの家庭事情が語られていく。
会社への不満も共有して、仲間意識が芽生える。契約も取れず自殺するか強盗するかしかないという声が聞こえると、それに同調して男が語り出す。現金を積んだ郵便車が定期的に行き来するのを知っていると言うのだ。
この男が主犯となって、それを襲おうと言いだすと、男たちは決意を固め、二人の女も加わると言い始めた。下見をして通過時間を確かめ、脇道に誘導する手はずも整えた。犯行当日には、遠足の子どもたちが通ったり、思わぬ邪魔が入ったりしたが、予定通りにことは運んだ。
郵便車には3人が乗っているのを、こちらの車のトランクに閉じ込めた。閉じ込めて出発するときには、せまくて窮屈だが、がまんしてくれとことわっている。逃げ延びて解放するときには、帰るのに使ってくれと交通費を手渡していた。3人はキョトンとしていたが、車から降ろされると警察に知らせようと、大声を上げて走りはじめた。
強奪された金は5人で均等割をして、一人七万円を手にしていた。散り散りになって持ち帰ることになる。女の一人は一人息子の手術費用にあてた。生まれたときから唇が二股に裂けていて、声が漏れて、学校でもからかわれていた。病院に連れて行き、手術費用を前払いにしてくれと頼み、不審がられている。
もう一人の女は二人の子どもを連れて遊園地に行き、ご馳走を食べた。男の一人(吉川房次郎)も家族ですき焼きをして、腹一杯食べさせている。もう一人(三川義行)は仲間と飲み明かし、家族には寿司を買って帰った。最後(原島之男)は妻との不仲を解消し、慰謝料を渡して別れた。
5人は山分けをした現金を手にして、一人ずつ去っていった。帰る家のない男に声をかけたのが、息子を入院させた女だった。家に招き入れ飲食を用意して、お互いの家庭事情を話し合っている。
夜が更けて男が帰ろうとすると、女は一人にしないでとすがりついた。犯罪の不安と恐れからだったのだろう。一夜を過ごして朝になって、女が朝刊を手にして男に見せる。
猟銃と日本刀をもった、女を含む強盗団は先にオオカミと名付けられていたが、主犯が逮捕されたという記事だった。もう一人が自殺したということも書かれていた。二人して逃げようとするが、男が女に息子の手術の成功を確かめるよう促す。
女は待っていてくれと言い残して病院に向かった。待っている間に、刑事がやってきて男は捕まった。女は息子の手術の成功を見届けたが、同じように警察が待ち構えていて捕まってしまう。貧困にあえぐ中での犯罪だったが、家族の喜ぶ姿を目にできた満足感は、否定のできないものかもしれない。
第887回 2025年11月2日
新藤兼人監督・脚本、野上弥生子原作、乙羽信子、殿山泰司、佐藤慶、山本圭主演、林光音楽、近代映画協会製作、ATG 配給、116分。
小さな漁船(海神丸)に乗り込んだ4人の男女に起こった悲劇。船長(亀五郎)と甥の若者(三吉)に加えて、お盆前に一稼ぎをしないかと誘われた男(八蔵)と、たまたま居合わせた海女(五郎助)が、乗り組んでいた。嵐に遭遇して28日間の漂流生活のなかで、食料が尽きて、飢餓状態になる状況が、こと細かく描写されていく。
すれ違った大型の漁船に声をかけると、大漁を報告され、立派な鰹を一本投げ込んでくれた。漁をするまもなく嵐に襲われ、エンジンが停止し、船は流されてどこに向かうのかもわからなくなった。
食料と水がどのくらい積み込んでいるかが気になっていく。はじめは白米を炊いて腹いっぱい食っていたが、船長は長い漂流になることを予想して、節約しようとする。おかゆにしようと提案して、甥に命じるが、乗り合わせた男女は、硬い米でないと食った気がしないと言って、いうことを聞かない。
勝手に米を持ち出して炊飯してしまっていた。船長が食料を管理し出すと、男女は公平に分けられていないのではと、疑いの目を向ける。しかたなく船長は食料や水を持ち出して、みんなの前で等分する。
船長と甥の分と、男女の分に二等分して分けた。里芋も梅干も個数をかぞえて分けている。大根も二つに切り分けた。男女は船室に同居するのを避けて、前方の甲板の下に移動する。そこでも今度は男女が食料を等分している。
女が炊き込んだ里芋を、男は一気に食ってしまう。女はじっくりと炊き上がるのをまって、ゆっくりと食べている。食べ終わった男は、女の味わう姿を恨めしそうにながめている。一切れくれと言うが、女は拒否する。お金があるので売ってくれと言うが、そんなものはここでは意味がない。
飢餓状態から、二人はぐったりとしている。水は雨が降ることで、桶にためることができた。船長がこんぴら様に願っていて、夢枕に雨が降るというお告げがあったと言っていて、その通りになった。
船長のほうは二人とも、計画的に食っていたからか、悲壮な状態にはなっていなかった。水は船首で桶に貯めていて、甥が定期的に水をくみにやってくる。
甲板下からその元気そうな姿を見た男は、やつらは別に食料を隠し持っていると疑った。飢餓状態が限界を過ぎたとき、男女はこれまで食べたご馳走の記憶を蘇らせる。同時に戦争中に蛇を食った話までするが、さらに人肉の味にまで話題はエスカレートしていた。
男は若者を、食うことを持ちかける。女も朦朧とした意識の中で、否定することができなかった。そして男は実行に移す。ナタを取り出して、砥石にかけている。
若者に声をかける。里芋が三つみつかって、一つ残してあるので、降りてこないかと。水おけを置いて、地下に降りていき、後ろを向いたときに、ナタで一撃を加えた。女が悲鳴をあげる。
船長が不審に思ってやってくると、甥はいないで水おけだけが置いてあった。殺されたのだと察して男と向き合う。武器は手にしていたが、殺し合いにはならなかった。
二人が共謀して殺したのだと判断したが、女がおびえて許しを請って船長にすがりつく。極限状況のこととして船長は許し、それよりも3人が生き延びることを、先に考えている。
再び嵐がくると甲板の男女は、船室に入れてくれと、戸を叩いている。船長は鍵を開けて入れてやる。男女に向かって裸になれと言う。男が隠し持っていたナタが見つかると、女は責め立てた。
船長はそれを取り上げて、自分の武器といっしょにして、海に投げ捨てた。船長はもう一度、こんぴら様の夢を見たと言っている。助けの船がやってくると言うのだ。
甲板に出てながめていると、確かに遠方に船が見えた。サンフランシスコから引き返し横浜に戻る日本船だったが、台風で航路をそれたおかげで、救助されることになった。
船長は事情を聞かれている。甥が乗り組んでいたが、事故で死んだので水葬をしたと答えている。それに先立って船長は、ここで起こったことは、何もかも忘れようと言っていた。
女は救助され回復し、正気を取り戻すと、浮かれたように甲板で踊っていて、足を踏み外して船底に転落して死んでしまった。男の目には女が狂ったように見えたが、彼もまた罪を背負って、ナイフを手に自害して海に沈んだ。
飢餓状態を脱して無事に帰還する、冒険物語だと思っていたが、驚くような話の展開になっていた。極限状態の中で、人間とは何かを考えることになった。
第888回 2025年11月3日
新藤兼人監督・脚本・原作、乙羽信子主演、杉村春子、殿山泰司、高橋幸治、頭師佳孝共演、林光音楽、101分。
母親とは何かという問いに答えようとして、さまざまな親子関係を見せることで、私たちに考えさせようとしている。主人公(吉田民子)は広島にすむ母親で、病弱の息子(利夫)をかかえ、ひとりで育てている。
目が見えづらく、喉の渇きを訴えて、大量の水を飲む。夜中に尿の量が多いという症状を聞くと、医者は即座に脳腫瘍を疑った。
岡山の専門医(鯉口博士)を紹介され、診てもらうと、手術によって回復が可能だと太鼓判を押した。30万円かかる入院費用を借りに、母親(芳枝)に相談するが出し渋った。
娘は二度結婚をしていたが、一度目は戦死、二度目は離婚で、病弱の子どもを押しつけられた。母親はじつの父親に出してもらえと言って、受け付けない。結局は三度目の結婚相手(田島)を見つけることで、費用を出してもらう手はずを整える。
相手は小さな印刷屋を営んでいたが、妻をなくして自分にも少し年上の娘がいた。主人公は再婚相手には愛情はなかったが、息子のことを第一に考えて承諾した。母親もまた長く結婚生活を送るものとは思っていなかった。
主人公の父親は警察官だったが、40歳を過ぎたころに、女ができて家出をしてしまい、今は九州に住んでいる。母親は憎しみを剥き出しにしているが、子どもたちは冷静だった。
子どもは3人残され、主人公をはさんで、上下に男兄弟がいた。弟(春雄)は大学生だったが、母親が溺愛をしていて同居している。母親の性格を思うと、父親が逃げていくのも無理はないと考えている。40歳を過ぎてそんな女性にめぐりあっての、愛の逃避行を弟は称賛してもいる。
弟は母親には冷ややかだったが、姉には同情的で愛を注いでいる。幼いときに登校したとき、姉にかけた迷惑を今も悔やんでいる。裕福でないことから大学を勝手に退学して、金を稼ぐと言ってスナックのバーテンをやり始めた。
母親は息子を大学にまで進学させたのを誇りにしていたが、息子は反発をしていたようだ。姉も残念がったが、姉の援助をして喜ばせることになる。
子どもは手術をすませて、太鼓判を押されたにもかかわらず、病気が再発する。余命は数ヶ月だと告げられるが、子どもの希望を聞いて、盲学校にも入学させ、点字を学んでいる。
オルガンが弾きたいと言うと買ってやろうとする。ここでも母親に借金を申し出るがことわられる。弟が貸してやるよう母親に迫るが、冷たい返事を返されていた。弟は自分の稼ぎから都合をつけることにした。
楽器店に並ぶ一万五千円のオルガンだった。夫の稼ぎを考えると、これまでも多額の出費をしてもらっていることから、言い出せないでいた。夫はオルガンを見ると、その足で弟を訪ねて御礼を言っている。腹違いの姉と弟が、なかよく練習をする姿が見える。
九州に住む父親が死亡して、連絡が入るが、母親は行こうとはしない。主人公が代わりを申し出るが、嫁いで家を出ていることから、弟が代表して出向き、骨壷をもって帰ってくる。
父親のめんどうを見ていた相手の女性にも会って、良い人だったと感慨を述べている。立派な葬式もその人によるものだった。母親は夫の骨を前にして、泣き崩れたが、すでに遅きに失していた。
