美術時評  2019/5/30まで

journey to the past  by Masaaki Kambara


ノンタン絵本の世界展

2019年5月18日(土)~6月30日(日)

やかげ郷土美術館


2019/5/30

 キヨノサチコ展ではなくて、ノンタン展なのである。作者のインタビュー映像が流れていて、作者が誰だなんて考えてもいない。ノンタンだけが残ればいいのだというような発言をしていたと思う。自分がまもなく死ぬことを自覚していたような口ぶりだった。その発言通り2008年に60歳で没している。

 絵本に複雑なストーリー展開は期待できない。他愛のない話ではあるが、ノンタンという動物キャラクターが、人間以上に表情豊かな喜怒哀楽を伝えている。その表情の振幅の広さは、子どもの世界もを写し出して、説得力がある。ケガをして病院に行く時の不安な表情は、動物にたくされているが、子どもに特有の心理描写であって、「ノンタンがんばるもん」という一言とともに共感を呼ぶ。

 以前三岸節子の記念美術館で、なかやみわの絵本展を見た時、絵画のヒエラルキーがマンガやイラストの台頭で、崩れかかる姿に接した。今回の展示も重厚な郷土の恩人を掲げる郷土美術館で、見ず知らずの絵本の展示でよいのかという保守的な発言もあるかもしれない。一見すると古風な美術館建築とは不釣り合いな企画のように見える。しかし天井の高い太い木の梁が支える安定感に、ノンタンはしっかりと収まっていたように思う。つまり絵画として遜色はないということだ。

 井原鉄道沿いには、日本画家や彫刻家だけではなく、若い漫画家も住んでいるし、イラストレイターも見つかるはずだ。郷土美術館の今後のあり方は、保守的な郷土の恩人の継承を待つだけではなくて、新しい分野の新人の発掘と育成にあるような気がする。

第29回平櫛田中賞受賞記念 岩間弘展—翼のあるものたち—

2019年04月26日~06月16日

井原市立田中美術館



2019/5/30


 角材の加工していない素肌が、強いインパクトをもって迫ってくる。しかし素材としての木に、強いこだわりがあるわけではないようだ。ブロンズ像もずいぶんあって、そこでは素材感は消え去ろうとしている。一貫しているのは、不安定な中で何とかバランスを取っている点だろうか。足はあるが頼りない。しっかりと大地にふんばっているとは思えない。


 タイトルを通して不安定の意味が明らかになる。「鳥人」という命名が目につく。上昇をめざし飛び立とうとするのだから、当然不安定だ。「月舟」というタイトルも気にかかる。月に向かって舟を漕ぐのだから、これも不安定きわまりない。矛盾を含んだもの同士の出会いだから、落ち着かないし、それゆえにベクトルの異なった動きをはらんだバランスのなかで、これまで彫刻を支えてきた安定を崩しにかかる。


 こうした違和感のある命名は詩的であり、松本清張のタイトルと共通するものだ。「波の塔」や「風の視線」という結びつきようのない二つのイメージが解剖台の上で出会うのだ。そのくせ内容は、物質的素材感に裏打ちされ、社会性を帯びて少しも詩的ではない。


 鳥と月、人と舟なら矛盾はない。しかし人が飛び立ち、舟が飛び立つのなら、足元はぐらつくだろうし、「翼」を必要とするだろう。翼も随分と単独で作品化されている。まるでイカロスの折れた翼のようだ。飛翔の断念とも取れるが、まだ見ぬ未完の壮大な神話のパーツをなすものなのだろう。月の舟からもげ落ちたものかもしらないし、部品の落下は天使を人に変えるものでもある。素材の否定は、自ずと人の想像力を羽ばたかせることになる。モノ派のもつ素っ気ない物質依存の時代を経て、想像力が物質に仕掛ける罠を楽しんでみようとしはじめたようだ。彫刻を創り、神話を生むのは、やはり人の想像力なのだという、当たり前の原理に立ち返ったとき、この作家の一連の実験が意義深いものに見えてきた。


 そしてもう一つ、「果実」がキーワードになっている。多くは内側がくり抜かれて、舟に変貌している。中には椰子の実を思わせるごつごつとした地肌に、名も知らぬ遠い島より流れてきた不時着の飛行物体のように見えるものもある。そこでは当然ながら翼はない。その他、波、空、宙、彼方、羽、などのタイトルに用いたキーワードを通して、希求する世界観はだんだんと一つのものに実を結んでいく。

花の心

2019年03月26日~06月02日

華鴒大塚美術館(子守唄の里高屋)


2019/5/30

 一度足を運びたいと思っていたが、やっと果たせた。特に見たいという企画ではなかったが、施設見学をメインにというつもりでいた。庭を回るだけでも値打ちはある。展示室は三つあり、ガラスケースがメインなので、軸装ならば100点は並ぶだろうから、テーマを選べばよい企画展ができそうだ。一部屋は郷土出身の日本画家である金島桂華に当てられているが、他はビッグネームの日本画家を網羅している。

 小品が多く美術館名に対応して花鳥画が中心なので、ドラマチックというよりも、心の動揺を抑え、鎮静へと向かう。違和感はなく、目に心地よく、見ていて落ち着く。悪くすると印象に残らないまま見過ごしてしまうことにもなるが、それもまた鑑賞法の一つだ。建築や庭を引き立たせる絵画もあっていい。

 元来、絵画とは部屋を飾るためのものだった。今は逆転して、作品を引き立たせるために美術館建築がある。先日、東京都庭園美術館で、私室の壁を飾るキスリングに接した時、絵画には生活空間の邪魔をしないものという最低限のルールが、元来はあったのだと気づいた。一点の作品の方が、それを収蔵する美術館建築よりも、高価なものになった時点で、話はおかしくなってしまったのだ。

 ゆったりとしたひとときを過ごすことができた。強烈な印象とは程遠いが、金島桂華の会場のメインのガラスケースに並んだ3点の作品、紫陽花菖蒲が、鮮やかな色調と季節感を伝えてくれた。一歩下がった風情も、それをゆかしさと言うならば、対面することなく、寄り添うように同行するのも悪くはない。肩の力を抜いて、梅雨を前にした瑞々しさに同調してみた。

初公開!廉塾に伝えられたタカラモノ-書画・陶磁器・漆器・硯等-

2019年04月19日~06月02日

ふくやま草戸千軒ミュージアム (広島県立歴史博物館)


2019/5/29

 廉塾を開いた菅茶山のもとにあった絵画や陶芸をはじめて紹介する展覧会である。全国規模で塾生を集め、尊敬された儒学者の交遊録とも取れるが、器物が多く目につくのは、日頃の飲食に供する日常雑器という用途を、第一にしたものだったからだろう。襖や屏風絵など大掛かりなものはない。もてなしにさりげなく出してみて映えるような品が選ばれている。

 茶山の長寿を祝って贈られたものが多く、それは茶山の興味に合わせた選定であったはずだ。日常生活に潤いを与えるという、鑑賞よりも用途を一義とした嗜好をうかがわせている。

 福山に根づいた郷土愛の産物とも言える姫谷焼の小皿がいい。色絵磁器だが派手なものではなく、控えめな色のまばらな点在に、品の良さがうかがえる。蠣崎波響の鶴もいいが、平田玉蘊の亀がさらにいい。ともに長寿の祝いを意味しているが、亀は数えると55匹もいるようで、鶴の二羽でも長寿なのに、亀をそこまで数えるとユーモラスに響いてくる。55万年でもまだ阿弥陀の到来には届かないというのが真意のようだ。こうした笑いのセンスは、真面目くさった儒学の世界に潤いを与えるものだっただろう。

 禅画の諧謔が度を過ぎると、儒学思想が浮上する。江戸中期の奇想の画家たちを悪ふざけと断罪し、質素と倹約に引き戻す中、洒落た女流画家の存在が、気にかかる。少し前にあった平田玉蘊の展覧会を見損ねたことを残念に思った。

没後30年 桑田笹舟展

2019年04月02日~06月02日

ふくやま書道美術館


2019/5/29

 「書」の何たるかは知らないまま、絵になる書だなと思ってやってきた。書そのものではなくて、下地になる絵(というよりも図)との絶妙なバランスに、書家の控えめな自我を見た気がする。一語一語は奔放なのに、全体を見ると、見事に枠内におさまっている。四方八方に飛び跳ねながらも、部分はいつも全体との関係で、駆け引きをしながら軌道修正をしていく。はじめから設計されたバランスがあったわけではない。その場での即座の対応が、積み重なって、結果としてこうなったということだ。

 書だけの単独の空間構成ではない。枠内に書と絵が邂逅するバロック空間がある。部分では破綻していても全体では統一されているというのは、まさにバロックの原理だ。時には控えめに地を浮き出させる。ポスターになった「日月」と題した六曲一双の屏風絵がいい。私はこれに惹かれてやってきた。書が一歩下がって、絵に場を譲る。絵はもちろんシルエットであって、自己主張するすべもない。ここではうねりくる光琳波のようなパターンが全面に躍動感を与えている。小さな文字を支える大きな装飾である。

 漢字を用いた平仮名は、さすがに読めない。解説文に頼っても原典を知るだけのことで、文学鑑賞にはなっても書を見たことにはならない。もちろん一粒で二度おいしいのが、書の原理だろう。しかし美術史は何が書かれているかよりも、いかに書かれているかを面白がるものだ。その点、笹舟の味わいは美術史に立脚していると言ってよい。書を単独のものとして見るのではなくて、料紙の力に身をゆだね、何の上にかぶせるかという志向が、際立っているようだ。

 「いろは歌」もいい。平仮名ではなくて、ひらがななのでわかりやすいというだけではない。自由奔放な字が、下地の古色と絶妙なバランスを見せている。光悦が時に身を隠し、時に自己主張をしながら、宗達との二重奏を奏でる古き良き桃山の伝統を思い起こす。もちろんその先には平安文化への憧れが息づいている。桑田笹舟は福山の人であり、神戸の人でもあったようだ。篠田桃紅展以来、少し「書」に興味が湧いてきている。

折元 立身 『Postcard Drawings from London + Berlin』

2019年4月20日(土)〜6月2日(日)

鞆の浦ミュージアム


2019/5/29

 折元立身さんのお母さんが亡くなったことを、この展覧会の案内で知った。他人ごととは思えないのはなぜだろう。2017年9月に富山で出くわして以来、ずっと気になっていた。強烈なイメージが残る原像だった。母と息子の関係を永遠のテーマにして、気恥ずかしさを顧みず、よくぞそこまでという究極のパフォーマンスを披露してくれた鮮やかさに、ずっとエールを送ってきた。

 「介護もアート」という著作の表紙で、大写しになった母の顔を見ることができる。親子だから著者とよく似ている。富山での展示は母の死の直後だったようだ。その後2018年9月に見た尾道での大掛かりな個展でも、そのことは気づかないままいた。それは写真とヴィデオ映像を通して、二人は私の中で、ずっと生き続けていたからだろう。

 そんな母に捧げるオマージュとして、今回の展覧会は構成されている。亡き母に向けて滞在先のロンドンとベルリンから毎日絵はがきを送るというパフォーマンスである。宛名はすべて川崎に住む折元男代とある。「おだい」と読み、母親の名であるが、父親の代わりになるような強い名だ。ユーモラスでありインパクトのある名であればこそ、展覧会としても印象深いものとなった。

 死者の名前でもしばらくは郵便物が届くという現状をふまえたパフォーマンスだ。23年間に及ぶ認知症介護の記憶が残る住所である。ここでは母に向けて語っているわけではなく、身辺雑記であり観察記録を綴った画文集としても興味深い。時折、思い出したように母のことが記されている。

 2018年11月、ベルリンの地下鉄構内で「小さな小さなおばあちゃん」に出会って、母を思い出す。その前後の日に、教会のステンドグラスを見て感動し「神さま、私は、折元男代さんより生まれて、幸福です」と書いている。教会で聖母子像を目にすれば、いつもそこに回帰してゆくのだろう。私にとっても十分に介護をできないまま逝かせてしまった母の記憶がある。その自責の思いは、男代さんを写し出した映像が、聖母子像よりも身近な、生々しい踏み絵として定着している。

川勝コレクション 鐘溪窯 陶工・河井寬次郎

2019年04月26日~06月02日

京都国立近代美術館


2019/5/23

 やきもののデザインと思想を、美術や工芸の枠を越えて、体系化しようとした人ではないかと思う。基本的技巧は陶芸家としての訓練に違いないが、それだけには収まらない土の思想と言ったような宇宙観が下敷きになっているような気がする。色彩が溶け合わされてグラデーションになっている臨界部分がいい。書のかすれのようでもあるし、黒々とした深い闇に、どこからともなく光が差してきたような光明の真理を解き明かしたいという欲求が見える。

 もともとは繊細な感受性の人だったに違いない。それが民藝運動と出会うことで、どてっとしたふてぶてしさが加わったようだ。やがては確固とした信念と、宗教観に支えられた重厚な響きが全体をおおい尽くしていく。輪郭線に縁取られた色彩分割も説得力はあるが、色と色とが混じり合い、その微妙な出会いと、その未来の不安を楽しんでいるような、不確かな頼りなさが、私には何とも言えない良い響きを伝えてくれる。

 たぶんそれは民藝運動からくるものではないはずだ。確固とした信念は、生きていくための栄養にはなるが、消費した末に消滅してしまう。関東の粗野な武士の気骨からは対極にあるような、平安貴族の雅びといってもよい。震えるような感受性は、バーナードリーチに対して反発したルーシーリーの感性に対応するものかもしれない。混沌というほど根源的ではなく、ふれあいやすれ違いに近い人と人との関係に、哲学を超えて美学の優位を主張する。

