第18章 ネオポップ

サブカルチャーの装いパフォーマンス/身体と映像/参加と出会いを求めて/オノヨーコ:みんなでつくる作品/参加型のパフォーマンス/シミュレージョニズム/ビドロ:恐るべきマニエラ/レヴィーン:写真家の罪意識/パロディの時代/サブカルチャーの利用/ヤノベケンジ:地球防衛の足跡/鉄の具象彫刻/村上隆:闊歩する浮世絵/クーンズ:掃除機にとって主役はゴミ/バンクシー:商品化された落書きアート

第224回 2022年4月19

サブカルチャーの装い

ネオポップはいかにもサブカルチャーふうではあるが、サブカルチャーそのものではない。60年代のウォーホルにしてもリキテンスタインにしても、マンガを使ってはいるがマンガそのものではなくて、ファインアートをめざす組織のなかにある。サブカルを借りて、装いながらめざしているのは、従来の伝統的なアートの世界だった。それをモダニズムと考えればよいか。あるいはサブカルチャーそのもののほうに可能性は残されているのか。マンガのアナログは、サブカルとして出版社にとどまって命を吹き返した。映画産業の軌跡にも同調して、電子書籍も加えてドル箱にのし上げた。

メディアアートは映像という大衆性を獲得したメディアを用いながら、アート表現に特化しようとする。コンピュータアートやプロセスアートやメッセージアートなど、アートを語尾に着ければ安直に拡散する量産体制は、大衆性をよしとする思想的基盤に立ってのものだ。日本でも「現代美術」というアヴァンギャルドを意味する名称が、いつのまにか「現代アート」と書き換えられてしまった。

同時に絵画を出発点としながら、絵画の成果よりもそのプロセスに目を移していくと、すべての制作はパフォーマンスの一語に集約される。美術に近い側面で考察するにはヨーゼフ・ボイスやナム・ジュン・パイク(1932-2006)やフルクサスの活動を追うことが有効だろう。

第225回 2022年4月20

パフォーマンス

日本の場合もパフォーマンスという領域は、美術とはかけ離れた演劇や舞踊、あるいはサーカスや大道芸が原型をなした。美術の文脈で問題視されたのは1960年代のことだった。それをさかのぼれば日本に未来派が入ってきた大正末期の反芸術運動を思い立つ。上野公園で大々的なパフォーマンスをしてそれが新聞の一面をにぎわした。パフォーマンスで世間を騒がすといえば、わいせつ物陳列罪が常套で、裸になって公衆で踊りさえすれば話題になる。いつも引用される写真は逆立ちをするパフォーマンスだが、逆さはりつけにされた殉教図であることがわかる。キリスト教図像をパロディとするのは、ロザリオをぶらさげて闊歩する桃山期の「かぶきもの」以来の、無頼漢のファッションデザインだった。

スキャンダルになるだけのものに過ぎなかったとしても、写真に記録され新聞報道をされた。展覧会を場にした発表で、二科展に対して三科を名乗って既成の美術の権威に対抗した。若者のエネルギーが関東大震災ののちの世情を呼び込んで、はけ口を求めた。震災の跡の何もないところで何でもできそうだというエネルギーの爆発としてみることができる。

壁にかけるタブローを静かに構想する図画以前の工作のもつ即物性に目が向いた。完成した作品よりもそれを生み出す行為に夢中になった。戦後の混とんのなかで抽象表現主義がアクションペインティングと解されたと似たような状況が思い浮かぶ。ヨーロッパでも未来派やダダでは、作品本位ではなく作家本位、重要なのは作家がどのように動くかということで、「作者の死」という現代文学の課題からは程遠く、作者そのものが作品となった。それがパフォーマンスの文法をなしている。作品が作者を裏切ってひとり歩きなどしないことは森村泰昌の一連の作品が教えてくれる。

第226回 2022年4月21

身体と映像

身体性を前面に押し出してくるパフォーマンスと対極にある映像を組み合わせて、ヴィデオパフォーマンスの名で領域を確保していた。ヴィデオが死語となったのちも映像作家として制作活動は継続している。テープやフィルムは電子メディアに代わるが、メディア間の移管は順調に進んでいく。時計から長針短針が消えることはない。デジタルがアナログをなぞるように進展するのは、過去への敬意の表明のようにみえる。

映像とパフォーマンスの単独ではない。両者の仕掛けを見せようとする。なまの身体と映像に映った身体の落差を見せようとする場合もある。鑑賞者がそこに参加をして操作する場合もある。それはコンピュータゲームに近いものとなる。映像作家が映像をみせるだけではなくて、いかにみせるか、自分自身がカメラをもっている主体であり、写される客体でもあるという二重性を仕掛けとして楽しむ。

日本でも60年代は身体が復権し、美術館内で前衛的な舞踊や舞踏が、ロビーを使って美術品を並べるのと同じように上演されてきた。美術に近い形で舞踊が取り込まれていった。今までは演劇的世界として舞台上で演じられていたが、美術館内のフロアや上野公園など日常空間と同レベルで演じられた。野外演劇やテント演劇と同調するものだった。舞踏では土方巽(1928-86)が際立っているが、それも単独でのパフォーマンスではなく美術の中西夏之とのコラボレーションなどを通じて、新しいヴィジュアル空間を模索した。

第227回 2022年4月22

参加と出会いを求めて

身体から行為への移行は、モノからコトへの推移と同調するが、実存主義から始まったジャン・ポール・サルトル(1905-80)が「参加」の文学を訴え、寺山修司(1935-83)が書を捨てて行動を呼びかけたのも60年代が共有する、当時の若者に向けたメッセージだった。アメリカではマース・カニングハム1919-2009)とジョン・ケージ(1912-92)がラウシェンバーグと場を共有した。

