第10章 CG と映画

CGのはじまり/映画監督/コダカラーの芸術/フィルムの時代/アナログとデジタル/疑似体験/特殊撮影の進化/アナログへの郷愁/フォレストガンプ/三丁目の夕日

第470回 2023年1月12

CGのはじまり

  ここではアナログからデジタルへという大きな時代の転換の中で、映像の進化をとらえてみる。CG(コンピュータ・グラフィックス)がはじめて映画に導入されるのは1970年代初めのことである。今日ではコンピュータによって加工されない映画はないというほど普及し、ことに特撮技術を前面に出す近未来を舞台にした「スターウォーズ」(1977-)や「ターミネーター」(1984)などSF大作の分野で歓迎された。しかしスペクタクルを売りとするパニック映画だけでなく、ごく普通の日常を描いたものに、何気なく導入されるコンピュータ技術の方が効果的であり、評価も高かった。1994年の「フォレストガンプ」の成功は、日本では「ピンポン」(2002)や「Always三丁目の夕日」(2005)の好評につながっていく。

映画の最後と次の項目のCGのはじまりを考える。映画をエンターテイメントとアートに分けて考えてみた。アートになることで芸術表現として見ることになる。芸術とは何か、表現とは何かということで問題になってくる。広い意味では映画であれ、絵画であれ、音楽であれ、表現という限りでは同じもので、自分の好みの、得意のメディアを使いながら自己表現をする。近現代の芸術表現は、自分を表現することが中心になってきたので、社会に対するメッセージでもいいし、自己満足であってもいい。ただ言えるのは自分でしか表現できないものを追究していくというスタイルがあっただろう。

第471回 2023年1月13

映画監督

いま芸術の範囲を見渡すとマルチメディア化してきている。つまりひとつのことにこだわらない。これまでは自分は画家だと規定すると、生涯をかけて絵を描き続けていた。文学者は文字以外には手を出さないのが普通だった。いろんな領域に手を出してマルチタレントが増えてくる。一つの才能だけでは収まりがつかないで何でもできるような、ルネサンス期でいえば万能の天才に近いような出方が見えてきた。

映画の話をしてきているが、映画は総合芸術でいろんな才能が寄り集まって、ひとつのものをつくりあげていく。映画監督という立場を考えると、オールマイティで何にでも口を出さないと成立しない。たとえば黒澤明というキャラクターがいて、その人が思っていることをいろんなスタッフが集まって実現する。音楽担当もいれば、脚本担当もいる。俳優はひとりの役柄を演じる。各スタッフはそれぞれの領域で自分を追究するが、全体を仕切るディレクターがいる。

日本語では映画監督にあたるが、この語はいつごろから使われ出したのだろうか。そんなに古くからは使われていなかった。戦後になってから定着した。現存する古いポスターを見ていると、「監督」の前は「演出」という語が用いられることが多かった。いまでは監督は職業として社会的身分をなし、映画は監督によってふるい分けられていく。一般には映画を見るのに、俳優で見るほうが多いかもしれない。映画を一つの芸術作品として見る限りでは監督によって実現され、個人的色彩の強いものだ。写真でも同じようなことだ。写真だからシャッターを押せば同じように写るというものではない。もちろんシャッターを押しただけで自分の狙っていたものが写し出せないことはわかっている。だからといって強めに押せばよいというものでもない。逆に同じように押したのに、こんな見え方もするのかと驚嘆する場合もある。

第472回 2023年1月14

コダカラーの芸術

映画俳優をいろんな写真家が撮影している。写した人間よりも、写された人間のほうにポイントがあてられる。さらには写した人間よりも写したカメラのほうが、主役を演じることにもなってくる。新しい写真機が発明され、たとえばコダックがコダカラーを開発すれば、コダカラーの芸術ということにもなる。同じようにエプソンの芸術や、アップルの芸術がある。ときにアドビの開発したソフトの手のひらで遊ばされるような気がする。しかしそれを道具として使う作家たちがいて成立するものだ。写真機でいえばライカの時代というのがあったが、カルティエ・ブレッソンを筆頭に肌身離さず愛用してきた数多くの作家が取り巻く。機械技術の展開と個人の表現はどんな関係にあるのか。ゲームの場合も、プロのゲイマーが必要となる。みごとな手さばきでクリアするのは見ているだけで惚れ惚れとする。小説が映画化されることを考えれば、プロゲイマーの立ち位置は、映画俳優にあたり、原作をみごとに実現する使命を担わされている。