 河井の持ち味は、晩年になって確立する陶芸を逸脱した自由な造形にあるのだろう。文字を用いて、いくぶん説教くさい人生論的な確信は、それなりに信条を伝えるものではあるが、私には迷いを模索する茫洋とした色彩感覚に、どうしても惹かれてしまう。くっきりとした輪郭が生み出す造形性と色彩分割は、唐の三彩や仁清の色絵の現代での展開であり、優れた伝承だが、その信念の裏返しのように、時折ナイーブな感性が顔を見せる。初期のものだけではなくて、生涯を通じて偏在していたようで、それが一様ではない陶芸の奥行きを教えてくれる。

没後10年・ロニスの愛したパリ WILLY RONIS展

2019年04月11日~06月23日

何必館・京都現代美術館


2019/5/23

 何気ない日常生活の豊かさを、高らかに歌い上げるでもなく、ありふれた情景のように、確実にそこにたたずんでいる。ルポルタージュとして写し出しているからには、社会的意識が濃厚なはずだが、強い自己主張はなく、写真というメディアの生々しさを押さえ込んで、それでもドキュメンタリーとして自立する誇りをうかがわせる。いい写真家に引き合わせてくれたと思った。

 ショッキングな視覚で点数を稼いできた報道写真が、自己嫌悪に陥ると、メディアとしての可能性を追求するのではなくて、何気ない一瞬に賭けようとしはじめる。しかしそれは決定的瞬間ではない。気に入ればもう一度再現可能な、二度と起こらない奇跡ではなくて、何度も繰り返される日常の勝利を歌いあげるのである。

 写真というメディアが大衆社会で勝利を得るには、誰もが写せるモチーフを必要とした。ロニスが切り取ったパリは、誰もが同感できる日常だった。その支持基盤に力を得て、少しづつパリを離れて、被写体を選んでいく。ヴェネツィアには確かにパリにはない海の香りを日常生活の中で息づかせている。

 ブリュージュでベギナージュの尼僧たちを写し出した一枚を目にした。私にとっても懐かしい匂いを思い出させてくれた。パリ近郊ではあるが、フランスにはないベルギーの自立に、フランドルの香りと中世の面影を伝えるものだった。木立の生み出す風の流れを頰に運んでくる空気感は、どこかを特定する建物を写し出してはいないのに、旅情を感じ取ることのできるものだった。

 決定的瞬間ではないと書いたが、カルティエ・ブレッソンの影響は避けて通ることができない。得意げに長いフランスパンを持って歩く少年や、入り組んだ階段のかたわらに集まる子どもたちの写し込み、水たまりを越える女性の脚を写し出した一枚などは、ブレッソンなしには誕生しなかっただろう。それはロニスだけではなく、木村伊兵衛や土門拳にだって言えることで、もっと言えばブレッソンではなく、ライカの影響と言うほうが適切かもしれない。

 大きな変貌を写真史に築く人ではないが、主流の中にあって独自の変革をめざした人だと思う。何よりもパリに息づく古き良き香りを背景にしながら、現代を切り取る手腕に、多くの支持を得た写真家だったと思った。

国宝 一遍聖絵と時宗の名宝

2019年04月13日~06月09日

京都国立博物館 平成知新館


2019/5/23

 さすがに国宝だけのことはある。一遍という高僧の足跡をたどる長大な絵巻だが、顔を大写しにするわけでもなくて、むしろ英雄視を避けて、等身大の人間像を、淡々と追いかけている。カメラはできるだけ引いて、まわりの情景を正確に記述する。当時の建築技術までもが検証できる細部の描写に、それに関わった人物群像が踏み鳴らす地の響きが、伴奏を加えていく。踊り念仏の一群が、静なる建築空間を、動揺する舞台空間に変身させているのが興味深い。

 ヨーロッパ中世の鞭打ち集団のような狂騒を下敷きにしているが、陰にこもったような集団ヒステリーではない。阿波踊りにも似た海洋民族の開けっ放しの乾きを伝えるものだ。集団中の個に徹していて、顔さえも見定められないが、12巻の道のりは一貫している。ロードムービーのように、道行く姿を追っていく。

 力量を感じさせる細部描写が際立っているが、声高には自己主張をすることはない。あくまでもドキュメンタリーに徹することで、高僧の後ろ姿を追いかけていくのだ。カメラマンが前に出てしまって主役を正面からとらえようとすると、英雄伝がはじまってしまう。それを回避しながら、いつも寄り添い、時間の経過に沿って淡々と事実関係のみを伝えていく。日本の絵巻が映画やアニメのルーツにみなされるのは、一遍聖絵のような客観的描写法に、西洋が恐れ入ったからだろう。

 時には人物不在のまま、樹木だけで主題を語る場合もある。柳が点在し、そのしなやかなしなりは、踊念仏の群像のように見えるが、悲しみを湛えた慟哭の泣き人のようでもある。人間を取り巻く情景が、物語を雄弁に語り出す。人物不在であるほうが効果的で、詩歌に託された日本美の真実には近い。

 一遍はどんな顔をしていたのか。12巻すべてが並んでいたが、最後までわからなかった。連れ立って歩く横顔に人物名の記載があり、一遍の文字が読み取れるが、際立って目立っているわけではない。素っ気なく目鼻立ちが添えられているだけだ。いつのまにかその存在は、忘れ去られて、ただ一遍とともに旅を続けているのだという気分だけが残される。同行の巡礼者を体感することが、この絵伝の鑑賞の意味だったように思えてくる。山を越え谷を越え、時に岩をよじ登って山岳仏教に修行のありかを見つけ出す。一遍の生涯は旅にあったが、その道行きへの同行がそのまま信仰の証しとなっていく。十分に長い絵巻の全編をたどりながら、次々と見えてくる道すがらを、ぼんやりと目の端にとどめ、四季の移りゆきを追ってゆく。

 人生が旅であったように、信仰もまた旅だった。淡々と歩き続けるなか、時に踊りはじめる。旅と踊りは合体し、練り歩きを越えて、密集し足を打ち鳴らす。集団のエネルギーが大地を揺さぶり、地から湧き上がる熱気が四方に拡散していく。これが民衆に支えられた鎌倉仏教の真理だったのだろう。開かれた絵巻は、平安のような奥ゆかしさと完成度は伴わないが、貴族たちが手の幅で転がしてきた鑑賞法とは異なり、美術館での展示のように、全編を開いて自らの足で移動しながら鑑賞したのではないかと思えてくる。模本も混じるが、全巻展示は確かに圧巻だった。

吉村芳生 超絶技巧を超えて

2019年05月11日~06月02日

美術館「えき」KYOTO


2019/5/23

 東京での開催を尻目に見ながら、気になっていた。何点かはそれ以前に山口県立美術館での常設展で見ていたような気がする。これでもかこれでもかという執拗な情念がほとばしる鉛筆画である。鉛筆という慣れ親しんだメディアが、こんなに豊かな創造力をもっていたのかということにまずは驚く。ありふれた素材を追求する姿勢は、鉛筆というメディアの選択にすでに現われている。誰もがふつうに使う文房具で、どれだけの超絶技巧が可能かというのが出発点となる。ジーンズのディテールを再現し拡大して見せた技巧は、顕微鏡写真とも言えるものだ。

 目を欺く驚異だけではない。繰り返し行われる手の反復に、日常への埋没が志向される。両者は相対立する方向性を取る。それにもかかわらず、そこには自負と自己主張が内在している。そうした自己矛盾に、存在論としての人間味を感じてしまうのだ。それは野心であったり、社会への不満であったりするが、鬱積してたまり続けていくものだろう。

 17メートルに及ぶ金網の描き起こしは、その最たるものだろう。近づいて見ると、針金がねじり込まれながら、金網が広がっているようすがわかる。爆発し尽くせない不満の蓄積以外の何者でもない。レオナルドの描いた組みひものように、その一筆書きをなぞっていけるのだ。残念ながらメビウスの輪に完結する組みひもではない。閉じてはくれないので、永遠に増殖を続けるしかない。目を遠ざけると六角形が無限に広がる蜂の巣の再現のように見えてくる。

 比べてみると一つとして同じ六角形はない。細胞が集まって一つの生命を構成するような、人間社会の縮図に見えだすと、作者の意図に一歩近づいたのではないかと思う。毎日毎日繰り返し六角形の空間を浮かび上がらせていく。六角形自体は空白だが、無数に並ぶとピンクとブルーが網膜上に広がっていくから不思議だ。同じ大きさの漢字を繰り返す写経にも似た心の安定を希求する姿が浮かんでくる。祈りの造形と言ってもよいかもしれない。

 新聞紙上に自画像を描き続けるシリーズも、日々の生活に自己の足跡を刻む存在証明のように見える。それが日記であることは、日付をもった新聞紙というメディアが証明している。その日の自分が、鉛筆の濃淡に託されて、大写しの顔が雄弁に語ってみせる。等身大の新聞は新聞紙をそのまま使えばよいが、新聞紙をも書き起こすという難業に着手してもいる。ここまでくると確かに写経だ。縮小されて写真で見ると、新聞紙にしか見えない。その上に自画像の鉛筆画が乗るのでなおさらだ。拡大された新聞紙が、等身大の絵画を主張する。

 この写経には哲学や宗教めいたものは一つもない。即物的な事件を知らせる文字で埋め尽くされている。しかし大震災を知らせる第一面には、思想を越えたものがある。それを前に顔をゆがませる自画像がある。作者にこれだけの力量があるのだから、新聞紙を涙で滲ませることもできただろう。時にはくしゃくしゃにして破ることもできたはずだが、そういうシュルレアリスムを画家は嫌っていたに違いない。目だましでは終わらせたくない想いは、日々の繰り返しの中に確立されている。

 色彩への憧憬は「花」にモチーフを求めた。救いを求めたと言ったほうが正確か。黒の階調を微細な升目に10段階に描き分けてきた方法論のみが、鉛筆画を支えていたわけではない。色鉛筆も鉛筆なのだ。花は日常性であると同時に、見過ごされるものへの想いを語ってきたそれまでの方向とは異なっている。豊穣な色彩の氾濫で、救いは確実に見えてきただろうが、水平方向に果てしなく続くという限りでは、終わりのない旅のはじまりだったかもしれない。

 完結した花瓶の花ではなくて、野草なのだ。藤棚というモチーフは、その点で格好のテーマだったが、華やかさを支える背後には、光琳のかきつばたにも似た日本文化のパターンに同調してもいる。野心が伝統と混じり合い、ステータスを確立したように見えるが、私は17メートルの金網の不満分子の頃が好きだ。

箱入り娘_Les Modesties   Mai Miyake / Aurore Thibout  

2019年5月15日(水)~6月22日(土)

ワコールスタディホール京都


2019/5/23

 「箱入り娘」という奇妙なタイトルは、何のことだろうと思っていた。展覧会に足を運ぶことによって、なるほどと理解できた。展示品のそれぞれは軸装で日本画のように見せかけている。箱から出されたままの姿で展示されている。つまり箱に入れてしまっておくというのが、常体であって、箱から出されるのは、非日常の味わいを演出する。そこに娘が登場すれば箱入り娘というわけだ。日本文化を下敷きにした西欧との比較文化論が展開する。

 現代アートふうであるが、ユーモラスでおしゃれな感じがするのは、ワコールという会場名によくフィットしているように見える。掛け軸という 絵画の概念をくつがえし、新たな提案を試みる。しかも日頃は表に出てこない「箱」を主役にもってこようというわけだ。伝統を古来の骨董趣味から解き放ち、西洋の自由な発想に身をゆだねる。 女性のブラウスの正面のみを一列に並べて掛け軸にした一点がいい。モデスティと呼ばれる胸飾りのようだが、首の出る部分が連なると不在の人体を感じさせ、表現性を増してくる。

 一方は純白で清楚を演出するが、他方は紫をベースに神秘を感じさせる。平安貴族の刺繍の雅びを彷彿とさせて、京文化との比較を試みている。着物も衣紋掛にかけて展示することを思えば、軸装の衣裳という意表をついた発想は、十分に伝統をふまえたものとも言えるだろう。持ち運びができて、必要に応じて壁にかけて鑑賞するという限りでは、ポータブルな商品見本にも変身してくれる。

 日本とフランスの文化交流を深める二人展の試みに対して、娘不在の衣装ケースを「箱入り娘」と題した企画力のセンスに、まずは拍手を送っておきたい。この前にここで見た企画展「エステル・デレサル展」の大地と野草のスライス作品が、ホールの入口に展示されているのに、帰りがけに気づいた。あの時は生け花のように思っていたが、アクリルで挟み込まれた生命が、その場限りのインスタレーションではなかったのだと、改めて野草の生命力と、それを作品化した着想に感じ入った。

国立トレチャコフ美術館所蔵  ロマンティック・ロシア展

2019年04月27日~06月16日

岡山県立美術館


2019/5/14

 ロシアから来る美術館展といえば、たいていは西洋美術のビックネームがおもで、ロシア人画家は申し訳程度に加えられるというのが常であった。今回はすべてロシア絵画で、ロシア所蔵のマチスやピカソを見慣れた目には、新鮮に受け止められた。

 ロシア人画家はレーピンしか知らないものにとっては、はじめての画家の名に、ロシア文学の登場人物を覚えきれないときのような苛立ちを覚える。まずは画家の個人様式をインプットしたいと思うのだが、展示がテーマ別になっていて、四季の風景から人物、風俗へと続く。

 ロシアに四季などあるのかと異論を唱えながら見ていく。さすがに夏はない。春は雪国にとって喜びのときだ。冬はロシアの日常に違いない。ロシアのモナリザと呼ばれるポスターにもなっている女性は魅力的で、8回も来日しているらしい。挑戦的なまなざしは、自立する女性の代名詞にもなるのだろうが、それを支えているのは背景の雪景色だろう。素肌は寒々とした冷気を感じ取っている。

 繊細な風景描写が特にいい。ロシアという大らかな風土に、こんな繊細な感受性が育つのかと思うほどの、微妙な空気の震えを観測している。文学や音楽がすごいのだから、同時代の美術ももっと紹介されねばならないだろう。