それぞれが個別に表現活動をしていたが、ここでひとつの劇的世界をつくりあげるなら、取り立てて新しいものとはいえない。それぞれが気ままに好きなことをやっていて、ときおり偶然の出会いが訪れる。カニングハムの踊りはけっしてケージの音楽には合っていないし、合わせようともしていないが、そこに出て来る違和感をその場その場で振幅させていく。

それは美術の一ジャンルで完結するものではなく、さらに触手を広げていった運動だった。一度として同じものがなく、その場その場でちがってくる躍動感を美術に焚きつけて見せたといえる。ここでもロートレアモンを引き合いに出せば、カニングハムが解剖台ならば、ケージとラウシェンバーグはミシンとこうもり傘にあたる。重要なのは、場を共有して寄り添うことだ。そうした「出会い」を求めるのは、シュルレアリスムから「もの派」へとなだれ込む前衛芸術の潮流だった。

モノからコトへという現代美術の動向は当然純粋芸術として舞踊に目を向けることになる。戦後アメリカに多くの舞踊団が生まれた。それもまた世界の共通言語としては、映画産業以上にアメリカの文化戦略に利用された。マーサ・グラハム舞踊団はイサム・ノグチ1904-88 の名をともなって日本でもよく知られるものだ。モダンダンスの舞踊団を支援するにしても、マースを選ぶかマーサを選ぶかは、アメリカの国家としての意思を反映する。

美術もそれにあわせてラウシェンバーグを選ぶかノグチを選ぶかという択一にもなる。モダンダンスでのマーサとマースのちがいは、モダニズムにおけるノグチとラウシェンバーグのちがいだとわかる。そこにポストモダンという語を用いればわかりやすいのかもしれないが、紋切り型の二分法ではすませないほうがよい。

第228回 2022年4月23

オノヨーコ(1933-):みんなでつくる作品

パフォーマンスという語はかつてイヴェントやハプニングと呼ばれたが、ともに人間が身体を動かすということが、美術の場合も出発点でありながら、身体性から離れていったところに疑問を呈した運動だった。オノヨーコの活動は、イヴェントという名にふさわしいものだ。原点になるのは「カットピース」(1964)と題された衝撃的なイヴェントだった。舞台上で演じられるのは、衣服がハサミで切り刻まれていく「事件」である。日本語のピースには断片(piece)とともに平和(peace)という意味があるのに気づく。女性の衣服を断片に切り刻むことが、平和を切り裂くことと重ねられている。

舞台上に観客が次々に上がる参加型の、共犯ともとれる無言劇だった。それが相撲の断髪式に似ていることに気づくと、欧米の前衛が古式にのっとった日本ならではの伝統に立つセレモニーだという点が興味深い。髪が古来より命に代わるものだとすれば、ここで髪を避けて衣服が選ばれたのに不思議はない。繰り返し再演が可能だという意味もともなうならば、その場合は服よりも髪のほうがサムソン伝説を思わせて興味深いものとなったかもしれない。髪のパワーは神のパワーでもあった。

2015年の東京でのオノヨーコ展でも、「カットピース」以来の断片へのこだわりが維持されていた[i]。断片が集まって全体をなす。それは民主主義を築きあげてきたアメリカのルールだろう。50年の時を経ても平和に向けてのメッセージアートとしてゆるぎないものがある。21世紀に入ってもさまざまな局面でオノヨーコに出会うことになる。2019年3月、広島市現代美術館での「美術館の七燈」と題した展覧会では、入口の急な階段を登りつめた広場に、植木鉢の作品「ウィッシュツリーフォーヒロシマ」(2011)が置かれていた[ii]

ルーヴルの階段をのぼったときに出会う女神像「サモトラケのニケ」に対応する。願い事を書いたおみくじのぶら下がる鉢植である。なまものなのに美術品だという発想の逆転は、「おみくじ」という平和主義に貫かれたもので、大きな望みも小さな夢も、同等に枝に結び付けられている。そのときおみくじは民主主義の根幹をなす一票にみえる。

「おみくじ」に目をつけるのは、日本にいては思いつかないものだろう。海外からの目で見ると神道に根ざした不思議な光景だ。おみくじが結えられた樹木には、さまざまな願いが霊となってただよっている。霊感の鋭いものはそれを感じ取っているはずだ。たぶんそれは「おまもり」と対比をなしている。おみくじは開かないと意味がないが、おまもりは開いてしまうと意味がない。何が入っているかは知らないまま身につけていることに意味がある。

これを裏返すとおみくじを開かないまま枝にくくりつけるアクションが思いつく。これだといつまでも気にかかるものとして残り続ける。しかしそれは当人だけのことで、一般には枝にくくりつけられた無数のなかに埋没している。吉凶を見ないで結びつけるのは、白紙で出された投票用紙に似ている。

老若男女も貧富の差もこえて同じ一枚の投票用紙に願いを託す。この一枚のために奴隷解放からはじまった、おろそかにできない自由獲得の歴史が横たわっている。白票を投じないよう呼びかけるのは、白紙の意思表示を無視したものと考えれば、おみくじを見ないで結ぶ行為も容認される。結果を知りたくない受験生の心境ととれば、十分理解できるリアクションなのだ。会期が始まったばかりだとまだ願い事は少ない。ただの鉢植えであり、願いが結び付けられていないと後が続かないので、不在者投票がいくらかはあったかもしれない。

みんなでつくる作品は、たぶん作品と言わない方がいい。それはおみくじでもなくて、「結ぶ」という行為によって輪を広げる平和運動なのだと思う。そんな仕掛けをつくる企画力が、アーティストの仕事になる。なまの木は成長するし、ときには枯れることもあるだろう。それも含めて永久保存ではない美術品と美術館のありかたが問われている。

その時を精一杯生きて輝いてみせるという作品概念は、コレクションという美術館の発想とは矛盾する。枯らさないで生かすということが、作品収蔵に向けての美術館の使命となる。ラスキンになぞらえた美術館の七燈の重要な理念のひとつにちがいない。


