第4章 放蕩息子の帰宅

第662回 2023年9月8

現存の状態

 オランダのロッテルダムにあるボイマンス・ファン・ボイニンヘン美術館に所蔵される作品図1)である。ここは古いものと新しいものをバランスよく集めている美術館で、現代美術も収集しているし、ボスやブリューゲルという15・16世紀、さらには17世紀オランダの黄金時代のものもかなり充実したところだ。ボスの絵画はオランダではかなり少ない。スペインのプラド美術館に集中している。オランダ随一のアムステルダムの国立美術館には、ボスの作品は代表作とは言えないものが数点あるに過ぎない。それに対してロッテルダムには「放蕩息子」をはじめとして、何点かのボスの代表作が含まれている。

 まずは作品の形状から話をはじめよう。今は八角形の額縁をもっていて、中は円形の画面になっている。額縁自体はずいぶんあとになって作られたものだ。15・16世紀の作品で額装になっているものは、イタリアではボッティチェリがボスと同時代だが、額縁をもった円形画(トンド)作品がみられる。北方での額縁画の成立は遅く、17世紀になれば一般的になるが、それまでは額縁をもって壁に掛けて鑑賞するものではなかった。それならここでは額を付けられたのがいつかということになるがよくわからない。そんなに新しいことはないが、かといってそんなに古くもない。新しい場合は文献が残っていて、これが額装されたいきさつについても記録されていいものだ。作品のいわれを探るのが真贋への近道となる。今はロッテルダムにある国立の美術館なので、由緒正しいものといえる。これが世に現われたのは20世紀になるかならないかの頃である。美術品の売買は不明瞭なところが多く、長い間コレクターが隠しもっていて、手放すときにはどこからとなく現れてくるという来歴のものが数多くある。今は大美術館に入っているからといって、真作だと決定づけられないものもある。ボスの場合も科学調査によって洗いなおされ、あやしげなものも出てきている。そんな中でこの作品はしっかりした真作とみなされている。よくみるとあちこちに下描きのあとが残っている。下描きがあり上から彩色するときに変更が読み取れる。完成までに修正をしているのが見えてくる。そういう作品については、後世のコピーではなくて、オリジナル性の高いものと判断できる。直径が1メートル足らずで、大作とは言えないが小品ではない。愚者をあつかったボスの諷刺的側面と共通する一方で、従来から「放蕩息子の帰宅」のタイトルで呼ばれてきた。つまり宗教的主題ということである。ボスが名づけたタイトルではないので、この作品の解釈をめぐって、論争が続いてきた。

図1 ボス「放蕩息子/行商人」

第663回 2023年9月9

放蕩息子か行商人か

 「放蕩息子の帰宅」あるいは「行商人」と二つのタイトルがついているので、ここでは描かれた主題をめぐって話を展開させていきたい。前回は愚者を主題にして、人間はすべて愚か者だという言いかたをすれば、すべての人間が共通してもっている「愚かさ」という病いを扱った。戦争を起こしたり、人を殺したりするのも愚かさのなせる業だということになれば、人類共通の悪徳である。このあと「七つの大罪」(図1)というテーマにも関連させていきたいが、人間は生まれながらにして罪をもっている。キリスト教では七つのおかしてはならない罪があって悔い改めなければならない。

 愚者の話だと人間はすべてもっている罪人というだけではなくて、それをこえて狂気という、精神的な病いまで対象になっていた。そうした狂人という特殊な事例ではなく、人間一般の何でもないようなちょっとした罪に、ボスは鋭い観察眼を向けている。人間の愚かなおこないを考えるときに、放蕩息子という聖書に出てくる話が、多くの画家に取り上げられ、文学作品にもなって伝承されてきた。含蓄のある話である。ボスが描いたのが放蕩息子かどうかということも含めて、この謎を解き明かしていきたい。

