常設企画展 新たなる木彫表現を求めて—平櫛田中賞受賞の作家たち—

2019年04月09日~06月30日

名古屋市美術館


2019/6/28

 常設展は見慣れていて、新鮮味は乏しい。フランクステラやアンゼルムキーファーなどは、いつも同じ場所にいて、また来たよという再会のあいさつに留まればいいが、まだいたのという正直な印象を拭えない。大きくて茫洋としていて、時には収蔵庫で休養を取るのがよいだろう。その分、常設展示の企画力は増すはずだ。いつ行っても同じものしか並んでいないという印象は、所蔵品展を退化させる。

 今回の平櫛田中賞受賞の作家たちは、期待をして来館した。先に田中美術館で田中賞受賞展を見ていたので、興味は高かった。常設展の延長なので期待する方が無理かもしれないが、会場のスペースからすると、もう少し作品数を増やさないと、話にはならないだろう。5名の作家の各一点に田中自身の一点が加わる。魅力的なチラシを作っていて、期待が高まっていたが、肩透かしを食わされた。

 唯一、新鮮な出会いは、黒蕨壮(くろわらびそう)の1986年の「マイハウス I 」だった。しかしそこでも、同じ作者のものをもう2、3点は見たいという不完全燃焼を伴った。木彫の表現力の限界に挑むという、求道者の姿勢がうかがえる。ダンボールや布の実感を木の素肌で実現する。絵画なら絵具に頼ることになるのを、素木のままでどこまで可能かという問いかけがある。素材の説明に「木とステンレス」とあったので、木はステンレスには変身できなかったという意味を含んでいることになる。木に命が宿るのなら、木はさまざまな物質に変貌する。早い話、石やコンクリートの頑丈な素材があるのに、木造建築は今も健在である。

 田中賞は円空賞ほどに過激にはなっていないので、木という素材に留まっているのなら、企画に工夫の余地はあるだろう。木彫の所蔵作品の在庫セールであるとか、木を使った若い作家の所蔵があれば、「円空賞をねらう作家展」も可能だろう。今回は特別展の狭間での訪問だったので、不満を感じたが、普段の常設展は特別展の付録のような感覚しかないので、このままでも十分だっただろう。しかし常設展の充実は、今後の課題として残っていると思った。予算や入館者数との兼ね合いもあり、難題でもあるが期待しておきたい。


by Masaaki KAMBARA