 ヴィッチとスキーがくればロシア人だろうが、抽象絵画だけではなくて、ロシアの風土の持つ叙情性を歌い上げた風景画の紹介が望まれる。マレーヴィッチもカンディンスキーも香り豊かな風景画を描いていた時期もあった。ロシア映画の記憶は、常に風土の気象現象とともにある。アメリカ映画だっただろうか、ドクトルジバゴにしても、あの長い映画を支えていたのは、ロシア文学を生み出した風土の描写だった。黒澤明のロシア作品についても同じことは言えるだろう。

美を紡ぐ 日本美術の名品 ― 雪舟、永徳から光琳、北斎まで ―

2019年5月3日(金・祝)~6月2日(日)

東京国立博物館


2019/5/12

 平成の終わりと令和のはじめに連続して行なわれた特別展である。肩透かしを食った前回展とは異なって、満足のいくセレクションだった。見る機会の少ない宮内庁や文化庁の所蔵になる名品を目当てに組み立てられたようだが、前回の貧弱な構成に比べると、二倍のスペースで大作も混じる。狩野永徳の唐獅子図屏風と檜図屏風が圧巻。桃山の風格はこの人に尽きる。時を経て永徳の孫が唐獅子図の左隻を描き加えるが、時代の差なのか、才能の差なのか、左右は釣り合わない。

 ここからはどうでもいい展覧会事業のことである。東寺の展覧会は結局、見なかった。時間がなかったせいもあるし、京都で見ればいいという思いもあった。加えてこちらの入場は別料金で、それを払うと常設展分が二重取りされている気がして、納得がいかなかったせいもある。東京都写真美術館などはいつも3つほどの企画展が同時に開かれているが、全部まとめて見るとかなり安い。ちょったしたサービスに過ぎないが、展覧会ファンとしてはありがたいものだ。

 理由は新聞の号外を見てわかった。久住守景の国宝が見られるという大写しの写真は、読売新聞だった。東寺の方は朝日新聞社の主催である。なるほどと思うと同時に、どうでもいい新聞社の主導権争いに付き合わされている美術館の憂き目を思い浮かべてしまった。もっとも国立新美術館では、常設展をもたないのに、企画展だけで、同額の設定になっている。こちらも広くて常時複数の展覧会が開かれている。ちなみに現在は、「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末の道」と「トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」のふたつの大型展で、前者が読売新聞、後者が日本経済新聞の主催である。

クリムト展 ウィーンと日本 1900

2019年4月23日(火)~7月10日(水)

東京都美術館


2019/5/12

 女性を描くことが生涯のテーマであったことはよくわかる。風景描写も細密化から装飾へと展開する必然はみごとだが、男性像には興味は無い。自画像さえ見られない。生涯独身のプレイボーイを気取ってよいが、うかつにも現実の風貌を映し出した写真が残されていて、禿げ上がった頭部の印象は強く、肖像権を侵してしまっている。これがなければどれほどの貴公子と思われたことだろう。

 ウィーンという古都が生み出したボヘミアンの倒錯は、運命の女を求め続ける果てしない旅をなぞりはじめる。音楽や建築を巻き込みながら、装飾を基調にした総合芸術を希求し、パリで展開した絵画運動を凌駕しようとする。画家の層からすればパリに敵わないという自覚が、ウィーンを音楽と建築の都にものしあげていく。色濃い伝統の沈殿という点では、大都市の風格を備えていた。退廃を自称するに引けを取ることはなかっただろう。

百年の編み手たち —流動する日本の近現代美術—

2019年03月29日~06月16日

東京都現代美術館


2019/5/12

 ここ100年間の日本美術の検証である。スタートを1914年に置いているが、まずはこの設定の妥当性から見るべきだろう。これは第二次世界大戦のはじまりの年だが、日本ではあまり関係はない。それよりも1923年の関東大震災からはじめるのが、説得力はありそうだ。もちろん昭和や平成という区切りもあるが、この展覧会では元号はみごとにシャットアウトされている。併記もされていないので、強い意志さえ感じ取れる。

 戦争をいかに取り込むかというのは重要な視点で、世界大戦や大戦間という区切りは、美術史と言えども効力を発揮する。アプレゲールやアヴァンギャルドは、戦争や軍隊に関係した語だが、文化を語るキーポイントとなるものだ。日本では震災と戦災という区切り目は、組み合わせて用いて、天災と人災の区別さえ無効にしてしまう。関東大震災によって東京は壊滅し、焼け野が原から第一歩がはじまっていく。一見するとこれは妥当なように聞こえるが、美術史の中央集権を嫌う場からは、必ずしも歓迎されない。

 展覧会の出発点は、有島生馬「鬼」からだった。1914年を共有しようとするにふさわしい暗示力を持った作品だと思う。その後の100年の美術史を牽引する画家とは言いがたいが、問題を含んだ作品だと思う。確かにはじまりを伝えるオーラは感じられる。

北斎のなりわい大図鑑

2019年04月23日~06月09日

すみだ北斎美術館


2019/5/11

 北斎の誕生地に建てられた美術館である。作家の生まれた場所というのは、どれほどの意味を持つのかということを、身をもって体験する。最寄りの駅は両国、相撲の地でもある。新しい建物がどんどん建つが、江戸庶民の生活風景が、まだ残っている。この美術館が何よりも新しく、江戸の風情を断ち切るように銀色に輝いている。北斎がインターナショナルなものになった今、江戸を引きずる和風よりも、こちらの方が圧倒的にいい。

 美術館の前は公園で、ジャングルジムでは子どもが遊んでいる。日常生活が溶け込んだ中で、ふと空を見上げると、スカイツリーが見えていた。この何気ない絶景は、北斎が見た富士山だったに違いない。

  ポールに網を張ったジャングルジムは、なだらかな曲線を描き、富士山のシルエットに見えてくる。しかもスカイツリーよりも高い。逆の方向から見ると、富士山よりも北斎館の方が高かった。縄を登る子どもの姿を見ながら、江戸の日常を描いた富嶽三十六景の一コマを思い浮かべてみた。

ギュスターヴ・モロー展 ― サロメと宿命の女たち ―

2019年4月6日(土)~6月23日(日)

パナソニック汐留美術館


2019/5/11

 汐留美術館の企画を前にして、いつも、なぜこの展覧会をここでするのだろうという問いを発することにしている。大きなビルなのにその一画にある、美術館というには狭すぎるスペースを、いつも窮屈に感じながらも、見終わった充実感が不思議でならなかった。この前見たのは、小学校などの建築展だったが、それはこのビルがパナソニックの大規模な住宅展示場を伴っていることを思えば、簡単に理解できた。

 今回のモロー展は、スポンサーのパナソニックとは結びつきにくい。展示の最後まできて、所蔵品のルオーが並ぶのに出くわして、この美術館がルオーのコレクションからスタートしたことを思い出す。ルオーはモローの弟子であり、パリでモロー美術館が開館したときの館長をつとめた。健全な住宅メーカーをめざす企業にとって、モローの退廃的な世界観は結びつきにくいということだ。さらに言えば、なぜルオーをコレクションしたのかという原点にまでさかのぼることになる。ルオーに興味を持ったのは、パナソニックだけではない。出光美術館にも、一群のルオー作品がある。たぶん企業のオーナーをターゲットにした同一の仕掛け人がいたということだろう。

 モローが汐留美術館に似つかわしい理由はもう一つある。パリのモロー美術館を訪ねたのは、今から40年も前のことなので当たっていないかもしれない。最初の印象は何と小さな美術館かというのと、所狭しと並べられている作品の氾濫だった。つまりモローはあまり大きなスペースに並べるものではないという先入観が根づいてしまったように思う。汐留美術館でも、作品は肩を触れあうように窮屈に並んでいた。

 もちろん国立美術学校の教授でもあるのだから、サロンに出品された大作がないわけではない。しかし手元に残るのはそれを仕上げるための試行錯誤であって、その痕跡が下書きや習作でたどられる。サロメのこだわりは興味深い。さまざまなポーズが試作されるが、何と言っても宙に浮かぶ洗礼者ヨハネの首がいい。斬首の残像は生々しいが、宙に浮かぶと神々しい。誰もが思いつかなかったイコノグラフィーではあるが、大衆のポピュラリティーに支えられた通俗性を脱して、宗教画の神秘を取り戻そうとしている。

色彩の聖域 エルンスト・ハース ザ・クリエイション

2019年3月1日(金)〜5月31日(金)

FUJIFILM SQUARE 写真歴史博物館


2019/5/11

 色彩が入ることで陳腐な日常に引き戻されることは、少なくない。現実を越えて、普遍性のある真実に行き着くために、色をなくすのは、原則だったはずだ。ハースの写真を色彩を排して見てみると、とたんに陳腐になってしまう。真っ赤な溶岩のほとばしりは、モノクロにすると、単なる荒波にしか見えない。岩が溶けて水しぶきのように飛び散るためには、この色彩こそが命ということだ。

ユーモアてん。SENSE OF HUMOR 

2019年3月15日(金)~6月30日(日)

21_21 DESIGN SIGHT


2019/5/11

 浅葉克己のディレクションによる企画展。思わずニヤッとしてしまうユーモアを愛するデザイナーのしゃれた視線が冴え渡っている。会場内はモノであふれ、かなり賑やかだ。そんな中で目についたのは、浅葉自身のグラフィックを除けば、久里洋二と福田繁雄、海外ではジョン・ウッド&ポール・ハリソンだった。

 久里洋二のアニメーションを久しぶりに見たが、とてもいい。古くなってはいなかった。平行移動だけの映像なのに、ユーモアの原点をしっかりと抑えている。今なら高度なテクニックを駆使して、躍動感あふれる特撮に仕上げるのだろうが、しょせんはパラパラ漫画の延長にしか過ぎないという自覚が、久里洋二に回帰していくのだと思う。長らく忘れ去られていた名前のように思う。若いディレクターの企画なら、登場すら危ういものとなっていただろう。浅葉ならではの評価が、説得力を発揮している。

 福田繁雄は、ユーモアというキーワードでは欠かせない大御所のひとりだ。その目騙しの原点に位置するエッシャーには見られないのが、ユーモア感覚だと思う。悲壮なまでの空間に寄せるエッシャーの執着を前にして、私たちは驚きはするが笑いはしない。福田はエッシャーを真似るのではなく、パロディとすることで、権威あるものを引きずり降ろそうとしている。

 ウッド&ハリソンとぼけた感覚は、久里、浅葉から引き継がれた系譜だ。おかしいのに本人が笑うことはない。大まじめにやっているように見せかけてはいるが、本当は笑いたくてしょうがないというのが、見えてくるとますます面白くなってくる。スタンダードナンバーとしてバスターキートンも選ばれていたが、マンレイになると、同じスタンスなのに、自虐的に見えるのは、それぞれの時代の立ち位置に由来するものだろう。

トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美

2019年03月20日~05月20日

国立新美術館


2019/5/11

 異文化の驚異を見せつけて、人類の共通部分を展示して比較してみようという試みだ。すべてが異質であって、オープンスペースの西欧的展示概念で収まるものかも疑問だ。角度を持って展示台に乗せられた衣服や織物が印象的だ。人に見せようという造形的感覚があって、偶像崇拝を下敷きにして、西洋美術は成立してきた。こうした概念は、イスラム圏では御破算にされてしまう。

 ウィーンモダンに観客を奪われているだろうと思ったが、私が訪れたときはこちらの方が混んでいた。エキゾチックな見慣れないものを見たいという欲望からだろうか。見方がわからないままにも、はじめて見る驚きがあった。チューリップは相互理解へと導くキーワードになりそうで、ことば遊びを介しながらも、やがてはオランダの国花ともなるこのかたちを文様に埋め込んでいく。

 チューリップはトルコではラーレと言い、綴りの順を変えるとイスラムの神アラーとなり、逆から読むとトルコの国旗である三日月の意味となるのだという。オランダの絵画には、敵対するイスラムを三日月の旗で登場させている。

ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末の道

2019年4月24日(水)~8月5日(月)

国立新美術館


2019/5/11

 ウィーンを主役として、都市の美術史をたどる。パリやロンドンやニューヨークだけではない。都市美を誇る風格の順位づけが可能なら、バルセロナと人気を二分するものかもしれない。もちろん18-19世紀のエドもまた世界の文化都市の最右翼であったはずだが、それに気づいている日本人は少ない。

 ウィーンは江戸の美的成果に早くから気づき、パリにも劣らないほどにジャポニスムを受け入れていく。出版文化と抱き合わせにされたグラフィックの世界だけではない。男女が折り重なるように一体化する浮世絵世界が、クリムトやシーレのイメージによみがえる。それは女性を慈しむ文化だ。レイプや強姦ではない。仲睦まじくまぐわっている姿は、江戸の大らかな春画に反響している。

 都市としてのウィーンの繁栄は、マリア・テレジアとヨーゼフ2世の母子の肖像画からスタートする。女帝の方が一回り大きい肖像画なのが、暗示的で面白い。ハプスブルク家という名家でありながら、異質な奇想を愛する血の本能が、街づくりにも反映する。リンクという今も残る円環道路は、目的地を持たないで回り続ける運命の輪である。外壁を外して拡張した形跡がリンクに結晶する。この回り続ける永久運動は、メリーゴーランドやウィーン名物の観覧車にまで引き継がれて、遊戯空間を演出している。

 ビーダーマイヤーという小市民の平和を歌い上げた時代様式も、江戸の庶民生活のくつろぎを彷彿とさせるところがある。この頃の絵画は香り豊かなものだが、当時フロイトがウィーンで見た夢判断の挿絵のようなモリッツ・フォン・シュヴィントの一連の絵画が、私は好きだ。出品はなかったが、囚人の見る夢や、雨もりのする部屋で傘を差す姿の、柔らかな心情が心地よく記憶に残っている。

