ドライブマイカー

監督:濱口竜介 キャスト:西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、岡田将生 原作:村上春樹

シネリーブル神戸


2022/4/18

 この映画を見てチェーホフが読みたくなってくるのは、原作に由来するものだろう。以前、村上春樹を読んでいて、ヤナーチェクを聞きたくなったが、それと似た誘導だと思う。よくできた映画で、世界的に評価され、映画祭での受賞には納得がいく。チェーホフをさまざまな言語で語り、手話まで加わるが、不思議なことにロシア語はない。

 日本映画が西欧世界で評価されるにはそれなりのわけがあり、西洋美術が築いてきたイメージ世界と連動している。黒澤明の「蜘蛛の巣城」は、マクベスを下敷きにしているだけではなく、聖セバスティアヌスのイメージをかぶせた。「東京物語」のローアングルに、西洋はマンテーニャの視点を見つけ、空々しいセリフ回しにマニエリスムを読みとった。アニメーション作品「頭山」は、宇宙を人体に読み取ったレオナルドの思考を日本文化に見出したし、「楢山節考」は子が親を背負う姿にピエタ像の変形を見出し、カンヌ映画祭でのグランプリに導いた。これらはみな日本文化を西欧の論理との対比で評価されたものだ。

 ドライブマイカーの評価もこの流れに属している。妻の名である「音」は神に置き換えが可能だ。はじめに言葉があったというキリスト教の出発点は、音からはじまっている。その音を伝える役割を福音書記者(エヴァンジェリスト)という。ここでは二人の男が登場する。ともに音と交わって、その言葉を聞きつけて記述した弟子たちだ。ルカにしか登場しないキリストのエピソードがあるとすれば、マタイがキリストのことは何でも知っていると思っていたとすれば、きっと嫉妬したはずだ。西洋世界のキリストの弟子をだきあわせに読み込むことで、この日本映画は評価されることになった、と私は思う。


by Masaaki Kambara