図1 ボス「七つの大罪」部分

第664回 2023年9月10

放蕩息子の教訓

 まず放蕩息子とは誰かという話からはじめる。英語ではProdigal Sonという。新約聖書には4つの福音書があるが、そのうちのルカによる福音書に、キリストのたとえ話のひとつとして出てくる。お金持ちの家に二人の息子がいた。弟のほうが父親の財産のうち自分の分を要求し、それをもらって家を出てしまった。放蕩のあげく一文無しになるのだが、酒場で飲み食いし、商売女と遊んだり、博打をしたりして、お金をすべて巻き上げられてしまう。仕事をしなければ食ってはいけず、豚に餌をやる飼育にたずさわることになる。この仕事は当時、汚い最低の職業とされていた。この仕事に従事しているときに、はたと気づいて悔い改める。父親の財産を使い果たして、やっと回心をして父親のもとに帰ろうと決意する。父親は帰宅する息子をいちはやく見つける。ざまあみろという反応がふつうであるのかもしれないが、よく帰ってきたと言って喜んでくれた。大事にしていた仔牛を殺して食べさせる。息子のために宴会を開いて祝ってやった。これを見ていた兄のほうが、弟を妬ましく思う。兄は父親とずっと同居していて、自分にはこれまで牛を食べさせてくれたことはない。兄は不満を言うが、父はそれに対して、弟はいなくなった、つまり死んでしまった子どもが生き返って戻ってきたのだから、これほどうれしいことはないのだと答えた。兄としては納得がいかない。自分は父親のもとで勤勉に、財産を守ってどんな贅沢もしないでいたというわけだ。

 これはキリストがたとえ話として、昔あるところにこんなだらしない息子がいたという語り口で聞かせたものだ。放蕩息子には名前はついていない。放蕩のあげく一文無しになって、お父さんごめんなさいと言って帰ってくる、それだけの話である。ところがこの放蕩息子をめぐっては、多くの作品が残されている。ボスと同時代にはまだ少ないが、ボスの没後10年以降はかなりの数が、絵画、彫刻、文学作品で取り上げられている。芝居でも放蕩息子劇として一つのジャンルができるほど流行する。ボスの作品ではこの男は前方を見ながら振り返っている。振り返った方向に小屋が立つが、よく見ると入口に男女が抱き合っていたり、窓からこちらをのぞいている女がいたりして、誘いをかけている商売女であることがわかる。酒場ではあるが、ただ酒を飲むだけではなくて売春宿にもなっていた図1)。これに対して右のほうには柵があり、その向こうに牛がいてこちらをのぞいている。放蕩息子の話に抱き合わせて考えると、父が食べさせた牛に対応する。左の悪の家に対して、右が父の家だとすると、放蕩息子が回心をして決意のすえ帰宅する姿にみえてくる。そこから長らく「放蕩息子の帰宅」というタイトルで呼ばれてきた。

図1 ボス「放蕩息子/行商人」部分

第665回 2023年9月11

放蕩息子との矛盾

 しかし、放蕩息子の話から考えて、矛盾する点が見つかっていく。物語がルカ伝に出てくる内容は簡単だ。息子が帰宅して父親が抱いてやるためには、父親は生きていなければならない。ところがボスの放蕩息子はかなりの高齢である。年齢的には60歳ほどにもみえる。絵画や演劇の設定では、放蕩息子は若者の姿をとっている。老いた放蕩息子もなくはないが、まれにしか出てこない。放蕩息子といえない第一は、歳が食いすぎている点だ。くわえて放蕩息子は一文無しで帰ってくるはずだが、ここでは背中に大きな籠を背負い、中身が重たそうに見える。身に着けている小道具では腰に金袋がぶら下がっている。金目のものが入っていそうで、膨らんでみえる。これらの矛盾点から見直しを迫られる。この人物は何者かをめぐって持ち物を探りはじめていった。職業については背中の籠が決め手になる。籠には木製のスプーンがひっかけられている。その横に布のようなものが垂れ下がるが、猫の毛皮である。この二つの組み合わせに目を付けて探すと、ボスよりも半世紀のちのブリューゲルに同一のものが見つかった。「十字架を運ぶキリスト」を描いた大勢の人物が登場する一枚だが、その一角に似たような籠を背負い、猫の皮を広げたような形で貼りついているのと、木製のしゃもじがみつかった図1)。杖をもっているところも似ている。これ以外にもいくつかが見つかるが、彼らの職業は行商人で、何かを売りながら家々を練り歩いていた。日本では古くから富山の薬売りというのが、行商としてはよく知られた。定着した店をもたないで、ときにいかがわしいものを売り歩く押し売りにも変貌していった。訪問販売という名が今では定着している。