弟はスナック勤めのなかで、客とのトラブルから、けんかのすえ命を落としてしまう。母親は夢を絶たれ打ちひしがれた。主人公も悲しみ、その夫も好人物だったと振り返る。
一方で長男(敏郎)は愚かな弟を嘆き、母親を今住んでいる、笠岡に引き取ろうとする。母親は息子の思い出の残る広島を離れようとはしない。兄は妹に母親を頼むと言って戻っていった。
主人公は夫に愛情はなかった。母親のすすめに従ったが、男が韓国人であることも知らせられていなかった。夫がからだを求めたときも、夫婦だと言い聞かせての義務に過ぎなかった。しかし夫はいい人だった。無理強いもしなかったし、連れ子をわが子のようにかわいがってくれた。
主人公は自分から夫を誘うことで、身籠った。妊娠を母親に伝えると驚いて、あんな男と添い遂げるつもりかという反応だった。ことに息子を亡くしたのだから、もはや用のない存在であり、娘の4度目の結婚を考えていたのだろう。
今ならまだ子どもはどうとでもなるとほのめかすが、娘は母親を嫌悪した。母親としての真実を示そうとして、出産の決意を語っていた。母娘の葛藤を浮き上がらせた、杉村春子と乙羽信子の演技のかけひきが見事である。
その後の「午後の遺言状1995」での共演に発展していくものだ。母親の存在を通して、通常ではない環境を設定することで、ここでも人間とは何かが問われていく。
第889回 2025年11月7日
新藤兼人監督・脚本、英題はOnibaba、乙羽信子、吉村実子主演、佐藤慶、殿山泰司共演、林光音楽、103分。
足利尊氏や楠木正成の名が聞こえる、南北朝時代の話である。いくさがあって落ち延びてきた兵士を襲って殺し、刀や甲冑だけでなく、身ぐるみ剥いで、穴に突き落としてしまう女たちがいた。
茂みにうごめく武士の影が見え隠れしている。あたりを見回すが誰もいない。とつぜん刃が飛んできて、二人の兵士が命を落としてしまう。
生い茂る草原(芒ケ原)に、自然にできたものなのか、深々とした大きな穴が開かれていた。底には白骨と化した遺体が散乱している。老婆と若い娘の二人組だったが、盗んだものを商人(牛)のもとに運び込んで、代償として穀物を手に入れている。
盗品を売りさばく商人は、今では大きないくさがなくなってしまい、小競り合いばかりで、値打ちのある武具が少なくなったと嘆いている。二人の女は息子の母親と嫁だった。
母親は代金が少ないと苦情を言うと、商人は増やしてやるからと、からだを求めてくる。歳は食っていたがまだ魅力はあったようで、お前なんかとはごめんだと言って帰っていった。
息子は友(八)と連れ立って、いくさに出かけたまま帰ってこなかった。ある日、友だけがひとりで戻ってくる。見殺しにされたのではと、女たちは怒りをぶつけ、さらに不信感をつのらせて、この男に殺されたのではないかと疑い出す。
男は夫を亡くした嫁をねらっている。母親は嫁に手を出すなと忠告するが、息子はいないのだから効力はなく、男は聞く耳を持たない。目を光らせているが、一人になったときに、家に遊びに来るよう誘っている。
嫁ははじめ夫を見殺しにした男を嫌悪するが、やがて若いからだの疼きもあり、誘いに乗って男の住む小屋に走った。寝静まった頃に忍んでの行動だったが、度重なると母親も気づきはじめる。あとをつけて二人の情事をのぞきみている。
母親もまた女であり、男を誘うが相手にはされない。母親のもとに鬼の面をつけた落武者がやってくる。高位の武将のように見える。わけあって面は取れないと言っている。逃げ延びるのに道先案内を頼み、同行するよう脅される。草むらに隠れた穴に誘導して落として死なせた。
綱を用意して穴底に降りて、死に絶えた男の鬼面を剥ぐ。肉がこびりついた無残な顔だった。その面をかぶって嫁を脅そうと考えた。真夜中に嫁が男のもとに走るのを、鬼面をつけて脅かしてさえぎった。
嫁はおびえて男に会えなくなった。母親は面をはずそうとするが、くっついたままで離れなくなってしまう。嫁の前に現れて、助けを求める。鬼が母親だったと気づくと、立場が逆転して、嫁は優位に立つ。
男のもとに行くことを許させ、面をはずそうと力を加えるがはずれない。木づちで打ちつけると、ヒビが入ったが、同時に血が流れはじめる。さらに打ち付けると面は割れたが、顔の肉も削ぎ落とされたような、無惨な顔が現れた。
恐ろしい形相に嫁はおびえて逃げるが、母親は鬼面が取れたのを喜んで追いかけはじめる。二人は追いつ追われつしながら走り出し、穴に落ち込むのかと思われたが、ひとっ飛びに超えて走り続けている。伝説となった鬼婆の物語だった。
第890回 2025年11月8日
新藤兼人監督・脚本、谷崎潤一郎原作、乙羽信子、小沢栄太郎、岸田今日子主演、林光音楽、119分。
14世紀の日本での悲劇。好色な権力者(高師直)の犠牲になった一族の憎しみの物語である。西洋に置き直せば、ダビデ王とバテシバの話にも通じるものだ。舞台は戦乱を経て荒廃した京の都、武士が攻めのぼり、貴族社会が崩壊していく時代である。
将軍家をあやつるまでに勢力を伸ばす権力者がいた。出雲から来て将軍の身辺警護を命じられていた一族の、若き主人(塩冶判官)の妻(顔世)をみそめてしまう。きっかけをつくったのは、侍従の女だった。
権力者は無骨ないなか侍であり、貴族の館に移り住むが、教養はなく侍従を相手に、上流階級の素養を身につけようとしていた。色好みであり、美女はいないのかと問いかけると、いないこともないと言って口を滑らせてしまったのが、人妻だった。
夫がいるのであきらめるよう言い聞かせるが、ひとめ見たいという男の望みを聞き遂げてやる。美女は侍従とともに宮中に仕えたが、帝より武勲のあった出雲のいなか武士に、妻として下賜されたものだった。
武士はいなか者であることを恥じたが、夫婦は仲良く愛を育んでいった。武士が将軍の身辺警護の仕事となると、都にとどまることから、ますます愛情は深まった。
侍従は男の望みをかなえてやるために、策を弄して入浴中の姿を盗み見させる手はずを整えた。男はそれを見るとますます忘れられなくなってしまう。恋の病だと言って、侍従に間を取り持つよう命じる。
恋文を書くというので、呼びつけたのは兼好法師だった。顔を合わせると、徒然草で知られる坊主かと問いかけている。男の思いを歌に呼んでやった。返事が返ってきたので開くと、送った手紙のままだった。
権力を傘に着て怒り出す。読みもしないで返したことで、侍従を責める。侍従は権力者に逆らうことを恐れ、女のもとに出向いて説得する。女は自分のことを知らせた侍従に恨みごとを言う。嘘でもいいから書いてくれと頼み込んで、やっと書いてくれたのをもって帰ってくる。
やはり歌であったが、むつかしすぎて内容はわからない。兼好法師はあきれて匙を投げ、歌の素養のある配下の若者を呼びつける。いくさは嫌いで、和歌が好きだと言う。それなら兼好法師の弟子になれと言うと、坊主はもっと嫌いだと返した。返歌については、人妻に手を出す愚かさを歌ったものだと教えると、男はさらに怒りを爆発させる。
そしてこの女を手に入れるために、考えついたのは、夫を戦地に送るという策だった。将軍の命令を取り付けて、伝えると拒むことはできなかった。一族は将軍に忠誠を誓った武士だった。
郎党は権力者の横恋慕であることはわかっていたが、主人は一族の存続のために涙を飲んだ。侍従がやってきて妻を説得している。一夜でいいから権力者のもとに来てくれないかと。
夫はそのやりとりを聞いていた。侍従を捕えて激しく打ちのめし、妻に男のもとに行くのかと聞く。妻は強く否定する。都につめる男は全員が出兵することから、残していく婦女子に、危害が及ばないかと懸念が広がる。
妻は同行を希望するが主人は難色を示す。それは幕府の掟に背くことだった。長老の意見は、婦女子を連れて行こうと言うものだった。密かに出立をして落ち合う計画を練るが、いちはやく屋敷がもぬけのからであることが知られ、将軍に背く反逆者として、追手が差し向けられる。
足軽と婦女子は逃してくれと願いを入れるが、足軽は切られ、女は陵辱された。敵将は妻を引き渡せば、自分たちは引き返すと言っている。長老は自身の判断を詫びたが、主人は覚悟を決めた。一人でも多くの敵を倒すと言って、斬り込んでいった。
女たちは逃したが、同行させていた侍従だけは引き止めた。歴史の証人になってくれと言って、ここで起こる事実をしっかりと見ておくよう頼んだ。妻を抱きしめて別れを告げ、敵に向かって切り込んでいった。
主人が討死をしたあと、長老が妻を殺して自身もはてた。権力者に報告がもたらされる。妻は生きて連れ帰ったかと聞くと、侍従が姿を見せる。なんだお前かと言うと、見せたのは女の生首だった。確かに女は生きていたのである。
第891回 2025年11月9日
新藤兼人監督・脚本、林光音楽、中村吉右衛門、乙羽信子、太地喜和子、佐藤慶出演、109分。
武士が勢力を伸ばしていく頃の話。敗残兵が逃げてきて、農家に押し入った。母(おヨネ)と娘(おシゲ)の二人だけの家だった。武士は十数人いたが、食い物だけでなく女たちを陵辱して火をかけて殺した。死体となった女の喉を黒猫が舐めている。
武士の首領はその後、都で出世をして、貴族のような身なりをして馬に乗っている。羅成門を過ぎたとき、どこからともなく若い娘が現れる。どこにいくのかと問うと、竹藪を通り過ぎて自宅に戻るのだと言う。
送って行こうかと持ちかけると喜んだ。この辺は最近物騒で盗賊も多いと言ったあと、自分が盗賊だとどうするかと問うた。女は立派な身なりをしていてそんなはずはないと返した。
たどり着いて休んで行くよう誘うと、馬を降りて入ってきた。母と二人だけの生活だと言っている。母が顔を見せて酒を用意してもてなした。武士はどこかで会ったような気がすると言うが思い出せない。武士に年齢を聞くと22歳だと答えた。自分にも同じ歳頃の息子がいて、3年前に家を出ていた。娘は息子の嫁だった。
母親は息子の消息を心配していたが、武士はそのうち立派な武士となって帰ってくると、なぐさめてやっている。娘に勧められて酔っ払ったはてに、からだを求め抱かれている最中に喉を噛み切られて死んでしまった。
同じことが度重なって起こる。喉を噛み切られるところから、羅成門の妖怪として恐れられることになった。武士を狙って殺害され、そばには黒猫が目撃されていた。
武士の威信をかけて退治することを、時の権力者(源頼光)は命じるが、だれも引き受けようとはしない。そこに蝦夷の地から敵将の首を持ち帰った男(藪銀時)がいて、この若者に託されることになる。
