はじめに

第620回 2023年7月27日

はじめに 中世の森へ

 ヒエロニムス・ボス(図1)といういっぷう変わった画家がいる。時代的には中世、15世紀末に活動している。場所は現代のオランダ、当時はネーデルラントという地域名であり、国という形で独立はしていなかった。そこに出てきた画家で、作品数は40-50点ほどしか残っていない。ユニークな絵を描くので、一般には知る人ぞ知るという状態だろう。好きな人はトコトン好きだが、好みではない人も少なくない。地獄絵ということもできるし、怪奇と幻想の画家という紹介もあるだろう。当時はまだ宗教の時代なので、たいていはキリスト教の世界観を反映している。ただ難しいキリスト教の教義を知っていなくても、一目瞭然としておどろおどろしい怪物が登場する絵というものでもある。

 今から500年以上も前なので、解釈しにくい難解なものも含んでいる。何が描かれているかがよくわからない、何を考えて描いたのか。作家の意識を考えれば、当時はまだ画家が描きたいから描くという時代ではなかった。好きで描いているわけではない。誰かが描くよう注文を出したので、その注文にそって喜びそうなものを描いたということになるだろうか。それだけだと職人仕事ということになるが、それを乗りこえている部分があって、それが現代によみがえってきているのかと思う。注文を受けて注文主の好みに合わせて描くというのは、当時誰もがやっていたことだ。そういう形で描いていたもので現代ボスの名が高く評価されているということは、作家としての力量が並ではなかったということだろう。

 ボスの作品でいま最もよく知られているのは「快楽の園」で、スペインのプラド美術館が所蔵している。世界有数の美術館で、ベラスケスやゴヤというスペインの巨匠に交じってボスのコレクションが際立ってみえる。裸体の男女が500名以上画面の中にうごめいている。ひとりづつがいろんなポーズをとるが、ほとんど意味不明で、何を考えて描いたのだろうかが疑問として出てくる。解釈も多様にあり、まだまだ解決がついていない。わけがわからないからおもしろいというのは、おもしろさの一側面である。わからないがゆえにおもしろい。それを支えるのはゆるぎない絵画技術ということになる。油彩画という伝統の上に立って描かれ、油彩画のテクニックとしては100年以上続いたネーデルラントの風土に育ってきた作家でもある。

図1 ボスの肖像 

第621回 2023年7月28日

見えないものを見えるがままに

 絵画史の上で油絵が発明されたというのは、重要なエポックメイキングだが、先駆者としてヤン・ファン・アイクが知られる。その半世紀のちにボスが登場する。50年もたてば油絵の技法もしっかりと定着し、その特徴は緻密な表現ができる点にある。目に見えるものを見えるがままに表現できる。手に取るように描けるというのが特徴だし、その故に今でもすたれることなく描かれ続けている。それ以前のフレスコ画やテンペラ画の使いこなしと比較すると、発色をはじめ顔料としてのすぐれた部分があり、これを身に付ければ目に見える現実世界をそっくり写すという、魅力に満ちたものだった。これをベースにしながらボスは目に見える世界ではなくて、目に見えない世界に挑み始めた。これが彼の独自性で、目に見えるものを忠実に描けるのなら、見えないものも見えるように描くことができるだろうという論理をいう。

何を言っているかというと、目に見えないものとは手っ取り早くは怪物(モンスター)のたぐいだ。これは想像力の世界だが、今まで描かれてこなかったわけではない。キリスト教世界では地獄にうごめくデーモンがいる。これをどんなふうに描くかという場合、この世に目につくおどろおどろしいもの、すぐに絵にできるのはヘビやトカゲなどだが、それらはスケッチをして忠実に描くことができる。しかしヘビのままではデーモンにはならない。地獄にいて現実世界ではいないものとして創造される。このとき合成、もっと正確にいえば掛け合わせをしていくことになる。ヘビとトカゲを組み合わせる。今まで描かれてきた龍やドラゴンも合成の産物だろう。現実にいるかいないかという問題よりも、いかにリアリティをもって生息させられるか、絵画世界で誕生させられるかということになる。その点でボスの創りあげた怪物はいきづいている。ふつうは接合部分でちぐはぐになり、部分と部分を取ってきてくっつけるだけのことだが、ボスはそこに血を流した図1)。二つの身体をひとつの血がかけめぐっている。つまり生きている怪物を造り上げた。現実に造ったわけではなく、そうみえるということだが、そこには違和感はなく、胴体に首がしっかりと付いている。