 この重荷のなかには何が入っているのか。中身が見える絵も探せば出てくる。何を売っていたかというのは、美術の研究というよりも当時の民衆の社会史となるものだ。行商人は身分の高いものとは思われていなかっただろうし、悪に加担する人物を描いた風俗画という見方が成立してくる。しかしそれによって何を描こうとしたかは不明のままだ。この男の表情や身振りを見ていると、あいまいな印象が残る。体は前進するが、眼は後ろを向いている。放蕩息子の文脈に対応させると、左の遊女のいる宿にひかれながら父親のもとに帰りつつある姿だと読み取れてくる。父のもとに帰ろうと決心したが、まだ誘惑に負けて振り向いてしまっているという解釈も成り立ってくる。この男の立ち位置は善と悪の中間地点にいて、どちらに向おうか迷っているという見かたが成立してくる。放蕩息子のたとえの解釈としては、迷わないで一目散に父のもとに帰る。豚の世話をしているときに神の啓示を受ける。父のもとに帰る決意は、悔悛や回心や懺悔という語で呼ばれるキリスト教の理念である。そこで悔い改めということになって父なる神のもとに戻る。これがカトリックの論理である。帰らずに迷い続けるという話はないのだろうか。

図1 ブリューゲル「十字架を運ぶキリスト」部分

第666回 2023年9月12

レンブラントと放蕩息子

これまで描かれた絵でレンブラントの場合を考えてみる。放蕩息子という主題にこだわりを示した画家である。生涯をたどって見ると、出発点では絵がよく売れて、妻をめとり、大きな家を建てて贅沢をしてはしゃぎまわる。それが急降下するように妻が亡くなり、絵が売れなくなり、財産も手放す、破産して収集していた美術品も売りたてられる。破産してからレンブラントの絵はよくなるのだが、世間の評価とは反比例している。自分自身が放蕩息子にあたると自覚したにちがいない。妻を酒場の遊女に見立てたダブルポートレイト図1)がある。放蕩息子の旅立ちになぞらえたポーランドの騎士を描いた絵もある。財産を失い何もかもなくしたときに、悔い改めれば救われるというのがキリスト教の思想だ。ごめんなさいと素直に謝ることが重要なのである。

兄との対比でいえば、兄は自分は悪いことはしていないという自信を持っている。キリスト教は弱者の思想であり、弱いものに味方する。こうした兄弟や姉妹の関係は、世間一般に常に出てくるものだ。出来損ないの子どものほうがかわいいという言いかたがある。これはキリスト教でいう神と子の関係である。兄は自分はまちがっていないという点では、キリスト教の七つの大罪では高慢の罪を犯している。まちがっていないから悔い改めることすらない。人間だれしも弱い愚かな存在で、ちょっとした罪はもちあわせているものだ。その時に悪かったと言って素直に謝ることをよしとする考え方がキリスト教を特徴づけている。悔い改めれば許される。それは兄がまちがいなく生きている以上に尊いものだ。まちがいのないしっかり者は確かに重要なのだが、キリスト教ではパリサイ人とか律法学者といわれて、飲んだくれの出来損ないよりも、ランキングとしては下がってしまう位置関係になっている。人間の弱さは帰宅途中でまた悪の道に戻ってしまい、何度も繰り返すというのが実際的ではある。禁酒や禁煙は続かないのがふつうであろう。キリスト教のテーマというよりも哲学的な思想に関わってくるものだ。

図1 レンブラント「妻サスキアのいる自画像」

第667回 2023年9月13

自由意志の問題

自由意志があるかないかという問答がある。意志は自由であるか。自殺を考えると、自分の意志に従って死のうと思えば死ねる。迷うというのも意志の作用だろう。自由意志論争というのがギリシャ時代から続いている。この論争がボスの時代では、エラスムスとルターの間でおこなわれた。宗教改革の時代で、ルターはプロテスタント、エラスムスはカトリックの立場に立って考えをめぐらした。ルターは自由意志は奴隷意志だという。自由に選べるのではなくて、選ばされているという考え方である。最終的な決断は自己責任だというのがふつうだろう。自分が選んだのだから自分で責任をもてという理屈である。最後の詰めのところは、個人の自由だという考え方は確かにある。これがエラスムス的な考え方であるとすると、ルターは最終的な判断もあらかじめ決められていて、選ばされているとみる。これはわからないこともない。最終的な判断は自分だと思う。崖っぷちに立って飛べば自殺できる。飛ぶのは自分の意志で飛ぶのだが、飛べと誰かが言った。聞こえない声がしたと言えないか。自分が飛んでいるというよりも、目に見えない大きな力が働いて、それに導かれたということはないだろうか。そこでは引き返すというのも自由だし、飛ぶというのも自由なのだが、あらかじめいろんな要素が重なり合って、すでに決まっていたのではないか。宿命というとわかりやすいかもしれない。どちらでもよさそうな話ではあるが、これによって絵画のスタイルは変わってくる。エラスムス流に最終的に意志は自由だという場合、放蕩息子の帰宅の絵は、最後まで迷い続けるという図にならざるを得ない。迷い続けて老人にまでなってしまった。家を飛び出したのは若い頃だったのだろうが、老人になってやっと帰ったなら父親はもうこの世にいないという矛盾も起こってくる。確かに老人の放蕩息子はほとんど出てこない。