この男がじつは殺された母娘の息子(八)なのだが、一躍時の人として都で話題になっていく。胸を張って実家に戻ろうとすると、あったはずの辺りに家が見当たらない。顔見知り(甚平)に出会い尋ねると、家は焼かれて住人は行方不明とのことだった。
同じように馬に乗って、羅成門を過ぎると女が現れた。顔を見ると妻にそっくりだった。連れていかれると母がいて、それもそっくりで、なぜ妖怪に変貌してしまったのかを問いかけた。
妖怪は武士を殺す使命を受けていた。武士を殺すという条件で、死者の霊魂は肉体を伴うことができた。娘は酒を飲ませ、からだを合わせるが、喉を噛み切ることができなかった。その夜から七日間の至福の日々が続いたが、それ以降娘は姿を消してしまった。
七日間は許されていたが、それまでに武士を殺してしまわなければ、妖怪のほうが地獄に落とされるのだと、母親は伝えた。権力者には妖怪は二人いて、一方は消えてしまったと報告する。
証拠を求められ男は母親の妖怪を斬りつけることで、片方の腕を切り落とした。切った途端に白い腕には黒い毛が生え出して、猫の腕に変貌していた。権力者はそれを見ると、どこかで黒猫を殺して持ってきたのだろうと疑っている。
帝は権力者を呼びつけて、武士も妖怪には歯が立たないかと皮肉を言っている。権力者は若者に再び、妖怪退治を命令し、果たせぬ場合は、お前を斬り殺すと脅しをかけた。
若者は母親なのか妖怪なのかがわからず、殺すことにはためらいを感じていた。母親もまた娘が地獄に落ちていったあとも武士を殺し続けたが、我が息子については手を出さないでいた。そして母もまた娘と同じく、地獄に落ちることを覚悟するに至る。
母親は策略を用いて、切り落とされた手を取り戻したが、それは黒猫にとって必須の武器だった。息子は妖怪を追いかけて刀を振り回し、武士としての身の明かしを立てようとしたが、はたせず倒れて雪に、埋もれて死んでしまう。そばでは猫の鳴き声がしている。母が子を悼む声だったのだろう。
第892回 2025年11月10日
新藤兼人監督・脚本、林光音楽、乙羽信子、山岸映子主演、殿山泰司、観世栄夫、戸浦六宏共演、107分。
九州から娘と二人で京都にやってきた母子が、キャバレーに就職してたくましく生き抜いていく物語。娘(キミ子)は19歳だったが、母親(フミ子)は自分では39歳と言っている。店長は親子でホステスをするのは珍しいと言って興味を持った。
軍艦マーチの鳴り響くなか、開店と共にホステスが、並んで客を待ち受けている。ホステスは80人以上もいて、競争は激しい。店長は海軍の白い軍服姿で、始業前のあいさつをしている。客に対する心得を説いて、おビールにしましょうかではダメで、おビールにしましょうねと持ちかけるのだと言う。
客の取り合いで、つかみ合いのケンカになる。家庭事情を訴えて客の同情を誘う。九州弁丸出しの話は説得力があるが、瞬く間に柔らかな京ことばが使えるようになっていた。名門の農家の跡取り息子(山本権兵衛)が客としてやってくると、母親はこの男にターゲットを絞ろうと、娘に指示を出す。
娘は男を手玉に取り、仕事がすんで寿司屋に誘われると、その足でホテルに向かった。男はますます虜になり通い詰めるが、二度目の誘いには乗ってこない。すっぽかされた時もあって、店に戻ってきて母親に聞くがとぼけている。
焦らされたことで思いは募り、男は結婚を決意するに至るが、仲間からは騙されているのだと冷ややかな目で見られる。母親(竜)が知ると名門の息子がキャバレーの女を嫁にするなどとんでもないと相手にされない。男は36歳になっていたが、これまで2度結婚をしている。名家から来た嫁もあったが、だらしなく母親のほうが匙を投げていた。
息子はあきらめがつかなかった。母親は娘の母親を呼んで裏工作をする。身を引くのにお金を用意して手渡す。証文を書いてくれと迫るが、自分は学校に行ってないので字を知らないと言う。こちらで書いて捺印してくれと頼んでも、字が読めないので何が書かれているかがわからないと答えた。
仲間がしっぽをつかもうと、客を装ってやってくる。同じ手口で家庭の窮状を訴え、最後には同じホテルに誘っていた。男の母親も加勢して、客との買春行為を警察に訴えると、現場が押さえられ、娘は捕まってしまった。
男は同情的で、娘の母親のもとに出向くが、娘が前科者にされたとトラブルになった。謝りにきたはずが逆になり、男が置いてあったハサミで母親の背を刺してしまった。示談で済ませようと相手側の弁護士がやってくるが、納得をしない。
裁判が開かれると、母娘はとぼけて、手切れ金をもらったことも、知らないと言う。証拠は何もないと主張して、後に引かない。夫(善造)と離婚したことも問われるが、性格の不一致だったと言い切った。
夫は九州で生活保護を受けて暮らしていた。家族に収入がある場合には、打ち切られる制度だった。炭坑が閉鎖され、ボタ山のふもとで仕事もしないで、妻からの仕送りで、ぶらぶらと生活していた。
妻が戻ってくると頭が上がらない。父親が仲間たちと、家主の知恵遅れの娘にいたずらをして、妊娠させたというので、問題になっていた。家主は早くから立ち退くよう言ってきたが居座っている。
嫌がらせに隣接して養鶏場をつくると、住民たちはうるさくてたまらない。元々は炭坑会社の所有する土地だったが、廃坑後に買い取った今の家主が、事業の計画を練っていた。
妻は住み慣れたこの地を手放すことはできないと、元夫に言いおいて、娘と二人で京都に戻っていった。母は娘にあの農家の男に惚れていたのではないかと問うが、娘はあっさりと否定して、金もうけが第一だという母親と、思いを一つにしていた。
第893回 2025年11月11日
新藤兼人監督作品、林光音楽、原田大二郎主演、乙羽信子、吉岡ゆり、草野大悟、太地喜和子共演、モスクワ国際映画祭金賞(グランプリ)受賞、117分。
1970年を前にして、学生運動華やかなりしころ、社会を震撼させた、永山則夫連続射殺事件を下敷きにして、19歳の若者がピストルによる連続殺人を繰り返した。閉塞感のある時代状況を浮き彫りにしながら、犯罪に至る生活環境を追っていく。
中学を卒業し、青森から集団就職で東京にやってきた生徒のひとり(山田道夫)がいた。中学時代はスポーツマンであり、家庭環境が丁寧に描写されていく。父親(半次郎)は腕の良い職人だったが、博打好きで、子どもの面倒はみない。子だくさんで、中学を出るとみんな都会に就職に出ていた。
長女(山田初子)は母親のもとにいて、下の兄弟姉妹の面倒を見ている。美人であったことから、いなかの不良グループから暴行を受け、精神に破綻をきたし、収容施設に送られてしまう。主人公は逃亡中におこなった、自己確認の旅のなかで、立ち寄って姉を見舞っている。
母親(タケ)は子ども好きで、貧困をかえりみず、生み続けて育てた。夫の収入は当てにはできず、みずからも行商をして、分け隔てなく、8人の子どもを育て上げた。
都会に出ていた息子のひとりが、女子高生との間に子どもが生まれると、相手は逃げてしまったが、引き取って育てている。自分の娘と同学年だった。主人公の妹にあたったが、自己主張をしてこの娘を追い出そうとしたとき、主人公はかばってやっている。
主人公は家族思いのように見えるが、父親には嫌悪感をにじませる。ときに家に帰ってくることがあった。母親は懐かしく、優しく接していたが、主人公は顔を見るなり襲いかかり、父親は恐れて逃げ出していた。
集団就職の仲間とは連絡を取り合っていた。町工場に勤めた者は過酷な勤務条件に、訪ねたときも時間を取れないでいた。主人公が勤めたのは大きな店舗を開いているフルーツパーラーだった。
恵まれたように見えるが、勤務仲間とは不満を言い合っている。果物を扱う作業着のままで仲間と、パーラーに入ると、店長がやってきてここはお客様の席だと言って追い出された。
文句があるならやめてくれと言われ、20人採用したがほんとうは5人ほどでよく、やめることを見越しての人数だと打ち明ける。仲間のひとりはもっと稼ぎのいい水商売に移っていった。
主人公も退職を切り出す。家族が病気で国に帰らなければならなくなったと言ったが、仲間には外国に行くのだと言っている。ハワイを経由してアメリカに向かう、外国船に乗って向こうでホテルにでも職を見つけるのだと言う。仲間にはうまく行けば声をかけてやると伝えた。
結局は不法に外国船に乗り込もうとしたのだろう。捕まって身元保証人として、東京で結婚をしていた長男が、引き取りにやってくる。弟のことを心配して狭いアパートだったが同居させる。
妻は不満を夫にぶつけている。いつまでいるのかと言う妻の問いに、保護期間は一年間だと答えると妻は驚いた。こうしたやり取りの一部始終は、狭いアパートであり、夫婦生活と合わせて筒抜けであり、主人公は居た堪れなくなって家を出る。このとき玄関先にあった妻のハイヒールを持ち去って、溝に捨てていた。
妹の就職が決まって母親に伴われて長男の家にやってきたことがあった。就職先は名古屋だったが、このときも準備もあり早めに行く方がよいだろうと、東京見物もさせないまま、新幹線に乗せていた。
主人公の転落は、その後も勤務が長続きせず、退職を繰り返すことで加速していった。名古屋では妹の勤務先を外からながめるだけだったが、ここで知り合った商売女に気に入られ、東京の渋谷に戻るのに同行する。
女の部屋に転がり込むが、ヤクザとのトラブルで叩きのめされる。復讐をしようとピストルを持ち出して、発砲する。頬をかすめたが、おもちゃじゃないぞとすごんで見せた。
主人公がピストルを所有していたことから、連続殺人へとエスカレートしていく。映画では時間が前後して映し出され、突然ピストルが出てきて驚かされる。この事件での重要なアイテムなので、入手経路についてはもう少し詳しい描写が、必要だった気がする。
最初の殺人は、盗みに入ったときに、通報を聞きつけた警備員と揉み合いになり、発砲すると簡単に死んでしまった。2番目は八坂神社で起こる。京都に逃亡中に境内で眠っていたのを警備員に起こされ、不審がられたところから発砲した。
次にはタクシーの運転手が襲われる。売り上げ金を狙ったのだろうが、大した額ではなかったはずだ。容赦なく後部から頭を撃ち抜かれていた。場所を変えて、同じ手口でタクシーが狙われた。