[i] 「オノ・ヨーコ 私の窓から」2015年11月8日(日)〜2016年2月14日(日)東京都現代美術館

[ii] 「開館30周年記念特別展 美術館の七燈」2019年3月9日(土)〜5月26日(日)広島市現代美術館

第229回 2022年4月24

参加型のパフォーマンス

同じ広島での「女たちの行進」(2018)と題した展覧会では、女性性を前面に押し出す作品群の中で、オノヨーコの「マイ・マザー・イズ・ビューティフル」というコミュニケーションアートだけは、男女をこえて母に送るメッセージとして受け継がれ、壁面に広がる大いなる行進を形づくり、冴え渡っていた[i]。貼り付けられた一枚一枚のメモは、民主主義に支えられたデモ行進に違いなく、母なるマリアを讃えるのに老若男女の差はないということなのだろうと思った。

森美術館での「カタストロフと美術のちから展」(2018)では最後のコーナーに参加型の一部屋があった[ii]。靴を脱ぎ、青のチョークを受け取り、壁面や床に彩色をする。鮮やかなブルーが目に飛び込んでくる。中央に傾いた小舟があって、そこにもすでに塗り込められ廃船を青く浮き上がらせている。

津波のあとに出現した非日常の光景であり、人類が何度となく繰り返し見てきた記憶である。近くは3・11のあと打ちあげられた陸上の船であり、古くはアララトの山頂にあらわれたノアの箱舟であった。そしてこの自然の猛威が、人災に姿を変えると、高層ビルが山に置き換わった9・11のイメージとかさなってくる。

そうしたカタストロフを追悼するように、ブルーが塗り込められていく。作者名を見るとオノヨーコ「色を加えるペインティング(難民船)」(2018)とあった。広島での感動的な壁画は男女をこえた子どもたちの手によるものだったが、ここでもひとりひとりの祈りが、作品となって結晶していく。会期の終了とともに完成し、また何もない日常空間へと戻る。

この参加型のパフォーマンスは、カットピース以来、一貫してぶれることはない。ハサミを持って衣服を切り、少しずつ分けもつこと。下着まで切り裂かれていく辱しめを通して見えてくるのは、獣性の共有と当事者としての自覚であり、いつまでも忘れない光景を記憶にとどめている。絵画からは大きく逸脱するが、絵を描くことからはじまる日常性の奪還は、60年代ポップアートの新たな展開として受け止められる。


[i] 「常設展特集・女たちの行進」2018年2月24日(土)~6月17日(日)広島市現代美術館

[ii] 「カタストロフと美術のちから展」2018年10月6日~2019年1月20日 森美術館

第230回 2022年4月25

シミュレージョニズム

90年代の新しい動向はネオポップの名でくくるが、それに先立つシミュレージョニズムからの発展形とみなされる。ネオポップは日本の作家の代名詞のように使われているケースも多い。浮世絵が世界的に評価され、日本は版画の国だという。棟方志功(1903-75)などは古い仕事のようにみえるが、インターナショナルな目を通して評価され、最先端の前衛的なものに見え出してきた。浮世絵の伝統の上に立って、メディアとしての版画が、マンガやアニメという日本のお家芸にマッチングする。村上隆や奈良美智が登場する。

現在ネオポップといって大手を振って歩いている動向も危うい感じがしてしようがない。その点シミュレージョニズムというのは今までになかったいいかたなので、発展的にみえる。実体験に対して仮想体験をいうときに用いた用語だった。シミュレーションという語が盛んに使われた一時期があったし、やがては死語となって消えていったという限りでは、時代様式としてはふさわしいということだ。この語が流行したころ、シミュレーションをシュミレーションという人も多くいた。

このことからも言語は生き物だと感じさせるが、原点はモダンという語の使用法に由来するものだ。モダン(近代)はかつて最先端であったはずだが、今では色あせてしまっている。モダンよりも新しい場合、コンテンポラリー(現代)の語をあてたことを思えば、ネオ(新)という命名も案ずることはなく、やがては時代とともにその意味を変貌させてくれるだろう。コンテンポラリーには新しいという意味はない。受験英語では「同時代の」を意味する形容詞で、今ということだ。

どんな時代にも今はあり、それは新しくなくてもいいのだ。いいなおせばアートナウということになる。モダンの語はコンテンポラリーの語が出てきたときに、「少し前の」という意味に変容したとするなら、「新」もまた価値観の変化から、「今までにない」という意味から「未熟な」へと意味を変えていくだろう。それは新人が意味する真意でもある。ポストモダンという語が出てきた時、モダンの意味が変貌したように、ポストニューという語の出現が迫っている。

ボクシングペインティングは生き残りのモダニズムではない。多くのアヴァンギャルドが比較的短命であるなかで、あの頃30歳代だった画家の半世紀のちの活躍が目立っている。それは80歳代の篠原であり、草間であり、横尾だった。ポストニューの名にふさわしい高齢画家の、21世紀になってからの、モダニズムに向けての反旗だった。高齢化時代に入った現代文明のルネサンスと見れば、新世紀のはじまりは決して「瓦礫」ではなかったようだ。

シミュレーションがイズム化する背景を考える。それは模倣や試作というオリジナルとは対極にあるものだ。80年代に起こる新表現主義と対応して考えると、20世紀にはじまった「芸術は表現だ」という理念は、いったん表現をなくすまで解消されてのち、復活してきた。

ニューペインティングという別名をもつが、古臭い絵画という印象が一般には残った。表現と称するほど個性に磨きがかかっていないということだった。あまりにもものの数が多すぎて、情報化社会のなかで無数の人間が同居すると、閉ざされた情報下でクリエイティヴが重要視されていたようには、立ち行かなくなった。過多な情報世界ではクリエイションは成り立たない。