ルター式に考えた場合、レンブラントの「放蕩息子の帰宅」を例に挙げるとわかりやすい。父のもとに帰り、ひざまずいて父にぴったりと顔をうずめている(図1)。放蕩息子は背後からとらえられていて、父は手を背中に当てて抱きかかえている。わき目もふれずまっすぐに父のもとに帰ってきた姿である。父もそれに対して暖かく包み込んでいる。肩をかかえる手の表現がみごとだ。そこには迷いはなくて、決められた道筋が用意されているようにみえる。迷うことのない確信の美がそこにはある。

この二つの読み取りを考えると、ボスの場合はエラスムス的な解釈ということになる。意志は最後まで自由だということになる。フリーダムというその後の民主主義の思想にもつながっていくのかもしれない。人間たるゆえんは自由にあるという。自由を求めて奴隷解放をしてきた歴史を踏まえると現代にまで通じる造形原理ともいえる。迷い続ける人間を象徴的にとらえた図像としてY字のシンボリズムを、別途考察する予定でいる。Yという字は二つに枝分かれするが、どちらに行くかは自由である。分かれ道を意味する文字である。Y字を画面に埋め込んでいるということが、この絵も含めてボスの絵を読み解くときのキーポイントとなる。

図1 レンブラント「放蕩息子の帰宅」部分

第668回 2023年9月14

あいまいな鳥

放蕩息子は悪の家と父の家の中間地点にいて迷っている。男の頭上に木の繁みがあり、そこで二羽の鳥がにらみ合っている図1)。一方はフクロウで、他方はカササギだろうか、それぞれに意味をもっている。夜の鳥と昼の鳥の対比がまず思い浮かぶが、カササギ自体にもシンボリズムがある。日本ではカチガラスの名でも呼ばれるものだ。白と黒のまだらの鳥で、キイキイとうるさく鳴く。オランダではよく見かけるもので、ブリューゲルの絵では「絞首台の上のカササギ」がよく知られるものだ。白と黒のまだらというところから、白黒つかないあいまいな鳥、うるさく鳴くのでおしゃべりの意味にもなる。多弁なカササギに対して、フクロウは声も低くて寡黙である。二つの生態のちがいもあわせて、左右にバランスよく配置されている。どちらかが優勢というわけではなくて、均衡を保っている。つまり昼と夜とが均衡を保つ。夜が悪の世界だとすると、昼の日の当たるのは善の世界ということだ。同時に止まっている枝を見ると、二股に分かれていてY字をかたちづくっている。このような左右の対比がいくつか見つけ出される。同時に動物として、右側に牛がいる。左には犬と豚がいる。豚を通しても放蕩息子と連動している。放蕩息子の話にヒントを与えるような小道具が散らばっている。この人物は行商の老人なので、放蕩息子といえないが、それが置かれた状況から放蕩息子とみなすほうがいいのではないか。

図1 ボス「放蕩息子/行商人」部分

第669回 2023年9月15

スリッパと靴

そしてそれらを緻密に描いているのではないかというのが次の段階だ。この人物とそっくりの人物が別の絵に出てくる(図1)。こちらは「乾草車」というトリプティークになった祭壇画で、翼面を閉じたところに出てくる。細部ではちがいがある。小道具が異なっていて、足元をみると一方は両足とも靴を履いているのに対して、他方は靴とスリッパに変わっている。靴とスリッパという組み合わせは、あまり見かけないが、オランダの言い回しで「靴とスリッパで歩く」というのは、貧乏のどん底にいるという意味だ。そこでオランダ絵画でこの組み合わせが描かれている例はないかと探すと、いくつか見つかる。