図1 ボスの素描 

第622回 2023年7月29日

想像のリアリティ

 技法的に優れたものをもっていて、それをベースにしながら展開させていった。奇妙なものはこの世には多々あるが、絵として鑑賞にたえるものが求められる。宗教的なオーソドックスなものも描いているが、主には地獄の光景や、ことに聖アントニウスの誘惑という主題にこだわりを示した。ここでもデーモンがやってきて聖人を痛めつける。あるいは女性に化けて誘惑する。人間の欲望を遠ざけ、見向きもしない強い人格にならなければならないという教訓めいたものがベースにはなっているが、それ以上に人を誘いかける女性や肉体的に苦痛を与える拷問もリアリティをもって描かれる。油絵という技法が前提としてあって成立する表現性である。聖書中に出てくるので、現実世界をそのまま描いているわけではない。

悪夢のように夢の中で出てきそうなものもボスの絵では登場する。あるいは幻覚をさそうLSDなどの薬物との関連も指摘される。薬物の常習者が自分の見た妄想とそっくりなものをボスの絵画中に見つけ出したという報告もある。そこからボス自身が薬物を使ってイメージを膨らませていたのではないかという推定も見られる。現代の臨死体験図1)がボスの絵画に反映しているという見方には、まともな神経ではなくて薬物を使ったときに見えてくるものを前提とするが、薬物を楽しんでいる人は見ているだけのことだ。いざ描こうとすれば、中毒者では決して描けないだろう。見るだけではなくて冷静に再現する力が問われる。体験はしたとしても、どっぷりとつかったなかではなくて、世界を冷ややかな目で客観的に見ていただろう。

図1 ボスの祭壇画翼面 

第623回 2023年7月30日

世の終わり

 悲観的な目をもった画家だとはよく言われる。世界を楽観はしていない。時代的にもこの世は滅びるという思考が蔓延したころだ。1490年頃になるがヨーロッパ世界の中では、その後しばらくたつと宗教改革も起こってくる。それ以前ならペストが流行ったり、災害が頻繁に起こったりして、世の末を感じる中で、ボスの描き出す世界がそれらを代弁している。各地に目を向けるとイタリアではレオナルドダヴィンチが出てくるのと重なっている。

 ボスの生年は正確にはわかっていないが1450年頃と考えられる。没年は1516年とわかっている。レオナルドは1452年の生まれ、没年は1519年なので、ほとんどボスとかぶっている。同時代人ではあるが、一方はイタリアルネサンスの第一人者、他方は中世の闇の中にどっぷりとつかったようにみえる。光と闇のちがいはあるが、同時代としての似通った部分としては、時代に対するペシミスティックな見方、この世は近く滅びるという終末思想が共通する。ボスの画題では「最後の審判」(図1)が多い。キリストが世の終わりに再臨して、天国と地獄にふるい分けるテーマだ。世の終わりは近いという感覚はボスに限らず、最後の審判に結晶する。レオナルドでは洪水の絵図2)が数多く描かれる。この世は洪水で滅びるというのがヨーロッパでの世界観だった。

なぜ洪水なのか。日本でも津波が来ればそのことはよくわかる。ヨーロッパでは地中海はあるが、海よりも内陸の意識が先立っている。それよりも聖書のノアの洪水が引き金だろう。ノアの話はヨーロッパではなくて、メソポタミアでのことで、チグリス・ユーフラテス川の氾濫が想定される。大津波がやってきて地球は滅びる。洪水の理由は聖書の話ではあるが、考古学的なデータからすると、大地震が起こり、アトランティス大陸が海に沈み、山まですっぽりと覆う大洪水がもたらされる。地球上の人類はその時点で、いったん全滅する。わずかな人間だけが残るが、それがノアの一家である。その家族がやがて産めよ増やせよと、地球上に人類があふれかえっていく。善良なノアの一家も、子孫には悪人も増えて再度一掃しなければと、神の怒りが「ノアの洪水」を起こす。これが終末への筋道であり、世の終わりは洪水によるという考え方が定着する。