似たようなことはどこかで誰かがやってしまっているという状況がある。耳をふさいで制作を続けるという方法もあるが、耳をふさいでも情報が入ってくる時代になっていた。そこで逆に情報をうまく利用しようという方向が打ち出される。個性をなくして表現をゼロに近づけるというのはすでにミニマルアートで行われた。

別の方法を模索するなかで、音楽用語で出てきたリミックスやサンプリングからヒントを得て、アプロプリエーション(盗用)という犯罪用語へと至ったのである。ポストモダンのはけ口は「引用」の華飾でおおわれている。「他人になりきる」ポストモダンの動向に、80歳の画家が30歳の「自分になりきる」という方法論も付け加わると、高齢化を支えた現代医学が「復活」という名の宗教思想に手助けをしたことになる。黒髪は白髪となってもう一度創作を開始するのだ。

第231回 2022年4月26

ビドロ(1953-):恐るべきマニエラ

負の概念を前面に出す。マイク・ビドロの作品はすべてが自分ではない。アトリエの写真を見るとマティスもあれば、ピカソもある。マンレイもレジェもある。世界の名画が自分のアトリエに所狭しと並んでいる。これらは明らかに盗作だが、作品名にはノットピカソなどとあり、「これはピカソではない」という表明をしている。

これは偽物だということによって、盗作という犯罪は回避されているということになる。しかしピカソだけでなく大勢の有名作家の作風をまねるという点では、恐るべきマニエラ(手法)に支えられた能力である。それはルネサンスに対するマニエリスムのスタンスといってよいだろう。

映画「おしゃれ泥棒」(1966)では、はらはらする娘とは裏腹に、その画家は人知れず地下に眠っている。明らかに盗作とわかるのは描いた本人だけで、世のなかには本物として大手を振っているものが、まだまだあるのではないか。盗作家だけが秘密を知っていて、にやっと笑っているという構図がうかがえる。

全く同じものであれば、二つを並べてみて決着はつくが、ピカソの様式を用いて、まるでピカソが描いたかのような知られざるピカソが登場するとどうなるか。多作で高齢でもあれば、ピカソ自身もわからないということにもなるだろう。そんな絵を描いたかもしれないと思ってしまう。

画家本人をも不安にしてしまう。「去年マリエンバードで」(1961)で映像化された前衛的実験が、ここでも起こっている。そして「これはピカソではない」というフレーズは「これはパイプではない」というマグリットが提示したイメージの魔術を下敷きにしていることも確かだろう。そこまで考えるとそれは盗作ではなくて、きわめてクリエイティヴな領域に入り込んでいるのではないか。

パイプの絵を描きながらこれはパイプではないと書かれるとそれは何なのかを問うた。パイプのイメージではあるが、本物のパイプではないという解釈が一般のものだ。それならここでもピカソのイメージではあるが本物のピカソではないということになる。マグリットの絵を贋作だとは誰もいわないという意味からは、ここでもピカソの贋作ではないことになる。ビドロが自分の手で描いたものであることは確かで、イメージ世界とモノ自体が混同されたりだぶついたりしている。ピカソが使った絵の具でもなければキャンバスでもない。そこにあるのは自分の作品だということだ。

イメージだけは借りているが、イメージくらい借りてもいいではないかという論理である。今まではイメージオンリーでそれが絵画の生命だったが、イメージはモノに貼りついているだけに過ぎない。重要なのは絵でいえばキャンバスであり絵の具であった。イメージはひとり歩きし、画集になったら無数に拡散するものだ。イメージの盗用は著作権によって保護されているが、実際には暗黙のうちに見て見ぬふりをされて無数に氾濫している。保護とは単なる著作権料のことに過ぎない。

ここまでおおっぴらにノットピカソと打ち出されるとあざやかというしかない。今までは偽物を本物だといいながら後ろめたさをともなった贋作家があった。そういう仕事をしていてもよかったのだろう。しかしここで手の内を明かしてみせる。そして個展の名で作品が商品として売買の対象になる。ピカソでないという作品がずらりと並ぶわけだが、ピカソでない作品を買う人はいる。ピカソであるほどの高価ではないはずで、複製のつもりで買う買いかたもあるだろう。

シミュレージョニズムの名でビドロの名が高まると、ただ単に複製のつもりでは買えない。どの程度の価値がつけられるかを考えると、美術品売買のからくりはもっと興味深いものとなるだろう。これらの作品は盗作という制作行為だけで完結するわけではない。訴訟というアクチュアルな現実への対処をも含めて作品全体を構成している。画家は絵を描いているだけでいいというかつての芸術家像からの脱皮とみてよい。

第232回 2022年4月27日

レヴィーン(1947-):写真家の罪意識

シミュレージョニズムと名付けることで、ビドロが代表的な人物像として浮上する。同じイズムのなかにあってビドロと同一の地平でシェリー・レヴィーンやシンディ・シャーマン(1954-)が登場する。それが1950年前後に生まれた世代に共通する思考だとすると、日本では森村泰昌(1951-)が加わることになるだろう。

新しいものをつくるというよりも、古いものへの敬意のあらわれでもある。犯罪とスキャンダルの快感を感じ取る尖鋭性であると同時に、古いものを蒸し返す郷愁に支えられている。シャーマンの写真を見ていると古き良き時代のアメリカンノスタルジーが匂い立ってくる。それは仮装されたマリリンモンローであり、まさにシミュレーションそのものだ。

写真というメディアがシミュレージョニズムでは重要視されている。写真術の発明後イメージは剥がれやすくなった。それまでの絵画ではイメージはキャンバスの上にぴったりとくっついていた。レヴィーンウォーカー・エヴァンス(1903-75)の写真を複製で再度撮影する。そこでは写真を写真に撮ると誰の作品かという問題に突き当たる。オリジナルとは何かを不明にし、解体していく考えかたである。