ブリューゲルの版画「錬金術師」は錬金術師の家族を描いた実験室での光景である。そこには窓が開かれていて、実験を失敗した家族が立ち去る姿が描かれる。そこにあるのは塔をもった施療院、ことに精神病棟ということなのだろう。錬金術はちりやほこりから金をつくるのだが、ありえない妄想である。これをあざけるようにブリューゲルは、ダジャレを用いて錬金術師(アルケミスト)の原語のつづりを分解してアル・ケ・ミストとする。アルは英語のオールですべて、ミストは失われるで、すべてが失われるということになる。すべてをなくして一文無しになって病院送りにされる一家であり、そのなかで父親の足もとを見ると、靴とスリッパで歩いている。レンブラントの描いた先述の「放蕩息子の帰宅」でも、後ろ向きだがよく見ると片方は履き崩した靴で、もう一方はスリッパらしい。ボスから100年あとの、同じオランダでもこの言い回しが貧困を意味するものとして踏襲されていたとみることは可能だ。

図1 ボス「乾草車」外面パネル

第670回 2023年9月16

セクシャルシンボル

 ボスの二点を比較すると、意識的に靴とスリッパにはきかえさせたようだ。ボイマンス美術館のものが、細かい点での工夫がみられる。組み合わせに目を向けると、スプーンと猫の皮がある(図1)。猫の皮は英語でもキャットハンターという語があるが、売春を意味するものだ。スプーンを男性の性器とみると、そこに男女の性の交わりが暗示される。男の手にする帽子には、ツキギリに糸が組み合わされているが、これもセクシャルシンボリズムと解することが可能だ。ツキギリと糸を小道具として用いた作例を探すといくらか見つかり、その職業が靴屋であるのだとわかる。靴の修理に使う道具だった。

 不自然にみえるのはこの帽子である。帽子を右手に持って前に突き出しているが、この手での帽子のつかみ方では、頭にかぶることができない。手をねじらないとかぶれないような持ち方をしている。しかもこの男は頭にはターバンを巻いていて、この帽子には実用的な意味はない。何らかのシンボリックな意味を伝えようとして、意図的に持たせたようにみえる。帽子を前に差し出すという言い回しも当時の使用法としてあった。正しい方向に向かうという意味である。帽子を脱いで敬意を表するということにもつながるのだろう。父親の方向に進む意志表示ととることができる。

 男女のシンボリズムの追加で考えると、居酒屋に出てくる戸口に抱き合う男女がいる。男は兵士の姿で客なのだろう。女のほうは手に壺をもっている。ボスの絵では壺とロウソクはしばしば組み合わせで描かれる。壺は女性、ロウソクは男性のシンボルである。男は女に抱き着くが、かたわらに長い槍が立てかけられている。その横にビア樽が置かれているが穴が開いて、そこからビールが流れ出している。これも組み合わせとしてよく出てくるものだ。長い槍と穴の開いた樽が男女のセクシャルシンボルとなっている。これらは現代ではフロイト流の精神分析を思わせるが、古い時代から暗喩的描写として定着していたものだ。

図1 ボス「放蕩息子/行商人」部分

第671回 2023年9月17

再び放蕩息子へ

放蕩息子を扱った作品群として、ボスの時代のものを探ってみる。一番数の多いのは酒場の放蕩息子を描いたものだ。酒場での賭博で金をだまし取られて一文無しになってしまう酒場絵である。17世紀になるとオランダで風俗画が成立してくる。そこでは宗教的意味をなくしてしまうが、移行段階で放蕩息子が必ずといってよいほど、酒場に混じっている。だまされやすそうな若者の顔立ちが出てくると、放蕩息子が踏まえられている。財布を知らない間に盗まれたり、いかさまトランプのカモにされたりしている。酒場の中心に羽根飾りの帽子をかぶった若者が登場する(図1)。まわりの女たちにちやほやされながら金を盗まれることになる。

放蕩息子の帰宅で円型画であるという点と、めずらしく帰宅途中のものであるので、注目したい作品がある[i]。巡礼ふうの男がいて、右側に杖だけをもつ男がいる。バックは左側が酒場で、右側は門をもった父親の家が出てくる。この作例を通してもボスの絵が、放蕩息子の文脈で読み取れるものとなる。今では放蕩息子というタイトルは降ろされつつある。さらにこれが放蕩息子ではないという実証が近年付け加えられた。この円形画が単独のものではなくて、祭壇画の一部であることが確定した。乾草車の場合と同じように、祭壇画の扉部分だった。祭壇画の一部にだけこのテーマを描くとは考え難い。とはいうものの放蕩息子として読み取るほうが、この絵の解釈としては興味深い。