CGと映画という論題でいえば、いまではCGを使わないほうが少ない時代になった。コスト面でも使うほうが安上がりになった。はじめはエキストラも百人ぐらいなら雇うほうが安上がりだった。いまではCGを使って何千人もがうごめくような映像がつくられる。コンピュータグラフィックスは、出発点ではいざ知らずいまではパーソナルな時代になって、ひとり机の上での作業にもなっていった。ひとりで何でもできるというのは、画家がキャンバスの前でおこなう孤独な作業に対応する。そこに至るまでの流れをここでは見ておきたい。

 ヌーヴェルバーグで手持ちカメラが一般化すると、自作自演という簡便な撮影法も可能になってきた。フィルム時代からデジタル時代になって、もっと加速化していった。その中で新しい表現が生まれてくる。CGのこれからと、映画のこれからがテーマとなる。コンピュータの発明が出発点だが、最初は単なる計算機だった。数字から文字が導入され、画像が取り込まれ、さらに音も加わり、マルチメディアになっていった。半世紀ほどのことなのに映画の世界には急速に導入され、一世を風靡した。遅れを取ると映画が制作できないというまでに至る。

第473回 2023年1月15

フィルムの時代

CGを積極的に使う監督とそれに抵抗する古い体質がぶつかり合う。しょせん機械技術のことだけで、自己表現にとっては役に立たないばかりか、邪魔になるという考え方もある。いつまでもアナログにこだわり続ける。フィルムはいつまで続くかという問題に集約する。フィルムというメディアを通じて世界を写し出していく。一度シャッターを切るとそれで決まりという世界だ。修正がきかずその時に掛ける決定的瞬間の醍醐味を、緊張感をもってじっと世界を見つめ続けていた歴史がある。決定的瞬間とは一発で標的をしとめる術だった。写真家とはそれができる人のことだった。高画質で動画が撮れるようになると、決定的瞬間を待つまでもなく、動画から抽出すればよい。兵器の進化でなぞらえれば、ライフルの時代をこえて機関銃が発明されたのに対応する。ポップアートの時代「標的」が絵画のモチーフになったことがある。それはライフルが照準を当てるものだと考えると、カメラが狙いを定めるものでもあって、そのはてに絵画のモチーフになるのは必定だった。

写真というメディアが空中分解してしまう。写真家は写し出す人から選び出す人に変容する。緊張感がなくなり、あとからの編集が可能になり、すべてが先延ばしをされるようになる。編集によっていかようにもなる、修正がきく。その場にじっと居続けて、見つめ続ける。無駄な時間を限りなく使いつくしてきた写真家の存在が問い直される。同時に写真家は待ち続ける人のことだという定義づけが起こる。いかに辛抱強く待ったかが勝負だった。安易にカメラを回し続けることで、これまでのステータスが解消されるだろうか。傑作が誕生するだろうか。

緊張感と作品の関係を考えると、石彫や木彫と粘土でつくる彫刻とのちがいを思い浮かべる。両者を並べてみて、一見すると近いものがあったとしても、伝わってくるもののちがいを感じ取ることになる。それを読み取れるか読み取れないかの差が、芸術にはあると思う。ほんの少しのちがいだろうが、そこに賭けるかどうかということだ。機械技術に頼って簡便に処理してしまうとそこで終わるが、神経を研ぎ澄ませてのめり込んでいくところに芸術の醍醐味はあるはずだ。こだわり続けるという方向性が今日まで伝統として引き継がれてきたものだ。アナログとデジタルは進化ではなくて分類だと見ることができる。彫刻では粘土だけでなく、これからも石や木を素材にしていくだろうということだ。

