建築と社会の年代記—竹中工務店400年の歩み—

2020年01月11日~03月01日

神戸市立博物館


 公立の施設で、民間の一企業の社史のような展覧会をやっていいのかというのが、この展覧会評の出発点にあった。しかし通観して感じたことは、見ごたえのある、十分に説得力のある納得のいくものだったと思う。竹中工務店が主役であるなら、ライバルである大林組や鹿島建設を主役にした企画も、同等に自己主張をしてもよいことになる。社会的貢献という尺度は、建築を対象にした場合、美術的側面とは遊離する。

 建築が美術館で扱われる場合、これまでは表題になるのはアーティストとしての建築家の個人名であった。しかし個人名と言いながらそれに建築事務所という尾鰭をつけた社名であるのなら、竹中工務店であっても、別段問題になるものではないはずだ。

 設計と施工を分けて、紹介されているが、ともに竹中工務店という建築物も数多い。複数の設計者が所属しながらも、共通したスタイルを獲得しているなら、そこには竹中スタイルという個性が存在し、社会に向けるポリシーがあるということだ。

 新神戸にある竹中大工道具館は、これまで何度も訪れている。筋の通ったコンセプトに感心しながら、これまで見てきた。企画展は手狭で物足りなさを感じることも多いが、それはスペースの問題で、企画力のベースにあるのは、大工道具というモノに支えられたフェティシズムに由来する。400年の伝統というのはこの点にある。

 江戸時代のノミやカンナの技が、現代建築の工法に展開する。その膨張の姿は、建築と社会の年代記を形作っている。堂島ビルや朝日ビルの名は、大阪では大正生まれの親の世代からよく耳にした建築名であった。今ならミント神戸やあべのハルカスという名に結晶するし、少し前なら梅田の阪急三番街や三宮の新聞会館という世代を形成して、ともに同時代の世情を象徴する。すべてが竹中工務店の手になるものだ。

 先に神戸の「幻の公会堂」の展覧会を見て、インポッシブルアーキテクチャーに想いを馳せた。竹中工務店が具体化した建築もやがてはすべてが灰と化す。震災によって一挙に消えてしまったものもあった。

 「夢を追うかたち」という括りで紹介されたのは、通天閣と東京タワーだった。ともに竹中の仕事だが、神戸を創業の地とする竹中工務店にとっては、思い入れは通天閣にあったにちがいなく、あの雑駁な喧騒と庶民性が、底辺にある美意識だったように思う。

by Masaaki Kambara