[i]  神原正明「ヒエロニムス・ボスの図像学」人文書院 1997 p.273. 図版参照。

図1 ルカス・ファン・レイデン「酒場にて」

第672回 2023年9月18

カモフラージュされた意図

開閉のできる扉面であるなら、中央に開閉跡が残るはずだが、みごとに目立たないようにカモフラージュがされていた。確かに言われてみると左右でのずれが確認できる。左右の対比がきわだっている。カササギも二羽でてきて、右側では門にとまっている。左側では居酒屋の入り口で籠の鳥して、裏返されて描かれている。飛び立つことのできる自由と籠の中の束縛が対比をなしている。男の顔ながらくボスの自画像だと言われてきた。現存するボスの肖像と見ようによれば似ている。自画像とすれば晩年の作品として、最後まで父のもとに帰りつかない自身の描写と読み取れる。スプーンと猫の皮の組み合わせは、ナイフと金袋の組み合わせと平行線をかたちづくっている。ふところあたりから奇妙に突出しているものがある。ひづめをもった動物の足だとわかる。見ようによれば男性のシンボルとも思えるが、ひづめじたいは当時の文脈では魔除けであったようだ。他のものと平行線をなすように、意味ありげに置かれている。酒場には白鳥の看板が見えるが、今でも白鳥の看板を掲げた宿屋がある。白鳥屋というような屋号になるのかもしれない。白鳥もシンボリックな意味合いとしては、肌は白いが、肉は黒いといわれて、あいまいな意味が加わる。

小便をする男がいる。一夜明けた朝の光景かもしれない。夜が終わり昼の時間が始まった時刻だとすれば、フクロウが夜の帝王から力をなくしてしまう時間帯だ。夜明けの光景だとすれば放蕩息子が新しい世界に入ってくる出発点も意味する。木の枝はYの字をかたちづくっている。顔を見ると不安げで、未練深げに後ろを振り向いている。帽子については乾草車の翼面では、出てこないのでここでは意図的にもたせたような、不自然な感じがする(図1)。放蕩息子のトレードマークであった羽根飾りの帽子の残像を見ることもできるかもしれない。ターバンを巻いていて帽子をもつ作例を探すと出てきた。キリスト生誕を祝いにやってきた羊飼いのひとりである。帽子をとってキリストに敬意を表すると考えると、帽子を脱いで前に差し出すという意味合いとも連動してくる。牛の出てくる門は閉じられている。狭き門より入れという教えがある。ここで閉じられていると解すると意味が取れなくなってしまう。門はユニークな形をしている。ポルティナリ祭壇画で似た門が出てくる。キリスト生誕で羊飼いたちがお祝いにやってくる。その背景に門があり、その門を押し開けながら、キリストが生まれたばかりの場所にやってくる。ブリューゲルのカササギのいる絞首台でも、同様な意味をもつ。ブリューゲルの別のものでは、ものぐさな女性が怠惰を意味するのだろうが、門にすわりこんでいる。全体は靴屋の仕事場を描いた銅版画だが、ここでもツキギリと糸が見つかる。オランダのことわざ集の一点で、門にシンボリックな意味が込められている。

図1 ボス「放蕩息子/行商人」部分

第673回 2023年9月19

行商人のいる酒場

さらに興味深いのはボスの描く行商人が、「酒場の放蕩息子」の場面でしばしば登場することだ。背中に荷物を背負っているが、手にはさいころをもっている。ヤン・ファン・ヘメッセンの描いた「酒場の放蕩息子」では、若者に近づく老人で、丸い太鼓のようなものを背負っているが、手にはさいころを握っている(図1)。つまり放蕩息子からいかさま賭博で金を巻き上げる人物として、行商姿の男が酒場にいる。それならばボスの描いたのは、放蕩息子ではなくて、放蕩息子をだます人物だったのだ。それでは放蕩息子はどこにいるのか。酒場の入り口にいる兵士に注目してみる。彼は今から酒場に入っていく欲情をみなぎらせた人物にちがいない。ボス以降の放蕩息子の絵画を探ると、兵士の姿で登場するものがある。放蕩息子を描いたゼバルト・ベーハムの木版画のシリーズでは、いかめしい衣服に身を包んだ放蕩息子が酒場で浮かれているし、その姿はかなり歳をくっているようにみえる。この表現は広く伝えられていく。少なくとも若者ではない。あるいはこの宿屋のかたわらで小便をする姿は、一文無しになって追い出された放蕩息子の姿を暗示するものかもしれない。

