祝いの器 ボンボニエールと雅な世界

2019年9月11日(水)~11月10日(日)

岡山・吉兆庵美術館


2019/9/17

 ボンボニエールを見るのは今回で3回目になる。高貴で雅びな気分に誘われて、吉兆庵の菓子文化との親和性を確認しながら、デリケートな職人技にため息をつく。江戸の市井の職人芸に違いないが、貴族文化の格調と違和感なく溶け合っている点が興味深い。常設展示には備前焼が並ぶのでその破格の造形との比較を、知らず知らずのうちに行なってしまっている。

 素材で言えば銀と土との対比ということになるが、冷たく光る鋭利な切れ味と、暖かく包み込む鈍重な通奏低音とは、同じ目で鑑賞することのできないものだ。公家と武家の美意識の違いとして単純に二極化してもよいのだろうが、実はこの融合の妙に異文化理解の秘密があるようだ。それは桃山から江戸を通して培われてきた日本人の知恵に由来するものだろう。

 武術や医術といったプラグマティックな物質主義に根ざしながらも、精神性での同一化を図る。それらは象徴となって結晶されていくが、菊の紋章を見るだけで、ある種の感慨が引き起こされる。連ねられた円が、織りなす正確なリズムは、失敗を許さない研ぎ澄まされた金工家の持ち分だ。

 大名家の花嫁道具から展示はスタートする。その贅沢な工芸的成果は、江戸幕府の倹約政策とは矛盾するものではあるが、大名家に富を蓄えさせない工夫だとすると、まさにプラグマティックな経済政策ということになる。同時にそれが細部に贅をほどこす工芸日本を生み出す原動力にもなった。ファッションブランドのロゴマークのように、家紋が埋め込まれる。皇家もまた大名と同様に、幕府のターゲットになったと見てもよい。

 備前焼の陶工が偶然を引き寄せる神頼みには、それとは少し異なった美意識が、下敷きになっているのかもしれない。ロゴマークを否定する無銘性讃美の意志がうかがわれる。魯山人が土を求めて最後に行き着いたのが、備前焼だったというのは、興味深いことだった。旧来の技法にはなかった土を手のひらで叩きつけるタタラ作りの技は、表面にこびりついた伝統という名のロゴをたたき壊す作業だった。ロゴはもちろんブランドと呼び直してもいい。

 同時代の対極にある武家と公家の美意識を、商家では違和感なく取り入れることができたという奇跡を、吉兆庵のコレクションは、よく伝えていると思う。伝統を引き継いで、それを展開する備前の系譜は、藤原一門では、二人の息子に異なった様式を学ばせるという父の思惑となって、功を奏した。備前と織部という似て非なるものを、同時に愛でる精神は、飽くなき利の追及に明け暮れる商人の手の中で、熟成されていった。そういえば利休は商人であったし、秀吉は農民であった。武士は見事に置き去りにされていたということだ。


by Masaaki KAMBARA