よみがえる川崎美術館—川崎正蔵が守り伝えた美への招待—

2022年10月15日~12月04日

神戸市立博物館


2022/10/15

 修復されていないのが残念な桃山期の屏風がある。黒ずんだ金箔と斬新なデザインに、ありし日を思い浮かべながら、琳派への夢想を極める。しかし川崎コレクションの現在を回顧するためには、修復がされていない方がいいのかもしれない。コレクターの表装の好みを感じ取ることで、明治はじめの美意識が仲介して、そこからさらに数百年前の香りがよみがえることになる。

 川崎美術館を飾った円山応挙の襖絵が、当時の配置のままに復元されている。それは応挙の時代のことではない。美術館はコレクションを見せる装置なのだろうが、ここではコレクションが美術館を飾っていた。応挙に対するのではなくて、そこで私たちは応挙とともに生きているのである。息をつめた美術鑑賞という対面性を排した日常の優位によって、応挙と同じ空気を吸うことで、モダニズムを問い直そうとしたとも言える。国宝の茶碗でお茶を飲む無謀とも近しいが、名宝はすべて日常雑器からなるという茶の湯の美学を踏襲してもいる。さりげなさが愛するべき価値であることがよくわかる。

 古美術の名品を鑑賞するという側面はあるが、それだけでは同じ会期で開かれているトウハク(東京国立博物館)の「国宝 創立150年記念展」にははるかに及ばない。同じトウハク(長谷川等伯)の松林図屏風からはじまり、所蔵する80点をこえる国宝を網羅するという謳い文句も、それらが国の所蔵品であるなら常設料金でよさそうにも思う。予約も取れない行列がうんざりだと気づいたとき、この調査の偉大と企画の価値が見えてくる。一起業家の盛衰を国立機関の150年の安住と対比してみるのもいいだろう。比べるとささやかな抵抗にみえるが、われわれ庶民には手の届かない楼閣ではあった。今は新神戸駅のホームあたりに位置していたという。


by Masaaki Kambara