写真は何でも写真に撮れる。写真を写真に撮るとき、オリジナルのフレーム通りにそっくり撮ってしまうと、写真の複製ということになる。しかしそこに少しでも余白を写しこむと、それをコピーした人の作品になる。あるいはその写真を少し角度を変えて斜めから撮ると撮影者のオリジナリティが強化されてくる。著作権にもかかわるが、立体物を写真に撮ると立体物自体は彫刻家や陶芸家のものだが、写真の著作権は写真家にある。

ノットはレヴィーンではアフターに変わる。アフター・ウォーカー・エヴァンズは「エヴァンズではない」よりも「エヴァンズにもとづいて」という意味では、控え目になったように聞こえる。しかし写真では過激な居直りが手描きの絵よりも加速する。写真家は元来どんなものを被写体に選んでもすでに肖像権侵犯の罪意識をともなっている。自身は身を引いて前面に出たモデルに委ねるという意味でも、それはメディアそのものの特性だ。それを解消するためにはセルフポートレートになりきるしかない。ゴッホになり切った森村泰昌の自画像は、「これはゴッホではない」ということだ。

誰の作品だと考えたときに、シミュレージョニストたちのいい分は、ある種の開き直りと解することができる。リチャード・プリンス(1949-)の作品をあげてみる。そこでは無数にある広告写真が使われる。広告写真をそのまま使うが、そこにペイント(色を塗る)することによって、自分の作品になってしまう。

今までのペインティングは何もない地肌の上に描いていて、それが絵画だった。絵画は地塗りをした単色の平面の上に描かなくてもよいのではないかというところから、どこにでも描けるのだという開き直りが起こる。立体物の上にでも絵付けはできる。

アメリカには広告の膨大なイメージがある。写真系の週刊誌やモード雑誌から丹念に収集していって、再利用しながら作品化していく。貼り付けるだけでも作品になるが、自分の手の跡を残そうとペイントする。無から有を創るという創作の概念が覆されて、わずかなシミを加えるだけで自分の作品だといいはれる。その行為は最後に絵の隅にサインを小さく入れる旧来の画家のしぐさをなぞってもいる。マーカーといってもよいが、日本語では「唾をつける」という適切な語があって、このことによって自分のものになるという意味である。デュシャンの便器のサインがここでもバイブルとなる。

第233回 2022年4月28

パロディの時代

日本ではマッドアマノ(1938-)のパロディ裁判が多くのことを教えてくれる[i]。1970年から16年間の裁判記録は微に入り細にいるものだった。うんざりする論争がそのままアート表現の一部を形成している。判決文を読みながら、パロディの奥深さを満喫する。白川義員(1935-)の山岳写真にタイヤを付け加えただけの広告だが、パロディは手を加えるのが少ないほどに効果をあげる。

モナリザの写真にひげを付けたデュシャンのたわいのないいたずらに、立腹するかどうかという話である。まじめにぶつかると宗教裁判へと発展する。雪山の雄大さも素晴らしいが、スキーヤーの滑降するシュプールをタイヤ跡に見立てたパロディがなければ、こんなに名だたる風景写真とはならなかったことも事実だ。あっと驚くようなシュールな世界は、ダリ好みのトリックであるが、もとになった白川の山岳写真もみごとなだけに、一概に判断をつけがたいものとなった。

権威に髭をつけて引きずり下ろす揚げ足取りに終わらないのは、巨大なタイヤがスキーヤーを追いかける雪崩に見え出したときだ。雪崩は確かにこんなふうに起こるのだと実感すると、このパロディのオリジナリティに拍手があがる。巨大な黒いタイヤが伝えるメッセージは衝撃的だ。

逃げまどう自動車をまたたくまに飲み込む津波や洪水の映像を見続けた現代人にとっては、このパロディの感慨はオリジナルを超えている。平安末の末法の世に「山越阿弥陀図」という山の峰に顔を表す巨大な阿弥陀像のシュルレアリスムは、昭和ではゴジラの出現に置き換えられた。自然破壊の逆襲が、ゴジラからタイヤに代わったというのもあざやかな切り返しにみえる。

聖なるものが汚されたかどうかが宗教裁判の論点となるが、このパロディのおかげでふたりの知名度は高まったとすれば、やがて訪れる和解は想定内のことだったかもしれない。その意味ではものまね歌手が誇張してみせる元歌手との関係に対応する。大声をあげて喧嘩をすることもなさそうだが、それをまじめくさって判決文になった時点で、これぞまさに究極のパロディということになろうか。

美術にとって70年代とはどういう時代であったかは、とても気にかかる。50年代のアンフォルメルに対して反動のような形で登場した60年代のポップアートの終息後をどうまとめていくか。パロディはポップの延長上にありながら、反骨精神に根ざしたもので、ポップが俗を神格化するものだとすると、パロディは逆に神を俗化するものだったという点で、時代の転換を語るものといえるだろう。


[i] 「パロディ、二重の声 日本の1970年代前後左右」2017年2月18日(土)~4月16日(日) 東京ステーションギャラリー

第234回 2022年4月29

サブカルチャーの利用

こうしたシミュレージョニズムの延長上にネオポップが誕生する。広告写真などもサブカルチャーのなかから出てくる。マンガやアニメなどファインアートのくくりのなかからはずれていったものは無数にある。60年代のポップアートではそれをもち出してきて、タブロー化していく流れがあったが、ここでも似たようなことは起こってきた。かつてもち出されたのは、ミッキーマウスであったり、ケネディー大統領やプレスリーなどアメリカを象徴するようなイメージだった。

類型として90年代から出てくる日本での動向は、キャラクターイメージをファインアートとして取りあげた。キャラクターは登場人物という意味だが、マンガやアニメーションなど何らかの物語での主人公という位置づけである。それを一枚ものの単一の画面に投射して引きのばす。本来は時間軸や物語にそって、ひとこまを飾るものであったはずが、大写しされてイコンとして定着していく。

