旅と想像/創造 いつかあなたの旅になる

2022年09月23日~11月27日

東京都庭園美術館


2022/10/28

 わけのわからないと言えば身もふたもないが、旅情を誘うしかけがふんだんになされた魅力的な展覧会だった。題名だけでは何の展覧会だろうかという懸念はあったが、朝香宮夫妻の海外旅行からはじまって、現代アートでの旅をめぐる夢想まで、多様な興味を喚起させる。1920年代のヨーロッパを席巻していた様式はアールデコであり、それがこの邸宅(現代の庭園美術館)を生み出す源流となる。旅をめぐる夢想のはじまりをなしている。庭園美術館がみずからの出生の秘密を探ろうとしている。

 あちこちにカサンドルのポスターが散りばめられている。どれもが旅情を誘うものだ。船旅には郷愁がある。その誘惑は、巨大な客船の勇姿が伝えている。写真では不可能な誇張された遠近法が旅の雄大なロマンを喚起している。鉄道ではさらにそれが加速する。線路がはるかかなたにまで続いている。それはヨーロッパではドイツがロシアに向ける、極東では日本が中国大陸に向けるまなざしだった。弾丸列車の猛スピードも伝わってくる。文字が入り現実感を増した未知との遭遇が目の前に現れて、ポスターとしての価値を高めている。弟子であったサヴィニャックの手がけた鉄道旅行のポスターもあった。師匠が戦闘的な鷹派であるとすれば、こちらは柔らかな表情を秘めた鳩派の列車だ。機関車はその後のトーマスに引き継がれるように、くっきりとした顔を持っている。デザイナーはそれを引き出しながら時代の趣味を反映して見せる。カサンドルはヒトラーの歩みと同調した拡張と侵略の時代だった。日本でも満州への旅情が、ロマンを伴いながら正当化させていった頃だ。朝香宮の軍服を着た旅姿が写真に残され、印象に残るものとなる。

 戦後、自由な旅行が解禁して第一号の船旅がはじまった。25歳で海外への船旅ではじまった高田賢三の足跡は、その後のスタイルを確立するものとなった。私も25歳で日本を飛び出したが、ヨーロッパ13ヵ国をまわるのが精一杯だった。アジアを通過してヨーロッパをまたにかけ、世界一周することでインターナショナルな視点を獲得する。そこからエスニックな民族衣装を取り入れたKENZOスタイルをつくりあげていった。感受性の豊かな時代に、刺激を受け入れる場に身を置くことが肝心なのだと思う。

 船旅での世界一周は現代でも健在だ。朝香宮の足跡が地球儀に刻まれている。高田賢三も同じ風物に接していたはずだ。私の頃はシベリア経由の鉄道旅行がロマンを誘うものとして植えつけられいていた。満州建設に加速する戦前の延長上にある島国の小民族の野望という点では、何ら変わりのないものだっただろう。船旅では上海、香港を経由してインド沿いに進みスエズ運河を通って地中海にでる。ヨーロッパでは陸路を歩んで大西洋を渡りアメリカに入る。アメリカ大陸は東から西に横断して太平洋に出る。そしてホノルルを経由して日本に向かうという航路だった。そこでは陸路でのヨーロッパとアメリカが主要な目的地ということになる。

 その後の旅の多様化は定番を外れることからスタートする。行けども行けどもまっすぐの道が続く相川勝の映像があった。それを通して、前進するときの未知への期待と、前向きな姿勢に、それがほんとうは無謀というものであったとしても、魂の救済へとつながる道を暗示するものなのだと感じた。

 世界各地の土を採取して、絵はがきに貼りつけて庭園美術館あてに三日おきに送りつけるという栗田宏一のプロジェクトがあった。成果としての絵はがきがあきれるほどに並んでいる。朝香宮が旅行中に買い集めた絵はがきは、写真面を並べてその旅行の全容をみせようと、展示の工夫がされていたが、ここでは、貼り付けられた土と切手に目が向かう。さらには土よりも切手のほうが目につくと、惜しげもなく記念切手が貼られているのだと気づく。高値をよんだ切手趣味週間の浮世絵もある。消印があれば値打ちがさがるはずだが、そうでもないこともある。未使用が不健全のあかしとなるとき、用の美が立ち現れてくる。映画「シャレード」を思い出しながら見ていた。土以上に見せ物と化したミステリーだった。

 書斎には旅行へと誘う書籍が紹介されている。棚のそれぞれには文庫本が、ページをすべて二つ折りにして、扇形に開いて立られている。もちろん書名を知りたいので背表紙を見たいと思う。壁に向かっている場合は見えない。一行だけが読めるような折り方がされているものもある。気に入ったフレーズなのだと思って目を凝らす。自分も読んだことのある小説だと、ピンとくるものがあり、その一説が抜き出されていると、うれしくなってくる。

 美術鑑賞にとっては邪道だが、そんな展示も悪くはないし、そんなことを思いつくものは、今までなかった。これと同じ文庫本の展示を、何度か見たことがある。作家名の福田尚代は知らなくても、作品は確かに独り歩きしていて、ここでは朝香宮の書斎にとどまった。ほんらいは旅行関係の書籍ばかりが並んでいたわけではないはずだが、見せ物としてキュレイターが遊んでみせたということだろう。仮設のフリースペースではない旧邸宅を美術館にした必然が、苦肉の策から現代アートの妙を生み、偶然と出会う日常性がシュールな美を体感させてくれた。


by Masaaki Kambara