第474回 2023年1月16

アナログとデジタル

大きな対立項としてはアナログとデジタルということだ。流れからいうと確かにアナログからデジタルへということなのだが、デジタルになったからといって、アナログの世界がなくなるわけではない。その推移は古代ギリシャ美術がローマに引き継がれる姿に似ている。便利にはなっていくが、それによって失われるものも少なくない。芸術の普遍性を考えると、原始時代から変わっていないことがある。普遍性という語で呼ばれるものだ。洞窟壁画や原始のヴィーナスを見ていて感動する。縄文土器も感動を与える造形だ。

何万年たっているが、人間はたいして変わっていないという証拠となる。芸術表現については、一生をかけてやることは、人間たかが知れている。手の動きなどは、原始人と現代人はそんなに変わらないだろう。現代人だからといって手を3メートルも4メートルものばせるわけではない。手の範囲でしかモノは作れない。時代とともに良くなってはいない。地球環境は悪くなってきている。人類はどこに行くのか。破滅に向かって進んでいるのが見え出してくる。古きよき時代を回顧し、アナログの時代はよかったということにもなってくる。

 原理的にはアナログとデジタルはどのように区別できるのか。時計の文字盤を引き合いに出してみる。アナログの時計がデジタルになった時点で、回転運動が直線運動に置きなおされる。数字は増える一方で減ることはない。円環上の世界観は経験から感じ取ってきたものだ。太陽が昇っては沈む繰り返しだ。そこに永遠性をみるのに対し、デジタル世界は0と1しかなく直線状に直進する。仏教的世界観とキリスト教的世界観を比較する。仏教は輪廻転生という生まれ変わりを考える。前世とはちがうものに生まれ変わる。次は何に生まれ変わるだろうかと楽しみながら死ぬ。

キリスト教では世の終わりがある。はじまりがあれば必ず終わりがある。そこでは一直線に進んでいく。デジタルでは数字を上に積んでいく。これはキリスト教的世界観から出てきたシステムだといえる。アナログとデジタルという区分はするが、コンピュータが見つけ出され考え出された世界の構造はキリスト教世界に由来する。いまは世界各地がイスラム教であろうが、コンピュータを採用はしている。

直線と円環のちがいを踏まえると、アナログからデジタルという一方方向ではなくて、デジタル時代になってからもアナログに回帰する流れは常にある。時計はほとんどデジタルだが、文字盤が消えるわけではない。円環に回るほうが時計らしい。デジタルはストップウォッチをみているようで落ち着かない。中身はデジタルで外見はアナログだというのが主流をなす。この対極に見える両者も地球上では大差なく、同様のものではなかっただろうか。直線は実は円環なのだというのは、地球上に住む生命の、こえることのできない制約だった。地上を直線上にまっすぐに歩いていったとしても、海をこえて地球をひとまわりすると、円環上を移動していたことになる。どうみても直線にしか見えないオノヨーコの素描「この線は非常に大きな円の一部です」(1966)を思い出してもよい。これは円を描いて「これ食うて」と書いた禅画を踏襲したものだ。日本思想は両者をうまく使い分けている。西暦は直線上に増え続けるが、同時に元号を用いることで、人間的尺度にリセットし、循環しようとするのだ。

第475回 2023年1月17

疑似体験

デジタル世界を用いながらアナログ的に見せていくということが映画の世界でも起こってくる。今では主流になっている。日常生活の何でもないようななかにデジタル世界が広がっている。時計ではカチカチと音がしない。今はカチカチという音でさえデジタルでまねようとする。バーチャルリアルの疑似体験が加速化していき、全体をおおいつくしてしまった。CG映画の出発を振り返って見る。最初の例は1973年の「ウエストワールド」からだとされる。近未来を描いたSFものに属する。その後の「ジュラシックパーク」(1993)にたどり着くような、ディズニーランドを思わせるアトラクションだ。架空の遊園地を設定しこれを舞台に事件が起こる。遊園地にある西部開拓の国は、アメリカではノスタルジーを誘うものだ。日本では東映の映画村での時代劇を思い浮かべればいい。ロボットでつくられたガンマンがいて、観光客と決斗をする。誤作動でロボットが反乱を起こし、観客を撃ち殺してしまう。この時に一瞬CG映像が登場する。ロボットが観客を認識するときに、走査線がジグザグに往来し、モザイク状態が焦点を結ぶまでに、色彩の粒が揺れ動く。

