牧野富太郎 草木とともに
2023年04月22日~10月09日
2023/06/26
忘れかけた学者魂に喝を入れる、いい機会になった。凡庸な学者だけではなく、一途に生きることを忘れてしまった者にとって、背筋をただす物的証拠を見せてくれた。この忘れられた巨人に目をつけて、一躍ときの人にしたのは、NHKの朝のテレビ小説だが、この学者の旧居を整備して一般開放している練馬区にも、敬意を表さなければならない。植物園の管理だけでも大変である。ふつうなら練馬区民は無料、よそものは入場料を千円でも取るところなのだろう。無料にしないとモギリのアルバイト料も出ないという、通常の悩みは、いまのところはないはずだ。
庭を歩きながら植物名を学ぶ。同時に草木が発する「気」に触れる。それは美であり、真であり、善でもある。動物園では味わえない、つつましく生きる尊さを教えてくれる。書斎が残されていて、うずたかく積まれた書物が、いまは古書店のようになっている。どんな本が積まれているのかと気になって、タイトルを読み続ける。洋書の学術書が多い。むっとする古書のにおいに、死者のおもかげを思い浮かべる。万巻の書に取り囲まれた至福のときは、庭に比べるとむなしい。かつては新刊書だったはずで、主人をなくして書斎は、ときと歩みを共にしている。
毎年花を咲かせる植物の存在をうらめしく思う。それに目をつけて研究対象にした心情もよくわかる。もちろん動物も人間も滅びるわけではない。子や孫に姿を変えて生き続けるのだが、人間はことに個を重視するあまり、ひとつづきのものとしては見ていない。子は親とはちがう人格をもった個として尊重しようとしている。残された庭と書斎と、今はいない主人の、三者を前にして、植物と動物と鉱物の存在論に哲学をめぐらせることになった。
記念庭園は東京だけでなく、生誕地の高知県にもある。しばらくは観光地としても潤うだろう。牧野評価で悔しがっている科学者も少なくないだろう。中谷宇吉郎は片山津温泉に記念館がある。猪苗代湖畔には野口英世記念館がある。博物館の存続は観光と結びつけないと大変な時代である。NHKに頼らずに自力で継承する、一過性ではない健全な育成はないものだろうか。