キスリング展 エコール・ド・パリの夢

2019年4月20日(土)– 7月7日(日)

東京都庭園美術館


2019/5/10

 壁面のみを使ったゆったりとした展示は、その壁面がキスリングの絵のために準備されていたように、うまくなじんでいる。アール・デコの大正期の美学を称えた洋館の壁面が、エコール・ド・パリの額縁と交感する。その親和関係はシンクロナイズしながら、心地よい美術鑑賞の本来の姿を見せてくれた。ホワイトキューブに一列に並べる不自然を、当たり前のものと思ってきた美術館学への疑問も噴出する。私室の壁に数点の油絵をかけるという今から見ると贅沢な演出が再現されていく。キスリングの生み出す世界は、そうした空間にふさわしく、一堂に会すると、あまりにも強くて作品どうしが反発しあってしまう。

 毒々しいまでの花の香りと、ボーイッシュな少女の表情とは、相容れないものだが、キスリングには両者が同居している。庶民性を維持しながらも異邦人のもつ悲哀が、全面に漂ってくる。少女のつぶらな瞳がいい。丸く見開かれた目は、多くの悲しみを見つめてきたそれだ。モジリアーニのような空洞ではない。しっかりと何かを見すえている。意志の力は自身のユダヤ民族という血の定めをレジスタンスの名で実現しようとするのだ。アメリカに亡命して得た二重の悲哀は、異邦人として生きる身の宿命を、諦めて受け容れる中で、生き残るという生命感を生み出している。

明治150年記念 華ひらく皇室文化 —明治宮廷を彩る技と美—

2019年03月16日~05月10日

泉屋博古館分館(東京)


2019/5/10

 ボンボニエールにまたもや出会った。皇室の香りを伝える小物ではあるが、庶民には手の届かない品格と日本の伝統工芸が今に引き継がれている。小さいけれども愛らしいスブニールとして、記憶の集積が皇室文化をよみがえらせる。明治天皇の肖像が目につくが、一直線に進む国力の増大を下支えしたのは、江戸の庶民の職能だったように思う。柴田是真や宮川香山の名は、工芸を日本人の技の極致として万国博覧会を通じて、世界に知らしめた。

 板谷波山も加わると、単に技巧を凝らすだけではなくて、淡く消え入りそうな湿潤な日本の風土のニュアンスも語りはじめていく。波山が東京美術学校で木彫を学んだ成果ともいえる縄に結わえられた鮭は、珍しいけれども、高橋由一の西洋画とも連動するモチーフの選択に、当時の美術学校を支えた岡倉天心の理念さえ、見え出してくる。

 明治37年のセントルイスでの万国博覧会は、天心の世界舞台へのデビューでもあった。西暦でいえば1904年であり、アール・ヌーヴォーの装飾性が、美術の世界を駆け抜けた時代だ。日本からは超絶技巧を伴った多くの工芸品が紹介された。天心はそこで日本美術の優位を流暢な英語で解き明かしたはずだ。

 合わせてこの時、日本館に若冲の間を設け、鶏の氾濫が企画されているのが興味深い。今日再評価されて江戸絵画の第一人者となった伊藤若冲ではあるが、欧米の人たちが先に目をつけるきっかけが、この時点からということになる。けばけばしいまでの装飾美は、アール・ヌーヴォーのエキゾチシズムと見事に調和して、その後アメリカで展開するアール・デコとも対応する。

 絵画ではない。綴織にして工芸化することで、若冲のもつキッチュが装飾と化している。それはバロックからロココの美意識に近く、アメリカがこよなく憧れたヨーロピアンスタイルの典型だっただろう。金糸で縫い込められた豪華な装飾は、黄金の国ジパングの名声にふさわしいものとなったはずだ。それが皇室文化と結びついて、西欧世界では理解されていっただろう。

 東京国立博物館での平成と令和の皇室をめぐる美術品のお披露目は、国をあげての事業としたが、泉屋博古館も同調して、一役買ったというのが興味深い。泉屋(せんおく)とは住友コレクションのことだが、政界だけではなく、財界と皇室との融和関係も見届けなければと思って、展示品に目を凝らすことにした。

横浜美術館開館30周年記念  Meet the Collection —アートと人と、美術館

2019年04月13日~06月23日

横浜美術館


2019/5/10 

 開館30年、15000点からのセレクションである。所蔵品展とはいえあなどれない。束芋(たばいも)からのスタートだが、妊婦を逆さに吊るした月岡芳年の縛り絵のイントロでドキッとする。コーナーをうまく使った映像のだまし絵効果が冴えていた。レオナルドが最後の晩餐で試みた天井や床の現実の線が、画面上の線と一直線でつながるトリックは、絵画のメインストリームを行く風格さえ備えている。ソファのひじ掛けの一部だけを壁から突出させて、投射する映像と溶け込ませる手法も、ルネサンス以来、面白がらせてきた効果だ。実空間と虚空間の交わる位置に、絵画の深淵が顔をみせる。

 今回目についたのは、束芋の新作を含め、横浜美術館で現代美術の核を成す作家が新作を提供していることだろう。菅木志雄(すが・きしお)と淺井裕介は、大規模なインスタレーションで、見事な打ち上げ花火となっている。つまり収蔵品というこれまでの美術館の概念に揺さぶりをかけるということだ。作品を購入するというよりも、作者自身を買っているという感が強い。

 「再制作」という概念がかつて話題になったことがあった。大正期の前衛運動でアクションが作品そのものを上回った頃に活動をした生き残りの作家たちに、当時を思い出しながら再制作をしてもらうという企画だった。そんなもの、何の値打ちもないという否定論者も多かった。作者が存命のうちに記憶を絶やさないでおくというのは、ヒロシマの生き証人たちの立場と似ている。形だけを再現してとどめるという発想は、ミイラを作り続けたエジプト文化の名残りでもある。キリスト教や仏教に支えられた価値観からは生まれないものかもしれない。

 以前、斎藤義重の作品購入に、学芸員として立ち会ったことがあったが、作品自体は木材を黒く塗りつぶした、いわば木切れに過ぎない。作者がそれを組み合わせて展示するというのだが、その日の気分でさまざまなスタイルを取る。その頃の作者はすでに80歳を過ぎていたが、作者の指示に従って取り扱い画廊の職員が展示にあたる。それも含めての作品購入なのだと理解していた。

 菅木志雄の旧作が美術館前で屋外展示されていた。木は年輪を経て朽ちている。その風雪がとてもいい。館内には展示室をまたがって木組みが広がり、増殖する樹木の生命感が、板切れになってもまだ内在しているかのように、伝わってくる。永遠不滅というものはなく、常に変容し続けるのだというメッセージがある。

 木切れは解体すれば、また組み立てることができる。木は再生の美学を語るが、淺井裕介の壁画はそういうわけにはいかない。にもかかわらず開催前の2週間をかけて、大勢のボランティアも増員しての制作となった。もちろん残されるのは記録映像で、壁画は会期が過ぎれば消滅する。美術館という新陳代謝の激しい空間の宿命だろうが、それは剥がすには惜しい労働力が結集されている。

 太陽の塔は壊すには惜しいと言って残されたが、多くの博覧会や芸術祭のパビリオンは、仮設の思想を宿して出来上がっている。つまり壊しやすいことを前提としているということだ。その場限りを精一杯生きればいいという、潔さの美学を下敷きにしたものだ。これもまた木切れ以上に美術館を悩ませるが、催し物会場という割り切りをすれば、鮮やかな展覧会を演出してくれる。つまり過去の回顧展ではないのだという、アートナウの現場としての美術館論を語ってくれる。

 単に30年の回顧展だけにはしたくないという思いが伝えられる。博物館と美術館との差別化を意識した時、2019年の制作現場の紹介は、美術館の選択が間違っていなかったかの証明にもなってくれる。常設展の料金を上回る設定の意味はそこにあるのだと思う。

瀬戸ノベルティの魅力—世界に愛されたやきものたち

2019年03月16日~06月02日

兵庫陶芸美術館


2019/5/3

 古いものではないが、新しいとも言えない。時代を超越して18世紀ロココ宮廷の美意識が、変わらず今を演出している。それを現代のことばで「かわいい」と言い直してもよい。18世紀のものだろうと思って、制作年を見ると1950年代だったりする。陶芸は肌の艶からは年齢がわからない。「やきもの」がもつ年齢不詳という特性を、隠すことなく正直に語って見せる。

 ノベルティという名のもつ「目新しさ」という語義の本質は、珍奇なものという、まがい物のもつ悲哀を伴っている。見せかけの空々しさを感じるのは、誰もがわかっていながらも、堂々と世紀の特性を胸を張って語って見せる。大嘘をつく鮮やかさと言い直してもいいだろう。西洋からやってきた日本人を魅了するやきものと、黙っていれば誰もが思うはずだ。

 本当は逆だ。ノベルティとは瀬戸で焼かれた西洋向けの輸出品である。日本人が考えついた西洋人の男女の語らいであって、西洋人でさえも欺かれるとすれば、すでに忘れ去った古き良き宮廷文化のノスタルジーを下敷きにしているからだろう。雅びなる宴を思わせる物腰は、ワトーの絵に登場するもの悲しい響きをたたえていて、日本人が即イメージするとすれば宝塚歌劇ということだ。なよやかなのにキリッとしている男装の麗人がそこにいた。この芝居がかった空々しい演出が、キッチュな想像世界を作り上げている。ノベルティが珍奇なという意味を宿す言われでもある。

 超絶技巧はレースを埋め込んだ薄い土の焼き締めにある。明治以降の日本が得意とする持ち味だ。さかのぼれば江戸時代より西洋に向けて輸出してきた伊万里焼の末裔である。西洋人を喜ばせるために、そこまでけばけばしくする必要があるのかという装飾過多なキッチュな様式を作り上げてきた系譜をたどることになる。

 安物のやきもののことを一般に「せともの」と呼んでいる。瀬戸はそれを逆手にとって世界に羽ばたいた。日本人の目につかないようにという配慮をしていたが、見つけ出して面白がった者がいた。今回見ていてこれはいいと思って所蔵先を見ると横山美術館とあった。名古屋にあるのは知っていたがまだ訪れたことはない。ひとつ興味の範囲が増えた気がしている。

五大浮世絵師展 —歌麿・写楽・北斎・広重・国芳

2019年04月20日~06月16日

兵庫県立歴史博物館


2019/5/2

 このところ浮世絵の展覧会がやたら多いのはなぜか。疑問を呈しながらも、見ているとそれなりの歴史の年輪を感じ取り、日本文化万歳と言いたくなり、危険な部分も多い。落とし穴に気づきながらも、浮世絵の豊かな感性の虜になってしまう。江戸の庶民性を享受するのは、デモクラシーの理念から言っても問題はないように見えるのだが、一方で支配者側から見ると、牙を抜いた穏やかな羊の群れのいだく檻の中の自由と言えなくもない。

 今回のタイトルで五大浮世絵師と呼ぶのは、歌麿からはじまり写楽、北斎、広重、国芳と続く。人物画が破綻をきたし、風景に視線を移し、やがて奇想へと陥る経過が、江戸末期の動乱を予感する空気感の中で、みごとにイメージとして写し出されている。

 歌麿は周到だ。研ぎ澄まされた感性の中で、庶民の心をつかんでいる。ワイングラスを手に腕まくりをする娘の仕草がいい。タイトルには「教訓親の目鑑ばくれん」とあり、親のメガネに写った不良娘の何気ない一瞬をとらえている。未成年の酒好きには困ったものだが、娘の表情には屈託はない。春信の描く、人妻なのに純情な少女のような時代は過ぎて、女へと成熟に向かう頂点にあって、さまざまな小道具を駆使して、女を描き切った。透けて見える衣装の空気感は、木版画の技法に支えられて、超絶技巧と呼んでいい。

 さらなる超絶は北斎から広重に続く風景描写に見出される。空気の階調を木版画で、みごとに実現している。白から青へと変化する空の階調に区切りはない。絵師を支えてスターダムにのし上げた彫師や摺師の超絶は江戸の年輪が支えてきたものだ。この成熟には幕府の統治200年の平和が必要だった。

 北斎も広重も美人画からはじめているが、風景画に移行したのは、自身のオリジナリティというよりも時代の嗜好だった。時の感性を視覚化するのに敏感な嗅覚を備えていたのだと言える。風景と言えども風物誌であって、常にそれを見つめ、そのもとでの生活の営みがある。広重の白梅は空を染める夕焼けの前で紅梅となっている。

 同じくゴッホが愛して油彩で模写までした夕立ちの情景は、大河にかかる橋を通してパリに劣らない大都市の姿に目を見張ったからだろう。しかもこの都市には季節感が息づいていた。都会の喧騒を逃れて、はじめはバルビゾンへ、やがては南仏やタヒチにまで向かうには至っていなかった。

 小さな紙面を油絵で模写をするという本末転倒には、西洋の技法でこの空気感を実現したいという思いがあったはずだ。ゴッホはとりわけ油彩画を発明したオランダ人なのだということに改めて気づかされる。白梅を紅梅に変える巧みな空気の表情は、印象派が求め続けたものだった。

 浮世絵のみが印象派を誕生させたというのは日本の傲慢にすぎないが、世界の大都市にまだ季節感を残す地があったのだという驚異が下敷きにされている。浮世絵はそれを知る手軽なメディアだったということだろう。そんな平和な日々に亀裂が入るのは、北斎の漫画や化け物をへて国芳の登場によって確認される。写実主義の破綻は、武士の家計簿が立ち行かなくなったという現象の一側面だろう。

 これまで国芳以降の浮世絵師を抹殺してきた美術史の欺瞞がある。本展の前身は国芳を外した四人を集めた好評の展覧会からだった。出どころは中右コレクション、浮世絵収集の雄である。膨大なコレクションにはまだまだ未知との遭遇を含んでいるだろう。国芳を名指してもこれだけ出てきたのだから、絵師の数だけ作品があるということだ。