図1 ヤン・ファン・ヘメッセン「酒場の放蕩息子」部分

第674回 2023年9月20

犬の登場

犬の登場も放蕩息子のたとえでは欠かせないものだ。犬が放蕩息子を覚えていて喜ぶのである。そのためには犬が生きているうちに放蕩息子は帰ってこないといけない。年老いての帰宅では、つじつまが合わなくなってしまう。犬は忠実のシンボルで、飼い主に対して忠誠を尽くすものだ。一方で犬は悪魔の化身としても出てくるので、一筋縄ではいかないシンボリックな動物でもある。放蕩息子表現ではよく出てくるもので、帰宅を喜ぶ父親と同一視できる。犬は何もわからないから、かつての主人が帰ってきたので、何もなくてもただうれしいのである。ルカス・ファン・レイデンの「放蕩息子の帰宅」では、この犬を前面の最も目立つ位置に置いている(図1)。犬はもう一度出てくる。居酒屋で金を巻き上げられて追い出される場面で犬に吠えつかれる。ボスに出てくる杖に吠えついてくる犬はそれにあたる。

図1 ルカス・ファン・レイデン「放蕩息子の帰宅」部分

第675回 2023年9月21

放蕩息子の変容

窓に顔を見せる女は、老人を見ている。手にはまるい鏡のようなものをもっている。光をあてて誘っているようなそぶりだ。窓枠に片手が添えられているので、もう一方の手に手鏡をもっているのかもしれない。宿屋になっていたのだろう、下着が洗濯をして干されている。老人が通りかかったのを窓から誘っているのか、あるいはすでにここで一夜を過ごして、明け方に去ろうとしているのか。昼と夜の中間地点は、明け方でもよいが、夕暮れでもよい。そう考えると楽しみはこれから始まるのかもしれない。似たようなシチュエーションをボス以外で探してみる。「放蕩息子の画家」という不詳の画家がいる。酒場の入り口に鳥籠が出てくる。そこには放蕩息子らしき人物がいるが、あからさまに一文無しにされるところまでは描かれていない。女のうしろでにまわす手から放蕩息子が推定される。犬が吠えかかるのは男の杖だが、犬の目には好物の骨にみえる。釘の出た首輪は凶器になっている。包帯をする姿もボスの絵にはよく出てくる。

先が骨のようにみえる杖は、図像上はヘラクレスの持ち物として知られる棍棒にそっくりに描かれている。ヘラクレスとの対応は「ヘラクレスの十字路」というテーマに連動するものだ。ヘラクレスが二股道で迷うという話だ。ヘラクレスの選択ともいう。左右の対比はさらに言えば、右側の門の輪郭がつくる五角形と、左の酒場の家の輪郭の五角形が酷似している。乾草車の行商人との比較では、その頭上にあるのが絞首台であるのが気にかかる。それは明らかに死を意味し、地獄に向かう暗示だ。他方が迷いの位置にあって自由意志にまかされているのと対比的にみえてくる。タロットカードにも類似した人物が出てくる。教会の座席を上げたときに出てくるミゼリコルドというレリーフ彫刻にも、似たものがみられる。

酒場の放蕩息子は、数は多いが、なかには歳をくったものもいる。レンブラントは妻とのダブルポートレートを放蕩息子と遊女の衣装を着て描いている。酒場で追い出されるのは放蕩息子の場面であることを見極める決め手になる。これによってかろうじて放蕩息子をテーマにしているとわかるものもある。つまり宗教的テーマが希薄になっていく流れを読み取れるということだ。カラヴァッジオジョルジュドゥラトゥールの絵には放蕩息子の残像がひしめいている(図1)。