サブカルチャーを利用はしているが、サブカルチャーそのものではない。オタクに代表されるサブカルチャーサイドからいわせると、一点ものをめざすものへの風当たりは強い。もっと地道な活動を俺たちはしているのだという自負もあっただろう。日本の大衆文化を戦略として利用しながら海外に売り込んでいく姿は、浮世絵の再来のように見せようとする意図が感じ取れる。

ポケモンなどのキャラクターはアジア圏はいうに及ばず広がり、それに連動する形で宮﨑駿(1941-)のアニメや北野武(1947-)の実写映画も世界に向けてアピールしていく。日本ならではの見えかたを戦略としてもち出していく。そこでは日本のヤクザに象徴される日本刀がつねに出てくるし、サムライとハラキリのインパクトが、ミシマの名を借りながら、日本のポップイメージとして浮上している。

サクラの花とともに日本をシンボライズするものとして定着する。民族主義に根づいた東映のヤクザ映画をこえて、インターナショナルなものに展開していった。深刻でリアルな世界から、客観的に判断する目が登場する。冷静な視線を加えることで愚かしくもありコミカルな世界が活写されていく。茶化してパロディ化することで、どっぷりと没入することを避ける。それがネオポップの画家たちの一貫したスタンスだったようにみえる。世界を冷めた目で批判的にとらえる視覚を、ネオポップはもち合わせていた。

第235回 2022年4月30

ヤノベケンジ(1965-):地球防衛の足跡

若い世代としてヤノベケンジの仕事に注目が集まった。それまでは絵画で推移してきたネオポップに、アニメと特撮の視覚が動員された。特撮自体は映像の分野だが、今のコンピュータ全盛以前は、模型のことを意味した。特撮に使われる模型そのものを作品化する。大掛かりな機械仕掛けの彫刻のような様相を呈する。その流れとしては古くからジャンクアートが現存した。ヤノベ作品の初めはジャンクアートに近いものだった。機械仕掛けで自分自身が動かすというのが出発点となる。みずからアトムスーツを着込んで乗り込む。

そこから社会性を帯びだしてくるのが、もうひとつの展開だった。アトムスーツはもちろん鉄腕アトムのイメージだが、それを着込んでチェルノブイリへ行く。それは地球防衛であったり身を守るための放射線除けであるが、そんなものは確実なものとはいえない。そこでは作品というよりも作者が作品に同化しており、作品を創ってそれを発表するという形をはるかにこえて、自分自身の行動の痕跡をパフォーマンスとしてとどめようとする。自身の身体性が全面に出てくるものとしてみえる。

展覧会もまた芝居がかっている。「ヤノベケンジ シネマタイズ展」(2016)では、代役が立てられアトムスーツを着込んだのは俳優の永瀬正敏だった[i]。瀬戸内芸術祭に組み込まれて美術ファンで賑わいを見せる高松市美術館のロビーで、巨大なフィギュアである少女「フローラ」(2015)が立ち上がるというので待ち構えている。かわいいのか不気味なのかが、判断のつかないまま、圧倒的な作品のもつ迫力はこれからはじまる見世物のデモンストレーションとしてはふさわしいものである。

会場は虚しい戦いを終えたあとの残骸なのだろうか、廃墟を思わせる暗い空間が広がる。床面いっぱいに防水シートが敷き詰められ、水の滴る音が展示室内に響きわたる。「鉄」が機能を終えて朽ちはじめている。鉄は明らかに現代文明の象徴であり、何よりも武器である。そして鉄から「水」が噴き出している。美術館内で聞く水の音は新鮮だ。水は浄化作用をもち、全てが終わったあとに、また何かが始まろうとする音だ。

芝居掛かったたいそうな演出ではあるが悪くはない。ここでは美術館には異質な「水」がキーワードになっているように思う。そして水は彫刻を支える重要な要素でもあり、ベルリーニをはじめローマの噴水を縁取るバロックの彫刻的伝統を築いてきたものだ。その点ではこの現代風で庶民的感覚に満ちた鉄のフィギュアも、西洋彫刻の正統な系譜上に位置づけられるのかもしれない。


[i] 「ヤノベケンジ シネマタイズ展」2016年7月16日(土)~2016年9月4日(日)高松市美術館

第236回 2022年51

鉄の具象彫刻

彫刻の素材として鉄が登場した。しかもヤノベの場合、それは具象彫刻であり、これまで抽象彫刻が築き上げた鉄の伝統を問い直す力技であることは確かだ。加賀市美術館で山田宗美(1871-1916)の鉄の具象彫刻に出くわして感銘を受けたことがある[i]。みごとな犬が鉄でたたき上げられている。犬よりも分福茶釜を思い浮かべながら、それはリアリティというものではないと感じた。モニュメンタルな堂々たるたたずまいは、これまでためらいがちに彫刻と呼んできたシミュレージョニズムの後ろめたさを払拭するものだ。

ヤノベの出発点は1970年の大阪万博にあった。万国博覧会が実りある美術への刺激材料であったことはフランス絵画史が証明している。鉄の勝利は今も残るエッフェル塔にみることができる。千里の万博跡地という立地条件を幼児体験として受け入れたことから、才能は素直に育っていった。確かに時代の落とし子という呼び名がふさわしい。

鉄はまた大阪を支える町工場のポップな象徴でもあった。戦後、鉄屑を拾うことから始まった大阪の中小企業が鉄を頼りにのし上がる浪花節が、ヤノベの造形を応援する。昭和の繁栄を下支えした大阪の下町に根づいた鉄工所のオヤジは、あの頃は西田佐知子ばかりを歌っていたが、アカシヤの雨にうたれて死んだ女子学生を追悼する学生運動の時代でもあった。森村泰昌の厚化粧の色街と、よしもとのオバチャンパワーを抱き合わせにして、東京人を圧倒するデロリの美が形成されていく。関西にはこれに先立って過激なハプニングと未来都市を彷彿とさせる鉄の抽象彫刻で知られる榎忠(1944-)がいる。筋金入りの金属加工の職人だった。