自身の生い立ちをたどるように、各地で犯行が続いていく。捜査を混乱させるものにみえなくないが、自身の生い立ちをたどる旅だった。2番目のタクシー運転手殺害は北海道の函館で起きた。
網走にも足を伸ばしている。そこは家族でながらく住んだ土地だった。母親が新たに仕事を見つけ、離れていくことになると、家族全員の旅費の都合がつかず、主人公は網走に残された。稼ぎが出ればすぐに迎えにくると言ったが、いつまでたっても迎えに来てくれなかった。
主人公は殺人犯として母親と対面したとき、このときの悲しみを思い起こしている。母親は報道の暴力にさらされ、今の気持ちを問われる。もみくちゃにされながら何を答えさせようと言うのか。愚かな息子を詫び、社会に対する謝罪なのか。19歳の主人公は20歳までは生きたいと詩に綴っていた。
第894回 2025年11月12日
新藤兼人監督・脚本、林光音楽、観世栄夫、乙羽信子、フラワー・メグ主演、近代映画協会製作、ATG配給、91分。
平安時代と現代とで、行き来する愛憎劇。夫の不実に対する妻の恨みは、時を隔てても変わることなく、「鉄輪(かなわ)」という能舞台に結晶した。人間の情念の凄まじさは、映画ではあくなき肉欲の追求として描かれていく。
若い娘の肉体に溺れた夫から、離婚を切り出されても、妻は絶対に別れないと言い張っている。娘の部屋にいるのを突き止めると、夜な夜な無言電話をかけ続ける。
ノイローゼになる娘を連れて、湖畔のホテルに逃げても、その部屋番号を探し当てて、電話をかけてくる。娘は直感を働かせて、隣の部屋からだと言う。フロントに問い合わせると、今夜の宿泊者は自分たちだけだという返事が返ってきた。
ホテル内はひっそりとしており、隣の部屋を怪しむ娘のことばに従って、廊下に出て探りはじめると、ボーイに見つかり、この部屋のお客さまに何か用事かと質問される。泊り客は自分たちだけだと聞いていたことを告げると、お客様が到着してあとに、やってきたご婦人がいたのだと聞かされる。
娘はいらだちから電話線を引きちぎり、電話を投げてつぶしてしまった。ボーイがやってきて、ホテルの備品を破損したことから、修繕費を請求されている。夜になりホテルの外観が映し出されると、並んだ2部屋だけに、あかりが灯っていた。
隣の部屋の宿泊者の正体を突き止めようとしていたが、寝静まった頃に和服を着た女性が部屋から出ていくのを発見する。二人はパジャマのまま跡をつけるが、後ろ姿しか見えず湖畔で見失ってしまう。そのとき背後から何者かに押されて二人とも湖に落ち込んでしまった。
能舞台では能楽師が、ゆったりとした歩みで、半歩づつ前進している。鬼面をつけた姿は男なのか女なのかの区別がつかない。頭には3本のロウソクを灯しており、おどろおどろしく目に映る。鉄輪とは3本足の五徳のことであり、逆さにして頭にのせてロウソクを灯すと、鬼の様相を呈してくる。
映像では夜の道を貴船神社に向かって走る女の姿が、繰り返し写されている。平安朝の貴族の装束であるが、頭からはすっぽりと打掛で覆っていて、顔は見えない。
古い樹齢の木を見つけて、わら人形を五寸釘で打ち付ける。さらに釘を生殖器にあてがって、何本も執拗に木槌で叩き続けている。抱かれている女はその度に、痙攣を起こしたようになっていた。
呪いの力を高めるのに、現代音楽ふうの効果音が挿入されるが、あわせて能楽では謡いによって、ことばの力が加味されていく。現代人には聞き取るのが難しいが、ところどころで日本語字幕がはさまれて、恨みのありかを理解することになる。
日本の古典芸能を大胆に、ポルノにも似た前衛映画と組み合わせることで、格調ある日本文化に揺さぶりをかけたという点では、野心的な実験作として評価できるかもしれない。逆に薄っぺらな前衛性しか経験のない若者にとっては、能や謡曲に出会う、欠くことのできない機会にもなっただろう。
第895回 2025年11月13日
新藤兼人監督・脚本、谷崎潤一郎原作、林光音楽、渡辺督子、河原崎次郎主演、乙羽信子、原田大二郎、殿山泰司共演、近代映画協会・ATG製作、112分。
谷崎潤一郎の「春琴抄」に登場する二人の主人公を調べているといって、監督(新藤兼人)自身がインタビュアーの役で登場する。答えるのは老婆で、今は老人介護施設に入っているが、何も話したくはないと言う。彼女は主人公(春琴と佐助)のもとにいた元女中(鴫沢てる)であり、ふたりの一部始終を見聞きしてきたはずだった。
お礼をはずむと食い下がるが、今いる施設で不自由はないことから、興味を示さない。新しく発見されたものだといって、一冊のノートを見せることで、老婆の目は輝き出し、昔話を語りはじめた。
真偽に疑いを持っていたが、それはこの男の回顧談だった。男が語ったのを、自分が筆記したものだと認めた。世に残すために3冊複写をし、これはその一冊に当たるものだという。一体どこで見つけたのだと興味を持った。
これまで知られていなかった事実が書き込まれているが、疑問に思われる箇所もあり、確かめたいと思っていた。あなたはそばにいて真実を知っているはずだと言って食い下がるが、ノートにそう書いてあるなら、それが真実だろうととぼけている。
二人の眠る墓を見せ、インタビューのやりとりを加えて、ドキュメンタリータッチで話は展開する。このことからこの小説の主人公が、実在の人物であったかのように思えてくるのがおもしろい。
さらに私たちはこの監督が、鋭い洞察力をもった、すぐれたインタビュアーでもあることを知っているので、ここでの取ってつけたような会話を通して、ドキュメンタリーの虚構性を体感することにもなる。
原作のストーリーに沿いながら、物語ははじまりに戻る。リアリティは原作の文体のなかにある。大阪の老舗の薬問屋(鵙屋)の一人娘(琴)は、幼くして失明した。
はじめ専属の女中が身の回りの世話をしていたが、若い丁稚(温井佐助)がやってきてからは、娘は気に入って何もかも、この若者に任せるようになった。
控えめで口数は少なく、主人の言うことをよく聞いた。実家では薬問屋の仕事を学ばせようとして送り出したが、娘のわがままで、専属の世話係になってしまった。
食事のときは、娘は口を開けるだけで、何を食べたいかを判断して箸を口もとに運んでやる。たいていは口を開いてくれたが、違っているとそっぽを向いた。おかずを欲しいときに、ご飯を持っていくなどしたときだ。
親は娘のために専用のトイレをつくってやった。たたみ二畳の和室で、中央に穴が開いていて、そこに座り込んで用を足す。手を引いて二人で中に入り、終わるとお尻を拭いてやる。排泄物は床下に用意した重箱に溜まり、毎回運び出して、穴に埋めるのも仕事だった。
習い事では琴と三味線に興味を示し、師匠(春松検校)のもとまで歩いて、手を引いていくのも日課となった。習っているのはほとんどが娘であり、練習が終わるまで男が待っていると、不思議な目で見られた。
師匠の三味線に合わせて琴を演奏するのが聞こえてくると、自分も三味線を習って合奏をしたいと思うようになる。三味線を手に入れ、押し入れで隠れて練習をはじめたが、度重なると見つかり、主人にとがめられる。
丁稚が三味線を練習して何になると、迫られると、娘が助け舟を出した。練習成果を聞いてみようと、家人たちは耳を傾けている。娘は自分が引き受けると言って、今後は三味線の師匠(鵙屋春琴)になることを伝えた。
この日から二人の間は主従関係に、師弟関係が加わっていった。飲み込みの悪い弟子に、剛を煮やして師匠が体罰を加えることも増えていく。これまでも従順な男を、弄ぶように困らせていたが、さらに意地悪は加速していった。
弟子を取って教えることになると、親は娘に一軒家を用意して住まわせた。若者とともに、女中もそこに移り住んだ。娘の腕が世間に知られるようになると、弟子たちが集まってきた。男の弟子も混じったが、盲目の師匠の美貌に惹かれてのことだった。
商家の道楽息子のひとり(利太郎)が、ことに熱心に娘に近づいてきた。三味線の腕は上がらなかったが、財産に任せて支援を惜しまなかった。若者が部屋で寝んでいるとき、娘の手を取ってトイレに連れていこうとした。
娘が嫌がっているところに、主人公はやっと気づいてやってくる。あいだに割って入り、男は引き下がることになるが、使用人にみくびられたことに反感を抱いたはずだ。さらにうまく弾きこなせないのをいらだち、師匠はバチで額を殴りつけたことから、男は血を流し、立腹して帰ってしまった。
盲目なので傷つけたのがわからなかったのかもしれないが、同じような体罰は若者にもくわえていた。女中はそのようすを目撃していたが、気性の激しい娘だと思う以上には、反応を示さなかった。
師匠の評判を妬んでのことだったかもしれないが、真夜中にヤカンを手にした賊が入って、師匠の顔に熱湯をかけて逃走した。若者は離れて寝ていたが駆けつけると、師匠は大やけどをしていた。
人に見られる顔ではなくなってしまい、ことに若者にはその顔を見せることを拒んだ。若者はためらいもなく、自分の両目を針で突き刺して、盲目になってしまった。これによってヤケドの顔を見ることはなくなった。急性の白内障による失明と記述したが、誤記だろうと老女に迫った。
師匠のヤケドは軽いものだったという記載もあった。娘は犯人を探そうともしなかったが、これらの真偽についてもインタビュアーは確かめようとしている。若者はこれまで以上に献身的に師匠に仕えた。
女中は盲人となった若者の手を取ってトイレへと向かう。さらに若者には娘の手が引かれていた。娘の排泄は若者の仕事だった。今まで通りに2畳のトイレに二人して入っていた。女中は二人の関係の一部始終を知っていたはずだが、あいまいなまま語らない箇所も多かった。
師匠は3度妊娠をしており、有馬温泉に行って湯治を名目に産み落とすと、すべてを里子に出した。相手は若者以外では考えられないが、真実を打ち明けることはなかった。女中はその手続きにも立ち会っていたが、明かすことはなかった。
わが子をかわいいと思わない娘の非情を嘆いていたが、娘は若者とは同等な夫婦関係を築くことなど、思いもつかなかっただろう。若者もまた自身の立場をわきまえ、主従の関係を貫き通した。
第896回 2025年11月14日
新藤兼人監督・脚本、夏目漱石原作、林光音楽、松橋登主演、辻萬長、乙羽信子、杏梨共演、近代映画協会・ATG提携作品、90分。