イメージ上は水の脅威が第一、それと合わせて火の猛威を加えて地獄の光景を造り上げていく。火山の爆発などもイタリアなどではイメージづけられた。ボスの絵の中でも夜景が燃えている。燃えさかる炎は美しいが地獄の光景として、描き続けられた。美しいけれどもおどろおどろしいという、怖いもの見たさがベースにはあるようだ。ボスの場合はかなり細かく描きこんでいる。うっかりと見過ごしてしまうこともあり、大変な情報量である。油彩画は細密描写を得意とするが、イタリアの壁画などと比べるとずいぶんと手間暇かけている。小祭壇画の場合でも何年もかかるのは、緻密な作業であっただろうことからうかがえる。点数は少ないとはいえ密度の高いものだったはずで、ひとりでこなすには難しく、弟子や助手の存在を想定しなければならない。

図1 ボス「最後の審判」

図2 レオナルド「洪水の素描」

第624回 2023年7月31日

キリスト教異端説

現代では画家はひとりの孤独な魂の発露だろうが、ここでは徒弟修業や分業制に支えられたものだろう。大きな注文を受けると、それなりに人手もかかる。芸術家のスタンスはまだこのころには成立していなかった。あくまでも仕事を請け負ってやりこなす職人の立場を踏襲していただろう。

異色な作家なのでもてはやされてはいたが、やがては忘れ去られてしまった。プラド美術館にはあったが、評価され始めるのは20世紀に入ってからだ。ことに評価を下したのはシュルレアリスムの作家たちだった。ダリなどが描く絵画世界はボスのあとを追っているようにみえる。ダブルイメージの多用もそのひとつだ。ダリはスペイン人でプラド美術館には愛着があったはずで、ボスに興味をもっていた。500年を隔ててはいるが両者はどこかで一脈通じ合っている。ダリがおもしろいと思う者はボスもまたおもしろかっただろう。ダリの人格が異色なほどにボスも同様な人物像を想定したくなるが、記録は残っていないのでまったくわからない。500年以上も前なので当然ではあるが、ヴェールにおおわれており、それがまた魅力でもある。わずかな記録から見えるボスの人となりはまともな常識人といえる。一風変わったところなどは見えてはこない。葬儀の記録は残っていて、居住地で大掛かりなセレモニーであったようだ。異質の絵を描いてはいたが、画家としては一目置かれ、各地の貴族から注文を受け、社会的なステータスも高いものだった。

一時期、ボスの描く世界はユニークで、異端めいたところがあるので、正統派のキリスト教とは反する異端の組織と関わっていたという解釈もでてきた。ことに「快楽の園」は祭壇画形式をとり、教会に置いて手を合わせて祈るものと見えるが、そこに描かれているのが男女の裸体の氾濫図1)する乱舞であり、それに対して手を合わせて祈るとは考え難い。そこから異端の宗派の祭壇画として用いられたという説が登場した。この説がながらく支持されてきた。日本も含めてボスが紹介されたときにはこの説が有力だったころで、ボスの絵はキリスト教正統に対立する異端信仰のあかしとされた。オカルト的な評価であったが、それはドイツの学者フレンガーによってとなえられたもので、それを受けてオランダでの現地調査が進められていく。かなり緻密な戸籍調査がなされたが、異端の影は発見されなかった。もう一度考え直さねばならないということになってきた。今でも異端説はくすぶってはいるが、おおかたの考え方としては、ボスはしっかりとした信仰をもったカトリック信者だったということで理解されている。