 さまざまに組み合わせて展覧会が構成できる愉快を思いながら、そのためにはいつ訪れるかもわからない評価を待って待機する、収集保存という執念を思わずにはいられなかった。

 写楽を無視しているわけではない。あまりにも凄すぎて、語ることばが見つからないだけのことだ。世界に何枚かしかないという写楽の希少性が当たり前のように、中右コレクションには並んでいる。歌麿が人物を大写しにして、それでも小道具を駆使して日常性に溶け込ませたのに対して、写楽の大首絵は首だけだ。小道具を描くにも、手は退化してしまって、モノも握れないほど小さく申し訳程度に描かれている。顔の表情だけがすべての生命線であって、モノに頼らない心理劇へとたどり着く。人物表現としてはこれが最後となる。屋外の遊楽図からはじまった浮世絵の歴史は、顔にたどり着いて終末を迎えた。しかし写楽が人物画の究極の成果であることは確かだ。

チームラボ 世界は暗闇からはじまるが、それでもやさしくうつくしい

2019年04月20日~06月16日

姫路市立美術館


2019/5/2

 暗くて鏡もあるので、気をつけないと鑑賞できない。年寄り泣かせなので、さすがに子どもが多い。チームラボは3度目になるが、はじめての驚きはない。人混みに流されてあっという間に出てきてしまった。壁いっぱいに引き伸ばしているからか、画質はよくない。波のうねりの迫力も、音を伴わない限界を、感じてしまう。

 映像の未来は、豊かなものと期待しているが、中途半端な薄明かりが画面をぼやかせてしまう。絵画のぼかしのような深みがなく、光が漏れているという印象が先に立つ。若冲の極彩色インコやゾウのエキゾシズムはすでに見たことがあったし、波の荒れ狂うダイナミズムも、見飽きた感がある。次に何を期待しているのかと自問しながら、映像の将来に思いを巡らす。美術館でやる限りは、美術としてぶつけているということだろう。

 観客動員数では十分に勝利を得るにちがいないが、どうしても造形力を比較してしまうのは、致し方ないことだ。見終わったあと、無料コーナーで松岡映丘や小野竹喬や竹内栖鳳の日本画に接し、さらに常設展示でクールベの「波」を前にした時、まだまだ絵画は健在だと感じてしまった。

 琳派から若冲へと続く現代のブームを背景にして、映像のジャポニスムを取り込んで、圧倒的なコンピュータグラフィックスの勝利を宣言してみせる。大衆の支持基盤は、いかにリピーターを育てられるかだろうが、目先を変え続けるのではなくて、同じものを繰り返し見る中で満足感と充実感を得られるものが、現代の映像と言えども、名作ということになるのだろうと思う。

 一度の驚きがその場限りで終わらないためには、芸術の古典から脈々とつながる創造力の系譜にゆだねなければならないだろう。少なくとも美術館での展示というからには、身をもって美術史に加担しようとしたわけだ。

 日頃の壁面展示を、ガラスケースも不要の暗室にしようというのだから限界はある。ホワイトキューブはオールマイティではないが、美術館を遊園地に変えてしまって、美術館の将来像を安泰とするのは、あまりにも安直だろう。

 多くの人が壁に手をかざして反応を確かめようとする。鑑賞から参加へという開かれた美術館の将来像は理解できるが、そうした手を見渡しながら、現世利益を願って手で触れようとする新興宗教にも似た喧騒を感じ、美術鑑賞とはかけ離れた違和感が残った。ゴールデンウイークの真っただ中にくるのが間違いという一言につきるか。

ジョージ・クルックシャンクのオムニバス展

2019年04月06日~05月26日

伊丹市立美術館


2019/4/30

 あまり見る機会のない挿絵の文化的精華にふれたような気がする。伊丹市は奇妙なコレクションを持っている。安上がりで大量に収集できたからだろうか。公立美術館が質より量をめざすなかで、これまで見落としてきた美の形に出会う。バブル期を経験した一点豪華主義の反動でもあるのだろう。地方の公立館がミレーやピカソやモネといったビックネームに浮かれた円高差益の時代、兵庫県は版画と彫刻というマイナーな収集を展開することで、絵画優先の画廊美術館のスタイルを一新させようとした。

 伊丹市にもそんなフロンティア精神が感じ取れる。ドーミエ版画を収集するのがコレクションの充実をめざした当時の公立館の定番だった。東京の画廊が一手に引き受けて、全国にドーミエをばらまいた時期があった。クルックシャンクを見ていると、その延長にあるようで、ついついドーミエと比較してしまう。

 万国博覧会の何気ない一コマも、ドーミエの好みのテーマだったが、パリもロンドンも万博に熱狂した頃の時事的テーマとして一致する。世相風刺も共通していて新聞や雑誌の挿絵という今日のグラフィックの源流をなす。当時の新聞を切り抜いて額に入れて何万もするのはおかしいと感じながらも、私自身も印刷物が美術品になる現場に立ち会っていた頃である。

 クルックシャンクに目をつけたのは、先見の明があったと思う。今では貴重なコレクションとなった。時おり常設展示で並べることで、異次元の異空間に出会える。地元ゆかりも必要だが、地域に密着しない手軽な海外旅行も住民は求めている。しかもほとんど知られない文明大国の過去の一コマに触れられることは、好奇心をかきたてるものだ。ことばや慣習に落差があって、注釈ぬきでは理解できないハードルはあるが、異文化理解とはそんなものだ。時間をかけてクリアしていくしかないのだ。

 今回の展示も見ごたえは十分すぎるものがあり、解説文も充実し、途中までしか根気が続かなかったが、それほどに西洋文化の壁は厚いということだろう。20センチほどの版画世界を拡大してチラシやポスターに用いられた一点のディテールは魅力的で、版画世界と同時代の世相と群衆のパワーが集約された、優れたディレクションだった。私もこのセレクションに誘われて伊丹まで足を運んだ。常設展の入館料240円に対し、なかなか交通費をかけようという気にならないのがネックではある。

文房四宝—清閑なる時を求めて

2019年04月06日~06月30日

大阪市立東洋陶磁美術館


2019/4/30

 文房具が工芸品だという認識は、東洋美術の領域にはあるだろう。イタリアではそれはデザインの一部なのだろうが、同じ文明国とはいえ、文具に寄せる思いはいくぶん異なる。精神性を強調のあまり宗教くさくなってしまうのもどうかと思うが、筆、墨、硯、紙が究極の美を求めようとしている姿は、名品が並べられ、それらが互いに火花を散らしあう中で見え出してくる。

 今ならペンも鉛筆や消しゴムもすでになく、ペーパーレスを前提として、手に触れる実感からも遠ざかっている。イタリア人がタイプライターをデザインした時、線を引くという身体性が内包する農耕的性格を脱して、タップする工業的身体性に移行した。すでにそれはバレエの誕生とともに予想されたものであっただろうが、18世紀を通じて産業革命に埋没してしまい、バレエは見せかけの優雅さを装うことになる。人工化された自然は、農耕からは遠のいて都市に咲いた悪の華を高らかに歌い上げていった。

 畝を引くように線を引き、墨を摺る。この単純な繰り返しの中に、精神修養や宗教ではなく芸術を、身体性のもとで見出せないかと考える。造形芸術が身体芸術に置き換わる。墨はみごとな固形として造形性を有するが、摺るという行為を通じて燃焼し、パフォーマンスの中に姿を消してしまう。もちろん未使用の墨は美術品ではあるが、書の本質はパフォーマンスにあることを思えば、美術は二次的な付属品でしかありえないだろう。燃焼して炭になり、また固めて墨となってよみがえる。この自然のサイクルの中でつかの間の文房四宝が、時の狭間を埋めていく。

明恵の夢と高山寺

2019年03月21日~05月06日

中之島香雪美術館


2019/4/30

 鳥獣人物戯画は甲乙丙丁とあり、甲巻が有名だが、展示期間を過ぎていて、丙丁巻のみの鑑賞となった。薄暗い仏画も多く、画集や映像での鑑賞のほうが、見ごたえがあるのは言うまでもない。それなのに多くの観客を動員できるのはなぜなのだろう。不思議な気がする。

 明恵の見た夢の話は興味深いが、それをしたためた文書をいくら並べられても、読めない文字の羅列に過ぎない。香雪は朝日新聞の創業者の美術館だからイメージよりも文字に目が向くのは当然なのかもしれない。そんな中で明恵の名高い肖像画だけは、値打ちがあった。

 目をつむって夢を見ている。明恵のまわりを取り巻く草むらがいい。現実を越えた非日常が張り巡らされていて、複雑に絡まった思考の軌跡を追っているように見える。夢を具体化するものではないが、夢見る人を的確にとらえた描写力が冴えわたっている。

 この一枚の味わいに気づくために何十年もの間、見た夢を記述し続けなければならなかったということだ。明恵に文才ではなく画才があったならと思ってしまう。夢を絵にするという20世紀の実験を、つむった目の表情が先取りして見せる。それは盲目の鑑真像でさえある。

 この絵は教科書にまで出てくるものなので知ってはいたが、大して魅力も感じないまま今日まで来た。はじめて現物を前にして、深い年輪が刻まれたイメージの結晶なのだと感じた。樹上にあぐらを組む明恵の不可解な浮遊感も、非現実に広がる樹枝の無重力も、目を閉じた明恵の複雑な表情も、これまで不自然の一言で断じてきた疑惑が、一気に氷解したひと時だった。

 鑑真像の味わいを支えているのは、盲目になりながらも日本への仏教伝来を使命としたという生涯の軌跡だった。度重なる難船の末にたどり着いたという事実がこの一体の肖像彫刻に結晶しているのだろう。見つめることのできない明恵の目のありかを探りながら、しばし一幅の絵を見つめてみた。

四条派への道 呉春を中心として

2019年04月06日~05月12日

西宮市大谷記念美術館


2019/4/30

 文人画を描かせては浦上玉堂のような気取りはないし、禅画を描いても白隠ほどの気迫はない。しかしどれもこれもそつなくこなすことができる。この能力を西洋ではマニエリスムと呼んでいる。マニエリストはアーティストとしての独創性は欠けるが、教育者としては信頼を置かれる。呉春というのはそういう人物だったような気がする。

 このところ岡本豊彦や河野楳嶺の作品を見る機会が多く、強く惹かれるというわけではないが、私自身は信頼感をもって接している。呉春を前にして、それらは師から受け継がれた資質だったのではないかと思った。強くアピールしないということは、悪いことではなく、邪魔にはならないという価値観は貴重だ。

 時代の感性というものがある。維新の動乱にはまだ早いし、江戸文化もどっぷりと浸かってもはや新鮮なものとは思えなくなった。そんな時期にあって、目を引かないもの、空々しくないものが、発掘されてくる。一年中掛けていても気にならない絵画を求めることは、絵画を消耗品ではなくて、備品と見るということだ。新陳代謝を拒否することは、芸術の本道を行くものでもある。

 背中を向けた芭蕉と其角がいる。英雄や有名人であっても、何気ない市井の人として庶民の視線に溶け込ませること。とぼけた顔だちがユーモラスな場合も多いが、面と向かうことを避けて、何気ない視線を送ることで、デモクラシーは完結する。四条派のスタンスが好きだ。

企画展にみる10年の成果 美術館を紡いだ作家たち

2019年04月09日~06月16日

BBプラザ美術館(神戸)


2019/4/25

  小さな美術館だが10年の歩みをコンパクトにまとめたダイジェスト版で、前後期に分けて開催される。ローカル色のある美術館だが、必ずしも神戸ゆかりにはとらわれていない。伝統と前衛、抽象と具象の対立にはこだわりはなく、偏見のない個の主張を基準とした作家セレクションの10年だったと思う。

 前期の展示は西村功のパリ風景からはじまる。佐伯祐三の影響は感じ取れるが、西洋文化の重圧を肌で感じているわけではない。西洋の伝統に対峙した、それ以前の東洋の若者が見せる強い使命感はここにはない。日本を背負ったエリートのひ弱な息苦しさは、パリの裏通りの壁面と共鳴しあったが、ここでは人が移動し、日常生活が移り変わるメトロの情景に目が向けられる。軽やかなリズムに支えられた肩の張らない都市風景という点で、神戸の風土にはふさわしいアプローチだった。

 展示室内は須田剋太の骨太の風景画が、菅井汲の軽快な抽象と対比をなしている。辰野登恵子は先日名古屋での個展とは異なり、存在感のあるフォルムの完結が目につく。二本足に高さの異なったサポーターを巻いたように見える2000年作の油彩画がいい。抽象なのにフォルムの具体を喚起する。古いのに新しい絵であり、絵画とはこういうものだという確固たる信念がうかがえる。

 高山辰雄はこの場には異質な感じがするが、魅力的な人物表現であることに違いはない。日本画のビックネームが一枚加わっても何の問題もないが、それが東山や平山ではなく、高山だというのがとてもいい。神戸なら東山魁夷をセレクトするのが定番ではあるのだろうが、そんなしがらみを脱しないと自由な企画は生まれないだろう。

 網谷義郎の人体が残り続ける抽象絵画と上前智祐の四角の集積も独自の絵画世界を生み出してバラエティを加えていた。締めくくりは石井一男の少女像だった。真正面からとらえられ、太い輪郭線に縁取りされた半身像で、ルオーの聖母や華岳の観音を思わせる宗教性を伝えるものだった。同じ人物を繰り返し納得のいくまで描き続ける姿が思い浮かび、円空仏の誕生になぞらえたくなってくる。

 以上は前期の展示だが、後期の人脈も脈絡を欠く。何人か見ておきたい人名が並ぶ。そして来てみて知らない画家と出会うことになるだろう。この10年、次々と目先を変えながら展覧会を運用していったということだ。そんな軌跡がよくわかる。まとまりのないことをバラエティと称するが、コレクションにとって必要な要素でもある。