男女の三角関係での、愛の葛藤を描いた、夏目漱石原作の映画化。昭和の風俗に置き換えられているが、明治以降変わることのない、近代人のエゴイズムが浮き彫りにされる。
同時にいつまでもくよくよと思い悩み、自戒の念にさいなまれる、弱い人間の典型として、知識人のありかたを問い直すことも、課題の一つになっていくものだ。
東京の中心地(本郷)に、閑静な住宅があり、母(M夫人)と娘(I子)が二人で暮らしている。二階の2間が遊んでいて、小遣い稼ぎのつもりで貸しに出すと、一人の学生(K)が見にやってきた。
20歳と言っているので、大学では上級生のようだ。賄いつきの間借りで、八畳と四畳半が二間続きになっている。家賃は少し高かったが、学生は簡単に承諾した。
母親は気になるのか根掘り葉掘り、学生の身元を聞いている。両親はすでになく、実家には叔父の家族が住んでいた。ただし所有権は学生にあり、その他にも山持ちであって、生活の心配はなかった。叔父一家が住みはじめると、叔父との不仲も起こりはじめていた。
娘は20歳でデザイン学校に行っているが、熱心なものとは言えない。食事はいっしょに済ませ、はじめは緊張していたが、すぐに打ち解けていく。お茶やお菓子の世話も娘の役割になっていた。
娘が学生と仲良くなるのを、母親は訳ありげなようすで眺めている。学生は母親が娘を自分と結婚させようとしているのではないかと、先走ったことを考えた。自身が財産家であるという、優越感からくる思い入れだったのだろう。
学生には親友(S)がいて、貧困にあえいでおり、何とか援助してやりたいと思っていた。実家は貧しい寺だった。はじめ医学部に入学したが、社会や思想への興味から、主人公と同じ文学部に移ってきた。
実家との折り合いも悪く、友は自身の生き方を曲げようとはしなかった。生活にも破綻して、下宿には二間あるところから、同居させてやれないかと考えた。家主の母親に相談すると、やめておけと一蹴されてしまう。
問題が起きることを見越したような、きっぱりとした返事だったが、主人公は二人分の家賃を支払うといい、自分にとってかけがえのない友人であり、助けてやりたいと訴えた。
母親は折れて、友は引っ越してきた。友は無口だったが、ぎこちない食事の場面も最初だけで、悪い人間ではないことはすぐに理解できるようになった。仲良くなると、母親の紹介でそろって蓼科高原に、出かけることになり、休暇を楽しんだ。
母親が先に帰宅してからも、3人の若者はアウトドアに遊んだ。如才ない主人公に対して、無骨なところはあったが、友は積極的によく動いた。水や薪の運び入れや買い物も、彼が担当した。
そびえ立つ山頂まで、行きが3時間、帰りが2時間だと聞くと、友は何の装備もなくそのまま走り出す。いつまでも帰ってこないのを心配している。やっと帰ってきたときには、息は絶え絶えになり、擦り傷も見られた。
頂上まで達したのかと娘が問うと、友はうなずいた。頂上まで達せずに引き返してきたのかと主人公が問うても、友は同じくうなずいた。無事に戻ってきたことが重要で、頂上まで達したかどうかはどうでもよいのだ。
娘はあの人はそんな人ではないという、親密さをうかがわせる発言も、合わせて伝えることで、主人公に疑惑が広がっていく。3人が山道を散策中、主人公が二人を残して離れたとき、帰ってみると不在で、樹木の茂みから姿を現して、不自然に目に映ったことがあった。
旅行とともに友は、これまでとは人が変わったように明るくなった。主人公が部屋に戻ったとき、娘が四畳半の友の狭い部屋で談笑する声が聞こえた。主人公は娘に自分にもお茶を入れてくださいと頼んでみたが、不自然さは確認できなかった。
疑心暗鬼なまま、東京での生活が戻ったが、ある日友からおりいってと相談を受ける。娘に恋をしてしまったというのだ。驚いて告白したのかと確かめるとまだだという。結婚するつもりかと問うと、自分の身分ではそれもできないという。
主人公はそこで一肌脱ぐのが友情だと理解しながらも、エゴイズムが頭をもたげる。次に出た行動は、母親に娘を嫁にほしいという直談判だった。母親は喜んで承諾した。思惑どおりことが運んだという反応だった。
娘の気持ちを聞かないままなのを懸念したが、娘の結婚は母親に任されていることも伝えられた。しばらくして娘と二人になったとき、黙って抱き寄せて唇を奪ったが、抵抗はなかった。母親から伝えられていたのだと、理解して安堵した。
それでは友への裏切りは、いつ友の耳に入るだろうか。自分の口から伝える前に、母親から漏らされたようで、友は祝福して、おめでとうと述べたことを知らせた。そしてその夜、友は部屋でみずからの命を絶つ。
残された遺書には、主人公と娘との結婚については触れられてはおらず、主人公はほっとした。約束通り、主人公は娘と結婚をし、やがて母親も病を得て亡くなった。
これから先、娘と二人の夫婦生活が続いていくが、はたして幸福を手に入れることができるだろうか。何も知らないままいる妻に、死んだ友のことを好きだったのかと、問いただすこともできない。みずからがつくりあげた友の亡霊から、解放されることはないようにみえる。
第897回 2025年11月15日
新藤兼人監督・脚本、林光音楽、近代映画協会・ジァンジァン製作、林隆三主演、乙羽信子、倍賞美津子、佐藤慶、観世栄夫共演、124分。
はしかが悪化したことから失明した少年(高橋定蔵)が、津軽三味線と尺八の名手(高橋竹山)に成長していくまでの伝記映画である。青森の貧しい農家での話であり、子どもが生き抜いていくためには、三味線を習わせることが、唯一の解決策だった。
学校には通わなくなり、聞くとぼんやりとしか見えず、黒板の文字は読めなくなってしまったと言った。母親(トヨ)は工面をして三味線を買ってやると、子どもは喜び、師匠(戸田重太郎)のもとに連れて行き、住み込みでの修業をさせる。
厳しさに根を上げて戻ってくると、母親は家に入れず、その足で師匠のもとに連れ帰る。師匠夫人(タミ)が見つけると、母親が顔を見せなかったところから、弟子が自分の意志で帰ってきたものと評価して、許しを得ることとなり、もとに戻ることができた。
修業を終えると、師匠夫妻に同行して旅にでる。下働きをしながら与えられた役割をこなして、成長していく。月日がたち、主人公は独立して一人で旅をするようになっていた。
母親は息子の成長を気にしながら、見守り続けていた。嫁をもらわないかと言ってやってくる。やはり目の不自由な娘(ユミ江)だった。嫁を連れて二人で旅を続けることになる。
農家にやってきて主人を前に三味線の弾き語りを聞かせた。気に入って主人は蔵まで謝礼を、取りにくるよう妻を促した。主人が妻を連れて蔵に入っていったのを待っているが、いつまでたっても戻ってこない。
大きな米袋を二抱えだいて戻ってきた妻のようすはおかしかった。蔵の中で妻は暴行されており、やがて大声をあげて泣き叫ぶが、主人公は何もすることができなかった。
身分をわきまえると抗議すらできない、身の上をあきらめて嘆く。娘は結局は実家に戻った。主人公は自暴自棄になり、大道芸や浪曲師の伴奏をこなした。雨が降ると三味線が引けないことから、尺八を手に入れて、練習に励む。
母親がまた心配して、再婚話を持ってやってくる。玄人筋の女と別れた直後のことであり、無理矢理に近いかたちで引き戻されて、結婚式をあげた。相手(フジ)もやはり盲目で、二度目の結婚であり、少女を一人連れ子としていた。
前夫は酒飲みであったことから、酔っ払いは二度とごめんだと言っている。主人公はこれまでの仕事に情熱を失っており、職業訓練をめざして、単身学びに出かけた。子どもたちに混じって学校教育を受けるが、思うように頭が働かず、手が動かない。クラスにもう一人だけ若い娘がいた。
腐っていたところに担当教員がやってきて、相談を持ちかける。若い娘を妊娠させてしまったのだという。見つかれば退職させられるので、隠れてどこかで出産させたく、その手伝いをしてくれないかと頼まれた。
教員の実家は名門で、盲目の娘との結婚はできないが、主人公には教員は悪人とは思えなかった。娘も教員を信頼していた。主人公は実家に戻り、母親に相談すると、息子の子どもではないのかと疑った。
妻は詮索はせず、ここで産み落とせば良いと頼もしい承諾を与えた。ただし教員を信用してはおらず、主人公も学校に引き返したとき、このことを知って激怒する。教員は名門の出でも何でもなく、帰ったときには、すでに退職をして姿を消していた。
主人公は自身の身を恥じて、三味線の胴をバチで叩きつけて裂いてしまい、学校から姿を消してしまった。尺八だけを手にして、放浪をはじめていた。妻の連れ子が病いのすえ、命を落としたが、主人公は浪曲師に同行して伴奏を続けていた。
主人公が欠ければ舞台に穴が開くことから、娘の安否を知らせる3通の電報が隠されていた。主人公が帰宅したとき、すでに娘の葬儀は終えていた。母と嫁は、主人公が血の繋がりがないことから帰らなかったのだと、不実を責めた。
主人公の心は動揺をきたし、三味線と尺八が本来もつ、地響きのするような深淵な告発に同調するように、一人旅にでる。それは痛みを伴った、死出の旅のように思われ、母と嫁は手を取り合って、息子のあとを追いはじめる。
廃船の陰でうずくまるような姿を見つけて、盲目の妻が駆け寄って抱きかかえる。母親が自分よりも素早い、その姿を感動的にながめているのが、印象的だった。
息子は母親から三味線を手渡されると、もう一度弾く決意を固めたようだった。やっと竹山になるための下地が整った。すべては名人になるための試練であったように見える。
第898回 2025年11月16日
新藤兼人監督・脚本・製作、林光音楽、乙羽信子、狩場勉、西村晃主演、林光音楽 、近代映画協会=ATG配給、ベネツィア国際映画祭最優秀女優賞受賞 、116分。
高校生の一人息子(狩場勉)をめぐり、両親との関係から引き起こされた壮絶な人間ドラマ。手に負えない暴力に思い悩み、両親の出した結論は、息子を絞め殺し、自分たちも死ぬという選択だった。
何不自由なく息子は成長してきたように見える。息子を進学高校に通わせるために、引っ越しまでしていた。父親(狩場保三)は駅前で何店かのスナックを経営している。母親(狩場良子)は過保護なまでに息子の世話をしている。
学校では落ちこぼれには、見向きもせず、教員は生徒たちがたがいに敵だと言い聞かせていた。主人公は大学進学を前にして、クラスの女ともだち(森川初子)が気になっている。帰り道で声をかけて散歩に誘う。