図1 ボス「快楽の園」部分 

第625回 2023年8月1日

中世の秋

ボスのいた社会状況は、ホイジンガの「中世の秋」にくわしい。オランダの歴史家だが14・15世紀を扱っている。直接ボスを扱ってはいないが、ボスに先立つネーデルラントに出てくる絵画の傾向や文化の動向を論じている。堅苦しい事実の羅列だけではなくて、人間の心の問題に踏み込んだ名著である。ルネサンスの時代だが、ルネサンスという語を用いずに、中世がたわわに実を結んだ時代だと言う。ルネサンスは一般には中世の否定というニュアンスをもつが、そうではなくて中世の延長とみて、香り豊かな中世文化の結実とみる。この時代の見直しを提案する。

ボスについてもルネサンスよりも中世の最後の姿として、中世文化を体現しているというほうがよい。ここから中世ブームが到来する。長らく暗黒の中世として評価が低かったが、実り豊かな文化のありかを書いたホイジンガの著作を通じて中世への憧れが現代人に芽生えてくる。中世には人間の感情の落差が大きく、くっきりとして見え、喜怒哀楽が明確で、人間が冷たいヴェールに閉ざされる近代とは、まだかけ離れた時代だった。それははるか遠い手の届かない世界ではなくて、庶民的な感情があふれかえる時代だった。

中世文化の中から油彩画の技法も登場する。それのベースになるのは中世を通じて描き継がれた写本装飾だった。細かく描きこんでゆく聖書の挿絵が、そこから離れて油彩画という形で展開していく。緻密な現実世界をなまのかたちで写し出すのが特徴なので、中世のもつ庶民性や現実感覚がここで引き合いに出されている。ボスの描く世界もそれと連動するように、日常生活の中で見かけるような愚かしい現実図1)を写し出している。飢えで死ぬよりも食いすぎて死ぬほうが多いと言われた、繁栄の地域であった。ボスの作品は魑魅魍魎の怪物画と、もうひとかたまりとして一連の社会風刺に向ける目がある。愚者というテーマが一貫している。阿呆とか馬鹿という現代では差別用語となるようなものだが、愚かさというのは人間が本来持ち合わせていたもので、普遍性のある主題をなす。

愚者と狂人が共通性のあるものとして引き合いに出される。愚者は鈍い感じがするが、狂人は逆に切れ味の鋭い感覚を思い浮かべる。精神障害という点では共通しており、絵画のテーマにもなったし、当時の文学のテーマにもなった。ボスの一連で見ると、地獄絵が描かれる以前のものだとすれば、現実世界を諷刺精神で告発していくような社会変革に向ける精神があったように思われる。

図1 ボス「七つの大罪」部分 

第626回 2023年8月2日

フリ-トレンダーの功績

この時代の美術史の参考書としてはパノフスキーとフリ-トレンダーが重要なものだ。初期ネーデルラント絵画史というオーソドックスな200年の歴史を綴ったもので、ファンアイクからブリューゲルに至る流れだ。フリートレンダーのもの14巻からなる作家別の画集である。ダイジェスト版もあり日本語訳図1)もある。ボスもそのうちの一巻を構成している。15・16世紀のネーデルラント絵画を作家別に分類していった人で、「めきき」という美術鑑定の基本をなすものだ。作品をふるいにかける。二つの作品を並べて同一作者かどうかを判断する。イタリアに比べると作家名が知られない場合が多い。名前の知られない画家でも目の力で同一作家の作品を分類することができる。文献に頼らずに絵のタッチを見比べることで、美術品収集の出発点をなし、ひいては美術史研究の原点を築いていく。名前の知られない画家については「マスター・オブ・〇〇」という仮の名を割り振っていく。「〇〇の画家」という名称で固有名詞の代わりをなして人格化していく。聖母マリアの絵が基準になって名前が知られない画家がいれば「聖母マリアの画家」というようなぐあいである。10点も20点も同一作者に割り当てられるのに、作家名がわからないという場合もある。