106歳を生きる 篠田桃紅  -とどめ得ぬもの 墨のいろ 心のかたち-

2019年4月13日(土)-6月30日(日)

高梁市成羽美術館


2019/4/24

  1950年代のギスギスした丸みのない書がいい。突き刺さるような尖り具合を見ていると、朔太郎の詩と同調して、書は決して人格者の領分ではないのだということがわかる。柔らかい丸文字文化の現代にあって、流れるようなかな文字の女性らしさの不文律を告発する前衛精神が、何よりもいい。

 あるものはポロックと連携しているし、キルヒナーの研ぎ澄まされた感覚の冴えも伝わってくる。ともに短命で終わった画家であるが、100歳を越えて生きていたならと想像したくなる。前衛書家からはじめ、百歳を越えて穏やかな抽象絵画にたどりついた篠田の歩みは、八方に敗れ、四方に飛び跳ねる、行方の定まらない無数の鋭利な線が、一本の太い線に行き着く旅程だったように見える。

 とんでもなく太い筆で引かれた線は、絵画ではふつうは面と呼ぶ。四つの面だけで構成されたキャンバスは、抽象絵画と呼んでもよいが、素材が墨であるだけで、それは書家の仕事となる。そして面を線だと言い張ることもできる。目を近づけた時のかすれや滲みは、和紙へのこだわりが残るが、金地や銀地を使うことによって、油彩画の発色に殉じようとする。

 金地に一本の線が引かれるだけで、絵画は完結する。無数の平行線を縦に連ねると、まるで天に向かって群生する竹藪のように見えてくる。それを箔にのせたとき、箔の切れ目が規則正しい竹の節をリズミカルに再現していく。竹林はあくまでも書のテリトリーだ。

 「永劫」と題した金地の一点に出会った。銀地に描かれた「一瞬」と対になる作のようだが、こちらのほうが圧倒的にいい。反射でちらつく金地の表面に永劫の文字を探すが見つからない。つまり書ではないのだ。横長の画面の中央に縦にまっすぐ一本の白い線が引かれている。この長い線がロウソクの炎であることに気づくのは、炎の下にロウの先端部が四角く描き加えられているからだ。白い線を眺めなおすと、頼りなげな軌跡であるにもかかわらず、必要以上に長く引き伸ばされていることに気づく。機能上は極端な横長の画面を二分割するとしか見えない頼りなげな線が、永劫を語る文字となっている。永劫は永遠ではない。音の響きから、業(ごう)を引きずり続ける宿命の類語でもある。

 ロウソクの炎は、多くのキリスト教絵画の定番として君臨してきた。ジョルジュ・ド・ラトゥールの宗教性は、敬虔な祈りの中で永遠に静止する時の神秘を教えてくれたし、日本では高島野十郎がそれに続いた。そうしたモチーフの延長上に、篠田の永劫がある。ロウソクは2012年、百歳のアニバーサリーの象徴だった。

 作品を前にした写真が数多く残されているが、すべてが和服を着こなしている。一枚だけの例外は、リトグラフの制作風景だったが、ファッショナブルでスタイリッシュな容姿は、それぞれがみごとに絵になっている。百歳を越えての筆を握る姿も、ポロックの残像を見るようで、アクションペインティングの時代の人だと思った。「かわいい」という現代の女性観とは対極にあることは確かだろう。ポップの軽薄さに警鐘の音が聞こえてくるようだ。

荒木悠展:LE SOUVENIR DU JAPON ニッポンノミヤゲ

2019年04月03日~06月23日

資生堂ギャラリー


2019/4/20

 岡山で見た映像が秀逸だったので、機会があれば、また見たいと思っていた。資生堂ギャラリーの天井の高い地下の空間をうまく使っての映像インスタレーションだった。明治はじめの日本文化を海外の目を通して見るというのが、一貫したテーマのようで、これは岡山で見た映像にも通じるものだ。そこではキリシタンが伝わった桃山時代を下敷きにフィクションが組み立てられたが、干しダコが串に刺されて並ぶ光景を、キリスト教徒の殉教図に見立てた発想は、あっと驚くものだった。今日は明治の鹿鳴館のワルツと、京都、日光、江戸を訪れたフランス人の驚嘆が下敷きにされている。

 ピエールロティの文章に合わせて映像を構成していく。江戸は東京の現代に置き換えられ、ユーモラスな編年が築かれていく。鉄道馬車に乗るというフレーズに添えられた映像では、地下鉄がホームに入ってくる。鳩の群れの喧騒が語られる江戸は、浅草を行き交う人の群れに、踏みつけられないように逃げ惑う一羽の鳩で置き換えられる。飛ぶこともせず人波をかき分ける鳩に、思わず笑ってしまうが、鳩にとって住みにくい街になってしまったということだ。日光にまつられるのが、イエヤズというカタカナ表記で出てくるが、ここでは家康はイエズスキリストと重ねられていて興味深い。このフランス人が日本人の精神を探り当てる中で、日光に目が向いた点は見落とせない。森に囲まれた神聖に突如登場するキッチュな世界。現代のけばげばしいまでの原色が写し出されている。ブルーノタウトが導かれた桂離宮とは対極にある。そしてそれは京都・日光・江戸と三本の戯作を並べた映像作家の意図でもある。よくできた歴史的検証でもあった。

 ウィンナーワルツの映像作品も実に面白い。解説をパンフレットに掲載しているので種明かしはされてしまうが、映像だけを見ていると、もっと面白い。男女はワルツの相手なのだが、手にはアイフォーンを持っていて撮影をしている。画面に何が映っているかはわからない。相手を撮っているように見えるが、自撮りであってもよい。スクリーンはふたつある。それを写しているカメラはどれなのかという疑問が浮上する。男女の2台に加えて、さらに2台の本格的なカメラがスクリーンに登場する。一方は手持ちの移動カメラだが、他方は固定されている。スクリーンにはカメラは映らないはずだから、画面は切り替えられながら合成されていることになる。

 しばらくして気づいたのは、スクリーンの一方は壁面だが、もう一方は天井から吊り下げられていて、表裏両方に写されていることだった。しかも薄いスクリーンは、裏が透けて見える。二重露光でイメージがかぶされ合成されていると思ったが、単に裏が透けていたということだ。そして解説によると、男女はピエールロティと舞踏会で相手をつとめた日本女性で、芥川龍之介の小説を下敷きにした創作である。それぞれ逃げる相手を撮って、吊るされたスクリーンの表裏に写し出されていたのである。

 この解説が本当かどうかの検証をしたわけではないが、ひとつの解釈に過ぎないと考えたほうが面白い気もする。「去年マリエンバート」で以来、近くは「カメラを止めるな」まで、その映像は誰の目に映っているものかという問いかけを通じて、映像はいつも謎めいた魅惑を提供してきた。マンチスクリーンは、マルチカメラによって、一対一対応の原理を外れて、鑑賞者の自由に委ねられる。

 オリンピックが近づいている。マルチカメラの力の見せどころである。野球中継がいつの頃からか、ネット裏から外野席にカメラが移動した。単なるカメラの性能の向上だけの話ではなかったように思う。キャッチャーのサインが見え見えの中、野球自体も映像とともに変わっていっただろう。荒木悠の歴史学は今後も目を離せない。次回は野球ネタの日米文化交流史が飛び出すかもしれない。

林忠正 ― ジャポニスムを支えたパリの美術商

2019年2月19日(火)~5月19日(日)

国立西洋美術館


2019/4/20

 文化交流の知られざる貢献者として、その足跡を追う。文化人というよりも美術商という立場のためか、見過ごされてしまったような気がする。松方や大原の名が、実業家でなくて画商であったなら、今日のようなコレクションの位置づけにはなっていなかっただろう。死後に散逸した林コレクションの全容も、いずれは再構築しなければならないだろう。

 富山県高岡の人であり、私は30年以上も前のことだが、岡倉天心との関係で調べたことがある。当時、高岡市立美術館の定塚館長だったと思うが、林忠正の筆跡を問い合わせた覚えがある。天心が文部省からの命を受けて、フェノロサと連れだって、一年をかけてのヨーロッパ視察旅行をしたことがある。そのときにフランスで主なる美術館を素通りしてフィガロ紙に書き立てられたことを、洋画家の小山正太郎が知っていて、その記事の翻訳が小山家に残されている。しかし筆跡は小山ではない。

 天心に敵対する勢力の誰かが小山に教えたはずだが、それは誰だろうというのが疑問だった。その頃パリにいて新聞を目にした可能性として、松岡壽なども当時の岡山県美の学芸に問い合わせたのだが、林でも松岡でもないという結論を、その時は出したはずだ。今日は林のオリジナルの筆跡をはじめて見ることができた。漢字にカタカナの混じる筆跡を前にして、似ているような気がしてきている。

 あの頃は書体を食い入るように見た記憶があるが、今は並べて見比べることもできず、単なる思いつきに過ぎないかもしれない。しかしライバル関係にあって洋画を目の敵にする天心の悪口を小山に提供していい立ち位置に、林はいたような気もする。一方で日本美術の優位を説く旅行中の天心自身とのコンタクトも可能だったかもしれない。

 フィガロ紙も翻訳には日付けが入っているが、その後マイクロフィルムを取り寄せてその前後の日も調べたが、原文は見つからなかった。その後の研究動向については知らないまま、40年近く経過したということになる。あの頃はバブルの全盛期で、今と似てジャポニスム熱が沸騰した時期でもある。林忠正の名はその時浮上したが、やがて忘れられていった。今回の展覧会は日本経済の発展に同調して、再評価をめざすものなのだろうし、私にとって懐かしい駆け出しの学芸員時代を思い出させてくれるものとなった。

国立西洋美術館開館60周年記念 

ル・コルビュジエ 絵画から建築へ—ピュリスムの時代

2019年02月19日~05月19日

国立西洋美術館


2019/4/20

 ピュリスムはキュビスムのようには美術史上の評価は受けているわけではない。しかしそれが叫ばれる理由はよくわかる。コルビュジエが友人の画家と旗上げをしたのは、キュビスム全盛への反発からだった。絵画史ではキュビスムの評価は燦然と輝いている。しかし八方ふさがりになって絵画の殻に閉じこもることにもなってしまう。ピュリスムを開始した1918年頃のコルビュジェの絵を見る限りでは、楽器や食器による静物画の扱いは、キュビスムの影響下にあることは確かだ。レジエやブラックに類似して、それほど独創的ということにはならない。

 キュビスムは徹底して遠近法を解体したが、建築家たるコルビュジェにとっては、遠近法を無視しては、自己の存在理由を否定することになってしまう。絵画にはキュビスムには見当たらない影が描きこまれている。キュビスムふうでありながら遠近法に立脚することは、絵画を日常空間に解放することを意味する。自律をめざす絵画論ではなく、芸術の他領域と共闘を組むことになる。建築は代表的な日常性に根づいた芸術だ。アール・ヌーヴォーほどに大衆的ではなく前衛性を保ちながら、総合芸術の方向を模索したということだろう。

特別展 御即位30年記念 両陛下と文化交流 ― 日本美を伝える ―

2019年3月5日(火)~4月29日(月・祝)

東京国立博物館


2019/4/20

 又兵衛の小栗判官が出るというので楽しみにしていた。皇室所蔵の古美術が満載されるものだと勘違いしていたようでがっかりする。又兵衛も思ったほど名場面ではなく、長大な絵巻のはずなのに、ものたりない印象をぬぐえない。常設展の延長という感じだった。

 ボンボニエールというフランスの小さな菓子入れは面白く見た。銀製の工芸品に入るのだろうが、職人芸の細やかな息づかいが見事に伝えられている。

 同じ金属工芸の妙は、明治はじめの「自在置物」に息づいている。今日の常設展にもセレクトされているが、蛇は何度見てもあきない。自在に動くようなので、見るだけではなく、手にとって動かせてみてはじめて体感できるものだろう。蛇のくねりはその後の竹細工のおもちゃにも受け継がれていく。カマキリやエビなど、かたちの驚異に目を見張る好奇心に特化されていき、純粋な芸術性を前面に綴る美術史からは遠ざけられていったが、近年の超絶技巧ブームとともに再評価に至った。見せかけのタケノコやミカンの展示も、私はこのところずいぶん見ている。

 現在の特別展は東寺をメインとするが、これはあらためてゆっくりと来る必要もありそうだ。わざわざ東京まで足を運ばなくても、東寺に行くほうが近いこともあり、今回のセレクトとなった。観覧料が少し安めなのであやしい気もしていた。

 上野の国立三館は特別展は1600円と高めの設定だが、常設展を含んでの料金なので、入館者の常設展分をスポンサーの新聞社から請求する仕組みなのだと思う。観客側から言うと見る必要のない常設料金を払わされているということになる。時間がないので特別展だけでいいという選択肢はない。常設展だけの選択は可能で500円ほどなので、どんな特別展が来ても、常設展のほうが質量ともに見ごたえはある。

 今回は自在のあと久しぶりに陶芸を丹念に見た。桃山から江戸初期の陶芸の名品を集めた特別展は各地で開かれているが、東博の常設だけでも十分対抗できるものはある。おまけに写真撮影も可能だし、空いているのが何よりだ。思考する時間があるということだ。まずは仁清に目が留まった。色絵ではない黒々とした見事なロクロである。透かしのある道八の春の宴を思わせる色絵がいい。シンプルな美濃の平鉢は、日本美を誘いにくる。朝鮮唐津の二段に色分けされたぼかしとかすれが、分かち難い文化の往来を象徴し、一つの色調に交わろうとしている。その境界線のあわいは20世紀にマークロスコが追及するものでもあるのだ。いつも駆け足で通り過ぎる常設展示に目を向けてくれたのも、天皇在位30年の賜物だったかもしれない。

大石芳野写真展 戦渦の記憶

2019年3月23日(土)~5月12日(日)