生い立ちを聞くと、父親(森川義夫)と二人で生活していた。母親の連れ子であったようだが、母は3年前に亡くなっていた。義理の父親に世話になっているとのことだった。土手を二人して歩いて、河原の茂みに入り込んだとき、無理矢理にからだを奪おうとして拒否された。
その後、顔を合わせても避けられていた。思い切って自宅に出かけてみると、父親と二人でいるところが目に入り、窓越しに見ていると、娘が父親の前でからだをあずける光景に出くわし驚嘆する。
動揺を隠せずに自宅に戻らず、父の経営するスナックに立ち寄ると、大学進学をめざしながらアルバイトをしている従業員が、レジの会計を誤魔化したことがバレて、父親に問い詰められているところに出くわした。
盗んだ金は、いなかへの仕送りにしていたことから、仲間の女子従業員がかばおうとしている。父親は容赦なく前歴を追求するが、今回のことを不問にしてくれと願い出る。
近ごろの若い者は反省の念がないと語気を強めると、女子従業員は私も辞めると言って出て行ってしまった。息子は同年齢の若者であったことから、複雑な気持ちで受け止めることになる。
父親はわが子には甘かった。ステレオがほしいと息子は母親に相談していたが、勉強には不必要で、父親は許さないと思っていた。母親は機嫌のよい時を見計らって頼んでみようと考えている。
息抜きが必要だと説き伏せて、買ってもらえることになったが、息子はガールフレンドのことが気になっていた。母親もステレオを喜ばない息子のことが、気にかかる。
彼女から呼び出しの電話がかかり、自分はいま蓼科高原にいるのだという。どうしても会いたいのだと言われると、駆けつけようとする。一泊で友だちと旅行に出たいと母親に申し出る。
学校は休校することになるが、母親は甘く、気晴らしにもなるだろうと、父親には内緒にしておくと言って、承諾してやった。娘は蓼科のホテルに一人で来ていた。そして義理の父親とのいきさつを打ち明ける。
母が死んでから、娘は血のつながらない父親から、からだを自由にされていた。辛抱しつづけたが、耐えきれず父親を殺害して、押し入れに押し込んで、現金を30万円ほど奪って逃げてきたのだと言う。
最後に主人公に会っておきたかったのだと告白する。二人は抱き合って、はじめて結ばれる。一夜をともにするつもりをしていたが、息子を東京に帰し、自分は次の朝に自首すると言って別れた。
夜遅く息子が帰宅したのを母親は問い詰めている。友だちに電話を入れると自宅にいたことから、怪しんでいた。息子はどこに行ったのだとも答えようとはせず、母親が疑いの目を注ぐと、凶暴なまでに接しはじめる。
翌朝、テレビから学校名が聞こえると、父親は息子と同級生であることから、騒ぎはじめる。新聞でも娘が義理の父親を殺したという記事が見つかった。娘は自首はせず、自殺していた。
主人公は娘を陵辱した義理の父も、情け容赦なく従業員を退職に追い込んだ自分の父も、同じ顔をもった薄汚い大人であることから、全てを敵に回して暴れはじめる。
バットを持ちだして、家を破壊するだけではなく、父親と母親に危害を加える。仏壇を叩き割り、ガラスや家具や戸口も形を無くすまでに至った。身の危険を感じた父親は、決意を固める。みんなして死のうと、母親にささやいた。
息子の父親に対する憎悪は、すさまじいものだった。近所の仲間が集まってきて、何とかしようと協力しあっている。ステレオを購入すると、大音響を流すことで、近所迷惑がはじまる。父親が無理矢理にヴォリュームを下げると、殴り合いのけんかに発展する。
精神的におかしいという、隣人の声を受けて、母親が説得をし、やっと病院に行くつもりになった。受けた説明は、母親への歪んだ愛と父親への憎悪という、エディプスコンプレックスの単純な理論に過ぎず、ヤブ医者を相手にしていられないと、母親はがっかりしている。
母親が狂気を鎮めようと、さらに接近すると、息子は母親の衣服をはだけて、暴行をはじめる。父親がそれを目にして分け入るが、力は息子の方が上回っていた。そして寝静まったころ、父親は腰紐を手にして、息子の首を絞めて殺害に至った。
このことは母親も同意していたはずだったが、その場に立ち会うといたたまれなかった。息子を殺したあと、二人は死に場所を探すが見つからなかった。ことに母親が死を恐怖した。列車に飛び込もうとしても、身をすくませておびえている。
時間がたつと、なぜ息子を殺してしまったのかと、悔恨の念を高めはじめる。ことに父親の刑が軽減されたことにより、その思いは強まった。近所の人たちの嘆願書や証言も、功を奏して父親の減刑に働いた。
父親が帰宅したが、家のようすは変わっていなかった。父親はすべてを忘れ去って、再出発したかったはずだ。部屋はもとのままで、妻の姿も異様なものだった。挙動も不審なもので、ある日戻ってきて名を呼ぶが答えがなかった。
2階に上がったとき、首を吊って死んでいるのが発見された。そばにはゴミ箱を逆さにしたような踏み台が転がっていた。かつてそれに乗ってよろめいたときに、息子が体を支えてくれた、思い出の台だった。
これまで父親に従ってきた母親もまた、息子と同じく抑圧されてきた存在だったのではなかったか。母親の死は、父親に気づかせようとする、無言の訴えだったのだとわかる。それでいて息子が父親に殺意をむき出しにしたとき、そんなに悪い人ではないのだからと言って、止めに入っていた。
加えて娘が父親を殺害した朝、たぶん蓼科に向かう前に、娘は息子に会いにやってきていた。そのことを母親は息子に伝えずに黙っていた。さらに電話もかかってきていたが、息子に取り継がなかった。
不自然な隠し事が明かされることで、知らず知らずのうちに、心の溝が深まっていく。息子は母親になぜ父親のような男と結婚したのだと問い詰める。母親は息子に同意しながらも、父も若い頃は素敵だったと答えるしかなかった。家庭内暴力を扱った実話を下敷きにしたリアリティが、恐怖を高めて、なぜという疑問をふくらませていった。
第899回 2025年11月17日
新藤兼人監督・脚本、矢代静一原作、林光音楽、緒形拳主演、西田敏行、田中裕子、樋口可南子、フランキー堺共演、119分。
北斎がまだ売れない無名の若者(鉄蔵)の頃から、這い上がるようにして名声を手に入れるまでを、滝沢馬琴や十返舎一九などとの交友をはさんで描いている。
近所の風呂仲間であり、浮世風呂という生活風景を写して、ヒットした作家名も出てくる。19歳になる一人娘(葛飾応為)の存在も重要で、70歳を過ぎて父親をみとるまでの、親子の情愛も見落とせない。
突然現れた謎の女(お直)に翻弄されながら、愛欲を求め続ける男たちの、情けなくもはかない生きざまが、哀れをさそう。歌麿の名声を前に、対抗意識をもちながら、才能の差を感じて嫉妬心を燃え上がらせる。
何とか目立とうとして、大道芸に打って出る。娘(お栄)を引き込んで芝居をさせ、米粒に絵を描いてみたり、山門を前に巨大な人物像を描いて、観客を門に登らせて見せてみたりと、あっと驚くようなパフォーマンスで話題を呼ぶ。仲間たちは冷ややかな目で見ている。
女との出会いは、枕絵で名を成そうともくろんでいた矢先だった。夜道で近づいてきて、一目で惹かれてしまう。娘は父親の悪い癖がまたはじまったと、あきらめをつけている。
親子は長屋を借りて生活していた。家主は女主人(お百)で、下駄屋をしていて、年下の男(佐七)を婿養子として引き入れていた。この男は小説家志望だったが、才能に見切りをつけて、下駄屋のあとを継ごうと考えていた。
馬琴という作家名は決めていたが、妻の前では執筆は控えていた。書いているのを見つかると、取り上げられてしまい、家業に引き戻される。隠れて書き上げた一冊を主人公に見せて、版元(蔦屋重三郎)に仕事で行くときに、読んでもらうことにしていたが、女房に見つかってしまうと頭が上がらず、誰のものなのだろうととぼけている。
主人公は友の情けない姿に苛立っているが、画家として売れないことから、部屋を出て行けと言われると、娘と二人小さくなってしまい、何も言えない。そんな女将が寝込んであっさりと死んでしまった。
夫を呼び寄せて自分が死ねば、あとは好きなようにしてくれと理解を示した。ただし名の知られるほどに、なってくれないと困ると言い置いた。男はこれまで抑え込んできた情熱が爆発するように、才能を開花させていく。
売れない画家の親子を支援もしてやった。父親には黙っていたが、版元にも売り込んで、自前で版画を売り出させようとした。版元も仕事だから何でもするが、つまらない作品を出すことはできないと、乗り込んできて主人公の溜め込んだ下絵を吟味している。娘は有名な版元がやってきたと、大声を上げて浮かれている。
下駄屋の財産のおかげで、主人公の仕事も知られるようになっていく。歌麿に対抗しての枕絵へのこだわりのあまり、生身の女に翻弄されて、深入りしてしまった。女のほうは浮気心から、他の男になびいていく。
見切りをつけようと、女を連れて父親(中島伊勢)のもとに出向く。血のつながりはなかったが、主人公の才能を見込んで養子にしていた。名の知られた職人だったが、この女を連れていくと、とたんにのぼせ上がってしまった。
意地悪をされるが、離れられるのを恐れて、好き放題にさせている。主人公は紹介料だといって、父から多額の金を手に入れていた。魔性の女は若い丁稚を連れ込んで情欲の相手もしており、父親の嫉妬は燃え上がってしまう。
老いた妻が主人公を呼びにきて、駆けつけると父親は、首をくくって死んでいた。主人公は女色を避け、日蓮に帰依して旅に出る。富士山を見て周り、風景画のシリーズを絵にした。
これによって名が知られることになる。歌麿は風紀を乱す存在として獄に繋がれ、版元も咎めを受けた。時代は大きく主人公の味方をしはじめたようだった。
家主との関係で、画家の娘は売れない小説家と近い間柄でいた。小説家が妻に頭が上がらない間は、その気もなかったが、一人になり父親にとってのかけがえのない友となってからは、見る目が変わっていった。
娘はずっと一人もので、父親に付き従ったが、ある日父親ははたと気づく。娘はこの男が好きだったのではないか。結婚しないのもそのためだったように思えてくる。主人公は放浪癖から家を離れることが多かった。名の知られるようになった小説家が、娘を誘った。
