金文 —中国古代の文字—

2019年11月09日~12月20日

泉屋博古館分館(東京)


2019/11/29

 中国の青銅器を文字に焦点を当てて見直そうという企画である。泉屋博古館は多くの青銅器を所蔵している。京都の本館では、常設での壮観をなすが、たびたび訪れると見飽きた感も強まってくる。まずは奇怪なフォルムに目が向き、次に表面を埋め尽くす文様に移行する。サビを効かせた古刹の美が、コケのような色彩に支えられて、独自の世界観を生み出している。

 商という日本から見れば、気の遠くなるほど古い時代に花開いた高度な文明に、敬意を表して、日本のコレクターは競い合って青銅器を集めてきた。内側に刻み込まれた文字に目が向くのは、鑑賞の第二段階に入ってからだろう。何が書かれているかは、古代エジプトで象形文字の氾濫を墓の内部に発見した考古学者と共有する知的好奇心だろう。決まって最後には、この祭器を代々大切に継承するよう書きしたためている。もちろん漢字に先立つ金文など私には現代語訳でしか読めないが、原文からの解読に憧れてしまう。

 何千年を経ても、子孫に贈る人類の心情はそう変わるものではないという安堵が、歴史の倫理として確認される。金属文化が、保存という種族を超えて人類にまでたどる継承の論理を展開する。石に対しては彫り込まれるが、青銅に対しては彫り出されるという点が、重要ではないかと思う。ポスターには「鋳込まれた文字にこめられた想い…」とある。含蓄のあるいい言葉だ。単に力まかせに彫り込んだだけではない。鋳造というもっと強い方法で、文字を普遍化しようとしている。


by Masaaki KAMBARA