東京都写真美術館


2019/4/19

 ひとりひとりの取材を積み重ねて、何十年という年輪を築く。それだけでも頭が下がる思いがするが、戦火の悲劇を聞き取り、カメラを向ける。生存者の証言を通して戦争の現実を浮き彫りにする。ことばが一枚の写真に集約される。もちろん選ばれた一枚だが、展示されているのはすべてが個人名をもった肖像写真だ。

 60年代のベトナムからはじまり、戦争の傷跡が残る限り、その使命は終わらないということか。一枚ごとにコメントが入る。写真に付けられた長いタイトルだと見てもよい。子どもの名前と年齢が記され、個々の事情が説明される。真正面から見据えたポートレートが多い。目の輝きに涙があふれる。子どもの喜びあふれる笑顔を見たいと思う。心から笑えることなど、知らないままに心もからだも傷ついたままだ。喜びの涙に見えても、深い悲しみを宿している。

 展示はアジアと中東を巡る。ベトナムがあり、コソボがあり、ホロコーストの記憶を写す。広島、長崎をへて、沖縄で締めくくられる。戦争の現在は、身近にあるのだというメッセージが聞こえる。一枚の写真がその人の人生すべてを集約するわけではない。それをしようとするのが写真家だろうが、成功するのは稀で、生涯に100枚もあれば回顧展は成立する。

 展覧会自体は旧来からのオーソドックスなスタイルだった。目録が用意されていなかったので、ないのかと尋ねるとペラペラの一枚を出してきてくれた。ないよりはましという程度のものだ。図録がほしいと思ったのは、展覧会としては不十分だということだ。図録があればわざわざ足を運ぶ必要はないと感じさせない展覧会をいかに作り出すかという写真展の問題だ。絵画なら並べるだけで、モノが語ってくれる。写真はその点で弱い。

 キャプションに感動の原点があるものも少なくない。アウシュビッツの顔では、多くはキャプションが語っていたように思う。キャプションは写真と異なり、一枚限りのものだから、写真以上にオリジナリティをもつ。写真家自筆の手書きだったらと思ったりする。写植で打ち出す必要もない。以前横尾忠則が自作解説を手書きのキャプションにしたことがあったが、不思議な臨場感に感銘を受けた。

志賀理江子 ヒューマン・スプリング

2019年3月5日(火)~5月6日(月)

東京都写真美術館


2019/4/9

 何を撮っても志賀理江子の写真だというのがよくわかる。エスニックなアジアンテーストは一貫している。場所は東北、地震の傷跡を残す春をテーマとする。原色に彩られた世界は、東北の固定されたイメージカラーを壊しにかかる。写真をフレームに入れて並べるのに飽き足らず、大胆な会場構成に挑む。写真家の仕事を逸脱して、美術館という空間を動揺させて見せる。一点一点をじっくり読み込む前に、全体が目に飛び込んでくる。

 原色のエキゾチックな独特の色彩感覚だ。沖縄から南に向けて見えてくるアジアの熱度を帯びている。これまで見た展示に引きずられてのことかもしれない。丸亀で見た「ブラインドデート」で二人乗りのバイクの男女をとらえた大写しの顔が忘れられない。狭いところで何十人もの男女が折り重なって眠っている光景も衝撃的だった。今回は生々しい悲劇の残骸を見終わったあと振り向くと、一人の若者が見せる複雑な表情が繰り返される。

 壁面に展示はない。巨大なキューブが林立し、個々の四側面に写真が連なるが、裏の一面はすべてこの若者がリピートされている。

 ファインダーに収めるだけが写真家の仕事ではない。その意味では写真展の明日を切り開こうとしている。意欲は伝わるが、ディスプレイは美しいとはいえない。大画面のせいもあるのだろう、画面がたわんでいる。プロのディスプレイ業者の仕事とは思えない。ただの予算上の問題なのかもしれないが、仕上げの良さにこだわる展覧会マニアは多い。

写真の起源 英国

2019年3月5日(火)~5月6日(月)

東京都写真美術館


2019/4/19

 写真というメディアの特性である複数性を否定するような、強固な警備体制を感じさせるところに、イギリスの保守的体質がもつ品位を感じて興味深かった。そのぶん写真にオリジナルというオーラがおおう。オリジナルプリントの保護のため、照明が落とされている。一部の展示品はフレームを厚布でおおい、幕を開けながらの鑑賞となる。ご開帳で出くわすのは、薄ぼけたセピア色の写真だ。この仕掛けの何が隠れているのかという期待感は悪くはないが、驚くほどのものではないところで終わっている。色あせないカラー図版で見たことのあるイメージなので、ありがたみがないということだろう。隠すならイメージも封印されていなくてはならない。写真史の教科書に氾濫しているイメージなのに、何をいまさら隠そうとするのか。伊勢神宮の写真集が出た時に、伊勢のパワースポットとしてのオーラは消えてしまったことを思い出す。

 ネガポジ法という限りは、ネガポジがパワーの原点として君臨しているということだ。ネガが紙焼きと並べられるが、オリジナルプリントとはいうものの、ネガのほうが圧倒的に面白い。反転して夜景が浮かび上がる。

 紙焼きが威力を発揮するのは、出版文化を背景としてのことだ。大英図書館の重厚なたたずまいが知の結晶となる。ハードカバーの巨大な装幀の書籍が展示され、見開きページに写真が収まっている。活版印刷を知の宝庫とする大英図書館が、写真を組み込むことで、大英博物館と一体化する。大英帝国の知のコンプレックスが、写真術を通して統合されるのだ。

 ヴィクトリア朝の服飾文化の香りが写真史と連動する。最後のコーナーにはマーガレット・キャメロンが一点展示されていた。セピア色をした格調高い上質の英国調をつくりあげている。これをヴィクトリアリズムと呼ぶならば、写真は絵のようにを掲げた写真史の夜明けを彩るピクトリアリズムとのことば遊びをなしている。

イメージコレクター・杉浦非水展 

2019年02月09日~05月26日

東京国立近代美術館(ギャラリー4)


2019/4/19

 インプットとアウトプットに分けて展示は構成されている。イメージコレクターとしてのデザイナーのこだわりがなければ、創作は成り立たないという否定的な造形論にも見えるが、自己の独創的なアイディアだけに頼る不毛を、説き起こしているようでもある。ネタをばらしてはいけない文学の系譜があるが、ネタバレ注意はミステリー小説の合言葉であるなら、グラフィックデザイナーは推理作家に似ている。必ずネタをバラす奴がいるということだが、悪事は露呈するものだという教訓も含んではいる。そしてそれを悪事と考えないところにデザインの社会的意義がある。社会の中にこそ真理があって、私小説の矮小さを告発してもいるのだ。

 地下鉄開通のポスターが代表作だろう。改めて見てみると、今にも通じる皮肉な社会の現実が写し出されている。和装と洋装が拮抗するオシャレでファッショナブルな都会生活の一面を切り取っている。思い思いの個人主義が群れをなす。地下鉄がホームに入ってくるのに、気に留めているのはあまりいない。子どもを平気で最前列に立たせる親がいる。平気でタバコをふかしている紳士もいる。

 数秒のちにくる地下鉄事故の情景を思い浮かべながら竹橋に向かう。次は恵比寿の写真美術館の予定だが、アクシデントに遭遇した。人身事故で東西線はストップしているようだ。杉浦非水のポスターが危険を呼びかけたはずなのに鉄道事故はあとを絶たない。復旧まで一時間以上かかるらしい。待ちきれず九段下まで歩いて別ルートをとった。

福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ

2019年03月12日~05月26日

東京国立近代美術館


2019/4/19 

 べたな絵なのに、どこか惹かれて存在感を増している。これまで私の中で福沢の名と結びついた絵は2点あった。ポワソンアブリルがテーブルにのる「四月馬鹿」(1930)と二頭の大きな「」(1936)の絵だ。前者はシュルレアリスム、後者はフォーヴィスムで、誰もが福沢の代表作として、インパクトを持って、記憶しているのではないかと思う。独立美術展初期のストレートなエネルギーの爆発と、戦争のレジスタンスに裏打ちされた暗喩を駆使した多義性とは、対極とは言えないまでも、作風に大きな隔たりがある。

 今回の展覧会でこの2つの異なった主題に連動した作品が数多く、しかも質が落ちることなく量産されていたことを知り驚いた。意味不明な行動をとる人物の不可解としか言いようのないポーズは、欧文の科学雑誌の挿絵から取られたものも多く、知的好奇心を掻き立てられる。誰もが目にする美術雑誌ではないところに、ミステリアスな謎解きの絵の解釈学が存在する。

 この手の代表作には古賀春江の潜水艦と水着姿の女性を組み合わせた「海」(1929)の不可解があるが、福沢のほうはさらに過激だ。古賀が幻想美に持ち込んだのに対して、こちらは不条理といえばよいか。意味不明のままいつまでも引きずってしまい、落ち着きなく時おり頭をもたげてくる。木ぐいが挟まって何日もしてからチクっとする感覚に似ている。魚の骨であってもいいが、忘れ切れない違和感を残すのだ。

 男同士の三人が膝の上に乗り合う非日常の光景「無敵の力」(1930)は、シュルレアリスムとしか言いようのないイメージだ。大作ではないが一度目にするといつまでも引きずってしまう点では連作を形づくっている。そして一堂に会すると、画家福沢一郎の絵画技法の見事さを認めざるを得ない。一点一点見ているとうまい画家とは到底思えないのに、並べると見事に全体像が世界観として統一されている。日本の小さな宇宙を遥かに越え出て、世界に羽ばたいた国際人でもあった。メキシコの壁画運動と連動する時期の連作、晩年のアメリカ滞在中のものも興味深い。

The 備前 —土と炎から生まれる造形美—

2019年02月22日~05月06日

東京国立近代美術館工芸館


2019/4/19

 桃山からの重厚な伝統が今に生きる。現代作家の新作も紹介するのだが、何とか伝統の呪縛を逃れたいという決意の情動が伝わってきて興味深い。金重陶陽の固く焼き締められた安定感がいい。藤原雄のメビウスの輪を思わせる雄大さもいい。現代作家には桃山だけではなく、復興された備前の巨匠ものしかかり、二重の悲鳴をあげながら、土と格闘を続ける。いっそのこと備前から離れれば話は簡単だが、そうはならないところが面白い。

 自然の主要な要素である土をベースに火水木が手を取り合う。時に金が関わることも多い。一週間の大半がやきものの身体を形づくっている。自然主義は人を呼び戻すのだろうか。名門二世は大学で彫刻を学んだ例が多いが、押し並べて彫刻家にはならずに陶芸家になっている。文学を志しても挫折してのち、陶芸の道に入ったものもいる。40歳から陶芸をはじめても十分間に合うということは、器をつくる前に、人を作れということだろうか。人格形成が優先するという限りでは書と似ている。

 有田や京都には15代という襲名披露がなされるが備前にはない。にもかかわらず二世三世があとを絶たないのは、歌舞伎や芸能界と共通する。個人的には一匹狼を好むが、いくらあがいても伝統には勝てない。孫の代に使う石や土を掘り出して、ためておくような世界なのだから、対抗しないほうが無難ということだろう。でも一代限りで終わってしまう伝統もあっていい。そんな思いを込めて、新しい血を求めて大学には陶芸専攻が設置された。万人にも凡人にも開かれた陶芸教育は、血を越えていいはずだ。

特別陳列 蠢動 竹喬のまなざし

2019年02月08日~04月21日

笠岡市立竹喬美術館


2019/4/9

 小野竹喬の春の絵ばかりを集めた常設展だが、きっちりとしたコンセプトに沿ってセレクトし、展示している。主要な3つの展示室はけっこう広いので見ごたえがある。大原美術館と違って日本画なので、一度見逃すとこの次はいつになるかわからないという一期一会の楽しみが加わる。

 今日は福山からの帰り道だが、このところ竹喬美術館はよく来る。といっても特別展がほとんどだったので、竹喬をゆっくりと見てはいなかった。今年は竹喬の大規模な回顧展が予定させているようで、今回はそれに先立つプレビューということだろうが、肩の貼らない小品がいい。100年も前の掛軸なのに、折れジワもなく、保存状態のよさに感動する。

 けばけばしさはなく、原色をあえて避けるように、春先の季節に見事な対応を示している。残雪を描いたものも数多く選ばれていたが、過酷な自然はなく、柔らかく温かみを内包したもので、春の分類が妥当だと思えるほどに、「蠢動」の語が共鳴している。

 特別展示として岩倉壽の追悼展が、併設されていた。昨年没した日本画家で京都芸大の教授を務めた。おとなしい作風だが、落ち着いた趣きがある。「夏の朝」と題した一点がいい。ぼんやりとした画面だが、一本の木と二羽の鳥を描いている。情景描写だけを詠んだ歌なのに心にしみいる場合があるが、ここでは情景もないのに、素朴でありながら、日本画のもつ特性を見事に引き出している。

 学生たちに手本として指示したという小野竹喬の作品も展示されていたが、暖かな色彩感覚が、人間性を彷彿とさせるもので、小品だが、竹喬の魅力を伝えるに最良の作だったと思う。

ふくやま草戸千軒ミュージアム

広島県立歴史博物館


2019/4/9

 常設展だけの期間だったが、草戸千軒の復元をはじめて見た。中世集落の発掘をへて、家屋を復元して見せる。大規模な模型で一度は見ておくべきものだと思う。江戸の町並み再現は、各地に見られるが、それよりもさかのぼる文化の年輪を感じて、臨場感がわく。

 時代をへて朽ちた木材で組み立てられた家屋の古拙の美がなかなかいい。いわば廃屋であって、美しいものではない。もののあわれを愛する廃墟の美は、確かにわびさび文化を基調とする日本人の美意識に訴えかけてはくるのだが、違和感が残る。