たがいに老いていたが、娘は自分は生娘のままだと言っている。男は満足するように心温まる情愛を経験して先立った。主人公は仲間はみんな死んでしまったと言って、老醜をさらけ出して登場する。89歳になっていた。娘は父親に付き従っているが、ある日かつての魔性の女とそっくりな娘を連れてくる。
いなか娘だったが、名の知れた絵師であることを知ると、身の回りの世話をすると言い出す。主人公は忘れていた情念が再燃する。わが娘はそのようすを、冷静に眺めている。これまで自分がしてきていた仕事が奪われてしまう。
商売女のように着飾ると、昔のままだった。若い男を引き入れて、愛欲の光景を見せようとする。枕絵にして描いてくれというわけだが、主人公はかつてのようにたかぶることはなかった。お好きなようにと言いおいて二人を残して出て行ってしまった。そして女体に蛸がからみつく性愛を超えた究極の造形にたどり着く。
これまでずっといっしょにいた娘は、自分のことは忘れてしまったのかと嘆いたが、父親が最後に頼ったのは娘だった。かつて魔性の女の虜になったとき、おびえながらも、わが娘にすがり付いて、守ってくれと訴えていた。
おぼろげにしか見えない父親は、自分の目の力が衰えたのを知ってか知らずか、西洋の遠近法を学ばなければと、最後まで画家としての意欲を失わなかった。娘はこれまでも父親の代筆を黙ってこなすことで、月並みな仕事を引き受け、父親の探究心を絶やさないでいた。
第900回 2025年11月18日
新藤兼人原作・監督・脚本、英題はTree Without Leaves、林光音楽、乙羽信子、小林桂樹主演、財津一郎、梶芽衣子共演、丸井工文社製作、105分。
初老の男(近藤ハル)が亡き母親(近藤とよ)を思い出しながら、感慨に沈んでいる。何不自由なく幸福そうだった家族に、突如訪れた災難がつづられる。主人公は末の息子であり、母親に甘やかされて育った思い出が、いつまでも尾を引いている。
父親が保証人となり、借金を抱え込んでしまったことから、悲劇がはじまる。父親は気位が高く、意地から先祖代々の土地には、手をつけずにいたために、返せないほどに膨らんでしまった。はては一家は離散をし、心労から母親は命を落とした。主人公が11歳のときのことだった。
広島の旧家は、蔵を伴った立派な屋敷であり、両親と子どもたちの家族6人が仲良く暮らしていた。父親は家督を受け継いだが物静かで、母親が家事全般を取り仕切っている。家族が生活するだけの農作物は、自活してもいた。
主人公が生まれたのは母親が41歳のことで、溺愛しており、本人も母親に甘えきっていた。どこに行くのも母親にべったりとくっついている。長男(近藤マサト)は兵隊に取られ、毎週の休みごとに練兵場に面会に行くのにも同行し、行き帰りで母親と二人きりで、食事をするのを楽しみにしていた。
兄とのあいだに二人の姉がいて、年頃になると、近隣の青年たちが娘を狙って家にやってきていた。気を許す若者もできたようだが、父親の借金で様相が一変する。
姉(近藤久代)は一家の犠牲になり、アメリカに嫁ぐという選択肢を取ることになる。多額の結納金を積んで、嫁に来てほしいという話を飲んでしまう。父親が早めに田畑や山を売っていれば、こんなことになることはなかった。
長男は父親から実印を取り上げて処理しようとするが、父親は言うことを聞かなかった。長男は家を出てしまい、尾道で独立して警官になった。下の姉(近藤秋子)も家に留まることができず、看護師になると言って出て行く。これまでの生活環境からは、使用人として働くことなど、考えられないことだった。
家を手放す直前に、長男は結婚をした。せめてもの思い出にと、立派な挙式を企画したのは母親だった。長男は妻に実家には柿の木はあるかと聞いている。登って腹いっぱい食ってもいいかと、さらに問うていた。自分の家からはもう柿の木はなくなってしまうということだ。
主人公がすぐ上の姉と小学校に通っていたが、母親から遅い目に帰ってくるよう言われた日があった。川遊びをして時間を過ごし戻ってみると、父親が戸外にいて椅子にかけ、ぼんやりとしていた。室内では母親が見知らぬ男たちを相手に酒を勧めている。
酒を飲みに来たのではないのだと言いながら、借金の返済を迫っていた。子どもたちにはまだ事情はしっかりとは飲み込めてはいなかった。やりくりがつかないなかで、祭りの日ぐらいはと宮島に出かけたことがあった。行く前に長男は、うなぎを3匹つかまえて、宮島に着くと料理店に持ち込んで、金に換えていた。
主人公は縁日の屋台で駄々をこねて、母親を困らせた。いつもは買ってくれたものだったが、この日はようすがちがっていた。昔日を思い出しながら、母には持ち合わせの金もなかったのだと、主人公は回顧している。泣きながら母の膝を蹴り続けた痛みを、やっと心に感じている。
初老となった主人公は今、いなかでの一人暮らしをしているが、妻と思しき女性が買い出しをしてやってくる。東京から戻ってきたようで、主人公の書き上げた小説の原稿を見つけて、目を通しはじめている。
女はシナリオはもう書かないのかと問うている。母親の思い出を書き上げたのだと言った。母親のことを知っているのはもう自分しかいないのだとつぶやいて、悲壮感を漂わせた。父親は母親が亡くなったときも無表情のままだった。
土地だけでなく屋敷も手放したとき、蔵だけが残った。かつての使用人が手伝いにやってきて、女主人の指示に従って畳を運び込んだ。父親はタバコ盆だけを手に蔵に移動した。
長男がやってきてみっともない姿を指摘して、尾道に来ていっしょに暮らそうと提案するが受け入れない。屋敷が解体されるようすが写される。重厚な梁の木材や高価な屋根瓦が外されていく。
ここに身を埋めて、一族の歴史を見届けようという意思表示だったのだろう。平常なら落ち着きはらった、風格のある人物だったのだろうが、今ではあまりにも頼りなげに目に映る。主人公が感慨深げに大屋根を見つめていると、母親に引っ張り込まれていた。
幼い日に何度も繰り返し耳にした、夕飯を知らせる母親の声が、幻のように聞こえている。主人公は父親とともに、最後まで蔵に残っていたはずだ。母を奪いあう、静かな戦いだったにちがいない。
8歳の自分は母親と湯船に浸かっている。姉が夕食だと母親を呼ぶ声がする。急ぎもせず息子は母親の乳房を口に含み、母親は息子の小さなペニスに口づけをしている。父も知らない二人だけの秘密だった。
主人公がシナリオライターであることから、監督自身の自伝ドラマだとわかる。アメリカに嫁いだ姉との50年ぶりの再会を、ドキュメンタリー番組として監督が語っていたのを、私は記憶している。
映画にはならないはずの、プライベートな母親への思慕を、はじめて小説にした。できたばかりの分厚い原稿用紙の束が、テーブルに置かれている。シナリオだともっと原稿枚数が必要だと言っている。文章に封印しようとした、そんな映画を、私たちは今、メタ言語を探る映画論のようにして見ている。
第901回 2025年11月19日
新藤兼人監督・脚本、永井荷風原作、林光音楽、津川雅彦主演、墨田ユキ、乙羽信子、杉村春子共演、116分。
流行作家(永井荷風)の放蕩三昧の生活を追う。最終的には文化勲章を得る文豪であるが、素性は隠していた。エロ写真家とみなされて、結婚の約束を交わした娼婦(お雪)の生きざまと対比的につづられている。
芥川龍之介のガス自殺をどう思うかと、キャバレーで客から絡まれると、トラブルを避け、裏口から逃げ出している。文学に思い悩むような人間ではなく、社会の底辺に生きる、男と女の下世話な人情話にしか興味はない。
財産家の母親の顔を立てて、結婚歴もあるが、今は一人暮らしを楽しんでいる。料理も気ままだが、器用にこなすことができた。金目当てに乗り込んでくる、商売女もいた。母親が時折顔を見せて心配している。
母親が無くなったときも、住む世界の違いから、弟分(永井素川)に任せたままで、姿を見せなかった。小説のネタになるのはもっぱら遊郭で、雨の日に傘をさしかけてやったことから知り合った遊女との出会いと別れが、一編の傑作になった。
場所は江戸情緒を残す隅田川沿いの一角である。「玉の井」という女郎屋のある、裏通りの色町で、「ぬけられます」という横断幕の看板がかかっている。娘は二十四、五だったが、50歳をとおに過ぎた主人公とは親子の開きがあった。
店の女将(まさ)は評判の娘をかわいがっていて、なじみとなった客についても気に入った。女将はサングラスをしていて気になっていたが、娘から聞き出した話では、若い頃に客を取っていて、客との痴話話で目を斬りつけられたのだという。
一人息子(悟)がいて大学にまで通わせている。姉の子を養子にもらったが、自慢の息子だった。戦局が悪化したことから、学徒出陣で兵隊に取られることになった。
生きて帰れる保証もないことから、女の経験をさせてやろうとした。決まった相手もいないようで、店の遊女のなかから、母親が誰がいいと聞くと、この娘に相手をしてほしいと言った。
作家はこの話を聞くと心を打たれ、娘は専属であったが、息子に譲ってやった。その夜は泊まりを予定していたが、途中で2時間ほど抜けて出て行った。息子ははじめてのようだったが、そのようすを語り涙を流している。
善良な女なのだと思った。作家はその夜は女を抱く気にもならなかったが、女は気分を高揚させて求めてきた。足が遠のき、娼婦はいかがわしい写真が、警察の手配を受けて、捕まったのではと心配している。
しばらく間を置いて訪れたとき、息子が戦死をしたことを知らされる。作家は忙しかったのだと言い訳をしているが、女は自分に飽きてきたのだと思いはじめる。
女将は唯一の生きがいをなくして、伏せっていた。主人公は仏前で手を合わせ、女将とともに戦争に嫌悪した。娘を愛おしく思い、娘も世話女房のように食事の世話をしている。娘は借金が済むのを間近にして、自由な身になれば女房にしてほしいと持ちかける。
男は年齢のことや、生活が安定しないこともあってとためらうが、娘の気持ちを汲み取って承諾する。男は本名を伝えて、自宅に招く約束をする。女将に報告すると我が事のように喜び、まだ借金が残っている証文を焼き捨てた。
男は心の葛藤を繰り返したはてに、姿を現さなかった。女将は疑心暗鬼だったが、娘は男がやってくることを信じていた。そして1945年に入り、東京大空襲にみまわれる。色町も消失したが、男の屋敷も焼け落ちて、蔵書もすべて失った。