ロボットはゆっくりとターゲットを追いかけてくる。ふたりの観客のうち一人は撃たれるが、もう一人はそれを見て驚いて逃げるが、執拗なまで追いかけてくる姿はのちの「ターミネーター」(1984)へと引き継がれていくファクターだ。追いかけ続けるターミネーターに対して逃げ続けるテレビドラマ「逃亡者」(1963-7)との差が時代の比較をきわだたせる。どこまでも追いかけてくる不気味さは、プログラムされた使命を遂行する機械の実像だ。拳銃の早打ちの名人という設定で、客はそれと腕比べをすることになる。西部劇俳優は拳銃さばきも俳優修業の一つである。

ロボットに扮するのはユル・ブリンナー(1920-85)という名優だ。ハリウッドのスターでミュージカルの「王様と私」(1956)で知られる。「荒野の七人」(1960)という西部劇でも知られる。ここではそれがパロディとされ、SFのロボット役に起用され、ぎくしゃくしたロボットの動きをまね、目には色のついたコンタクトレンズを光らせる。顔をはぎ取るとなかには機械が詰まっている。その機械は実にアナログ的で、アナログ時計を思わせる。顔を剥ぐと、それはまだ特撮による模型で、バーチャルリアルともいえない出来だった。近未来の想定にCG映像がふさわしいものとして引き継がれていく。

第476回 2023年1月18

特殊撮影の進化

 70年代前半にCGが映画に入り込んでいった。それがディズニーのアニメーションに流れ着いていく。1982年に「トロン」ができる。アニメーションと実写が抱き合わせになっているのは、同じディズニーのミュージカル映画「メリーポピンズ」(1964)が先行している。初期のテレビゲームの延長のようで、バイクが高速道路を猛スピードで直進する。音声をともなってスピード感あふれるものだが、いかにもつくりものでありリアリティはない。図面にすぎないのだが、人の視覚はそこに遠近感を感じてしまう。目の構造をうまく使いながら、遠近法空間の延長上に目の錯覚を取り込む。

レーシングカーをリアルに表現しようとすれば、それだけでかなりの手間をかけるが、図形そのものが動いているに過ぎない。スピード感だけにエネルギーが費やされている。そのあとに「スターウォーズ」が登場するが、80年前後から映画にCGが本格的に入っていった。シリーズとして継続するが日本には順番が入れ替わり、ストーリーとしてはつながりが悪い。ジェットコースターで味わうようなスピード感だけでも、はじめて見る目には驚異的なものだった。映画のはじめシネマトグラフに観客が身をよけぞったというのが大げさな話でなかったのだと実感する

 映画監督のなかでもCGを積極的に取り込むことになる。1989年にジェームズ・キャメロンが「アビス」をつくる。CGは本格的に使われ、液体人間が描き出される。クラゲのような透明感をもって、人体がどろどろと溶け出してくる。移動を終えるとまた蘇生する。キャメロンは新技術好きで大作では、「アバター」(2010)、それに先立って「タイタニック」(1997)がある。作風はばらばらの印象を残す。

監督はひとつのテーマをじっくりと突き進むものだ。新技術に魅せられると、新しい技術を使って何が表現できるかという方向に向かう。何か伝えたいことがあり、そのために技術を利用するという正統派の考え方からは逸脱する。一生をかけて追求するライフワークを見失う。アバターにしても3Dに魅せられると見るほうはそれに目を奪われる。それが追求するはずの大問題からはずれて、のけぞるような身体感覚をおもしろがる。それはいっときのもので、繰り返され慣れっこになると麻痺してしまい、驚きも希薄になる。最初のうちの感動にしか過ぎない。それを感動といっていいのかという疑問も起こる。

第477回 2023年1月19

アナログへの郷愁

映像技術もさることながら、ブラウン管と同じようにそれはなくなった。音なら真空管が亡くなったのと同様だろう。いまだに真空管のほうが柔らかで、リアルではないが、レコード音楽らしい響きが求められる。回転むらにさえも人間らしい懐かしさがただよう。針がレコード盤に落ちたときの緊張感は、着陸したときの航空機の安堵感に似た感慨に満たされる。人類の脳にこびりついている感覚がある。