鉄の彫刻は、ブリキのおもちゃを原点だとすると、ネオポップの名にふさわしいものだ。60年代のポップアートを受け入れた世代でいえば、鉄人28号鉄腕アトムにみる鉄のイメージを引きずっている。実際には鉄に見せかけたプラモデルで満足していたが、次のガンダム世代にはプラモデルでさえも重量感のある合金である必要があった。こうした世代をこえた子どもの夢がヤノベの彫刻に結晶する。

江戸が築き上げてきた「いき」の美学を笑いとばし対極に退けて、野暮ったい笑いの構造が、系譜としてみえてくる。粘り気のある濃厚な厚塗りという点では、具体美術協会の前衛とも歩調を合わせるものだろう。目を閉じていても、大阪弁が聞こえ出してくる。大阪の泥臭さはポップなイメージからは、本来は対極にあるものだ。

それはニューヨーカーにならう東京スタイルがルイヴィトンをひっさげてスターダムにのぼりつめた世界のムラカミと対比をなしている。しかし一方でビートたけしとコンビを組んでギルバート&ジョージを模して「ツーアート」(2003)とおどけてみせた演出も、ネオポップにふさわしい戦術だった。タケシとタカシのビッグネームは、ともにビッグマネーを誘導し、成金趣味を自虐的にパロディにしてみせた。それは赤瀬川原平と美術史家の山下裕二が学生服姿でイメージ戦略を試みた「日本美術応援団」(2000)に同調するものだった。浅草と六大学が象徴する「お客様は神様」とみる芸能の大衆的伝統は、現代アートの基軸をさぐるネオポップ時代のマニュフェストだった。


[i] 「鉄に生命を吹き込んだ男―山田宗美展」2016年7月9日~9月4日 加賀市美術館

第237回 2022年5月2

村上隆(1962-):闊歩する浮世絵

同じネオポップといえども、出発点が平面か立体かという相違は引きずっているようだ。村上隆は日本画を先行して博士の学位まで取得している。ジャポニスムを打ち出すには好位置にいたということだろう。日本画を出発点にしながら、今やどこが日本画だというかなたまで行きついている。しかし日本画のもつ伝統的世界観や手法や技法は、海外の目からすると魅力的に映る。

日本人がいくら油彩画をがんばっても認められないジレンマは明治以来の洋画家たちが経験してきたことだった。日本画のもつ素材感はそれだけでアピールするものだった。日本では古い仕事だと思われている場合も、日本画家が海外で大きく取りあげられることにもなる。もちろん伝統に縛られた領域からの出発は、並大抵のことではなかったはずだ。

同じ出身でニューヨークにアトリエを構える千住博(1958-)の日本画と比べると、優劣を外してちがいは歴然としている。水墨とそれと対極にある浮世絵世界の選択といいなおしてもよい。どちらを取るかといったとき、村上は雪駄をはいたヤンキーが闊歩する浮世絵から抜け出した大衆性を取ったということだろう。古刹の滝図の襖絵もいいが、ポップな羅漢図で埋め尽くされた襖絵も悪くはない[i]。それが五百羅漢であるなら名刹の大伽藍が想定されるにちがいない[ii]。ケルン大聖堂のリヒターのステンドグラスを念頭に、そんな光景を夢想してみた。

村上の提唱する「スーパーフラット」という概念は、ポップのもつ平面性を加速した次代の用語法である。スーパーはネオ(新)という語の欺瞞性に気づいた新たな提案だが、すでに市民権を得たとするなら、時代を語る用語となるものだ。スーパーマンからスーパーマーケットに受け継がれ、英雄像と大衆性を従えた接頭語とみれば十分な意味をもつものだろう。フラットは生活空間とみれば段差のない移動のしやすいユニバーサルデザインであって、格差社会の廃止につながるバリアフリーの思想だ。

スーパーは日本語に置き換えれば「超」にあたるが、フランス語の超(シュル)と解すると新鮮味を欠く。「チョー・ウレシイ」や「チョー気持ちいい」という流行語があらわれた背景を考えると時代にさきがけて見えてくる。軽率な響きをもちながらも偽ることのない本音が自信の裏付けをなしている。現実社会は決してそうではないことをふまえると、スーパーフラットはそうありたいと願う戒めの語として響いてくる。

村上隆のスーパーフラットコレクション」(2016)と題して作家の膨大な美術品収集の実際が披露されたことがあった[iii]。企業のオーナーとしての起業家コレクションの顔が見え出してくる。「ロスト・ヒューマン」(2016)の名で披露された杉本博司のコレクションとともに、現代作家の古美術あるいは古物に向ける目を知るのに興味深い[iv]

作家のコレクションは、財界人や画商の収集目的と異なるという点に目が向く。通貨成立以前の山の民と海の民の物々交換にさかのぼる原初の形態を残している。デューラーはネーデルラント旅行でルカスファンレイデンと版画の物々交換をしている。17世紀には破産のすえ、競売にかかるレンブラントの興味深いコレクションがある。作家本人の没後にコレクションの評価が定まる。川端康成の旧コレクションから池大雅浦上玉堂とともに、若き日の草間彌生の作品が見つかると、文学を支えた時代を超える審美眼が見えてくる。