この分類を出発点に名前が知られると生没年の手がかりも加わり、制作年の割り出しに向かう。これが美術史の出発点だ。ボスの場合はフリートレンダーの緻密な仕事の半ばに位置し、15・16世紀の中間地点ということになる。ボスに同定される作品を並べると、他の作家の描く大半は宗教テーマなのに、ボスだけが浮いて見える。

こうした分類的な作業をへて次の段階でパノフスキーの研究が登場する。英語版は廉価で手に入るが、日本語訳は労作だが豪華本である。フリートレンダーが先駆けをなしためききの研究が分類の美術史だとすると、次には何を描いているのかという図像学の研究へと推移する。パノフスキーも図像研究をファンアイクあたりから書き起こしてくるが、16世紀にまで至らないで終わってしまう。そして最後に登場したのがボスだった。ネーデルラント絵画の図像研究では定番となるものだ。ボスなどでは細かくいろんなものを描き加えていく。描きたいから描いたというよりも何らかの出典がある。薬壺をもっていればマグダラのマリアであるというような取り決めがある。単純な取り決めでは決められないような複雑な、なじみの薄い出典からのものを描きこんで、その人物が誰かをあてさせるというようなことも起こってくる。そのときにフリートレンダーが作家別に分類してくれた成果を使いながら、ある画家が描いたマリアの絵はこうだけれども、別の画家が描いたマリアはこうだとなると、二つ比べて見れば描かれていないことが一方にあるなど、細かな比較をしながら、あるいはそういうものが出てくる出典を見つけていって、絵画を解釈していく。

図1 フリートレンダー著 

第627回 2023年8月3日

パノフスキーの憂鬱

パノフスキーは、まずはファンアイクから始めていってボスに至るが、そこでギブアップしたように見える。パノフスキーというような権威であっても、ボスの解釈のしようがなかったといえそうだ。投げ出したようにして終わっているのが興味深い。本来ならブリューゲルにまでつなげていくべしだったが、ボスのせいであきらめざるを得なかった。このことはボスを無視することはできなかったということでもある。

パノフスキーが「初期ネーデルラント絵画」をまとめた前後してボスの異端説が登場している。センセーショナルではあるが絵を見る限りでは、そうとしか解釈できないという点で、説得力のあるものだった。ドイツの研究者フレンガーはボスが異端の秘密結社に属していて、そのグループはアダム派といわれ、性的乱婚をとなえてフリーセックスを実践したと考えた(図1)。「快楽の園」はそのための儀式の祭壇画ではなかったかというのである。細部を丹念に読み解きながら論を進めており、誰もが納得してしまい、一世を風靡した。今ではその後の現地での研究により、ボスはまともな常識人だということになってしまったので、おもしろみは半減してしまったかもしれない。

解釈は作品しか残っていないと、どうとでも可能で、考古学的世界のもつ夢とロマンをたたえている。異端説のおかげでボスの戸籍調査が加速したことは事実だ。まともな結婚もしていて、妻は財産家から嫁いでおり、その実家のおかげでボスは仕事に追われることもなく自由な制作が可能だったという見方もできる。妻の財産相続をめぐっては、その兄弟との裁判になるようなトラブルも記録されているようだ。そこからはファンタジーの中に引きこもった夢想家というよりも、現実世界に根をおろした実利的人間の姿が見えてくる。職業として注文をこなすというよりも、好きな注文だけ受けて自分の興味を深めていくような自由人的性格を想定することもできる。自由な制作と職業としての画家をどのように区分してみるか、人となりや生活環境を思い浮かべながら、作品を見直してみる必要がある。現実にどんどん引き戻されていくので、夢を追って絵を楽しむようなところからすると、その当時の家計簿や注文記録や集金の記録を調べることで、美術史も成り立っているのだということを知る。

おもしろみからするとボスの描いたイメージ世界がどんなところからきているのか、中世の人間のイメージや想像力の構造を思い浮かべるほうがずっと興味深い。パノフスキーなどの図像研究は、具体的なデータをベースにしながら成り立っている。ボスのようなもうひとひねりあるような図像が出てきたところで、お手上げ状態になったということだ。

図1 フレンガー「ボスの千年王国」1947