図1 ラトゥール「いかさまトランプ」部分

第676回 2023年9月22

風俗画と静物画

風景画や静物画や風俗画が宗教的テーマから分かれてくる時代である。宗教的テーマが変質していきながら、17世紀のジャンルの誕生に至る。風俗画が独立する前段階の話として、放蕩息子の主題があげられる。飲んだり食ったりして酒場で戯れているような絵がある。よく見ると放蕩息子であるのかないのかわからないような絵になっていくという流れだ。同じように静物画も「マルタとマリアの家のキリスト」という宗教的テーマの変質とみることができる。16世紀ネーデルラントの画家だけではなくて、ベラスケスフェルメールも描いている。マリアはマグダラのマリアのことで、娼婦であったのがキリストと出会うことで聖女に変貌していく。マルタはその姉で、ふたりの住む家にキリストがやってきた。ふたりはもてなすが、姉のほうはせっせと台所仕事をしながら料理をつくることに余念がない。この絵ではマルタが台所で働く姿とともに野菜や肉や魚の食材が散りばめられている。一方の妹のマリアのほうは、姉の手伝いもしないで、キリストのそばにいて話を聞いている。姉にすれば手伝ってほしいところだろう。しかしキリストにとっては姉のもてなしよりも、妹のほうが勝っているということにならないかということだ。これはマルタの生き方とマリアの生き方の対比を語っている。重要なのはそれらに上下の差はないということだ。

絵画表現ではマリアとキリストは背景に、マルタの台所場面は前面に大きく扱われている(図1)。マルタ・マリア・キリストがいる限りではまだ宗教画だが、やがて人物が消えていく。マルタは残っても、マリアとキリストが背景から消えた時点で、宗教画とは言えなくなる。女性がひとり台所で料理をしている。人物は残ってももはやマルタともいえない。このような静物画の成立と歩調を合わせて、放蕩息子が消えていって風俗画になっていく。

マルタとマリアの関係は、放蕩息子と兄との関係に近い。放蕩息子は弟のほうだが、兄は実直な、父親のもとでしっかりと働いて、自分に落ち度はないと言い張っている。放蕩息子は反省をして父親に謝っている。キリスト教世界では謝るほうが重要で、兄の態度は傲慢なものと目に映る。マルタとマリアの生き方は対比をなし、活動的生き方と瞑想的生き方で区別されている。人間の生き方の区分であり、どちらが上というものではない。

図1 ヨアキム・ビュッケラー「マルタとマリアの家のキリスト」部分

第677回 2023年9月23

【質問】放蕩息子は今でも描かれているのか

 宗教的なテーマではあるが、この話自体が普遍性のある、宗教めいたものではない。脚色をしていろんな話に展開させていける。放蕩息子というタイトルはつかないにしても、ヴァリエーションは現代も引き継がれている。絵画作品だけではなくて文学作品にも応用されていく。絵画の場合ならボス以降では、18世紀のイギリスの画家にホガースがいる。彼が放蕩息子の一代記を連作に描いている。そこでは聖書の話を踏まえながら、脚色して別の作品にしている。みるからに放蕩息子が下敷きになっていることはわかる。造形表現では19世紀になってから、ロダンが放蕩息子をテーマにした彫刻表現を残している。放蕩息子が豚の飼育をしているときに回心して天を仰ぐ。そのときの天上に腕を伸ばして反り返るようなポーズを用いて、放蕩息子の回心の姿とした(図1)。この悔悛のポーズがそのまま180度ひっくり返して、地獄の門に見つけられる。そこでは地獄にうごめき堕ちていく姿に変わる。「放蕩息子」と「地獄に堕ちる人」だけではなく、さらには水平にして「逃れる愛」を追いかける男の姿も意味させる。同じポーズが重力の方向を変えると、全く別の作品になるという指摘が興味深い。

 文学作品では菊池寛の戯曲「父帰る」を放蕩息子の帰宅と対比させて読み取るとおもしろい。ここでは家出をした父親が帰ってくるという話だ。男の兄弟が二人いて、兄は父を許さないが、弟は帰宅を喜んでいる。たぶん兄は父の悪行を見てきたのだろう。弟はそれを知らないから、いないと思っていた父が生きていたのだから喜んだということだ。弟が家出をするのを、父親にかえたのは、当時の世相の反映かもしれない。一番の放蕩は子どもではなくて、父親だったというほうがリアリティはある。菊池寛の通俗的な大衆小説が、今も生き生きと時代を写し出しているのは「真珠夫人」を読んでもよくわかる。

 日本映画では「男はつらいよ」をあげると、まさに放蕩息子の帰宅ということになるだろう。映画は毎回、放浪していた寅さんが柴又に帰ってくるというところからはじまる。寅さんの場合はそこでとどまらずに、また出ていく。いつまでたっても帰ることのない、ボスの絵のような放蕩息子だといえる。そこにでてくるのは兄でも弟でもなくて、妹だというひねりが加えられている。

図1 ロダン「放蕩息子」