[i] 「高野山金剛峯寺 襖絵完成記念 千住博展」2018年6月9日(土)~7月29日(日)富山県美術館

[ii] 「村上隆の五百羅漢図展」2015年10月31日(土)〜2016年3月6日(日)森美術館

[iii] 「村上隆のスーパーフラット・コレクション―蕭白、魯山人からキーファーまで―」2016年 1月30日(土)~4月3日(日)横浜美術館

[iv] 「杉本博司 ロスト・ヒューマン」2016年9月3日(土)~11月13日(日)東京都写真美術館

第238回 2022年5月3

クーンズ(1955-):掃除機にとって主役はゴミ

日本の作家が先行しているようにみえるが、ネオポップの名で知られるなかにジェフ・クーンズがいる。ネオジオという分類で新表現主義に対抗して皮肉を込めた冷めた感覚を読み取ることができる。写真で見る限りはメタリックな玩具のようにしか見えない。作品の前に人でも立ってくれないと真価は見えてはこない。柔らかそうにみえるが金属で硬く、小さくみえるが巨大である。あっと驚く演出がなされる。

イメージ自体は子どもが遊ぶ風船人形が出発点になっていて、ポップそのものだ。室内だけではなく屋外のモニュメントとして機能する。今までの立体造形や彫刻という固い概念を捨て、オモチャという柔らかな機能をもち込んだということだろう。反骨的外観はキッチュと呼んでもよいだろうが、もくろまれた商業主義が背景にあることも否めない。

クーンズの出世作となったのは掃除機だった。真新しい掃除機が展示ケースに入れられて、ライティングが施されている。電気店のショールームとみなすこともできるが、その意味ではスーパーマーケットが美術館になったポップアートの後続でもあるし、レディメイドのオブジェでもある。概念として興味深いのは、それが掃除機であるという点だろう。それがほんものの掃除機であるからには、ガラスケースに封印されていては機能することはない。

この肩透かしは空気の缶詰を販売する反芸術にも通じるが、茶碗をガラスケースに展示する日本の博物館の伝統では、古くからあったもので、用と美を考える芸術論の基本だとすれば、驚くこともないのかもしれない。芸術とは所詮、空虚を封じる容器のようなものだろうし、中身は何もないという点で、未使用の掃除機と共通し、軽いペシミズムを宿している。掃除機はいつも脇役にとどまり、主役はゴミだった。

第239回 2022年5月4

バンクシー:商品化された落書きアート

バンクシーをもち出すことではっきりとしてくることがある。バスキアやヘリンクのグラフィティは、新表現主義の産物だった。バンクシーの立ち位置もそれを踏襲している。しかしストリートアーティストとしてはおよそ似つかわしくないはずのバンクシー展をみて感じるのは、こんな商法もあるのかという驚きだろう[i]

ストリートミュージシャンならぬハングリー精神が、みごとに商品化されるのだと思い知る。新表現主義がネオポップと交差する。これまでその場限りの落書きに拍手を送ってきたのは、商品にならない作品のオリジナリティのゆえだったはずである。しかしここではオリジナルはいわば下書きであって、実作品はそれを写した版画や複製ということになる。

クリストはすでにこの方法を用いたが、これまでの美術の概念を逆転させようとしていたことは確かだ。クリストという姓に名がないように、バンクシーもファーストネームがないことから、クリストと同じくユニットを形成していることが予想される。生没年もわからないまま推移する。

バンクシーとは何者か。考証はかつては美術史家の任務だったが、ここではパパラッチや芸能レポーターが受け持つことになる。大きなマネーが動くだけに週刊誌ネタで推移するが、美術業界の活性化からいえば必ずしも悪いことではない。

タブロー神話の崩壊は、メディアの拡散によって商品化される。「芸術は表現である」という20世紀のイズムを踏襲しながらも、クールにそれを乗りこえて情報が記録として価値を得る。私たちがバンクシーを知っているのは、時折報道される神出鬼没の行動を通じてである。日本にはかつて鼠小僧次郎吉なるキャラクターがいて大衆(ポップ)のヒーローとなった。鼠小僧は名をもたないユニットだった。次郎吉と限定しても、石川五右衛門とは異なり、複数の人格の集合名だった。

バンクシーを前にして、壁を剥ぎ取ってまで残そうというのは、かつての美術観の名残である。剥がせない場合は、家ごと買うということにもなる。額縁に収まったこれまでのオリジナリティに再度ルネサンスが試みられる。それを壁画の復活と見てもよい。かつてメキシコに起こった壁画運動は高みにのぼり詰めた絵画を民衆の目線に引き戻す社会運動だった。つまり日常生活のレベルに芸術が紛れ込むことで、背景をなしていた社会に再度目が向けられる。

ロンドンやパリやニューヨークの薄汚れた場末の路地が、一枚の落書きによって活性化する。それは大都市の目に見えない現実のルポルタージュだという限りでは、エコールドパリの申し子でもあった。ストリートに展開するプロジェクションマッピングと競いながら絵画は映像としのぎを削っている。一夜限りのイメージの祭典は、何とか定着してほしいという太古からの夢を、今や地上で展開している。打ち上げ花火で終わらないのは一点の作品に集結するゆえだろう。

往年のハリウッド映画のラブロマンスに似たスチール映像を借りながら、寄り添う男女は肩に手をまわして抱き合っている。唇はふれようとするが、目は手にした携帯画面に向かっている。あやしい光を放つふたつの光源がそれぞれの顔を照り返している。現代のすれちがいは「モバイル・ラバーズ」(2014)と題した、通りで見かけた何気ない一瞬の光景に結晶しているようだ。

 それにしてもそれは映画全盛時代の看板を思わせる時代錯誤の画法を引きずるノスタルジックなものであり、こんな高倉健の看板を場末の映画館で見かけた記憶がある。もっと上の世代だとハンフリーボガードということになるだろうか。ペイントの重厚さはバンクシーにはない。ステンシルの軽やかさが、いさぎよい即物主義を浮かび上がらせている。


[i] 「バンクシー展 天才か反逆者か」2020年10月9日(金)〜2021年1月24日(日)大阪南港 ATC Gallery


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