戦後になり二人の女は生き延びていた。アメリカ兵を相手に、今まで以上に活力をもって息づいていた。すべてを失って、肩を落として歩く男の後ろ姿を見かけたことがあったが、没落したのなら要はないとでも言うように、通り過ごしていた。
文化勲章を受賞して、新聞に顔写真が掲載されたときも、似ていると言いながらも、まさかという反応で終わっていた。目を輝かせて現実世界に生き抜く女たちに対して、この心優しい厭世家は、名声は得たが、孤独な侘び住まいのはてに、血を吐いて死んでしまった。
第902回 2025年11月20日
新藤兼人監督・原作・脚本、林光音楽、三國連太郎主演、大竹しのぶ、柄本明、吉田日出子、大谷直子共演、119分。
老いの問題を考えるのに、姨捨山伝説を引き合いに出しながら、現代と対比させて、今も昔も変わることのない、親と子の絆を描き出していく。姨捨(おばすて)という駅に降り立った老人が、山の峯を感慨深げに眺めている。
70歳になれば連れていかれて、置き去りにされたという山の伝説に興味をもった男(山本安吉)の話である。妻に先立たれて、3人の子どもがいるが、親子の関係は希薄だ。化学の会社に勤める研究者だったが、今は月20万円の年金生活をしている。
長女(山本徳子)が同居しているが、父親の世話をしているというふうではない。父親がなじみのスナックで酔っ払い、病院に運ばれると、家に電話がかかってきた。娘は躁うつ病で、うつの状態に入りかけているので、父親を迎えに行きたがらない。
放っておくこともできず駆けつけることになるが、ベッドに寝かされ、病院に迷惑をかけていた。大便を漏らしたようで、看護師が世話をしてくれて、洗濯までも済ませていた。
医師は迷惑げに語り、父親を引き取って連れて帰ってくれという。娘は自分も病気であり、しばらくは病院で預かってくれないかと訴えるが、認めてくれない。
父親と二人になると、諍いが絶えない。早く嫁に行ってくれと言うと、行けないのは父のせいだと責めた。父親は感慨深げに山の峰を見つめていたが、自身のからだの不自由を考えると、姨捨伝説に興味をもった。
詳細を記した書籍を見つけると読みはじめ、物語の内容と自分の置かれた今の現状とが、交互になって話は進展していく。物語では70歳を過ぎた老女(オコマ)が登場する。からだはどこも悪いところはない。
一定の年齢がきた老人が集められ、くじが引かれ、この老女が引き当てる。喜んで家に持ち帰って報告をする。二人の息子がいて、自分は姨捨山に行くことになったと伝えると、息子たちは悲しんだ。
その見返りとして丈夫そうな娘(オキチ)がやってきた。若い娘は少なく貴重な存在であり、長男(クマ)の嫁になった。母親は弟(ウシ)に声をかけて、しばらくは我慢してくれと伝えた。兄夫婦が抱きあう姿を羨ましく眺めることになる。
村の長老が指示を出して、長男が母親を背負って山奥に入って行く段取りを教えている。ショイコを編み上げて、背を向けて母親を座らせて歩いていく。帰り道を間違えないようにと、母親は気づかれないようにしながら、道すがら通り過ぎる枝を折り続けていた。
兄が母親を山に連れて行くと、弟は兄の嫁と二人きりになり、心の内を訴える。一度抱かせてもらえないかと言うのである。かまわないが兄は怒るぞと脅すと、戻ってきて相談してからということになり、弟は気持ちが晴れ喜んだ。このとき嫁は兄の子をみごもっていた。
兄は母親を置き去りにできなかった。目的地に着くと、すでに捨てられた無数の、人骨が白骨化していた。カラスがまわりに群がっている。生きているあいだは襲ってくることはないのだという。
母親を連れて帰ろうとするが、母親は拒否して、帰るよう指示する。帰り道がわからないと伝えると、枝を折ってきたのだと明かした。引き返しかけると、確かに小枝の折れ目を目にすることができた。
息子はしばらくとどまったあと、逃げるようにして戻って行った。主人公はそのくだりを読みながら、憤り書籍を破りはじめている。兄が帰り着き、嫁の妊娠を知ると、母親の生まれ変わりだと理解した。
大きな腹を抱えて陣痛を起こすと、兄は自分が取り上げると言った。弟は戸外にいてソワソワとしていたが、赤ん坊の泣き声が聞こえたとき、我が事のように飛び上がって喜んだ。
主人公はスナックのママとは、妻を亡くして以来、心を通わせていたが、今はなじみの客以上ではなかった。常連客を相手に、年寄りをだいじにしないのに腹を立て、説教を繰り返す。はては大便を漏らしてしまい、もう来ないよう言い渡されている。
娘にも見放されて介護施設に入ることを考えはじめる。次女も顔を見せるが、行き来はない。長男も突然、結婚相手を連れてやってきて、数日後に結婚するのだと告げて去っていった。
施設では老人たちが集まって、幼児のように遊戯をするのを目にする。入居してしばらくして長女が、突然やってきて戻っていっしょに暮らそうと言い出した。院長の許可も取らずに勝手に出られないというが、娘は無理矢理に父親を引きずっていく。
交通機関もなくなっていたが、私がおぶって行くと言った。途中で交代をして父親が娘を背負って歩いている。二人の生活がはじまった。父の眠る周辺にカラスが群がってくるのを認めると、娘は父親の猟銃を持ち出して、追い払い撃ち殺しはじめた。
二人の驚きの表情から「生きたい」という無言のメッセージが聞こえてくる。娘と父、息子と母の、無言のうちに交わされる、不思議な絆の普遍性を考えることになった。
第903回 2025年11月21日
新藤兼人監督・原作・脚本、林光音楽、竹中直人主演、荻野目慶子、吉田日出子、乙羽信子共演、126分。
殿山泰司という、名脇役として生涯を終えた役者の、生きざまをつづったドキュメンタリー映画である。ほとんどが新藤兼人監督と歩みをともにしており、出演作をはさみながら私生活を浮き上がらせていく。
代表作「裸の島」は主演とも言えるもので、監督にとっても意欲作であり、セリフのないこの映像から映画はスタートする。主人公役を演じた竹中直人が、本人の声色をまねていて、最後まで調子を崩すことなく、みごとに役柄に徹していた。
酒と女に弱く、役者としての向上心がないと言われながら、病いを押して最後まで、与えられた役を演じきった。京都の喫茶店(フランソワ)で勤めていたウェイトレス(キミエ)に声をかけて、結婚を迫るところから話はスタートする。
娘も承諾し、妻にしたいと父親のもとに乗り込んで申し込んだ。このとき主人公(タイちゃん)は36歳、娘はまだ十代だった。父親は素性を探り、男が神戸の出身だというと、自分は大阪の河内の出だと言った。主人公が調子を合わせて、河内音頭を歌い、踊りはじめたことから、父親は気を許してしまった。
出身だと言った神戸には、今は再婚をした母がいて、気になっているが、会うのを控えていた。広島での撮影中に、思い立ったように母に会いたくなって、タクシーを飛ばしたが、10分間しか顔をあわせることができなかった。それでも母親への思慕はふくらんだ。
話が進んで結婚はしていないかと、念を押されると、正直に結婚をしていることを伝える。話は白紙に戻ってしまい、問題を解決後に出直すよう言われる。妻(アサ子)は鎌倉に住んでいて、飲み屋を開いていた。
正式な結婚はしていないで、内縁の妻だった。事務上の手続きが面倒だという理由からだったので、出向いて事情を話すが、認めようとはしない。逆に正式な結婚の手続きをすませ、養子をもらうとまで言い出した。主人公のほうに身体上の欠陥があり、子どもができないでいた。
中途半端なまま生活は続いていく。身の回りの世話は若い娘がした。東京に出て仕事を続ける決意をして、二人して京都を離れた。正妻に対し対抗意識を燃やして、自分も養子をもらうと言って、兄の息子に目をつけて、勝手に手続きを進めた。兄はそんな男とは別れて、京都に戻ってこいと言っている。
「裸の島」が海外で評価され、その後も順調に役をこなし、賞を受け宝物としてトロフィーを、二人の部屋に飾っている。男を支えた女にとっては、かけがえのないものだった。
本人にはかえって重荷になり、腹立ちまぎれに、窓から放り投げたことがあった。歩いていた僧侶が受け止めてくれて無事だった。女がかけてきて手にすると、パチンコの景品だと言って持ち帰った。
主人公は監督の考えを理解して、映画の共同制作にがまんする。何日も雨が続き仕事にならないとき、仲間は監督の批判をはじめたが、主人公は監督を信頼していた。板挟みになり重圧がかかったとき、撮影を放棄して姿を消したことがあった。
監督本人からではなく、夫人の乙羽信子を通して、優しくことばをかけられることで、自分を取り戻す。この男を主役にして映画を撮っておきたいということばも伝えられた。口を酸っぱくして言われたのは禁酒だった。やがてそれが身を滅ぼすことになる。
二人いた養子も順調に歳を重ねていた。鎌倉の本妻のもとにいた娘は結婚をするようになった。呼ばれて恥ずかしながら出席した。もう一人は息子だったが、自分のことは気にせずに思うように自分の道を進むよう伝えた。
体調を崩してガンが見つかったが、本人には知らせなかった。正妻にも知らされ反応は鈍くみえたが、一人になるとお百度参りをする姿があった。鎌倉に行き帰った日には、女の機嫌は良くなかった。いつまでもたがいに心引かれるものがあることが、わかっていたからである。
娘の結婚を終えて帰ってきたとき、引き出物を開けると、夫婦茶碗だった。嫉妬心からこれは自分たちに対する当てこすりだと、いらだちを高めていた。禁酒を破って別の女と一夜をともにすることがあると、猛烈な勢いで殴りかかり、男はなだめるのになすすべがなかった。
年齢とともに仕事も減り、電話の前に座り、かかるのを心待ちにしている。近所の目が気にかかり、毎朝仕事に出る振りもしている。余命が数ヶ月と知らされた頃に、立ち続けに電話がなった。今村昌平はじめ著名監督からの依頼だった。
どんな役でもこなす脇役としての自負があった。本人は知らないことから、妻は心配を隠せなかったが、仕事の依頼をともに喜び、決して向上心がないなどとは言えないものだった。
迫真の演技で3本の映画を、撮り終えて命を終えた。新藤監督が大きな遺影を前にして、男を讃えて追悼式の、最後のことばを飾った。本人は10年前に死んでしまったが、約束通り主役の映画が完成した。監督88歳の作である。