レコードプレーヤーや真空管やブラウン管への郷愁はあり、新しいものに飛びつくが、経済効率と便利さだけでは外れていく。カセットテープへの郷愁は、山ほどためた自作の音の缶詰を、いつまでも破棄しないでいると、やがて若者の間にカセットブームが起こり、オーディオから消えていたレコーダーまで再生産されはじめた。そこには心地よい音を求め、究極までたどりついた音響技術があった。

「アバター」以降3D映画がはやり、眼鏡をつけてみることが多くなった時期があった。目は疲れるし、映画に苦痛を感じてきた。特殊撮影ばかりの興味で、物語の醍醐味を味わえなくなった。大衆的にヒットすれば量産されていく。どこかで落ち込んで反省を求められる。デジタル技術は駆使していても、話が面白くなければ何時間も観客をとどめておくことはできない。そもそもが目と身体に疲労を強いる過酷な芸術なのだ。新技術を使いながらこれまで通りのアナログ的状況を残した手作り感覚がよしとされた。

第478回 2023年1月20

フォレストガンプ

なにげなくCGが盛り込まれた作例としてロバートゼメキス監督の「フォレストガンプ」(1994)がある。トムハンクス主演のサクセスストーリーで、知能的には少し遅れた少年時代からはじまる。義足をつけてしか歩けなかったが、走ることに興味を覚え、ひとつのことを徹底する性格はやがて実を結ぶ。アメリカ中を走り続け、名を知られヒーローとなる。フットボールの選手としても名をなす。ランニングのあとは卓球を手がけるが、これも徹底的にやりつくす。世界の舞台にまで達するが、ベトナム戦争に従軍すると戦い続け、またもやアメリカのヒーローとなる。前向きで一途な性格は、映画で見ていて気持ちのいいものだ。CGの導入もなにげなく、ケネディー大統領と握手をしたり、ジョンレノンと対談をしている。

パニック映画ではない日常的視点がCGの可能性を広げた。パニックものでは近未来も原始時代も広がりのある時間性をシェアできた。「二〇〇一年宇宙の旅」(196)はアナログ時代の成果だが、デジタル時代に宇宙の旅は量産されていく。コンピュータ処理はあざやかだが、薄っぺらな印象は残る。一度は見るが何度も繰り返してみる気は起らない観客動員は果たせても、映画史に残るものとなるだろうか。

フォルストガンプのような使用例が日本にも入ってきて実を結ぶのが、曽利文彦監督の「ピンポン」(2002)だ。フォレストガンプが二度目に成功する卓球が、ここでもモチーフなっている。壁に向かってひとりで打ち続けるトム・ハンクス(1956-)を見て俳優も大変だなと、そのうまさに感動するが、やがてあれっと思いはじめる。速度を増すがいつまでも続き、人間技とは思えなくなるころにCG映像だと気づく。素振りをしていてあとでピンポン玉が合成されたのだとわかる。CGを多用したバーチャルリアルの恐ろしさは、「ピンポン」での主役が、橋の欄干に立ってアイキャンフライという役のセリフのままに、飛び降りてしまったことだった。

時代劇や西部劇を演ずるのに馬術を身に着けるのは俳優修業の基本だった。日本ではこれが根性もののドラマとなる。原作はマンガで、スポコンものは日本でのこのみのテーマだった。監督も旧来の監督ではなく、デジタル映像を得意としたクリエーターが一般映画を手がけたという感が強い。人間技を超えたウルトラCの卓球が演じられている。特撮監督という名は円谷英二(1901-70)とともにある。ゴジラ(1954)やモスラ(1961)の名とともに、ウルトラマン(1966)ウルトラQ(1966)がテレビを通じて大衆に浸透していったという歴史がある。

