ミロコマチコ いきものたちはわたしのかがみ

20211002日~1219

神戸ゆかりの美術館


 奔放な造形力は、破天荒としか言いようのないものなのに、不思議にもデザインとのマッチングがいい。ポスターや本の装丁には強すぎると思うのに、意外とおさまりがいい。絵本は確かに絵の力だが、ことばを説明し、図解するだけのものなら、たいした役割ははたさないだろう。生命力という語につきる。移動する紙芝居の屋台のような装置がいい。美術館の壁面を信用できないという表明なのだろう。ロビーにまではみ出した現況もまた、生命力のなせるわざだろう。増殖し続けているという印象は、蛇が地を這いながらうごめく気配と同調する。


 土俗的と言っていい妄執が底辺にあるのだと思うが、表面上はいたって常識的で、社会性と倫理性を備えているようにみえる。それがデザインとの相性が良いということなのだろう。個性のないもの、クライアントにおもねるものにデザインの寛容を見出す場合も多い。心になじむもの、違和感なく受容できる形に汎用性のもつ購買力を見つけ出してしまうのだ。


 しかし近年の美術展で紹介された石岡瑛子上野リチのデザインを見れば、強い表現性を前面に押し出して、枠内におとなしく収まってはいない。それでいて広告や商業と結びついて、ファインアートとは一線を画している。ミロコマチコもこの系譜の延長上にあるように思う。枠があるからこそそれをはみ出そうとするエネルギーを感じ取るものだろう。壁を突破するときの瞬発力といってもよいか。もちろん枠内にエネルギーを封じ込め、アニミズムをデザイン力として制御しているたまものでもある。暴発と制御をバランスよく操作していくのを、生活力と呼ぶならば、実にたのもしい人生論をも語ってくれている。見ているだけでパワーを与えられる展覧会だった。大道芸の紙芝居に歓喜した頃の記憶がよみがえってきた。


by Masaaki Kambara