2019年04月20日~06月16日
兵庫県立歴史博物館
2019/5/2
このところ浮世絵の展覧会がやたら多いのはなぜか。疑問を呈しながらも、見ているとそれなりの歴史の年輪を感じ取り、日本文化万歳と言いたくなり、危険な部分も多い。落とし穴に気づきながらも、浮世絵の豊かな感性の虜になってしまう。江戸の庶民性を享受するのは、デモクラシーの理念から言っても問題はないように見えるのだが、一方で支配者側から見ると、牙を抜いた穏やかな羊の群れのいだく檻の中の自由と言えなくもない。
今回のタイトルで五大浮世絵師と呼ぶのは、歌麿からはじまり写楽、北斎、広重、国芳と続く。人物画が破綻をきたし、風景に視線を移し、やがて奇想へと陥る経過が、江戸末期の動乱を予感する空気感の中で、みごとにイメージとして写し出されている。
歌麿は周到だ。研ぎ澄まされた感性の中で、庶民の心をつかんでいる。ワイングラスを手に腕まくりをする娘の仕草がいい。タイトルには「教訓親の目鑑ばくれん」とあり、親のメガネに写った不良娘の何気ない一瞬をとらえている。未成年の酒好きには困ったものだが、娘の表情には屈託はない。春信の描く、人妻なのに純情な少女のような時代は過ぎて、女へと成熟に向かう頂点にあって、さまざまな小道具を駆使して、女を描き切った。透けて見える衣装の空気感は、木版画の技法に支えられて、超絶技巧と呼んでいい。
さらなる超絶は北斎から広重に続く風景描写に見出される。空気の階調を木版画で、みごとに実現している。白から青へと変化する空の階調に区切りはない。絵師を支えてスターダムにのし上げた彫師や摺師の超絶は江戸の年輪が支えてきたものだ。この成熟には幕府の統治200年の平和が必要だった。
北斎も広重も美人画からはじめているが、風景画に移行したのは、自身のオリジナリティというよりも時代の嗜好だった。時の感性を視覚化するのに敏感な嗅覚を備えていたのだと言える。風景と言えども風物誌であって、常にそれを見つめ、そのもとでの生活の営みがある。広重の白梅は空を染める夕焼けの前で紅梅となっている。
同じくゴッホが愛して油彩で模写までした夕立ちの情景は、大河にかかる橋を通してパリに劣らない大都市の姿に目を見張ったからだろう。しかもこの都市には季節感が息づいていた。都会の喧騒を逃れて、はじめはバルビゾンへ、やがては南仏やタヒチにまで向かうには至っていなかった。
小さな紙面を油絵で模写をするという本末転倒には、西洋の技法でこの空気感を実現したいという思いがあったはずだ。ゴッホはとりわけ油彩画を発明したオランダ人なのだということに改めて気づかされる。白梅を紅梅に変える巧みな空気の表情は、印象派が求め続けたものだった。
浮世絵のみが印象派を誕生させたというのは日本の傲慢にすぎないが、世界の大都市にまだ季節感を残す地があったのだという驚異が下敷きにされている。浮世絵はそれを知る手軽なメディアだったということだろう。そんな平和な日々に亀裂が入るのは、北斎の漫画や化け物をへて国芳の登場によって確認される。写実主義の破綻は、武士の家計簿が立ち行かなくなったという現象の一側面だろう。
これまで国芳以降の浮世絵師を抹殺してきた美術史の欺瞞がある。本展の前身は国芳を外した四人を集めた好評の展覧会からだった。出どころは中右コレクション、浮世絵収集の雄である。膨大なコレクションにはまだまだ未知との遭遇を含んでいるだろう。国芳を名指してもこれだけ出てきたのだから、絵師の数だけ作品があるということだ。
さまざまに組み合わせて展覧会が構成できる愉快を思いながら、そのためにはいつ訪れるかもわからない評価を待って待機する、収集保存という執念を思わずにはいられなかった。
写楽を無視しているわけではない。あまりにも凄すぎて、語ることばが見つからないだけのことだ。世界に何枚かしかないという写楽の希少性が当たり前のように、中右コレクションには並んでいる。歌麿が人物を大写しにして、それでも小道具を駆使して日常性に溶け込ませたのに対して、写楽の大首絵は首だけだ。小道具を描くにも、手は退化してしまって、モノも握れないほど小さく申し訳程度に描かれている。顔の表情だけがすべての生命線であって、モノに頼らない心理劇へとたどり着く。人物表現としてはこれが最後となる。屋外の遊楽図からはじまった浮世絵の歴史は、顔にたどり着いて終末を迎えた。しかし写楽が人物画の究極の成果であることは確かだ。