第479回 2023年1月21

三丁目の夕日

曽利文彦(1964-)のあとを追って「Always 三丁目の夕日」(2005)が登場する。監督は山崎貴(1964-)で、白組という特殊撮影を手がける組織の一員だった。一社員に過ぎなかったが監督に抜擢されて成功した。日本のアカデミー賞を総なめにする話題作になった。コンピュータをいじりながら映像処理をする技術端の出身という点で、これまでの文系の知的エリートが築き上げてきた映画史の伝統に風穴を開けるものとなった。もちろん技術的な特殊技能だけではだめだという理解がそこには必要だった。

「三丁目」はみごとな人情ものでもあった。東京タワーがゆっくりと立ち上がってくる昭和30年代を背景に、東京下町でのドラマが展開する。「男はつらいよ」(1969-)と何ら変わることのないアナログ人間たちの人情が生きづいていた。売れない小説家の名は芥川龍之介のパロディで、「男はつらいよ」の頼りない甥っ子がその役を演じた。CGが使われるのは、建設中の東京タワーが少しずつ立ち上がっていく場面で、あからさまに写されることなくいつも背景にあって、北斎の富士のようだった。東京タワーは主役ではなく、折々にしか登場しないが、CGでしかありえない映像の効果が、鑑賞者の感覚にフィットした。何もないところから鉄骨が立ち上がり、三分の一から半分、そして完成するという時間の流れが、無言のうちに時を刻んでいる。

何気ない味わいにCGがうまく入り込んでいった。アナログ的情緒を効果的にいかすのは、デジタル技術だったという話だ。フォレストガンプの冒頭で、ゆっくりと一本の羽根が風に舞い、長い時間をかけてベンチに座る主人公ガンプの足もとに落ちていく。走りすぎた人生を噛みしめるように肩を落とし、行き過ぎたデジタルを反省するアナログ人の姿に、私には思えた。目に見えない高速のピンポン玉にはない情緒が味わえるシーンだ。三丁目の冒頭では、これのオマージュのように木製のオモチャの飛行機が、ゴムの動力を頼りに空を舞っていく。建設中の東京タワーがちらりと目に入ってくる。ゴムヒコーキだけではない。ミゼットといったか、三輪トラックも走っている。記憶に残る光景は、CGとは無縁の高齢者をも夢中にさせるアイテムだった。

山崎貴はその後「続・三丁目の夕日」(2007)から「永遠のゼロ」(2013)とヒット作を重ねる。戦争中の隠れたヒーローを描いた小説の映画化だが、ゼロ戦の空中戦での雄姿が強調されるとみると、平和思想とは思えないものだった。CGでの見せ場は満載され、深刻なテーマなのにアクロバットな飛行術と迫力ある映像に目が向かった。涙を誘う原作のストーリー展開に支えられて、観客動員に成功した。思想的には反戦であろうが好戦であろうが、人間は簡単に涙するものだ。「永遠のゼロ」と同じ年に、スタジオジブリから「風立ちぬ」が封切られている。ともに零戦が大空を舞う勇姿がカッコよく写し出したという点で共通している。宮崎駿を好戦主義者とは誰も思わないが、戦争を一瞬カッコよく見てしまう目はつねにあるということだ。カッコよく見えるものには、疑いの目をもち、簡単には涙しないほうがよいのだろう。

 映画がCGを抜きにして語れなくなって久しいが、映画監督の立ち位置もこれまでの文系分野から理系的思考に推移している。特撮監督という別名で監督を二本柱とする方法もあるだろう。規模が大きくなれば総監督という名称も使われることになる。中国映画でもチャンイーモウ(1950-)の作品の推移をみることで、時代の変遷が読み取れる。オリンピックの総監督という紹介もあるが、はじめどろどろとした人間の情念を描いた映画で評価を得た。加えて一途に前進する女性をドキュメンタリータッチのカメラワークで執拗に追いかける映像の特性を生かし、そのはてにCGを駆使した活劇にたどり着く。具体的な作品名では「紅夢」(1991)「あの子を探して」(1999)「HERO」(2002)となる。CGはある意味では音響と同じく、効果的ではある。しかし手段ではあっても目的ではない。その後、高倉健が主演をした「単騎、千里を走る」(2005)では再び二番目のテーマ、一途な人間の生きざまを描き出している。


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