 集落が誕生した時は、真新しくてキラキラと輝いていたはずだ。すべての発掘は廃墟をしか目にできないという、当たり前なのに納得し難い現実がある。埋もれた時のことだけではなくて、栄えた時の姿を目にしたいとも思うのだが、歴史は滅びたものだけを目に見えるものとする。廃屋が復元されるとどことなく空々しい。古いのに新しいのだ。春日大社や平安神宮の目に鮮やかな朱色に閉口するが、といって原爆ドームは、投下前の姿に復元しても意味はない。

 安土城の復元はあり得るのだろうが、地面に残る傷跡だけがすべてを語り、あとは見るものの想像力に委ねている。学術では踏み込めないロマンがあるはずで、想像の余地を残してこそ遺跡としての価値がある。考古学を支える廃墟の美は、壊れた壺を復元しては、もう一度壊して見せる破壊の追体験にあるに違いない。

あべ弘士の絵本と美術 -動物たちの魂の鼓動-

2019年4月6日–6月9日

ふくやま美術館


2019/4/9

 サブタイトルには「旭山動物園の飼育係から絵本作家へ デビュー30年」とある。動物園の飼育係と絵本作家という一見すると異質に見える職業を、ともに成就したという意味では、理想的な転職を果たしたことになるだろう。選択を誤るとどっちつかずのまま終わってしまうのだろうが、25年間勤務した動物園を退職したのが48歳ということだ。絵になるためにはそれぐらい動物に接していないといけないという教訓も含んでいる。

 動物をテーマにする絵本を目的に飼育係になったわけではない。どんな職業にでも絵になる素材は転がっているはずだが、生活のためにやむなく望まない職についているというのが、世間での現実だろう。通俗的欲望を前にすると、うらやましくも聞こえるが、いざ作品を目にすると羨望は吹っ飛んで、強運のサクセスストーリーでないことが、よくわかる。

 つまりいいのだ。動物ばかりではない。背景もいい。北海道という自然は知らずのうちに絵に反映している。動物園が背景ではなく、自然の中に生きている。動物の何気ない表情に人間を置き換えてしまいがちだが、どこまででとどめるかが難しい判断になる。25年のキャリアがそこで説得力を発揮する。

 最後には生き残りをかけての生存競争にならざるを得ない過酷な現実が下敷きにされて、リアリティのある絵本が生まれる。飼いならされた自然からの脱出は、アフリカをはじめとした野生との出会いを求めた旅に移行してからの、絵本のテーマになる。

 しかし弱肉強食を認めながらも、平和主義の原点が動物園にある。「あらしのよるに」の出発点に立ち返ることが、たぶんありふれた冒険家にならないための、原点だと思う。無謀な探検家は後を絶たないが、真っ暗闇にオオカミとヤギが出会って友だちになるというデモクラシーは、動物園という特殊な環境を、下敷きにしないと成立しないものだろう。

江口寿史イラストレーション展 彼女 ~世界の誰にも描けない君の絵を描いている~

2019年04月06日~05月19日

明石市立文化博物館


2019/4/7 

 漫画家からイラストレーターへ。ギャグ漫画からの一転は見事な展開だ。詩人になりそこねた竹下夢二が美人画で、一世を風靡した姿を思い浮かべる。世の求めに応じて、美少女の量産を重ねる。時代を切り取ったトレンディな衣装は、今を生きているが、レトロな一昔前のファッションが、落ち着きのある風格をかもし出す。1950年代生まれの同世代の作家であることに好感を覚え、世代のギャップを感じざるを得ないイメージ世界にも共感を抱く。

 イラストレーターの展覧会も増えてきた。原作中心主義の美術観にとらわれていては実現できない、展覧会としての醍醐味を味わえた。最初に引き伸ばされたパネルが並ぶ。絵画というには筆跡の残らないフラットな画面で、マチエールを楽しむ絵画論からは邪道に映るだろう。引き伸ばされたのがわかるのは、リキテンスタインを思わせる漫画の一コマを拡大したようなドットの繰り返しと、ウォーホルのシルクスクリーンに登場するキャラクターイメージによる。

 ポップアートのオマージュのように見えるが、キャプションを見ると「出力原画」とある。引き伸ばされた拡大写真であって、その場限りの展示パネルに過ぎないことがわかる。しかしこれらがかかえる問題は大きい。展覧会というエンターテイメントの幕開けにあって、絵画展のイメージづけから入っていくことは、戦略としては有効だ。なおかつパネル展示で十分だという、ポップアートの欺瞞と商業主義を告発してもいる。

 ポップアートのパロディは、若者文化を装う熟成した大人の仕掛ける罠であって、ポップカルチャーを無理なく体現した植草甚一の流れを継承するものだと思う。若い頃の風貌を予想できない植草のハイカラ趣味を、引き継いでいてほしいと思った。それは東京では、もはや池袋や渋谷でもなくて、吉祥寺かもしれないし、ちょっと郊外の、今では古くなった第二の江戸情緒を携えた場所に根づいた文化の香りなのだろう。

 その後は原画が並ぶが、印刷物にはない味わいがあるという声は、絵画至上主義からは発せられるだろう。「原画展」という名称が残る限り、古い体質は残り続けるし、一点限りのオリジナリティを外せない美術館や展覧会という形式が、どう存続していくかの話になってくる。美術館論はさておくとして、江口寿史の生み出す「誰にも描けない彼女」の存在だけは、素材や物質を超えて手に取るように増殖を繰り返していた。最後は「松浦屏風」かと思えるような独り立ち美人図も出てきた。

コレクション展 特集 : 境界のむこう

2019年3月16日~6月23日

兵庫県立美術館


2019/4/6

 テーマにそって所蔵品を並べ替える。美術史にそって作家別に分類し終えたのちの作業が図像学であるが、今回は「境界」というキーワードを通じて見えてくるものがあった。小磯良平と金山平三という見飽きた感のある展示室が、新鮮に再発見の対象となってくる。風景画と室内画を交互に並べるだけでも、境界について考えることはできる。物理的にはそこには「窓」があるということになるが、同じ境界でも小磯と金山では異なるという発見もある。

 風景画の境界が窓だとすれば、人体の境界は目だろうし、その意味では米田知子の眼鏡のシリーズは、境界を考えるに適切な作品群だった。ぼんやりとしたおぼろげな世界をクリアに写し出す武器が眼鏡だが、著名人の遺品としての眼鏡を通して見えてくる世界を写真によって写し出すという、論理的正当を虚構化した面白みが見る者の好奇心をかきたてる。誰の眼鏡かというと、フロイト、ヘッセ、ジョイス、マーラー、谷崎、トロツキー、コルビュジェ、ガンジー、ブレヒトの名が、今回の展示には上がっている。

 ブラジノフ・アンドレイ・アナトリエヴィッチの「存在」と題した布の上に転写された写真がある。はじめて出会った作家だが、感銘を受けた。写されたのは、境界上に位置する身体だ。一枚はベランダからだろうか、ひとりの少年が高めの手すりを両手で握る後ろ姿で、遠くを眺めている。こちらと向こうの境界上にある手だ。もう一枚は地面をローアングルから眺めたもので、二本の手だけが地から生え出ている。下水工事での一コマのようにも見えるが、何気ない一瞬の不思議に目が向かう。地表と地下との境界で出会った手に、手が生える、あるいは手を植えるというシュルレアリスムを面白がることができた。

 境界は主題の問題だけではない。ここでは絵画と写真の間の「境界」が問題となっている。布地の上に白黒のイメージを載せたものを前にして、見事に描かれた写実絵画の力量に目が奪われる。そしてキャプションを読んで、タイトルとともにこれが写真であることを知る。大きなキャンバスに粗めの粒子を見つけるだけで、モノクロの点描派を思い浮かべる。スーラにはない現代感覚に、魅せられる。絵画か写真かという二者択一の境界ではなく、絵画でも写真でもあるという、境界を越えるための問題提示に、現代の感性が見事に結晶したと言えるだろう。

 境界を通していろんなものが発見された。金山平三も橋や川など風景画の境界を描いたモチーフを集めることで、これまでとは異なった視点を見つけることができる。現代美術では関係性という語をよく用いるが、政治学では国境問題が横たわっている。地理学では境界は、そのまま地名に反映する。大阪市の南側に堺市というのがあるが、桃山時代には経済と貿易の「さかい」にあった。千利休はそんな町の商人だった。私の生まれた近辺には、境川という地名があった。

 思いつきを一点。「きょうかい」というダジャレに過ぎないが、私なら「教会」を描いた絵を何点か加えてみたいと思う。これは探せばいくらでもあるだろう。なぜ「きょうかい」と呼ぶのかは知らないが、確かにそれも天と地を結ぶ境界にあって、それを通して神の世界へと向かう場所のことだ。たとえばロダンのカテドラルと題した彫刻などは、手を合わせて祈る天上に向けられた視線が、境界の名にふさわしいものだろう。

没後130年 河鍋暁斎

2019年04月06日~05月19日

兵庫県立美術館


2019/4/6

 奇想の系譜の続編がまだまだ続いている。全体的には驚くほどの画家ではないが、江戸末から明治初年の変動の時期を生き抜いた強烈な個性が、きらめきを放つ。「ぎょうさい」としか読めないが、「きょうさい」と読むらしい。狂斎とも書かれており、画狂人北斎の短縮形だということになる。百鬼夜行や九相図といったおどろおどろしい主題に、輝きを放っている。ことに死後、肉が腐り、骨だけになり、それも鳥や獣が持ち去ってしまう光景が、九つの連続描写で展開する生々しさは、宗教画のレベルは遥かに越えてしまっている。

 岩佐又兵衛の山中常盤の惨殺描写はせいぜい四、五面であったが、骨まで進むと、さすがに解剖学的知識を要求され、江戸初期の又兵衛には描けないものだったと思う。骸骨の物腰が生き生きとしていて、艶かしくて素晴らしいという、マニアックな視線を投げかけたくもなってくる。メメントモリという、死から目をそらさないで、凝視することで、教えを伝えようとする宗教的教訓が、世俗の好奇心に屈服する。この時期のことを文明開化とも西洋化とも呼んだ。又兵衛で終焉を迎えたはずの絵巻という形式に託した封印を解く怖いもの見たさの時代の訪れを感じる。

 屁もまた凄まじい勢いで放たれる。長大な画面にこれでもかこれでもかと風に舞い続けている。江戸庶民の愛したユーモアは、もはやそこにはない。張本人は北斎だっただろう。これを面白いと見るか、下品と言い捨てるかという話だ。少なくともこの奇想を明治初年に日本に来た西洋人は面白いと思って、自国に持ち帰った。そんな暁斎のドイツからの里帰りが加わって、暁斎美術館だけでは物足りない展覧会を引き立てている。

椎原保展 「旅する KIITO」(KIITOアーティスト・イン・レジデンス2018)

2019年03月015日~04月07日

デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)


2019/4/6

 展覧会や美術の概念をくつがえしてくれる確かな手ごたえがあった。広い会場に、さまざまな仕掛けが散りばめられている。「扉」を開けるのが、ここでの鑑賞のキーポイントになっている。かつての生糸会館の名残りを残す重厚な扉が立てかけられている。現代の鉄の扉にずっしりとした手の感触が伝わってくる。その重みに心を奪われ、ガラス越しに見えるトリックを見落としてしまう。ガラスの透過性の不思議が、建築物の各所に盛り込まれている。作者がその場にいて誘導してくれた。それがなければ、おそらく気づかないが、気づくと俄然おもしろくなってくる。広い会場をひとりで占有する力量は、これまでのキャリアのなせる技だろう。旧来の美術の概念を壊すことは、若い作家でもできるが、それを力技ではなくて、肩の力を抜いて何気なく提示するには、長年の経験が必要だということだ。

 扉とともにもうひとつのキーワードは「鏡」だが、目とはいったい何を見る器官かという美術の最大の課題を踏み外してはいない。鏡はうまく使わないと陳腐になるし、これまで美術のアイテムとしては、使い古された感がある。

 ここでは天井から「吊るす」という動詞に置き換えることで、作品化を実現しようとする。吊るすメディアとして、今回の主役である「生糸」が、ここでやっと登場する。脇役のようであるが、本当は主役なのだ。会期中、重さに耐えかねて糸が切れたという話を聞いた。そのままにしておくことで、生糸はゆったりと空中を遊泳しはじめる。その時やっと生糸は主役に戻る。その軽やかな動きは、足かせを解かれた主体の風格を備えたものだった。もっともこれも老人の目には、指摘されるまでは糸は細くて見えない。

 天井からぶら下がるのを、鏡だけではなく書籍も加えたことで、はっと気づいたことがあった。それはキイトにこの前来た時のロバート・フランク展で目にした光景だ。その時は写真家の自作の写真集が参考資料として提示されていた。宙に浮かんだものを手にとってパラパラとめくる。持ち出されないようにとの防犯上の工夫でもあるが、テーブルやソファにくくりつけるよりも、オシャレな展示効果に感心した記憶がある。

 どんな本が吊り下がっているのか気になる。それらは美術家の人格形成で出会ったもののようで、同年齢の私にも共有できるものであると、うれしくなってくる。ブルーノタウトの桂離宮であったり、イーフートゥアンの空間の経験であったり、多木浩二の生きられた家であったり、目に懐かしく飛び込んでくる。それらは建築書という点で共通していて、それを通して体育館のように広い展示室の、建築としての構造体と、そこに置かれた美術作品との関係性に目が向かう。単一の美術品としての創作にこだわっているわけではない。空間にモノを置く時に誕生する空気の動揺が問題なのだ。

 それは一期一会という語に集約される日本美との出会いを意味するようで、ところどころに点在する椅子は、そこに腰をおろして、虚構の庭を眺めるための装置であるとともに、空間を仕切るアクセントにもなっている。静かに回転する鏡は時おり自然の光を取り込んで、目にちらつきを放っている。庭を前にした瞑想のひと時を体感できた。休日の午後でもあり、三ノ宮の喧騒からそう遠くはない場所に、こんなゆったりとした時の流れがあることに安堵した。